fin_違わない約束

 約束をしてもう何年も経ってしまった春、真新しいスーツに身を包んだ私は時計台の見える公園に来ていた。十年も経てば周りの景色もだいぶん変わっていて、開発が進んだこの公園も昔あった小さな丘や、シロツメクサが咲き乱れていた草原もなくなっていた。変わらずあったのは少し古びた時計台と遊具だけになった殺風景な景色だけ。懐かしさを感じきれずにいた私はふと、時計台の下にベンチに腰かけている青年を見つける。

 その青年はヒーローの登竜門と言われる有名な雄英高校の制服を着ていた、深い緑色の天パで何かノートにメモをしながら呟いている。この公園で出会った少年・緑谷くんを思い出しゆっくりと彼に近づいた。

「あの、ここにシロツメクサが沢山生えていた草原とかありませんでしたか?」
「えっ、あ、はい! 昔ありましたが開発で縮小されてしまったんです」
「そうですか、それは残念」

 急に話しかけた人間に対して挙動不審になりながらも丁寧に答えてくれる青年は昔の面影がよく残っていて、一目見ただけでも緑谷くんだと気づくことが出来た。彼は私のことを覚えていないようで約束を果たしに来たけど残念だなと少し悲しくなる。
 でもせっかく帰って来たのでもう少し話していたいと思った私は話題を見つけるために視線を下に落とした。そういえばさっきノートを見て何か呟いていたよねと緑谷くんの手元に目をやると、そこには沢山のヒーローの名前や個性、特徴が書き連ねてあった。

「……やっぱり約束守ってくれたんだ」
「えっ……?」
「あぁいや、その栞が可愛いなと思って」

 聞き取れなかった私の声を聞き返した緑谷くんに、何でもないと首を振って栞を指さす。ノートに挟まれていた栞を緑谷くんが手にとり懐かしむように撫でた。

「昔、ここの公園で遊んでくれたお姉さんに貰ったものなんです。僕が辛い時に支えてくれた人で約束にコレを貰って枯らさないようにって」

 女々しいですよねと緑谷くんが自嘲するが私は「そんなことないよ、素敵なことじゃん」と言う。栞に挟まれていた四つ葉のクローバーは相変わらず一つだけ小さく不格好であったが当時のままそこにあった。

「でも―――」
「でも?」

 私がその栞を見ていた時に緑谷くんがぽつりと言葉を続ける。今後は私が聞き取れなくて少し屈んで聞き返す番だった。緑谷くんは四つ葉のクローバーを指で優しく触り残念そうな表情をする。

「おねぇちゃんとしか呼んでなくて、結局お名前を聞きそびれてたんですよね」
「あっ……」
「約束もしたのに連絡方法も名前すらも分からなくて」

 そうだった。緑谷くんの名前は知っていたけど私は名乗っていなかったことを思い出した。おねぇちゃんと言ってくれていたから特に自己紹介をする機会もなかったのだ。すっかり忘れていたその事実に私は頭を抱える、

 一番大事なことなのに当時の私は何をしていたんだ! と唸っていると、緑谷くんが微かに笑ったような気がした。そうしてノートを閉じた彼が立ち上がり、私と同じ視線に並ぶ。十年も経てば同じように成長しているのだろうと思っていたけど、昔のように私が彼を見下ろしてはいなくて、むしろ少し見上げないといけないのでは? と感じる。すっかり成長したんだねと思っていると、視界の端で緑谷くんの手が動いた。それに呼応するように目で追うと、彼の右手は小指を出している。完全に視線が手元になっていた。

「もしかして、」

 顔を上げて緑谷くんと視線を交わす。彼は一筋の涙を流してとても幸せそうにくしゃっと笑顔を見せてくれたのだ。昔の約束なんて、小さい頃にした約束なんて忘れられてて当然だと思っていた。けど目の前には成長した彼が、私が当時したように手を、小指を差し出している。目頭が熱くなり私に、上から声が振ってくる。その声色は今まで聞いた彼の声の中でも一番優しく、けどどこか震えているようなものだった。


「―――だから、今度は名前を教えてくれませんか?」



 
back両手で掴んで
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