君と僕との38か月


帰り道、風がやけにざわざわと音を立てて吹いているなと思った。もうコートもマフラーもクリーニングに出してしまったから、この肌寒さを耐えるために手っ取り早く近くにあったコンビニの中に入り込む。術式を使って家まで帰っても良かったけど、呪力は残っていてもそこまでの気力はない。カゴを手に今夜の夜食にとスイーツコーナーの商品を片っ端からカゴに放り投げる。ホイップたっぷりのプリン、杏仁豆腐、イチゴ大福。今日の分、といいつつ、今日だけでは食べきれない量になりつつあった。最後にイチゴミルクを放り投げて、会計のためにレジに向かう。「温めますか?」と言う店員に「大丈夫です」と返して、ピ、ピ、とバーコードを読み取る音をぼんやりと聞いていた。


「悟?」
「え、なまえ?なんで?」

財布から一万円札を取り出して店員に渡したところで声を掛けられた。懐かしいくもあり、憎らしくもあるその声の主は元カノだった。店員から受け取ったお釣りを募金箱に突っ込み、レジ袋を受け取る。春っぽいシフォンのスカートにベージュのパンプス、大きめの鞄。制服から形を変えても雰囲気は何一つ変わっていない。どこかホッとしたような、苦しいような不思議な感覚に襲われた。


「元気だった?」と俺に問いかけるなまえ。なまえだけには聞かれたくなかった。なまえは俺が人を愛せなくなった原因、人に誠実になれなくなった起因だったからだ。付き合っていた俺たちに終わりを告げたのは、なまえの方からだった。相談も何もなく、「留学するから」と一方的に告げられた。引き留めるだけの理由も留め置ける器の大きさも当時の俺にはなかった。今となっては言い訳にしかならないけど、事実は事実。


「元気だったよ、なまえは?」
「私も、それなりに」
「良かった。元気ならそれで」


なまえと別れたあとに培った作り笑顔で、なまえに対応する。手にしていたレジ袋を握る手のひらに力が篭った。笑顔が取り作れるうちになまえの前から立ち去ろうと、なまえに背を向ける。きっともう会うこともないだろう。そう願って。なのに、なまえは「悟、あの」と立ち去ろうとする俺を引き留めた。ズルいなぁ。内心そう思いながらもなまえの方を振り返る。仮面は被ったまま。少しだけ俯いたなまえの表情は読み取れなかった。けど、今きっと俺もひどい顔してそうだからこれでよかったと思う。



「こんなこと悟に頼める立場じゃないって分かってるんだけど」
「うん、なに?」
「外、駅からつけられてて」
「は?」
「どうしよう、どうしたらいいかな?」


今にも泣きそうななまえから視線を動かして外に向ける。外には中の様子を伺っていそうなギラギラした目の男が一人。はぁ、と一つため息を零して、それを覚悟として自分自身を納得させた。これは「仕方のないこと」なのだと。


「いつから?今日初めて?」

ポケットから取り出したスマホは伊地知からのメッセージを受信したことを告げていたけれど、それを無視して110番を入力する。通話ボタンをタップしようとすると、申し訳なさそうに「一週間前から」となまえが申し訳なさそうに告げる。選択肢は「逃げる」「戦う」「通報する」だ。第一選択肢は逃げる、だ。戦う気力は残っていない。かといって、通報して大事にすることはなまえは嫌がるだろう。逃げる、の選択肢のために、なまえの手を取る。その手のひらは自分のものよりも小さくて頼りなかった。伊地知に迎えに来てもらうことも考えたが、説明するのがめんどくさい。なまえが俺の手を握り返す。覚悟は決まった。


「言っとくけど戦うつもりはないから」
「悟、」
「もう血気盛んな若者でもないからね」
「ふふ、そうなの?」


ずっと強張った表情だったなまえが、少しだけ表情を緩ませた。とりあえずの行先はここから一番近い僕の家。手を引いて、コンビニの自動ドアを潜り抜ける。なまえと二人並んで歩くのは三年ぶりで、口を開けばそれこそなまえを攻める言葉が出てきそうで口を閉ざすことが一番だと思ってしまった。そのせいか頭の中はぐるぐると余計なことを考えてしまう。なまえを僕の家へ連れて行くのが正しいことなのかそうじゃないのか。どこかの店へ入った方がいいのかとか。結局、さっきコンビニで買ってしまったモノのことや、なまえの体力その他諸々を考えたら自宅へ連れて行くのが一番だという結論へたどり着いた。


「入って」
「ごめん、迷惑、」
「なまえの迷惑なんてもう慣れてるから」
「…彼女とか」
「それはなまえが気にしなくていいよ」
「ごめん、ごめんね。悟」


申し訳なさそうに眉尻を下げるなまえが別れの日の姿と重なる。「大丈夫だから」と頭に手を置けば、立っている俺を見上げるなまえ。あぁ、ダメだ、頭の中に警告音が鳴る。あの時終わった、終わらせたはずの夢の続きを見ているようだ。



「僕の服しかないけどとりあえず着替える?」
「ありがとう」
「ご飯も食べられるなら買ってくるし」
「あの、悟、」
「ごめん、僕が居たら着替えらんないよね」
「悟、聞いて」


服を手渡して立ち去ろうとするのに、なまえはそれを許してくれそうにない。仕方なくなまえの隣に座った。なまえにはふてぶてしく映ったかもしれない。気分はまるで注射待ちの子供だ。何を告げられるのかわかったもんじゃない。懺悔か?言い訳か?どれをとっても気分が良くなるものではないのは確実だった。覚悟を決めていたのその場に居る俺に、なまえは何を言うでもなく隣でふふ、と笑った。


「悟、丸くなったかと思ったけどそうしてると昔と変わらないよね」
「……は?」
「子供みたいに拗ねた顔してるよ」
「してねーよ。どんな顔だよ」


ハッキリ言って、拍子抜けした。普通に話せている自分と、何もなかったかのように笑ってくれるなまえに。本当は薄々気づいていた。なまえが僕と別れた原因が僕自身にあったということを。なまえと付き合っていた時期はちょうど、傑が居なくなって、僕が任務に駆り出されることが多かった。任務が終わっても、どこか冷めない熱が内に張り付いていて、それを消すために、欲求のままになまえを抱くこともあった。気づいた時には、なまえが僕に「ごめんね」と謝ることが多くなっていた。どこか怯えた表情もしていた。けれど、はっきりと拒否を示されることはなかったので、目を塞いで見えないフリをしていた。

全てにおいて、僕は子供だった。
なまえと別れたことをなまえのせいにして、傑を逃がしたことも不甲斐なさのせいにした。


「私ね、悟のこと大好きだったよ」
「僕もだよ、なまえが大好きだった」
「だから、私が一緒に居たら悟がダメになると思ったし、がんばる悟に釣り合う人間になりたかったの」
「そう…そっか」
「身勝手で悟を傷つけてごめんねって、ずっと謝りたかった」


苦しそうに僕を見て笑うなまえを、やっぱり愛おしいと思った。

なまえにフラれたせいで、と勝手に結論づけていた言葉は、全て、「なまえが好きだから」で置き換えられるんだ。ソファのひじ掛け部分に肘を置いた右手で額を抑えたら、自然と納得のいく答えが出た。可愛い、愛しい、好き、なまえに対しての感情はそのほとんどが好意を示す言葉だ。
右手を少し上にずらして、傾げたままの顔でなまえに手を伸ばす。


「もう謝るなよ」

僕も一歩踏み出して素直な気持ちを示すから、なまえも正直に僕に応えて欲しい。まぁ、もう逃がす気もないけど、二度とね。