2人なら迷子も楽しい


なまえに会って一週間が経った。
また、一人で居ることがしんどくなった。祓って、寝て、味のしない飯を食う。悔しいのは、寝ることを拒否できないことだ。なまえと会った時に交わしたメールを見返しながら寝ることが日課になっていた。それでも、眠りについて夢を見る。どんなに疲れている時も俺の見る夢には傑が現れて、俺は何度もまた傑を見失う。きっと、俺の中であの時傑に問われた言葉に答えが出ないせいだ。

朝、うなされて起きる度に、なまえのことを思い出した。あの空間は居心地が良かった。なまえに会った日、そこから数日間、俺は傑の夢を見なかった。あまりに毎日夢見が悪いせいで、またなまえに会うべきなのではないかという考えが自分の中に浮かぶ。浮かんでは打ち消した。あいつは他人。俺とは違う世界で生きているんだと。


眠れば夢を見る。眠らなければ夢を見ない。
そう考えが及んで、今度は眠れなくなってしまった。
やっぱり思い出すのは、なまえのこと。ただ、そこに居ただけの女なのに、なぜか心に引っかかったままのなまえ。もう一度会えば、この心のモヤモヤも、眠気も、晴れるんじゃないかと呼び出すことにした。

これで終わり、そう勝手に結論づけて。



今日の待ち合わせ場所は池袋。もう一度、新宿に降り立つには時期尚早な気がしたから。池袋の東口、宝くじ売り場の近くになまえは立っていた。文庫本を開いて。街を行き交う人々には全く興味はないようだった。風が吹いて顔に掛かる髪をうっとおしそうに何度も直しながら、時計も見ずになまえはそこに立っていた。なまえの周りだけ、時がゆっくり進んでいるような気がした。きっと、気のせい。なのに、俺は、なまえを見つけた場所からしばらく動けなかった。


「今日はラーメン食いに行くぞ」
「はい」

ようやく声を掛けれた時には、待ち合わせ時間を10分過ぎていた。それなのに、文句の一つも言わずなまえは俺に対して笑顔を向ける。手にしていた文庫本を鞄の中にしまい込み、先を歩く俺の後をついてくる。普段通り歩いていると、ふと、隣になまえの姿がないことに気づいて振り返る。鞄を持ち直したなまえが、俺の半歩後ろを必死について来ていた。そこでようやく気付く。人の歩幅はそれぞれ違うことを。傑と俺は、歩く歩幅もほとんど同じだったことを。そして、なまえは傑ではないということを。


「ん」
「?」
「迷子になんだろ?」
「ありがとうございます」

俺が普段より気持ちゆっくり歩けばいいだけなのに、なまえに手を差し出した。さしたる理由はない。ただ、後ろを歩いている人物がずっと俺の後をついてくるわけないと思ったからだった。居なくならない保証なんてない。だから手を差し伸べた。手を握っていれば、はぐれることはないと知っているから。なまえは俺の差し伸べた手を取って、少し早足で俺の隣までくる。ずっと二人の間にあった距離が少しだけ近くなった。それは少しだけくすぐったい感じがした。


池袋にはたくさんのラーメン屋がある。普段からラーメンの食べ歩きをしているわけではない俺には、どこがどう違うのかはもちろん、どこの店がうまいのかもわからない。とりあえずと向かった場所はラーメン街。そこまで行けばいいと、思っていた。しかし、実際目の当たりにしてみると、どこも同じに見えた。あれ?俺、今までどうやって食い物屋選んでたっけ?と考えて、また傑のことを思い出した。いつも、どこがうまいかとかそういうめんどいことは傑が調べてくれていたということを。



「どこにする?」
「あなたはどんなものが好きですか?」
「俺は別にどこでも」
「それなら私はでっかいチャーシューがあるところがいいです」
「ふーん、それどこ?」
「ちょっと調べていいですか?」


なまえははっきり物事をいう人だった。ここで、「どこでもいい」なんて言われたら多分イラついたから、なまえを選んだ自分は正解だったと思った。鞄の中の携帯をスライドさせて、なまえはなにやら検索をしているらしい。手を握ったままじゃやりずらいはずなのに、なまえは俺の手を離さなかった。今の俺には、それが嬉しかった。


「ここの店がいいです」
「ならそこ行くか」
「私が案内しますね」


携帯を見ながら、今度はなまえが俺より少し前を歩く。冷たくなってきた秋の風がまたなまえの髪を浚う。その後ろ姿に若干のデジャヴを感じた。あぁ、少し、ほんの少しだけ傑に似てるんだ。髪の長さとか適当に纏めた髪とか。纏っている空気とか。多分。


「ていうかこんなに遠くなくねぇ?」
「あれ?おかしいな」
「ちょっと見せてみろよ」
「絶対こっちですって」
「こっちじゃねぇって」
「なんでわかるんですか?」
「勘だよ」
「行ったことないのに?」
「俺の勘舐めんなよ?」
「なら勘で目的地まで行ってみます?」


売り言葉に買い言葉。なまえの提案に「やってやろうじゃん」って返せば、なまえは嬉しそうに俺と繋いでいる方の手をブンブンと振った。結局、目的地はすぐ近くにあって、勘が正しかったのかなまえが正しかったのかは分からなかった。それでもなまえは嬉しそうに「勝負は次回に持ち越しですね」と笑った。

ラーメン屋で「好きなもん食っていい」って言ったら、なまえは男子高校生並みの量を注文した。「全部食えんの?」という俺の問いかけに「食べられるよ」と返されたので、悔しくなって俺も同じメニューを頼んだ。久しぶりに腹いっぱい食った気がする。


なまえと過ごす時間はあっという間に過ぎる。傑のことを思い出すのに、なまえと居るとそのことを引きずらないで居られる。それに気づいたから、また気が向いたらなまえに会ってやろうと思った。