林檎ジャミに溺れて





「ミョウジ。明後日休みだよな」
「え、あ、はい」


ナマエによる告白未遂の一週間後のこと、後藤は彼女を外出に誘った。てっきり避けられているとばかり思っていたナマエはその提案に目を丸くする。後藤が「嫌なら別にいいけどよ」と言うと、慌てて「行きます! 」と返事した。


「じゃあ決まりだ。午後二時に駅前な」
「宿舎から一緒に出かけないんですか? 」


同じ宿舎で生活しているというのに、わざわざ現地集合とは非合理的ではないかとナマエは問う。すると後藤はナマエから目を逸らすと少し迷ってから口を開いた。


「…俺は一応逢引のつもりなんだけど」


ナマエをきちんと一人の女性として見て、接してみる。それもせずに返事をすることは彼女に対して失礼である。後藤が、七日間考えて導き出した答えだ。


「ここから出かけるか? 周りが煩そうだけど」
「い、いえ! 駅前で大丈夫です! 」
「おう」


少し妙な間が開いた後、「じゃあ、そういうことで…」と後藤は男性用の宿舎に戻った。
当日、後藤は少し早めに待ち合わせ場所に着いた。立ち襟の白シャツの上に灰色の着物と茶緑の袴という格好である。こうして誰かと待ち合わせたのはいつぶりだろうか。
そろそろか、と後藤が辺りを見渡すとナマエの姿が。彼女が鬼殺隊の剣士であった時以来素顔は見ていなかったが、眼鏡をかけた女性はそうそういないためすぐに見つけられた。しかし、ナマエはそうもいかないようで、必死に後藤を探していた。ナマエは今まで一度も後藤の顔を見たことがなかったのだ。
少し様子を伺っていると、ナマエが後藤に気づく。しかし、後藤があえて知らないふりをすると、ナマエは(違う人かもしれない…)と、話しかけられず後藤らしき男性を気にしながらウロウロとする。流石にかわいそうに思った後藤が声をかけにいった。


「ミョウジ」
「…ご、後藤さん? 」
「おう」
「なんで知らないふりしたんですか!」
「ちょっと面白くて」
「恥ずかしいじゃないですか! 」


決まりが悪そうに目を逸らすナマエ。すると、後藤からの視線に気がつく。


「な、なんでしょうか」
「いや、お前のそういう格好は初めて見たと思って」


生成色の生地に渋い青緑の縦縞模様が入った着物を着て芥子色の帯を締めたナマエ。こういった格好をしていると彼女はまるで普通の女性となんら変わらず、鬼殺隊の一員であるとは思えなかった。


「あの、あまり見ないでください。似合ってないことはわかってますので」


恥ずかしがっているというわけではなさそうなナマエ。恐らく分厚い眼鏡のことを気にしているのであろう。「似合ってると思うけど」と後藤が言うと、ナマエは眉を下げて笑った。


「いつもはどんな風なんだ? 」
「……稽古着です」
「お前らしいな」


なら、この着物は今日のためにわざわざ用意したのだろうか。そう考えると途端にいじらしく思えてくる。


「と、とりあえず、活動写真でも観に行くか」
「は、はい! 」


二人で電気館に行き、キャラメルを買って活動写真を観て、その後洋風喫茶店に入った。先程観た活動写真の感想を言い合っていると、着物にエプロン姿の女給が珈琲とデザートを運んでくる。


「こちらワッフルとカスタプリンでございます」


珈琲の深い香りとデザートの甘い香りに、二人は顔を綻ばせる。手を合わせて「いただきます」と言うと、後藤はカスタプリンを、ナマエはワッフルを一口食べた。そして嬉しげに顔を見合わせる。


「このカスタプリンうまっ! 」
「ワッフルもサクサクふわふわで、林檎ジャミともよく合います! 」


幸せそうに笑うナマエ。素直に可愛らしいなと後藤は思う。活動写真を観ている時の集中した横顔も、キャラメルやワッフルを食べた時のほんの少しの笑顔も。なにより、まるでこの世で最後に飲むかのように慎重にカップを傾けて珈琲を飲む姿から目を離せなかった。
考えてみればナマエが隠に入ってきた時から、後藤は彼女を気にかけてきていた。
鬼の血鬼術によって視力が低下したナマエは、最前線から退いた。彼女の実力や修行熱心だという話は後藤も噂で聞いていたため、刀を握らなくなったことで廃人になっていないかと懸念を抱いていた。しかしそんな心配も他所に、隠に所属した彼女はあっけらかんとしていて、新しい仕事をよく覚え、よくこなした。隠になり鬼殺隊を支えることを決意したナマエを見て後藤は、先輩として見守ろうと決めたのだ。
「鬼を斬ることに繋がるなら、私はなんだってします」と、ナマエはよく言う。鬼を滅するために命をかけているような彼女は、恋心の"こ"の字も知らないものだと勝手に決めつけていた。


「どうかしましたか? 」


妹のように思っていた五歳年下のナマエ。口元に林檎のジャムをつけ、眼鏡の奥の目をパチクリとさせる向かいの席に座った彼女を一人の女性として見るにはもう少し時間がほしかったが、存外難しくはなさそうだった。


「ついてるぞ」
「え? 」


そっと親指で取ってやったジャムを、そのまま自分の口に含む。ナマエは頬を染め、目を伏せ、消え入りそうな声で「ありがとうございます」と言った。それがなんとも微笑ましく、とても穏やかな気分だった。この世に鬼などいないのではないかとさえ思った。