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彼女のフリをする、と言ったものの、恋愛経験ゼロ、恋愛対象は宿儺のみのわたしに一般的な彼女というものは分からなかった。恋人同士が普段なにをしているかの情報は、ドラマや映画で見たものしかなく、リアルな恋人像というものが思い浮かばない。中学まで特段友人と呼べる人間が居なかったせいもあるのだろう。狗巻先輩は今までそういった相手は居たのだろうか。居ても居なくてもどっちでもいい、出来ればこの恋愛初心者に指南して欲しい。


「ツナマヨ?」
「あ、ごめんなさい。彼女のフリするって言ったけど、具体的にどうすればいいのかなって考えてました」
「…こんぶ」
「わたしが狗巻先輩のご両親にお会いするってことですか?」
「しゃけ」


狗巻先輩の言葉に、本当に自分でよかったのかと不安になった。わたしがしゃしゃり出なければ、狗巻先輩には真希さんとか野薔薇とか他にも選択肢が拡がっていたのではないかと考えてしまったからだ。不安が顔面に現れていたのか、わたしの顔を覗き込んで狗巻先輩は「やっぱりやめる?」と優しい言葉を口にした。


「女に二言はありません」
「こんぶ?」
「無理なんかしてませんよ?」
「高菜、明太子」
「そうですね、少し練習しましょう」


狗巻先輩は大人だ。わたしと年の差が一年しかないなんて嘘みたいに、大人だ。たまに悪ふざけもするけれど、基本的に人間が出来ている。狗巻先輩は戸惑うわたしを見て微笑むと、わたしの髪を一筋掬って毛先に口づけた。そんなことをされたことがないわたしは更に戸惑って、両手を宙に浮かせてドギマギするばかりだった。


「ツナマヨ?」
「狗巻先輩…?」
「おかか」
「棘先輩…?」
「おかか」
「棘くん?」
「おかか」
「……と、と、棘、あ〜〜〜やっぱりそれは無理です」
「おかか、おかか」
「無理です〜許してください〜〜」


狗巻先輩はいたずらっ子みたいに笑って、わたしの頭をポンと叩いた。その仕草でからかわれていただけということに気づいた。「ちょっと狗巻先輩!」と今度はわたしが狗巻先輩の肩をグーで小突いたら、また狗巻先輩って呼んだ、と言ってわたしをからかう。


「ツナマヨ」
「棘……先輩」
「……しゃけ」
「彼女役、本当にわたしでいいの?」
「……」

棘先輩は笑いながらわたしの頬に手を添えた。何も言葉は発してくれなかったけれど、手のひらの温もりと一緒に感情が流れ込んできたような気がして、わたしももうそれ以上何も聞かなかった。だって、その手のひらが、わたしの想像よりずっと熱くて、棘先輩はじっとわたしだけを見ていたから。