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クラゲの展示水槽に着いても「暗いから」と手は繋がれたままだった。本当の恋人たちはいつもこんなに恥ずかしくて照れ臭いことをしているのかと思うと、わたしに恋人は100年早いような気がしてならない。

明るい場所に出ても、手は繋がれたまま。恵や悠仁とは違う棘先輩の手は、わたしの手のひらを優しく包み込む。その感覚はいつまで経っても慣れないまま、イルカショーのプールまでたどり着いた。そして、わたしは手が繋がれたままの理由を知る。半円状になっているイルカショーの観覧席の真ん中の最前列に連れていかれたのだ。カッパもないのに、と棘先輩を見れば、してやったり顔でわたしを見ていた。


「絶対濡れるじゃないですか!」
「ツナマヨ〜」
「大丈夫じゃないですよ〜〜」
「しゃけ!」
「もう!信じますからね」


……信じたのは間違いだった、と気づいたのはショーが始まって1分も経っていない頃だった。少し考えればわかったことなのに。通路や階段もそういえば濡れていたのに。棘先輩の大丈夫はなぜか大丈夫と信じてしまいたくなってしまうんだ。顔にかかった水は海水だからベトベトするし、服も結構濡れた。でも、でもね、棘先輩と一緒だとどれもこれも楽しいと思っちゃうんだ。


「先輩濡れてるよ〜」
「ツナマヨ〜」

イルカショーが終わった後、二人笑いあってお互いの濡れている部分を拭きあう。くすぐったいけどさっきまで手を繋いでいたことよりは照れくささはない。こうして少しずつ距離を縮めていくのかな、普通は。そう考えたらわたしと棘先輩の関係がおかしなもの過ぎて、おもしろくなってきてしまった。

普通の家に生まれてきていたら出会うことすらなくて、なのにわたしたちは呪力を持って生まれてきて出会って。ただの先輩と後輩じゃなくて、友達でもなくて、恋人同士でもなくて。本当に奇妙な関係。おかしな関係だけど、不思議とそれはわたしを苦しくさせるものではない。逆に安心できて、ホッとする。例えるなら、「家族」が一番近いような気がする。

わたしがそんな事を考えているとは露知らず、濡れた部分を拭き終わった棘先輩は階段をずんずんと上がっていく。目的が果たされたからか、棘先輩はもう手を繋いで来ようとはしなかった。さっきまではすごく恥ずかしかったはずなのに、それがなくなると突然に手持無沙汰になってしまう。


「棘先輩?」
「ツナマヨ?」
「わたし、棘先輩の妹に生まれたかったな」
「おかか〜〜」
「なんでー?」
「高菜、ツナマヨ」
「棘先輩の恋愛対象入れてるんですか?わたし?」
「しゃけしゃけ」


思った言葉を素直に口にすれば、棘先輩がそれを否定する言葉を口にする。さらに、兄弟は恋愛できない、とまで言われて、逆にわたしが棘先輩の恋愛対象内にいることに驚いた。でも、それはありえない話じゃない。呪術師は、恋愛が難しい。呪霊が見えない人間と付き合うのは大変だからっていうのが一番の理由だと思っている。自分に見えるものが見えないっていうのはやっぱり障害になる。だから、呪術師は呪術師とくっつくことが多いし、御三家を筆頭に由緒正しき家柄は、その家系が途絶えることを嫌がるし、家柄がいいもの同士で婚姻を結びたがる。つまり、わたしも棘先輩も生きていく以上、それから逃れることは難しく、棘先輩はわたしすら恋愛対象に入れざるを得ないのだ。


「めんどくさいですね、呪術師って」
「しゃけ」
「あ、見て、チンアナゴ居ますよ!たくさんいる〜〜」


ただ今は、この幸せしかない時間を大切にしたい。そう願った。高専に戻れば、また呪霊と相対する時間が待っているのだから。