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「ツナマヨ?」
「と、棘先輩」

お昼ご飯をお腹いっぱい食べて、グラウンドに向かう途中のベンチに座っていると棘先輩がやってきた。狗巻先輩を棘先輩と呼ぶことには少し慣れた。でも、もっと彼女らしく振舞うためにはどうしたらいいのかは、やっぱり分からないままだった。少女漫画を持っているような女子は居なかったし、自分で買おうにもたくさん種類がありすぎてどれがいいのかさぱりわからなかったからだ。


「棘先輩、本当にわたし彼女役なんてできるでしょうか…」
「しゃけ」
「わたしがヘマして棘先輩のお母さまに嫌われたりして、そしたら棘先輩が知らない女の人と強制的に結婚させられたりして、それでそれで…」


思考はどんどん悪い方向へ向かっていく。マイナス思考ではない。けれど、自分の行動に他人の人生がかかっていると思うと思考がマイナス寄りになるのは当然だろう。そんなわたしを見て、棘先輩はペチンと額を叩いて、両手で大きくバツを作った。考えすぎるな、ってことらしい。

そもそもの話、わたしは劣等感の塊だ。それは、五条家で育ったせいであり、五条悟と比べられて育ったせいだろう。真希さんには申し訳ないけど、わたしは真依さんの気持ちがよくわかる。それなりの家に生まれ、比較対象が身近に居た。自分と外見が似ていて、自分の方が劣ってるとなれば、劣等感を抱くのは必然だった。五条家に生まれなかったら、わたしが五条悟に似ていなかったら、と何度もたらればを考えた。


「ツナマヨ?」
「あれ、おかしいな。なんで涙なんか…」
「しゃけ」

昔のことを思い出したら、ふいに涙が溢れてきた。拭っても瞬きの度に零れ落ちる涙を、棘先輩が袖で拭った。棘先輩は泣いていいよ、と理由も問わず、他の誰にも涙が見えないように抱きしめてくれた。

「おかか?」
「違うんです、彼女のフリが嫌とかじゃなくて」
「ツナ?」
「本当です。わたしがわたしに自信がないだけで」


早く泣き止まなきゃ、棘先輩が困ってる。けど、堰を切ったように溢れ出た涙は止まることはなく棘先輩の服を濡らし続ける。ぽんぽん、棘先輩がわたしの背中を優しく叩く。


「なまえはかわいい」
「ダメ、棘先輩、」
「なまえはいい子」
「ねぇ、本当にダメ。喉痛める!」
「なまえが好き、…ゲホッ」

耳元で囁かれた言葉が脳に響き渡る。棘先輩がポケットから何かを取り出しているのを辛うじて感じられるぐらい、頭がふわふわしていた。呪言とは、悪意を持って言葉にすれば危害を加えるものだけど、善意のみで言葉にすればこんなにも脳内を幸せだけで満たしてくれるのだと知った。わたしも、いつか人をそんな風に幸せをあげられる人になりたい。幸せと、棘先輩に包まれながらそんなことを考えた。