常識と非常識の境界線


「七海建人は常識人であるか?」

呪術界の人間はその問いにほぼ100%で「はい」と答えるだろう。実際、それは間違いではい。ただ、そうではない時はる、と一部の人間は答えるだろう。これは、そんな七海建人のちょっとの非常識な部分を語る物語である。


△△△


「あ、七海お疲れ」
「建人〜〜おそい〜〜」

ここは街の居酒屋。本日の飲み会の主催は、家入硝子のためこうした敷居の高くない店が選ばれたのは言うまでもない。飲み会と言っても、参加者は主催の硝子、下戸の五条、五条に巻き込まれた伊地知、それと七海の彼女であるなまえといういつものメンバーだ。七海は任務だからと断った飲み会だった。なのに、七海がなぜこうして飲み会に赴いているかと言えば、理由は単純。酔った彼女を迎えに来た、というわけだ。
一応個室である和室の襖を開けた向こうの世界を見て、七海は怪訝な表情をした。右奥に座る家入はいつも通り、淡々とグラスを傾けている。その隣に座る伊地知も、正座はしているもののそれなりに楽しそうだ。テーブルの左奥に座る彼女であるなまえは、とろんとした表情をしながら隣に座る五条の食べているアイスを横から箸で食べていた。七海はすかさず五条となまえの間に座った。


「建人〜建ちゃん〜おかえり〜」

自分の隣に七海が座ると、なまえは両手を拡げて七海を迎えようとする。はいはい、と半ば呆れ気味に軽くハグをするのもいつもの七海である。テーブルの上の皿はほとんどが空だ。もうお開きになるだろうか?なまえを連れて帰らなくてはいけないし、出来るなら自分はアルコールを摂取しないで帰りたい。そう思った七海はチラリと家入を見た。が、家入はふふ、と笑いかけるのみで何も言葉は発しなかった。


「七海も何か頼みなよ〜」
「いえ、結構です。明日も早いので」

七海の隣に座る先輩である五条が、七海の前にメニューを差し出す。家入に言われたのなら、考える素振りは見せたであろう。だが、相手が五条であるなら即答で「NO」を告げる。ただでさえ酔った人間の相手はめんどくさい。その上、五条の相手までしないといけないのは最上級のめんどくさいの部類に入る。


「なまえ、帰りますよ」
「え〜もう帰るの〜?」
「あなた飲みすぎていますね」


帰りたくないの意思表示のように、まだお酒の入ったグラスを手にしたなまえのグラスの飲み口を七海が諭しながら手のひらで覆い、そのまま奪った。なまえは不服そうな顔を見せる。しかしいつものことなので、すぐに諦めて今度は箸を片手に辛うじて皿に残っていた厚焼き玉子に手を伸ばす。もぐもぐと咀嚼をするなまえと、もう帰りたい七海の静かなる戦いが続く。



「そんな顔してもダメです。帰りますよ」
「チューしてくれたら帰る〜」
「分かりました」

ふいに七海がなまえの顎をぐいと掴んで、遠慮も戸惑いもなく唇を重ねる。個室とはいえ、こんなところではしないだろう、というなまえ含む全員の思惑は完全に外れた。「これでいいですか?」と言い、なまえの荷物を手にする七海。周りがあっけに取られる中、放心状態のなまえの腕を掴んで立たせる。


「なまえの分、これで払っておいてください」
「いいもの見せて貰ったし、僕が払うよ」
「いえ、なまえの分を五条さんに払って頂く義理はないですので」

財布から取り出した紙幣をテーブルに置いた七海に五条が声を掛ける。しかし、それもぴしゃりと七海に断られてしまう。家入はまた微笑み「なまえまたな」と声を掛けた。七海に凭れ掛かったままのなまえは力なく家入に向かって手を振った。


「なまえ、靴はけますか?」
「ちゅーしてくれたら履く」
「はいはい、これでいいですか?」

二人とも背を向けていたため、個室の中の三人から二人の様子は分からない。ただ、顔を傾けた七海と、ちゅ、ちゅ、と綺麗なリップ音が聞こえたこと、なまえが素直に靴を履いたことから、その場の全員が「またやったな」という気持ちを抱いたことは確かだった。

この話を聞いても、まだ「七海建人は常識人である」と答えられますか?