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「恵、帰ろう?」

夕飯の約束をしていたからか、午後の授業が終わって荷物を持ったなまえが俺の目の前に現れた。俺自身もそこまでの期待はしていなかったから面をくらってしまった。しかし、それは俺だけではなかったらしく、同じく教室へ荷物を取りに来ていた虎杖も釘崎も不思議そうな顔をして俺となまえを見ていた。少しだけ優越感を覚えて荷物を持って歩き出す。


「悠仁と野薔薇は誘わなくてよかったの?」

教室から出て歩き出して、悪びれなくなまえが俺に問いかける。どう返すのが正解なんだ?と数秒考えて出した結論は「初心者だからもう少しうまくなってからな」という偽りの言葉だった。なまえは「実験台?」って笑ってくれたから、俺も誤魔化すのがうまくなったのかもしれない。


2人並んで街へ向かう坂道を降りる。
なまえが後ろ向きに歩いて、「じゃがいも大きくしてね」と俺に笑いかける。なまえと付き合ったらこの笑顔をいつでも見られるんだろうと思ったら、そこに居るのは自分でありたいと願ってしまう。そんな権利あるのかどうかも分からないのに。


「なまえ」
「なぁに?」


愛しい人の名前を呼べば、秋風に髪を靡かせながらなまえが振り返る。「葉っぱついてるぞ」と偽りの言葉を口にして、その髪に触れた。どうしても触れたくなってしまった理由を告げる勇気なんてなかったから。「恵はそういうのにすぐ気づいてくれるね」と言ってはにかむなまえに「目が離せないからな、お前は」と言って少しの本音を混ぜた。


「あ〜〜お腹すいちゃった」
「街に降りたらなんか買って食うか?」
「やったー!じゃあアイス!」
「アイスは腹の足しになんねぇだろ」
「べつばら?」
「使い方間違ってんぞ、それ」


ふふ、と笑いながら二人並んで歩く。そうだ、それだけで十分なんだ、今は。キスがしたいとか、触れたいとか、そんな煩悩は俺が我慢すればいいだけだから。ただ側に居て、なまえが泣いていたらその涙を拭ってやりたいとか、一緒に飯食って「おいしいね」って言いあったり。そんなん恋人の肩書がなくたって出来ることなんだから。


「二人でシチュー食いきるんだからちゃんと腹空かせとけよ」
「は〜い」
「世界一信用ならねぇ」
「なんで!?」
「経験則」
「今日のわたしはいつもとは違います」
「その言葉忘れんなよ」
「……たぶんわすれない」
「ほら、信用なんねぇじゃねぇか」
「大丈夫!恵の作ってくれたものなら吐くまで食べる」
「そこまでは望んでねぇから」


また笑ったなまえは「おなかすかせるために走る!」と言ってスカートをふわりと浮かせて坂道を駆け下りた。無邪気なお前は、どうかまだ気づかないでくれ。俺の気持ちも独占欲も。そんな愚かしい気持ちなんか。


「恵、早く!おいていくよ」
「俺も走るのかよ」


そう来るだろうなと思っていた言葉をなまえが俺に投げかける。美味いシチュー作れるといいな。そんなことを考えながら数メートル先に居るなまえを追いかけた。