3.九月○×日(水)

 それから毎日、上鳴は放課後になると真中の家に来るようになった。学校に来るよう急かす訳でもなく、ただ毎日来てはゲームをしたり漫画を読んだり学校のことには触れずに暗くなるまでいるだけ。始めの内は何時、学校に来るよう催促されるのか不安だった真中だったが、一週間もすれば上鳴が思う存分ゲームをしてケーキやお菓子を食べるだけに放課後すぐ真中の家に来ているのだと理解することができた。上鳴は真中の様子を見に来るという名目の元、自分のしたいことをしに来ていたのだ。それを悟った真中はビビっていた自分が恥ずかしくなり、同時に上鳴の厚かましさに飽きれてしまう。
 今日も今日とて、上鳴はまるで自分の家であるかのように真中の部屋へ来る。部屋に入るなり、慣れた手つきでゲームを起動してゲームの続きを始めだした。真中よりも先に新作ゲームをクリアしそうな上鳴の背中を眺め、真中はふと学校に行ってみようかなという気分にった。何故と聞かれると答えにくいのだが、その時の真中は本当に何となく行ってみたいとの気持ちを抱いたのだ。
 
 そんな真中の想いをよそに、数時間遊び満足したような上鳴は、"また明日も来るわ"と言い残して帰って行く。その後ろ姿に声をかけようかと思い伸ばした手をひっこめて、真中は背中に隠した。正直まだ怖かったのだ、ここで学校に行くと言えばもう上鳴は来なくなってしまうのではないか。
 上鳴が帰ってから、真中は一晩中悩んだ。行ってみたい気持ちと怖い気持ち、また過去にいじめた光景がフラッシュバックして一睡もできなかった。ようやく眠れたのは朝日がすっかり昇った頃で、次に目が覚めた時は陽が沈みかけていた。
 ゆっくりと布団から出て、階段を降りリビングへと向かう。テレビを前にうとうとしていた母親を起こして一晩中悩んでいた答えを打ち明けた。
「俺、明日から学校に……行こうと思うんだけど、どうかな?」
 寝ぼけていた母親の目がカッと開き、次の瞬間にはボロボロと涙を流して喜んでくれた。真中はそんな母親を見て驚きはしたもののほっと胸を撫でおろす。そして少し恥ずかしそうに"上鳴が来る前に聞いてほしいことがあるんだけどさ"と言葉を続けた。



「こんちわー! おじゃましまーす!」
 うるさい声と共に玄関の扉が勢いよく開く。部屋にいた時はヘッドフォンを常にしていたので上鳴がこんなに煩く登場しているなんて知らなかった真中は、顔を引きつらせてリビングから顔を出した。
「うお! 照なんでここにいんの?!」
「いちゃ悪いかよ、ここは俺の家だ馬鹿」
「そりゃそうだけどよ、珍しいなって」
 ローファーをぴったりと揃えて"ちょっと待っててな"と洗面所にダッシュした上鳴に苦笑する。ここの家の子みたいにしている上鳴、洗面所でうがいをする上鳴に"今日はリビングでおやつ用意してるからね"と声をかける母親、まるで親子の会話だ。こんな兄弟嫌だなぁと真中は上鳴がリビングに来るのを待つ。
 バタバタとリビングへ入って来た上鳴はカウンターキッチンで準備をする母親にお礼を言い、真中を探す。その様子をリビングから和室へと繋がる扉に隠れていた真中は目が合った瞬間、食い気味に"絶対大声出すなよ"と釘を刺した。
「何隠れてんの?」
「いいからそこに座れよ」
「なんだよ急に」
「いいから、俺を見ても大声出さないって約束してくれよ」
「えー、いいぜ。俺は照を見ても大声を出しません」
「よし。……いくぞ」
 上鳴の言葉を聞いた真中は大きく深呼吸をして、隠れていた扉から一歩踏み出す。視線は足元のまま上鳴の前に立ち、ぎゅっと目を瞑った。告白をしている訳でもないのに心臓がバクバクと煩く、顔の体温も上がってきたように感じる。数秒、数十秒の沈黙が流れ、上鳴から小さく"お、お"と繰り返し同じ音が聴こえた。真中は恐る恐る顔をあげて上鳴と視線を合わす。その瞬間、目を見開いた上鳴は真中を指さし大声で叫んだ。
「お前それ!!! 制服着てんじゃん!!!!!」
「〜〜〜〜うるせぇ! 大声だすなって言ったろ!」
「えーー!!!! 無理だってびっくりしたわ!! まじ? 今日エイプリルフールとかじゃないよな?」
 真中は上鳴が来る前に母親に用意してもらっていた制服に袖を通していたのだ。この制服を着ようと思えたのは上鳴のおかげだとも言えるので、どうしても上鳴に一番に見てほしかったのだ。実際に来た制服は新品の匂いがするし、まだまだ成長期だからと少し大きめに仕上がった制服がより新入生のような印象を与えしまったようで、上から下までじっくりと見た上鳴は"ふはっ"と笑みを溢す。
「照、新入生みたい……」
「お前なら絶対言うと思った、その顔やめろ」



