fin_工藤新一が気に入らない男子高校生

「工藤新一」
「邪魔して悪りぃな」
「何でここに……?」
「あぁ、授業で忘れ物して。コレとりにきた」

 ほとんど言葉をかわしたこともないはずなのに、工藤は愛想よく笑う。忘れ物だという教科書を見せて俺の隣に歩みを進める。きっとピアノも得意なのだろう、俺の弾いた後に自慢でもするつもりか? と身構えた。

「お前上手いのな」
「……へ?」
「取ったら黙って出ていくつもりだったんだけどよ、最後まで聴きたくなっちまった」

 工藤から出た言葉は俺の予想外で、素っ頓狂な声が出てしまう。あの工藤が俺のピアノを上手いと褒めた? 追いつかない思考回路を搔き乱すように工藤は賞賛の声を俺に送り続ける。譜面の難しいところや、俺が特に気を使っているところなんか的確についてきて嬉しい反面、やっぱり工藤は音楽にも精通しているんだと実感させられた。それでもやはりあの工藤に褒められるのは嬉しいもので、ちょっと得意気になった俺は「この後、課題曲も弾くから練習していけよ、工藤」と楽譜を捲る。

「いや、それはちょっと」
「なんだよ、俺のピアノ褒めてくれたのに歌いたくはない感じなのか?」
「あー……、じゃあさ、絶対に笑うなよ?」

 言葉を濁して逃げようとした工藤に強気に出てみればバツが悪そうな表情をし、絶対笑うなよと念押しをされる。ただ歌うだけなのに笑う要素なんて無いだろうと答えれば、渋々教科書を近くの机に置いて姿勢を整えた。俺はカウントをとり課題曲を弾く。少し固めの力強さが求められるこの曲では男性パートがキーとなるのだ。はじめは女性のみが歌うので暫く伴奏だけになる、次の小節に入ると男性パートだけになるのでチラリと工藤へ視線をやった。工藤は俺と視線を躱してギュッと目を瞑り大きく息を吸う。

「(表現しがたい唄声)〜♪」
「い゛ッ?!」

 聴こえて来たのは率直に言えば音程が大幅に外れた唄声だった。イメージしてた工藤の声とは全く違った音が音楽室に響き、思わず手を止めてしまう。呆気にとられて顔を上げれば俺と視線を絶対に合わそうとしない工藤。まさか、あの工藤が音痴? 意外と言えば意外すぎる事実だった。何でもスマートに、完璧にやってのけるあの工藤に苦手なものがあるなんて思ってもいなかったのだ。「だから歌いたくなかったんだよ」とそっぽ向いて不満を漏らす工藤が子どもっぽくて、何だか俺と同じただの平凡な高校生に見えた気がした。

「……はは、あの工藤が音痴? あっははは、なんだよそれ」
「バッ! 笑うなって言ったろ!」
「だってあの完璧人間の工藤新一が音痴なんて予想外すぎんだろ、あはははは!」
「〜〜〜だから人前で歌いたくないんだよ」
「ごめんごめん、お前でも苦手なものがあるんだな」

 笑う俺の肩を揺らして笑うなと抗議する工藤に余計笑いがこみあげてくる。こんな工藤新一を他の人間は見たことがあるだろうか、ただの高校生らしい工藤新一を。耳を真っ赤にして取り乱す工藤に笑いすぎて零れた涙を拭って俺はどうどうと制するポーズをとる。肩から手がどけられ自由になった俺はピアノの側板に肘を置き、少し意地悪そうな顔をして笑いかける。

「良かったらこれからも練習付き合ってやるけど、どう?」
「練習?」
「合唱コンで歌わない訳にもいかないだろ? 俺が少しでもマシになるようにコツとか教えてあげてもいーけど?」

 自分でも悪い顔をしていたと思うけど、工藤はパーっと目を輝かせた。今日は知らない一面を良くみる日らしい、目をキラキラとさせた工藤は声を少し弾ませる。毎日いる訳でもないので連絡先を交換しておきたかった俺はピアノの上にあるスマホを手にとり、そういや自己紹介すらしてなかったと言葉を切った。

「連絡先交換してい……あ、俺1年8組の」
「三浦だろ、よろしくな」
「……! よろしく、工藤」

 俺の名前を呼んでスマホを出す工藤に体温が上がった。体育で一緒なだけのクラスメイトでもない接点のない俺のことを知ってくれていることが純粋に嬉しかった。差し出されたスマホの連絡先を読み取り、【工藤新一】の名前を連絡先に登録する。俺は工藤新一が嫌いだった、いけすかない何でも完璧にやってみせる人間だと思っていた。でも今日から少しだけ工藤新一を好きになれそうだ。


 
back両手で掴んで
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