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「あんなこと言ってしまってよかったんですか?」

なまえが居なくなったことを確認して伊地知が呟いた。伊地知のくせに僕の感情に侵入してこようとするんだ、と思うと同時に、自分がそれだけ他人から見たら愚かしいことをしているということに気づく。

なまえと僕とのことは、正直、誰にも口を出されたくない。五条家とかそんなもん関係なく、なまえは僕の宝物だから。姿形が似ているからじゃない。五条家の親類だからじゃない。そんな理屈で説明できるものなんかじゃなくて、本能とかに似た心の深い部分に存在するものだから。だから、誤魔化すためにも「いいんじゃないの〜?ダメな理由なんてないでしょ」と伊地知に伝える。伊地知はそれ以上何も言ってこなかった。

心に燻るなにかを消化するためには、今すぐなまえを追いかけて「やっぱりやめて」と告げるか、任務でザクザク呪霊を無に返すかしか思い浮かばなかった。前者はありえない。となると当然後者を選択することになる。近場で任務があればいいのになぁと期待の目で伊地知を見る。僕の察して欲しいという視線を受けた伊地知はため息を吐きながらタブレットを操作し始めた。


「なんだ、五条居たのか」
「なんだって言い方ひどくない?硝子」
「お前をクズと思ってる私がお前に対してひどいとかいう気持ちを持てると思うか?」
「ぜぇーんぜん思わない」


今日も目の下に隈を住まわせた硝子はコーヒーを入れながら僕に毒を吐く。その毒は僕にとっては薬になる。ここに七海も居て、七海も僕に対して毒を吐いてくれればいいのに。単純で複雑な僕は、毒をもって毒を制すことしかできないから。


「そういえばここに来る途中で狗巻となまえが一緒に居るのを見たぞ」
「あーうん、だろうね」
「まるで恋人同士みたいだったが、あいつらやっぱり付き合ってるのか?」
「ん?どういうこと?」

想定内のことと想定外のことを同時に報告されて、脳の処理が追い付かない。自分が仕向けたことなのに、自分の思い通りに事が運ばないと気が済まないなんて、大人失格。テーブルの上に置いていた足を床に降ろして、顎に手を当てなまえの行動から何が起こっているかを予想した。


「五条、お前のお姫様なんじゃなかったのか?」
「なに言ってんの、親類を甘やかしたいだけだよ、僕は」
「そうは見えんがな。お前は血のつながりどうこうで執着するような人間じゃないだろう」
「僕も硝子がそんな風に僕のことを分析する人間だとは思ってなかったよ」


あはは、といつものようにおちゃらけて見せる。やっぱりやめて、と止めるべきだったんじゃないか。

宿儺、宿儺、と言っているうちなら、何が起こっても大丈夫だと考えていた。恵が自分の気持ちに気づこうが、棘が見合い話をぶち壊しに行く僕に向けた殺気の理由に気づこうが、全部、世迷い事で片づけることが出来た。

なまえはもう忘れちゃったのかな。幼い頃に愚かな僕らがお互いを呪いあった、あの約束を。