5.三月×△日(水)

 時の流れは早く、季節が巡って一年が経つ。真中はクラスメイトにも恵まれて無事平穏な日々を取り戻すことができた。彼女もおらず、誰にでも友好的な彼を妬む人間もおらず、上鳴との良いコンビだと言われ過ごしていた。
 体育祭では騎馬戦で活躍し、隠れファンクラブのようなものが結成されたらしい。バレンタインの時期には漫画よろしく下駄箱に詰まったチョコレートに上鳴が泣きべそをかいていた思い出も、今となっては懐かしい。真新しく少し大きかった制服も今では真中の身長が追いついたおかげで、ちょうど良いサイズになっており、無理に着崩すことも無くなった。

 そして今日に至っては普段のように着崩すこともなく、しっかりとネクタイを結び、胸には文化祭で仲良くなった後輩から贈られた造花が留めていた。体育館に並んで座るクラスメイト達も普段とは少し違い、後ろに控える後輩たちの手本となるように大人しく前を見据えている。

 目の前では卒業証書を受け取り深くお辞儀をする上鳴がいる。口をきゅっと結んで真剣は表情だった彼だったが列に戻る最中に、真中たちクラスメイトの方を向いて腰のあたりで小さくピースをしてみせた。それから他のクラスメイトも上鳴に続き、バレない程度にクラスメイトへ合図を送り続け、とうとう真中の番になる。壇上に上がり名前を呼ばれ卒業証書を手渡される。しっかりと受け取り深々とお辞儀をした。壇上から降りる時にクラスメイトたちを見るとみんな小さく手を振っており、こんな時でもふざけている彼らに小さく笑みが零れた。”ばーか”と声に出さず言い、手を小さく振る。

 席に戻り、卒業式もいよいよ終盤に差し掛かる。この式が終わってしまえば真中たちは完全に卒業となるのだ。ちょっと寂しいよなと感じた真中は、二つ前の長椅子に目をやる。そこには声こそ出してないが、誰よりも派手に泣いている上鳴を見つけた。両隣のクラスメイトに宥められている奴を見ると寂しかった気持ちもスっと薄れてしまう。後でハンカチ渡してやろうと、真中はポケットに入ったままのハンカチを握った。

 卒業式も無事終わり、クラスメイトたちは最後の別れを惜しむようにアルバムを広げて寄せ書きをしたり写真を撮り合う。担任が来て、卒業おめでとうの言葉が彼らに贈られた。そして最後には全員で写真を撮り、クラスメイトたちは教室を後にする。

 真中は最後まで教室に残りクラスメイトたちを見送った。あんなに団結力もあり、仲が良かったのに明日には教室で挨拶をすることもない。もう一緒に授業を受けることもないんだと思うと感慨深くなる。数分後には教室も真中と上鳴だけになった。途端に静けさに包まれたこの空間が、もう二度とクラスメイトたちとこの教室で言葉を交わすことがないんだと自覚させられ、真中は不意に泣きそうになる。
「これ」
「あ、うん。ありがと」
 そんな様子を見てか、先ほど号泣する上鳴に渡したハンカチが少し湿っ状態でタイミング良く、真中の手元に戻る。真中は袖で目元を擦り、ハンカチをポケットにしまった。


 
 特に何か約束した訳でもなく、真中と上鳴は鞄を持って教室を後にする。昇降口で下靴を地面に落とし、すっかり履きつぶした靴のつま先をトントンと地面に当てた。そうして上履きを戻そうとしてその手を止めた。
”あぁ、今日で最後だからもうここへ靴を戻すこともないんだった”
 真中は用意していた袋を取り出し、上履きを詰める。上履きを戻すこともないんだと、ちょっとしたことでも卒業を感じさせられてしまう。彼らはまた無言で正門へと向かい、もう二度と通ることのない門を出た。
「……三年も通えてない分、卒業まであっという間だったな」
「俺らの中学生活がこんな一瞬で終わるなんてマジで早すぎ」
「なぁ。このまま帰んのもアレだし、俺んち来ない?」
「お、いいな! 行こう!」
 ふと、このまま別れるのも味気ないと感じた真中は上鳴へ話かける。会話もなく帰りたくない気持ちと、出来ればもう少し一緒にいたい甘えん坊の女の子のような気持ちになってしまったのだ。少しおどけた素振りを見せながら笑い、その表情に上鳴は驚いた様子を見せるがすぐに顔を輝かせた。

