62

久しぶりに生理痛が重い。
座学は辛うじて受けられたけど、午後からの体術の特訓はちょっと無理そうだ。こういう時に、先生に女の人が居ないってめんどくさいなぁって思う。硝子さんのいる医務室まで行くのもちょっとしんどいし。


「なまえ大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ〜硝子さんのところ行くから、野薔薇みんなに言っといて」
「わかった。薬飲んで寝ろよ」
「は〜い」


ぐりぐりとお腹を潰されているようなひどい鈍痛を抱えながら歩き出す。こういう時、無下限術式使えたらなぁって思う。五条悟にはなりたくないし、あの術の理屈も理解できないけど。

あ、やばい。ダメだ、これ。
急に吐き気と眩暈がして、その場にうずくまる。ここまでひどい生理痛は初めてで、自分でもどうしたらいいのか分からない。吐くにもトイレまでの距離はあるし、硝子さんのところもまだ遠い。


「なまえ、どうしたの?」

ふいに声を掛けられて顔を上げる。そこに居たのは、声から予想していた通りの人物で、今一番顔を合わせたくない人だった。かといって、走って逃げる元気もなく。その場に座り込んだ。早く横になりたい、頭の中はそれしかなかった。


「触るよ」

そう言って五条悟がわたしの背中に手を置いた。片手で優しく背中を擦られて、もう片方の手のひらは額に置かれる。冷たい手のひらが心地よくて、力が抜けた。倒れそうになるわたしを五条悟が支えて、そのまま抱きかかえられる。
悔しいな。軽々と抱きかかえられることも、この人に助けられることも。わたしがもっと強かったら、強がって突き放すことが出来るんだろうか。


「なまえ、硝子のところ連れていくけどいい?」
「……お願いします」
「授業中から具合悪そうだったから心配してたんだよ」
「ごめんなさい」
「僕は先生なんだから頼ってくれていいんだよ」
「それは嫌」
「嫌じゃないでしょ?結局倒れてんだから」


「わかった?」と聞かれて小さく頷くと、五条悟はようやく歩き始める。
運ばれながら、すごくいい匂いがすることに気づいた。嗅ぎなれた落ち着くにおい。生理中って匂いに敏感になるから、自分以外の匂いが全部ダメになることが多いけどこの匂いは好きだな。匂いの元を探してスンスンと鼻を鳴らす。


「なまえなにしてんの?」
「すっごいいい匂いするなって思って」
「どんな匂い?」
「頭がすっきりするような鼻に抜ける香り…?」
「あぁ、僕のシャンプーの匂いじゃない?ローズマリー」

嗅いでみる?と五条悟がわたしを縦になるように抱えなおした。子供が親に抱かれるみたいに。ちょうど五条悟の肩に顎の部分が来たから、くんくんとその髪の匂いを嗅いでみる。これだ、と納得したと同時に「好き」とか「落ち着く」と思ってしまった自分が恥ずかしくなった。


「今すぐ変えて!」
「昔からこれだからやだなぁ」
「こっちが嫌」
「なまえ、昔から好きだったよね。ローズマリー」
「は?」
「家の庭に植えてあったのよく触ってたよ」
「それももう忘れてよ」

ぽかぽかと力の入らない手で五条悟を殴った。「はいはい、暴れない暴れない」と言う五条悟が、ぼんやりとしたわたしの記憶の中の幼い頃の五条悟と被った。変わっちゃったのはなんなんだろうね。誰なんだろうね。


「少し元気になったみたいだね」

気づけば吐き気も痛みも少しだけ和らいでいた。いつもヘラヘラのらりくらいしているから。それがわざとだって気づかないまま終わってしまう。もっと分かりやすければ、わたしも素直に甘えられるのかなって一瞬思ったけど、すぐにないなって考え直した。弱っている時には碌なことを考えない。早く硝子さんのところに着かないかな、ってずっと鼻先を掠めるローズマリーの匂いを嗅ぎながら思った。