風柱とストーカー撃退訓練


60_慈しむ
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父が鬼にされてしまった悪夢のようなあの夜。
日が昇るまでの間、私は母に守られながら絶望していただけだった。
大切な人が鬼にされただけでも身を引き裂かれるように辛いのに、その最愛の人に自分で手を下さなければいけなかった貴方はどれだけ苦しんだことだろうか。


「俺が歩んできた道は屍まみれだ…本当に守るべき存在はいつも守れてねえ。」


大切な人の亡骸を抱いて、立ち上がって、また失うことを繰り返して。
どれだけ辛かっただろうか。
どれだけ痛かっただろうか。
どれだけの時間を、この人は苦しみ続けているのだろうか。

こんなに愛おしく想っていても、今の私には、既に消えない跡となった彼の頬の傷を撫でることしかできない。


「お母様を、苦しみから解放されたのですね。」

「…………」

「人を喰らう鬼として彷徨う前に、貴方がお母様を救った。紛れもない事実です。母殺しなんて言わないでください。人間としてのお母様の尊厳を奪ったのは鬼舞辻、でしょう?」


分かったような口を利いて申し訳ないですが、と言葉を挟み、実弥さんの頬に手を当てたまま話し続ける。
私の言葉が何の慰めにもならないことは分かっている。
彼の心の傷が簡単に癒えるものでもないことも分かっている。
それでも、実弥さんがご自身を責める言葉を紡がれるのはとても嫌で、そこだけはどうしても譲れなかった。


「ご友人の遺志も汲んで、今も刀を振るって多くの命を救っている。どれだけ失っても、傷ついても、貴方は歩みを止めなかった。誰にでもできることではありません。」


押し黙ってこちらをじっと見つめる彼の瞳が微かに揺れている。


「私は何度も歩みを止めようとしてしまいました。でも、その度に実弥さんが私の心を救ってくれた。自分の無力さを嘆いた夜も、仲間を見殺しにしてしまったと嘆いた日も、私が何者なのかを告げた今も、見捨てず傍に置いて鍛えてくださっている。……変態も追い払ってくれますし。」

「……っふ、それも込みかァ」

「込みです」


苦笑する実弥さんの瞳から溢れた涙が、彼の鼻梁を通って枕に滲みていく。
その様も息を飲むほど美しかった。


「ご自分の心身がどれだけ傷付いても、常に誰かを救済し続けてきた。実弥さん自身がどう思っていたとしても、私は…やっぱり貴方は気高く美しい人だと思います」


頬を撫でていた手に実弥さんの熱い手が重ねられる。
手首を返して指を絡めれば、今度はしっかりと握り返される。
それが嬉しくてたまらなくて、繋いだ手を引き寄せて実弥さんの指に口付けてみれば、お前たまにやたら男前になるよなァ、と笑われてしまった。



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