 その言葉を皮切りに、彼らは懐かしむようにクラスメイトのことや学校の話をした。真中が転校してからの時間は多くはなかったが、それでも懐かしむには十分な時間を過ごしていた。話し出すと帰り道の時間なんて簡単に過ぎてしまう。あっという間に真中の家に着き、彼は上鳴に先に二階へ行くように促した。
 静かなキッチンに入り、冷蔵庫から冷えたジュースと適当なお菓子を持って階段を上がる。扉を開けると、そこにはもうすでに鞄を放り投げて、真中のクッションを枕に寛いでいる姿があった。彼にとってそれは何度も見た光景だったが、何となく初めて出会った上鳴のことを思い出し、”まじで成長してねぇ”と声に漏らす。
「寛ぎやすい最高の空間なんだって」
「はいはい、言ってろ」
 彼らはジュース片手にもう一カ月もない先の話で盛り上がる。県外で大学付属高校を選んだ真中と、ヒーロー名門の雄英高校に何とか決まった上鳴。真中は学力も実力もあったのでヒーロー科でなくても雄英高校を選択することも出来たのだが、お互いの将来の夢のために別々の道を選んだ。将来の話になり、上鳴の夢を聞いた真中は自身の手のひらを見つめながら声を絞り出す。
「俺は。俺はこの個性を生かして人を助けたい」
「結局、照の個性って何なんだ?」
「……俺の個性は多分だけど医療向きだと思う」

 手のひらには親指の付け根から手首にかけて痛々しい傷跡が残っていた。真中自身もあまり覚えていないが、個性が暴走して大事故に繋がりかけたことがあったのだ。その当時はヒーローが駆け付け一大事にはならなかったらしいが、もし暴走したままであったらもっと多くの人が被害にあっていたらしい。真中の制御ができていない、無自覚の出来事だったとはいえ、実刑もありえる話、それくらい大きな事件に繋がり兼ねないものだった。
 しかし、今では個性の制御も十分に出来ているし、個性の使い道さえ間違えなければ人助けも夢ではない。真中にとって活躍するヒーローたちの登竜門である雄英は、幼い頃からの憧れであったが、より個性を有効活用するためには県外の高校に進むのが一番の早道と考えた。特に、医療に特化している付属高校ならば、短期的な個性の解明や実験、より精度の高い使い方を見出すことが出来る。
 真中の言葉を聞き終わった上鳴はうんうんと頷き、手を差し出して真中と目を合わせる。その手と顔を交互に見た真中は疑問符を浮かべて軽く首を傾げた。

「じゃあさ」
「俺はヒーローになって人を助けるから、お前は傷ついた人を助けろよ」
「まぁ、俺の個性だったらソレは出来ると思うけど」
「だろ? 俺が助けた命をお前がちゃんと繋ぎとめてくれたら、それはもうヒーローじゃん」
「……たしかに」
「俺たち最高の相棒(バディ)になれるな!」

 まるで想像もしていなかった言葉に頭を強く殴られた気分だった。県外へ行くことになったからこの家を出なければいけなくて、もう会うことも出来ないと思って真中に対して、上鳴はそのずっと先まで一緒にいることが当たり前のように言ったのだ。
 本当に、初めて出会った時から対等でいてくれる心強い味方だった。高校が違うだけで寂しいとか、悲しいとかそんな感情はいらないかと真中は差し出された手を強く握る。あの時とは違う、本気の力で握り返した。



 
back両手で掴んで
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