美味しいご飯があればいい

chapter2の3話4話の夜の出来事。




私はポカン、と口を開けて、目の前の光景を眺めていた。ガツガツとシチューを平らげたかと思えば、片手に持つロールパンを齧って、更に新しいお皿に手を伸ばすエドは、まるで3日間ご飯をお預けされたかのような勢いでスプーンを口に運んでいる。あんぐり、その表現の方が正しいかもしれない。こんなに美味しそうにご飯を食べてくれるなら、作った方もこれ以上のことはないだろうな、そんなことを思える食べっぷりだ。私は食べようとしていたスプーンとエドを交互に何度も見比べて、やがてスっとスプーンをテーブルに戻す。その様子を見ていたエドは動きを止め、怪訝そうな顔で「何で食わねえんだよ」と口にした。

「いや、えっと……」
「……何だよ言えよ」
「わ、私のもいります……?」
「……は?」

スススとお皿をエドの方に寄せれば、本当に「は?」という顔をして、エドは掴んでいたスプーンを落としかけた。床に着く寸前、咄嗟に掴んで落下を回避した彼の反射神経に拍手を送りたい。「あっぶねえ!!!お前か変なことするから!!」と顔を真っ赤にして怒っているけれど、私そんな変なこと言ったかな。

「大体お前が一番食べなきゃいけねえだろーが!」
「だ、だって!そんな美味しそうに食べてるから……お腹すいてるのかなって……」
「俺は成長期なだけ!しかも食べたかったら普通に注文するわ!」
「そ、そっか……?」
「……人の心配する前に、まずそのひと皿だけでも早く食べたら」

じと〜とした視線の先には、私が呆気に取られて触れてないシチューがある。そして少し乱雑に私の方へと押し戻され、シチューが受け皿に跳ねた。それもそうか……折角ご飯に誘ってくれたのに一口もまだ食べていないのは失礼かもしれない。けれどそんなに見られながら食べるのも緊張してしまう。恐る恐るスプーンを口に運ぶと、少し温くはなったものの優しい味が広がった。

「お、美味しい……!」
「ハッハー!だろ?俺が一番好きな食べ物がシチューだ」
「シチューってことは牛乳が好きとか?」
「……アーン?」
「!?え、ええ……」
「牛乳は嫌いだよあんな生臭い飲み物!……でもシチューはこんなに牛乳を上手くできるからすげえや」
「アハハ、私も牛乳は嫌いだよ」

ちなみに牛乳が嫌いな理由も、エドと同じだ。生臭いというかなんというか、何かとセットで出てくるならまだしも、牛乳単体となると少し抵抗がある。何気なく言うと、エドは驚いたように私を見て、そして照れくさそうに笑った。

「ま、名前は飲んだ方がいいだろ。牛乳」
「なんで?私だけはずるいです」
「……だから敬語と混ざりすぎだろ」
「え、あ……ごめん?」
「とにかくお前は痩せすぎ!飲むの!」
「あっ」

そう言って、私のお皿に鶏肉を移動させると、問答無用で食えと顎で示される。苦笑いしながら口に含むと、ホロホロと煮込まれた鶏肉が崩れて頬が緩んでしまう。チラリと彼を見ると満足そうに歯を出して笑っているから、なんだか私も釣られて笑ってしまった。だって、いたずらっ子みたいに笑うんだもん。

「……笑えば?」
「え?」
「普段からもっと」
「……わ、わわ、わら」
「わら?」
「……っ笑ってるつもりですいつも笑わせてくれてありがとうございます!!」
「うお!?お、おう!」

後半は少しやけくそだった。その癖にしっかりと恥じらいは心に居座り続けるのだから厄介である。誤魔化すように私もシチューに手をつけ、エドの顔はなるべく見ないようにした。お皿の白い底が見えて食べ終わる頃には、お腹も存分に膨れていたし、さすがのエドもおかわりはやめたらしい。重なるお皿の数は、なんと5枚。ものの宣言通り(食えと言われたのは私だけど)5皿完食してしまったようで、私は成長期の可能性と恐ろしさを体感した。げふ、と頭から伸びる触覚を揺らしているエドは随分とご満悦そうにお腹を撫でている。

「ご馳走様でした」
「……なあ、それなんなの」
「え?」
「その、手合わせてるやつ」
「……これ?」

ご馳走様、と両手を合わせた姿にどうやら違和感を覚えたらしい。小声で「……錬成する時みたい」と口にしていたけれど、よく分からなかったので反応はしなかった。どうしてだろう、と考えてみるけれど、そもそも考えたことがない。加えて日常的に習慣づいてしまっているものだし、彼が納得できそうな詳しい説明は出来そうになかった。首を傾げながら「うーん」とエドの両眼を見つめ返す。

「お祈り?」
「お祈り」
「……食べものと恵に感謝?あとは作ってくれた人に感謝してる……んだと思う」
「名前の国の宗教か?」
「宗教というか……もう癖かな」
「ふーん」

テーブルに肘をついて、私の説明に納得したのかしてないのか、彼はおもむろに両手を合わせ「ご馳走様でした」と口にする。あまりに自然に行ったからか、数秒後に驚いてその様子を見ていたけれど、いつの間にか席を立ったんだろうか、気付けば不思議そうに横から顔を覗き込まれて、私は思わず上半身を仰け反った。そのせいで椅子がガタッと音を鳴らし、少しだけ後退する。ち、近い!ビックリした!心臓がバクバクと鼓動して、思わず胸のあたりを押さえる。金色の重厚な睫毛に縁取られた瞳が至近距離で私を居抜き、顔に熱が集中していくのを感じてしまった。彼はきっとこういうところがある。普段から人との距離が近いからきっと勝手にドキマギしている私の気持ちなんて分かりやしないのだ。

「顔赤いぞ?お前……まさか、熱あるんじゃねえたろうな!?」
「な、ない!ないです!ないから離れてください!」

未だ距離を取ろうと必死な私に、容赦なく腕が伸びてくる。前髪を上にあげ、コテン、と自身の額とくっつけた。「熱はねえ……か」なんて言っているけれど、私からしたらその接触面こそが一番熱を持っている。口から心臓が今にも飛び出てくるんじゃないかと本気で思った。

「ま、帰ったらすぐ寝るこったな」
「……う、うん……」
「?んじゃ払ってくるから先出とけ」
「……はーい」

ありがとうございます、と軽く頭を下げておく。それでも当たり前かのようにヒラリと背中を向けながら片手を振られたので、私は大人しく先に店を出た。いつの間にか外は暗く、建物から溢れる光でキラキラと彩られている。冷たい風が火照った身体を包み込んで気持ちがいい。ボーッと頬を何度か叩いて、目を醒ましていた、その時だ。ガシャンガシャン、どこか聞き覚えがある声がして、私は耳を澄ました。やっぱり聞こえる、どこだろう。ガシャンガシャン、この音は、

「アルフォンス君!」
「名前さん!?」

そして少し先、振り返る大きな銀の鎧が、少年の高い声で私の名前を呼んだ。お店のエントランスから小さく手を振り、私は堪らず微笑みが漏れたのだった。
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