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「待たせたな、なまえ」

さっきまでずっと喋り通しだったなまえが静かになって、若干そわそわしながら手際よく料理を進め、煮込む段階になって振り返る。案の定、なまえは俺のベッドの上でおやすみタイム。はぁ、と息を吐いて、起こさないようにベッドの脇に座った。ちらりと生足が覗くなまえの下半身は目の毒なので、そっとブランケットを掛けた。
すやすやと眠るなまえは、まだあどけなさを伴う幼い子供のようで、それでいてぷっくりと膨らんだ唇はどこか大人びていて。きっと今はちょうど、大人と子供の境目をいったりきたり反復しているところなんだろう。


「なまえ、俺だけ見ろよ」

眠るなまえの顔に掛かる髪を掻き分けて、手のひらで頭を撫でる。心地よさそうに口元を緩めるなまえ。独占欲が自分の内側で高速で泡立つ。こんな無邪気な顔を他の誰にも見せたくない。自分だけが触れていたい。そう思い至って、自分もまた子供と大人の中間地点に居ることを思い知らされる。


「ごじょ、さと、」
「ん?」
「さとる、」

聞き間違いではなかったと思う。なまえの口から五条先生の名前が出て来た。口元は緩んだままだ。見ているのはきっと楽しい、あるいは幸せな夢なんだろう。自分の中にあった
僅かな期待がガラガラと崩れていく音が聞こえた。

本当は、ずっと希望を抱いていた。
なまえが宿儺を好きだと言っていても、それは憧れに近いものだと。自分にもなまえの彼氏になれる可能性があるんじゃないかと。なまえのピラミッドの宿儺の次に存在するのは、自分であるのだと。烏滸がましかった。やっぱり俺は、俺なんかじゃ釣り合わない。天秤は大きく傾く。

打ちのめされてしまった。シチューを作るなんて僅かな努力じゃ適わない。なまえの中の特別は二つ、大好きな宿儺と大嫌いな五条先生。俺はその他大勢の脇役でしかないことを思い知らされてしまった。苦しくて、悔しくて、なまえの身体を揺すぶってなまえを起こした。ぱっちりと開いた大きなアイスブルーの瞳には、俺が、俺だけが映っていた。


「ごめん、寝ちゃってた」
「いや、起こして悪い」
「どうしたの?恵」
「どんな夢見てたんだ?」
「え?なんで?まぬけな顔してた?」
「ん、うん、いや、」
「どっち?まぁいいや、恵だし。ちょっと昔の夢見てたよ」
「そうか」


どうして聞いてしまったのかと後悔した。どうしたって納得のいく答えが返ってこないのは分かり切っていたのに。なまえと五条先生は親戚で、俺がどう足掻いたって二人の歴史に追いつくことはない。気にしても仕方ないことばかりが引っかかって、かぎ裂きのように修復できない傷を作り上げる。

あぁ、きっと、多分、俺は「夢なんか見てない」と言って欲しかったんだ。五条先生の名前を呼んだことを気のせいだと思いたかったんだ。ちっぽけで、愚か。


「なまえ、少しだけ抱きしめていいか?」
「え?いいけどどうしたの?」
「聞かないでくれ」


なまえが寝起きで、きっとまだ頭が正常に回転していないのをいいことに、自分の欲望を満たすためだけになまえを自分の腕の中に閉じ込めた。なまえは抵抗もせず、俺の背中に手を回してトントン、と優しく背中を叩いた。その行為には少し記憶がある。津美紀が幼い俺を宥めるためにやってくれたそれだ。なまえの中で、俺はきっとその程度の位置に居るんだろう。分かってしまえば、気持ちがストンと落ち着いた。なるようにしかならない。それならなるようにするのは、自分自身だ。昇りつめよう、なまえの中の特別の位置まで。