そのカナリアはもう鳴かない


「これ。ネズミーのチケット」
「え?どうしたんですか?」
「行きたいって行ってただろう?美々子と奈々子と行っておいで。ちょっと早いけど、バレンタインのお返しだよ」


夏油様としての仕事に付き添った日の帰り道、夏油さんにチケットの入った封筒を渡された。中身はネズミーランドのチケット三枚。今年もわたしの夏油さんへのわたしの思いは届かなかった、と頭を抱えてため息を吐いた。


「他のものがよかったかな?」
「これはこれでうれしいですけど、どうせなら夏油さんと一緒に出掛けたかったです」
「そうか。それはそれは」
「今日ってこの後、用事ありましたっけ?出かけませんか?二人で」
「用事はないけどいいのかい?私と歩いたらきっと目立つよ」


夏油さんはいつだって、自分より他人を優先する。他人と言ってもその範囲は「家族」と呼ばれる範囲に限られている。夏油さんが指名手配されていることは知っている。その袈裟を着ている意味も分かっているつもりでいる。でも、その中に夏油さん自身の幸せや人生がないことが私は悲しくなるんだ。


「夏油様は行きたいところないんですか?」
「そうだな、行きたいところか…」
「どこか一つくらいないんですか?」
「強いて言うなら過去、かな?」


そう言って夏油様はまた仮面を被る。
笑いたくないなら無理して笑わなくてもいいのに。せめてわたしの前では。


「じゃあ、前に行き損ねたところに行きましょう!ほら、あの時行けなかったホテルのアフターヌーンティ!」
「ああ、あそこの紅茶おいしそうだったよね」
「でしょう?あとは、渋谷と原宿にも寄りますから覚悟してくださいね」
「はいはい」

少しだけ嬉しそうな顔をする夏油さんの手を握って運転手に行先の変更を告げる。
色々と考えすぎてしまう夏油さんだから、それなら考える時間もないくらい一緒にいて振り回してしまえばいいと思った。
夏油さんの望む過去ではないかもしれないけれど、前に行きたくても行けなかった場所に行ったり、美味しいものを食べたり、映画を見たりしたかった。
そしていつか、夏油傑という人のことを話してくれる日が来るといいと思う。烏滸がましいことだとは分かっていたとしても。自分本位な考えだとしても。それでも、いつかを願ったって許されるでしょう?
夏油さん、あなたは自分が思っているよりもずっと愛されてるんですよ。

「夏油様、大好きですよ」
「突然どうしたんだい?」
「言いたくなっただけです」
「そうか。ありがとう」

いつもと同じ優しい声音なのに、今日だけはなぜだか泣きたくなった。