たった一つの過ちが


2007年9月、傑が姿を消した。
二人ぼっちになった教室は、静かになり、授業を受けるくらいなら呪霊を少しでも多く祓いたいと半ば自暴自棄気味に任務をこなした。いつも食べていた食事は味気なく、高専に戻っても誰が待っているわけでもない。硝子は変わらずにそこに居たが、一緒に居ると傑を思い出してしまうこともあり、距離を取るようになった。

あの日、傑の問いかけに俺は何も答えられなかった。
傑の紡ぐ言葉を言語として認識してはいても、その言葉を理解することも納得することも出来なかった。だから、眠ろうとすると、夢の中に傑が出てきて、俺に何度も問いかける。そして、俺は何度も答えを出せずに何度も傑を見失う。


そんな中、ある任務で『レンタル彼女』というものの存在を知った。デリヘルは知ってたけど、性的なことはしないらしい。キスもエッチもナシってなにが楽しいんだ?と興味すら持てなかった。しかしそのせいか、未成年でもレンタルはできるらしい。

何も考えない、何もしない。そんな時間が欲しかった。
そして、誰かに側に居て欲しかった。

オーダーはネットで簡単にできた。
場所は傑と最後に会った、新宿にした。



▽▽▽


「五条悟さんですか?」

待ち合わせ場所のアルタ前で、声を掛けられた。事前に顔写真を交換していたから、すぐに分かったんだろう。絶対写真盛ってる、と思ってたけど、現れたのは写真と変わらない。むしろ、もっと可愛い女だった。多分、俺と同じくらいか少し年上。こっからどうすればいいんだ?と考えていると、相手の女がにっこりと笑って話し始めた。システムの話とか、禁止事項とか。それを終えて、「今日はよろしくお願いします」とまた微笑んだ。

目的が特になかったので、当てもなく歩いた。新宿なんだ。歩いて、適当にカフェとか入ればいい、くらいの気持ちだった。
地下道を通って、あの日から避けていた思い出横丁を通る。多分、大丈夫だろうって楽観的に考えていた。なのに、いざその場所に立ってみると、想像以上に脚が竦んだ。まるで、夢の中が繰り返されているように。


「どうかしましたか?」
「カフェ入るか」
「うん」


一人じゃなくてよかった。こうして、意識を他にずらすことが出来るから。自分にとって、
傑がどれだけ大きな存在だったかに気づいて、一人打ちひしがれないで済む。

カフェに入る、と言ったものの、近くにあるのは金券ショップや服飾店ばかり。あるのは、おしゃれでもなんでもないチェーン店。気を遣う相手でもないし、ここでいいか、と自動ドアを潜る。席について、注文をして、受け取って、席に着く。トレイをテーブルの上に置いて、向かい合う。会話らしい会話もなく、ただ沈黙だけが流れる。


「砂糖めっちゃ入れるんですね」
「まぁ」
「甘すぎないですか?」
「いつもこうだから」
「そうなんだ」

ふふふ、と笑ってなまえと名乗った人は、窓の外を見た。俺もつられて窓の外を見た。そんな時間が、続いた。窓の外は忙しなく人が移動する。俺が止まっている間にも時間は流れている。置いて行かれたんじゃない。俺が止まっているだけなんだ。もしかしたら、そうなのかもしれない。


なんか。
なんだかな。
なんか、なんか。

存在するのに、気配はない。まるで、空気のようにに。なまえが口を開いた。「本を読んでいいですか?」と言った。「いい」と答えた。俺となまえの間に流れる空気は一定の距離を保っていて。それなのに壁ではないから、そこに存在していて。いいとも言えないが、悪くはないなと思った。

それが、なまえと俺との出会いだった。