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一体何日分のシチューを作るつもりだ、と言いたくなるほどの材料を買い込んで、わたしと恵は寮の恵の部屋に戻った。キッチンに向かう恵に、腕まくりをしながら「手伝うよ」と言うも「いい、座ってろ」と断られてしまう。とりあえず、キッチンに近いところに座って、スーパーの買い物袋からごそごそと中身を取り出す恵を眺めた。

高専の寮には食堂があって、それとは別に部屋に簡易的な一口のコンロが設置されている。食堂に行けば食事にありつけるので、わざわざ自室で料理する奇特な人間はいない。電気ケトルを部屋に置いている人は多いけど。恵はその奇特な人間らしい。恵は包丁とまな板を取り出し、時折考え込んだりスマホを見ながら料理を進める。わたしより器用で、わたしより丁寧だなぁなんて、聞こえてくる包丁のトントンという規則的な音に耳を傾ける。


「恵〜」
「なんだ?」
「話かけても大丈夫?」
「は?」
「料理する時話しかけたら気が散る人いるから聞いてみた」
「そうか。俺は全然大丈夫だ、多分」
「多分?」
「誰かに話しかけられながら料理したことねぇよ」
「あーなる!なら邪魔だったら言ってね?」
「なまえのこと邪魔だなんて思わない」

ふ、と優しい顔を恵がわたしに向ける。そんな顔する恵が珍しくて、わたしもふわふわした気持ちになった。笑顔は伝染するんだなぁ。
それから、わたしは無遠慮に恵に話しかけた。今日あったこと、この前あった楽しかったこと。それに恵は相槌を返してくれたけど、わたしばっかりがしゃべり通していたせいで話すことが尽きてしまった。どうしたものか。と恵の後姿をじっと眺めた。これでも一応は五条家の端くれなので、実家では母が料理することもなく、こうして誰かが料理しているのをただ眺めるのは初めてで、新鮮で、おもしろかった。



「…なまえ」
「なに?恵?」
「見すぎだ」
「えーいいじゃん。ダメ?」
「ダメだ、照れる」
「え〜〜残念。でも、暇なんだもん。なにして待ってたらいい?」
「もう少ししたら煮込む段階に入る。もう少しだけ待っててくれ」
「わかったー。あの辺にある本見てていい?」
「好きにしろ」


ちぇ、と思いながら、立ち上がって恵の床に積み上げられただけの本に手を伸ばす。知ってたけどエッチな本は普通になかった。なので、積み上げられている中の一番上の物を手に取って、恵のベッドの上に横たわった。いつもなら怒られるけど、今日は「好きにしていい」って言われた免罪符がある。
が、恵の読んでいる本は難しくてわからない。料理をしている音は心地いい。それに加えて、ベッドはふかふかでいい香りがする。これで眠くならない人間はいない。当然わたしもあっという間に眠りへと誘われた。



夢を見た。
小さいわたしが五条の本家を訪れる夢だった。本家の食事は大人が多いこともあり、純和食。あまり好きじゃない食べ物が並んだお膳を前に固まるわたし。そんな中、今よりもずっと幼い五条悟が、「これ食べたくない」とわがままを言った。もうその頃には、五条家は五条悟の天下だったので、使用人たちが五条悟の周りに集まってオロオロしながら「何なら召し上がれますか?」と問うた。


「お前」
「わたし?」
「お前は何が食べたいわけ?」
「……シチュー」
「ならシチューなら食べる」


ただ五条悟の暴君ぶりを眺めていたわたしの元を訪れた五条悟が、偉そうな態度のままわたしの意見を取り入れた。それを見ていた周りの人たちは「幼い子に気遣えるなんてさすが次期当主」と持て囃していたけれど、当時のわたしには意味がわからなかったっけ。
だけど、今なら分かる。五条悟はお膳を前に固まっているわたしのために動いてくれたのだと。優しいところ、あったんだよね。ううん、もしかしたらきっとずっと優しいのかもしれない。わたしが察せないだけで。