 

 
 
 両親以上に喜んでいた上鳴は"じゃあまた明日"と言って帰り、翌日は朝いちばんにインターフォンを鳴らし迎えに来た。部活の朝練時間くらいの早朝に、満面の笑みで現れた上鳴と、低血圧でボサボサの髪をベッドから出す真中。寝起きですこぶる機嫌の悪い真中は、暫く上鳴を見つめてから静かに布団へと潜り込む。
「おいおいおい、朝だって! 今日から学校に行くんだろ〜〜!」
「行くって言ったけどさ、何時なんだよ今」
「六時!」
「六時……馬鹿じゃねぇの、もうひと眠りさせてくれよ」
「いや!!!! 今日は早く行くんだって支度しろよ真中!!」
「……修学旅行に浮かれてる小学生」
「それでもいいから! 支度!」
 いつもよりハイテンションな上鳴は布団を引っぺがし、クローゼットから真中の制服を取り出して押し付ける。パジャマまで脱がす勢いだった上鳴に、降参した真中は渋々着替え始めた。まだ一回しか着ていない制服に袖を通す。パリっとした感触に、新品の匂いが全身を包んだ。少し背筋を伸ばしてしまう感覚で、着終わってから、姿鏡で確認をするがどうしても新入生のような馴染み無さを感じる。
「新入生みてぇ」
「二回も言うなって」
 思っていたことを口に出されると案外恥ずかしかったようで上鳴の肩を軽く叩く。真中の心情を言葉にした上鳴は"ちょっと失礼〜"と言って、彼の制服を軽く手直しする。ネクタイを少しだけ緩めて、第一ボタンを外す。それだけで先ほどの新入生感は幾分かマシになった。
「手慣れてんな」
「まだまだこれからだって、ほらしゃがめよ」
「お、おう」
「転校初日なんだから気合いれて行くしかないっしょ」
 真中を床に座らせた上鳴は膝立ちで彼の後ろに立ち、ドライヤーで寝ぐせを直していく。そして真っ黒なキューブ型のケースからクリームを少しとる。手に馴染ませて姿鏡を使いながら器用に真中の髪を遊ばせていた。上鳴についたフルーティな香りが真中へと移る。慣れた手つきでどんどん髪が整えられていき、最後に"目つぶってな"と言われ髪全体にスプレーがかかった。
「おっし、これで完成な」
「すげぇ器用なんだなお前」
「だてに毎日セットしてねぇからな。これやるから毎日セットして来いよ」
「これ今つけてくれたやつ?」
「そーそ。ちょいフルーティーな匂いが良いっしょ? これ転校デビュー祝い」
「なんだよそれ。でもサンキュ、頑張って使ってみるわ」
「ちなみに俺とお揃い」
「その情報はいらんかった」
「ひでぇ。あ、てか照、顔洗ってねぇじゃん。せっかくセットしたのに〜〜」
「……濡らさないように善処します」
 上鳴に文句を言われながら階段をおり、洗面所で髪を濡らさないようにいつもより丁寧に洗顔をする。タオルで水分をふき取り正面を向いた真中は、鏡に映る自分がいつもより少し明るい表情をしていることに気が付いた。身を包んでいるのはいつもの部屋着ではなく、今日から毎日着ることになる制服。今日から俺は別の学校に転校して、上鳴もいる。もう俺をいじめていた奴らにも会わないんだと真中は心の中で繰り返す。まだ少し震える手だが、上鳴がいると思えばまだ安心することができた。
 洗面所を出れば、真中の鞄を持った上鳴が靴を履いて待っていた。上から下まで見た上鳴は真中に親指を突き出し、"俺プロデュース完璧"とはじけるように笑い、白い歯をのぞかせる。

 
back両手で掴んで
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