現代設定/甘くはない




放課後、車窓からの夕焼け空にあの人を見た。少し歩きたい気分で、一つ手前の駅で降りてみる。


「……へー」


初めての町の風景に、ぽかり空いた口から声が漏れてしまった。
父の仕事の都合で東京に越してきてから3ヶ月が経った。この時代では初めてで、100年余りぶりの東京だった。


(なんとなく、知ってる道な気がするなぁ)


私には前世の記憶がある。大正の世には鬼がいて、私は鬼の頸を斬っていた。とても大切な人がいた。共にこの東京で修羅を駆け抜けた人。優しく、実直で、春の海のような、深く色づいていく緑の山のような、太陽のような人。


(もうすぐ、誕生日だよね)


柔らかな夕焼けの瞳を忘れたくないと、前世の魂が手放さなかったようだ。悍ましい記憶も一緒だったものだからお陰でよく魘されるのだけれど、それでもあの人を、炭治郎を忘れるより良かった。


(炭治郎は元気かな。他のみんなは炭治郎の側にいるかな。いたらいいな。楽しく笑ってたらいいな)


小さい頃は会いたくて泣く日もあったけど、今は違う。もし、炭治郎がこの世にまた生まれてきていたならば、前世の記憶なんてありませんように。


「どのあたりにくくる?」
「えー、やっぱできるだけ高いところじゃない?確率上げてこ!」


ふと、商店街を歩いていると七夕の笹飾りが目に留まった。赤や青、ピンクに黄色、オレンジ色の短冊がたくさん揺れている。今まさに中学生くらいの女の子2人が和気藹々と願い事を書いた短冊を笹に結んでいた。


(書いてみようかな)


今日か、七夕。せっかくだから私も願おう。笹のすぐ横に置かれた長机に、無地の短冊とペン、それからくくりつけるための糸が置かれてる。一番上にあった赤色を取り、ペンのキャップを開けた。


(どうかどうか、多くは望みません)


“大切な人が、どこかで幸せに暮らしてますように”。そりゃ、年頃の女子だし、色々あるけど。成績良くなりたいし、もっとこっちの友達と仲良くなりたいし、可愛くなりたいし。でも、それはなんとかできるじゃん。そうじゃなくて、自分じゃどうにもできない、天に願うしかないような、


「あっ!」


ヒューっと商店街を通り抜けた風が、机の上の私の願いを攫っていく。軽い紙は舞い上がり、クリーム色や赤茶や焦茶のレンガがランダムに敷き詰められた道に落ちた。落ちてもなお、風で少しずつ離れてく赤色。
ハラリハラリ。必死に追いかける私。ハラリハラ、


「っ!」


どさり。足がもつれて盛大に転けた。心配と冷ややかな視線が入り混じって私の身体に突き刺さる。ああ、最悪だ。顔を上げれない。


「おっと」


少しだけ目線を上げると、前から歩いてきた人が、短冊を拾ってくれたのが目に入った。私の元に駆けてくるその人。ほっとする間も無く、私の心臓は人生で一番大きく脈打つ。


「大丈夫ですか?これ、追いかけてたんですよね?」


多くは望まないつもりだったのに。今、目の前にいる、この人の瞳が曇らなければ、それで良いのに。どうしたものか。どうしたものか。


「起き上がれますか?」
「ありがとう、ござい、ま」


差し伸べてくれた手には、傷なんてなくて、必死に戸惑いを抑えてなんとか握り返したら柔らかくて。ああ、どうしたものか。また、ナマエと呼んでほしいなんて思ってしまう自分がいる。ぼろぼろ溢れた感情にその人は優しく眉を顰める。


「やっぱりどこか怪我しました!?」
「あ、い、いえ」


これはなんの涙か。




多くは望まないので、
(望まないので……?)
2023.7.7