「おい、権八郎」
「どうした伊之助? 」


それは、まだ寒いある初春のこと。炭治郎と善逸と伊之助は任務で怪我をしたため、蝶屋敷で療養中であった。夕食を済ませ湯浴みを終え、ベッドに入るといつもは真っ先に寝てしまう伊之助が、その夜ポツリと炭治郎に話しかけた。


「今日の飯はすげえ美味かった」
「ああ、確か作ってくれる人が変わったらしい」
「俺会ったよ! ナマエさんっていうの! 美人だったなぁ」


善逸も会話に入ってきたと思えば、飯炊き係の女性の姿を思い出して間抜けな笑みを浮かべる。


「俺は毎日あの飯を食いたい」
「美味しかったもんなぁ。そう言ってくれたらそのナマエさんもきっと喜んでくれるよ」
「どうしたら毎日食えるんだ? 」
「そりゃあナマエさんを嫁にもらうか、一生蝶屋敷で世話になるくらいの怪我するかだな。まあ一つ目は無理だろうけどな! 」


善逸が伊之助をからかうと、炭治郎が「あまり意地の悪いことを言うな」と叱る。いつもの伊之助であれば挑発に乗るところだが、今日はなぜか静かだった。


「……」


その夜、そこから伊之助が喋ることはなかった。暫く炭治郎と善逸が小声で話していたが、自然と会話はなくなり眠りについた。







そして翌朝。炭治郎と善逸は出来立ての朝食の匂いと、「きゃあっ」という女性の叫び声で目が覚めた。驚いて二人は目を覚ます。


「なに!? なんなの朝から!?」
「わからない! 」
「は! おい炭治郎! 」
「どうした? 」
「……伊之助がいない」
「……」


炭治郎と善逸は目を合わせると、どうやらお互いに嫌な予感がするようで、急いで炊事場へと向かった。


「なんなんですか貴方は!? 」
「やる! 」


炊事場には飯炊き係のナマエと伊之助が。猪頭の半裸の男に驚き固まっているナマエに伊之助はお構いなしに、持っていた風呂敷を押しつける。


「やめろ伊之助! 怖がっているじゃないか! 」
「なんだ源五郎! 離しやがれ! 」


炭治郎に羽交い締めされた伊之助は抵抗する。


「ナマエさん大丈夫ですか? 変なことされませんでした? 」
「あ、うん。ちょっとビックリしたけど大丈夫…」
「おい弱味噌! そいつに触んじゃねえ!! 」
「ぐはっ! 」


伊之助が怒って善逸を殴る。驚いたナマエは急いで善逸を抱き起こした。


「善逸君大丈夫っ!? 」
「ひ、ひでぇ…」
「皆さんどうかしましたか!? 」


騒ぎを聞きつけた蝶屋敷の者もぞろぞろと炊事場に集まってきた。すると伊之助は炭治郎の力が緩んだ隙に腕を抜け出し、ズカズカとナマエに近づく。


「おいお前! 」


ナマエが顔を上げると、伊之助はまた風呂敷を彼女に差し出した。


「俺は嘴平伊之助だ! お前にこれをやる! だから俺の嫁になれ! 」


ポカン。その場にいた全員が疑問符を浮かべた。


「……色々聞きたいですけど、まずこれはなんですか? 」


伊之助が床に風呂敷を広げると、そこには沢山の山菜や筍が。それらには土がついて、どうやら採れたてのようだった。


「…採ってきたんですか? 」
「おう。」
「で、嫁に来いと」
「おう! 」
「なんで?」
「毎日お前の飯が食いたい! 」
「……」


至って伊之助は真剣な様子であるから、皆どうしようかと困惑している。家主の胡蝶しのぶでさえもいつものように笑みを浮かべるだけで、止めに入ろうとしない。すると、


「……貴方は阿呆ですか!!」


ナマエが伊之助に向かって怒鳴った。


「阿呆とはなんだ! 」
「阿呆です! 食材をあげれば私が嫁になるとでも!? 」
「嬉しくないのか!? 」
「嬉しいです! けど、それとこれとでは話が違います! 」
「なんでだよ! 」
「そもそも貴方私の名前も知らないでしょう! 」
「め、飯炊き女! 」
「ナマエです! ちゃんとナマエという名前があります! 」
「覚えた! 嫁になれ! 」
「だからそういうことじゃないです! 貴方は色々すっ飛ばしすぎです! 」
「じゃあどうすればいい! 」
「素敵な愛の告白の一つや二つしてみたらどうです!? 」
「はあ!? 」


愛の告白。伊之助の頭には微塵もなかった言葉である。


「できないのですか!? 」
「で、できるわ!! 」
「へぇ、じゃあやってみてくださいよ!! 」


できないと言われることがなにより嫌いな伊之助。黙り込んでいつもあまり使わない思考を巡らせる。
なんと言えばいいのだろうか。炭治郎からはそんな言葉を教わっていない。山での生活では言葉は不要であった。……そうだ、自分はなにで言葉を覚えたか。確か読み聞かせてくれた時に意味を一緒に教えてくれた。中でも一番愛情の込もったものは、


「……き、」
「き? 」


皆、伊之助をじっと見つめた。


君がため!!!!


あまりの大きな声に驚くナマエと野次馬たち。


「春の野に出でて若菜摘む!!!! 我が! …われ…わが…クソッ! 思い出せねえ! 」


百人一首の一句だった。しかし伊之助は続きを思い出せないようで頭を抱える。
予想外の愛の告白の仕方。ナマエは不思議な生き物を見るように伊之助を見た。彼の寝巻きの裾や猪頭は、雪で少し濡れていた。


「……ふっ」


ナマエは思わず笑ってしまう。


「さ、この山菜や筍はありがたく受け取ります! 今日の昼食や夕食に使いましょう! 」
「おう! アレがいい! サクサク衣の! 」
「天ぷらですね。わかりました」
「で、嫁になるか!? 」
「なりません」
「なに!? 」
「では皆さん、朝食の支度の続きをしますので出て行ってください! 言うこと聞かない人は朝食抜きですよ!! 」
「なんだと!? おい健太郎、紋逸! 行くぞ!! 」
「ぐえっ! 」


伊之助は倒れたままの善逸を引きずって炊事場から出て行くと、炭治郎がナマエに申し訳なさそうに頭を下げてから慌てて二人を追いかける。他の者たちも散らばっていき、最後にしのぶだけがそこに残った。


「ずいぶん可愛らしい告白でしたね」
「まあ、そうですね」
「ちょっとお気持ち動いちゃったんじゃないですか?」
「…しのぶさんは朝食抜きでいいんですか? 」
「あらあら。それは困ります」


しのぶが出ていきようやく一人になると、ナマエは一息ついてからまた食事の支度を始めるのであった。




わが衣手に雪は降りつゝ
(あ、まず顔も知らないわ)
2019/11/29