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「伏黒恵さん、お話があります」

トントンと力なく恵の部屋をノックすると部屋の主はすぐに現れた。どうした?と心配そうな恵に冒頭のセリフを投げかけた。とりあえず入れ、と中に促される。自分の定位置になろうとしている場所に三角座りした。


「つーかなんでフルネーム?」
「なんとなく」
「で、どうしたよ」

わたしの隣に座って、恵はわたしの頭に手を置いた。末っ子なのに人を甘やかすのが好きというか得意なの、本当にずるいと思う。そんな恵の優しさを利用しているわたしはもっとずるい卑怯者だけれど。


「恵さ、今日疲れてる?」
「普通」
「あのね、お願いがあるんだけど」
「だからなに」
「玉犬出してくれない?」
「は?」


綺麗な顔を少し歪ませて納得がいかない表情の恵。そりゃそうだ、わたしだって式神使いでそんなことを急に言われたら「意味わからん、帰れ」って言うと思う。そこに大義があればまだしも、わたしはただイラついていてただ癒されたくて玉犬をモフりたいだけなのだから。


「…出すだけでいいんだな」
「うん、もふもふして癒されたいだけなので」
「なまえは本当に自分の欲望に忠実だな」


呆れながらも付き合ってくれるのが伏黒恵という男だ。見慣れた形で指を組んだかと思うと、目の前に黒い玉犬が現れた。ふわっふわの首筋に手を回して顔を埋めた。「10分で終わらせろよ」と声が降ってくる。あったかくてふわっふわ。きちんと手入れされているので獣臭くない。


「おひさまのにおい…」
「よかったな」
「さっきから恵ちょいちょいお兄ちゃん面するよね」
「意味わかんねぇ」
「お兄ちゃん居たらこんな感じかなって気持ちになる」
「ダメなのか」
「恵は友達だからダメ」


自分でも大概理不尽なこと言ってるなぁと思った。けれど、そんなわたしの幼い発言すらも恵は「妹は居たことねぇからわかんなぇよ」と言って許してくれるのだった。そこまで許容されてしまっては、もうわたしに言えることはなくて、もふもふの玉犬にため息を吐き出すことしかできなかった。


「どうして欲しいんだよ」
「なんかもっとこう厳しくしてほしい。甘えんな!とかわがまま言うな!とか」
「……納得いかねぇ」
「中学時代の恵だったら言ってた?」
「ふざけんな」
「見たかったなぁ、その頃の恵」
「それなら俺だってやさぐれてる頃のなまえに会ってみてぇよ」


ふいに恵が笑みを零しながら玉犬を撫でた。恵の優しさはそうやって相手を選ばないからやっぱりわたしは気に入らない。誰のこともそうやって撫でるの?誰が部屋に来ても、わたしみたいに簡単に中に入れちゃうの?


「もう10分経ったよ」
「あぁ」
「……もう部屋帰ったほうがいい?」
「別に。好きにすればいい」


ほら、また、そうやってわたしを甘やかす。
甘やかして欲しいとか欲しくないとか、わがままを受け入れて欲しいとか欲しくないとか、そういうことじゃないの。どっちでもいいの。わたしが恵の特別だったら、それでいいの。