雉も鳴かずば撃たれまい


「なまえにお願いがあるんだ」

任務終わり、部屋に戻る前にジュースを買おうと立ち寄った自販機の前でお風呂上りの夏油傑に捕まった。まぁ座って、と促されベンチに腰掛ける。ちゃりんちゃりん、と自販機に硬貨を入れる音がして、ガコンと購入した物が落ちてくる。それを二回繰り返して、取り出し口から2つの缶を取り出して、傑はこちらに向かってくる。

「はいこれ。あげるよ」
「なに?ありがとう?」

目の前に差し出された物を思わず受け取る。袖を手の方まで引っ張って熱くなっている缶を受け取る。下心見え見えの態度に警戒する。傑は優しいけど、これはブラフな気がする。お願いに嫌な予感しかしない。


「どうした?飲まないの?」
「んー」
「別に毒なんて入ってないよ」
「うん、それは分かってる」
「なら何で飲まないの?」

いつものようにふふっと笑った後、傑が隣に座ってきた。ふわりとお風呂上がりの良い匂いが鼻腔をつく。少しだけ距離をあけるのに、その距離はすぐに詰められて肩がくっつく距離になる。


「ねぇ、なんでそんな離れるのさ」
「えぇ、だって……」
「ほら、早く開けないと冷めちゃうよ」

急かされて渋々プルタブを開ける。口の中に流し込めば、私の好きなミルクティーの香りが拡がる。
やっぱりおかしい。どう考えてもおかしい。

「お願いってなに?」
「……なまえに彼女のフリを頼めないかと思ってね」
「…………無理」
「どうして?」
「自業自得でしょ?」
「私にも考えがあったんだよ」
「へぇ〜」

メンヘラ製造機がよく言う。この前は彼女と別れ話してたらカッター向けられたって悟くんと話してたの聞こえてたし。自業自得なんだから自分で何とかして欲しいという気持ちは拭えない。
ふいに隣を見れば、眉尻を下げた傑が「困ったな」と呟いていた。その表情にうっかり「わかった」と言いそうになるけれど、ぐっと堪える。

「……分かった、じゃあ言い方を変えるよ」

そう言ってぐいっと腕を引っ張られる。バランスが崩れて傑の腕の中に閉じ込められるように抱きしめられる。
耳元で囁かれる言葉に全身が粟立つ感覚に襲われる。やだ、やめて。逃げようとするけれど、ぎゅっと強く抱き締められて逃げることができない。

「ねぇ、いいだろう?」
「……やだ」
「本当に?」
「ほんとうだよ」
「私がなまえが好きだって言っても?」
「………」


返事の代わりにきゅっと唇を引き結ぶ。
好きじゃないくせに。好きだと言うのは全部嘘なのに。それともこれも演技? もう分からない。何もかも。頭が混乱してくる。ぐるぐると考えれば考えるほど訳がわからなくなる。そろりと顔を上げれば、傑の顔が迫ってきてちゅっと音を立ててキスされる。何度も角度を変えて啄むようなそれに呼吸の仕方を忘れてしまう。息苦しくてトンッとその胸を押し返す。それでもまだ離れてくれない。舌先で唇をノックするようにつつかれて仕方なく薄く開く。ぬるりとした感触と共に侵入してきたそれが、歯列をなぞっていく。ぞわぞわとする感覚に耐えられなくて声が漏れる。ようやく解放された時には身体中の力が抜けていた。
ベンチに押し倒されそうになったところでハッとして思い切り傑を突き飛ばす。よろけた拍子に後ろに手をついたせいで缶が落ちた。カランと落ちたそれは、残っていた液体で床を濡らした。


「……ごめん、やりすぎたかな」

そう言った傑の声色はいつも通りだった。まるで何事もなかったような様子に言葉が詰まる。
私はこんなに動揺させられてるのに、傑の真意がわからないことも、表情が変わらないことも全部全部、嫌だ。


「……帰る」
「待ってくれないか」
「待たない!」


伸ばされた手を振り払って立ち上がる。そのまま振り返らずに逃げようとした時、「なまえ」と呼び止められる。
もうやだ。これ以上振り回さないでほしい。立ち止まってしまった自分に嫌気が差す。でもここで無視したらもっと嫌なことになる気がして。ゆっくりと後ろを振り返ると、傑はいつもみたいに笑ってはいなかった。真剣な眼差しでこちらを見つめている。
その視線から逃れるように俯いて、絞り出すようにして言葉を紡いだ。


「彼女のフリは嫌だよ」
「……うん、分かってるよ」
「だから、彼女にして……」

そこまで言えば、傑の手が伸びてくる気配がする。その手が頬に寄り添う。温かくて泣きそうになった。それを誤魔化すように顔を伏せると、今度は両手で包み込まれる。優しく持ち上げられたかと思うと、目線を合わせるために屈んだ傑の顔が近づいてくる。

「なまえ、私の彼女になってくれるかい?」
「……はい」

そう答えた瞬間、噛み付くようなキスが落ちてきた。
私もこれで彼女たちの仲間入り。