不鮮明な世界で






ミョウジナマエ。彼女は元々鬼殺の剣士であった。剣技の才があり、努力家で、「いずれは柱になるのでは」とさえ言われていた。しかし階級が戊の時、鬼の血鬼術を喰らい視力が著しく低下してしまったのだ。
それでもナマエは眼鏡を掛けて任務に向かった。鬼を滅することに生きてきた彼女は、そうするしかなかった。


「この小娘がァ! 」
「うっ」


鬼との戦いで眼鏡が飛ばされ割れてしまう。視界はぼやけ、上手く距離感が掴めない。それは剣士にとって致命的であった。
(集中しろ…目がダメなら耳を使え、鼻を使え…)と、ナマエは必死の状態で戦う。ギリギリの攻防が続いた。


「全集中 水の呼吸 壱ノ型…水面斬り」


鬼の頸は落とした。しかしこれがナマエの剣士としての最後の技である、と彼女は自ら理解した。最早自分は鬼と戦えない。この程度の鬼相手でさえ身体は悲鳴を上げる。鬼に傷付けられた右肩からの出血が酷い。
ゴトリ、と手から青い日輪刀が落ちる。ナマエは立っていられなくなり、仰向けに倒れた。


「ぅっ…ぁ…」


涙が溢れた。悔しかった。もっと強くなって鬼と戦うはずだった。
目の前に広がる夜空には星が光っているはずなのに、何も見えなかった。


「お、おい! 大丈夫か? 」


誰かが声を掛けてきて、ナマエの身体を起こした。顔が黒い布で覆われているので、おそらく隠である。


「何も見えないんです…全部、ぼやけて見えないんです…」
「ん? ああ、眼鏡壊されたちまったんですね」


隠の男は、硝子が割れたナマエの眼鏡を見つけた。ナマエの涙は止まらない。


「目がこんなんじゃ鬼を斬れない…刀が握れない私なんて、存在意義すらないんです…」


すると隠の男がナマエの目の縁の涙を拭った。そしてそのまま両手で彼女の頬を包む。


「俺の顔、見えます? 」


男が腕を伸ばし切った距離。その顔は霞んでよく見えない。ナマエがふるふると横に首を振ると、男が今度は鼻と鼻がつきそうなまでに顔を近づけてきた。


「これなら? 」
「み、見え、ました」


少し垂れた一重の目がはっきりとナマエの目に映った。そして男は「よし! 何も見えてねぇことない! 」と言って離れる。


「俺は鬼を前にするとどうしても怖くて上手く戦えなかった。だからアンタらみたいに鬼に立ち向かう隊士のことを尊敬してる。目が悪かろうがアンタはその心の強さがありゃなんだってできますよ。鬼を斬るのは、刀だけじゃ無ぇ」


その男はナマエの止血をし、日輪刀と眼鏡を拾うと彼女に渡す。そしてナマエを背負おうとしゃがんだ。


「あ、歩けます…」
「じゃあ手は繋ぎますよ。足場悪いんで」


負傷して隠に背負われて戻ってくる剣士はよくいるが、手を繋がれる者は今まで見たことがない。想像してみればそちらの方が余程恥ずかしいと思い、ナマエは大人しく背負われることにした。


「…あの、星はきれいですか」
「ん? ああ、はい。きれいっすよ」


隠の男の少し低い声も、お香のような匂いも、ナマエを落ち着かせた。その大きく暖かい背中に揺られながら、他愛もない話をした。
思えばこの時から、ナマエは恋をしていた。