限界社畜のレクイエム


「私がんばったよ〜がんばったから焼酎ボトルで頼んでいい?」
「いーけど、明日仕事は?」
「休み」
「飲み切れんのかよ」
「一虎次第かな?」
「分かった、頼めば?」
「やったー!」
 
 リン、とピアスについた鈴を鳴らして、一虎が居酒屋の店員を呼びつける。開いたメニューを店員さんに見せ、焼酎のボトルとグラス、氷、それと水を一緒に頼んでいた。慣れたものだなぁと眺めていると、その視線に気がついたらしい一虎が「なに見てんだよ」と言ってメニューで頭を殴ってきた。普通の人と比べて暴力的なところはあるけれど、昔に比べたら随分と柔らかくなったような気がする。
 
「なんか変なこと考えてるだろ」
「いや別に?」
「お前嘘つく時絶対こっち見ねぇもん」
 
 図星である。思わず目を逸らしてしまった私に対して呆れた顔をして、それから溜息をつく一虎。
 何回かこのやりとりを繰り返しているせいで、私の表情を見なくても分かるようになってしまったのだと言う一虎は心底鬱陶しそうな表情を浮かべていた。
 
 
「ほら言えよ」
 
 片手で両頬を掴まれ無理やり上に向かされる。言葉を発しようにもこれじゃあ何も言うことが出来ない。言葉にならない言語を吐くだけの私を「変な顔」って言って笑ったあと、一虎はようやく手を放してくれた。
 
 
「仕事の愚痴とか色々あったんだけど一虎の顔見てたらもういいやってなっちゃった」
「なんだよそれ、お手軽なヤツだな」
「それだけ一虎くんが大好きなんですよーだ」
「いくらでも見とれていーんだぜ?」
 
 ふは、と笑ってドヤ顔の一虎が私に顔を近づける。顔が好きなのもそうだけど、それだけじゃない。一緒に居て明るい気分にさせてくれるところとか、馬鹿っぽいけどたまに見える大人びたところだとか、そういうところを好きだと言いたかったのに、やっぱり口から出て来ない言葉たちのせいでまたもどかしくなるだけだった。
 
「ま、オレも同じだけど」
「なにが?」
「千冬すげー厳しいし、相手は命だし、色々あるけど、こうしてなまえに会うと疲れ結構吹き飛ぶ」
「……今、すごいきゅんとした」
「だから、なまえチョロすぎんだろ。どんだけオレのこと好きなんだよ」
「んー、こんくらい?」
 
 両手をめいっぱい広げて私の愛の大きさを伝えようと試みるけれど、一虎はそれを見て「小学生かよ」と笑うばかりだった。
 付き合ってもうすぐ一年になるけれど、こういう時の一虎は結構あっさりしている。好きと言われたのは付き合い始める時と、セックスの時くらい。だからと言って、私のことを好きじゃないんじゃ? って不安になることはなかった。だって、いつも私の目を見ながらちゃんと伝えてくれていることが分かるから、その一言で全部伝わってくる。
 
 
「あ、そうだ。いいこと考えた」
「なに?」
「一緒に住めばよくね? オレら」
 
 冗談みたいな本気を口にしてくる一虎は、テーブルの上に置かれていた私の手のひらに自分の手のひらを重ねた。ぎゅっと握られたそれは暖かくて心地が良い。私と同じで冷たい一虎の手の甲を親指で擦りながら彼の言葉を反駁した。なにかに縛られることが嫌いな一虎から、一緒に暮らすって言葉がでてくるなんて思っても見なかったからどこか現実味がなくて、事実をうまく飲み込めない。
 
 
「千冬にもちょっと前から相談してたんだよ」
「え……」
「そしたらさ、『ならいっそのこと同棲しちゃえば?』って言われて。あいつ頭良いわマジで」
「へぇ……」
「ぱーちんがさ、いい物件紹介してくれるって言ってるし」
「うん」
「なによりオレがなまえともっと一緒にいたいんだよ」
「……う、ん……」
「だからさ、オレと結婚を前提に一緒に暮らしてくんね?」
 
 居酒屋の個室で、しかも居酒屋特有のBGMに包まれている中で交わす会話にしてはどう考えてもムードがないけれど、そんなことは気にならなかった。嬉しくて、楽しくて、ただただ幸せだった。泣きそうになる私の隣に移動してきた一虎は、私の頭を撫でながらと言って私の頭を撫でた。
 
 
「だって、私ばっかり一虎のこと好きだと思ってたし、」
「うん」
「一虎には結婚願望とかないって思ってたし」
「まぁ、それはあんまないけど」
「私だけ好きでいればいいかなって、諦めかけてたところもあったから、すごく嬉しい」
 
 ぐずりと鼻を鳴らしながら、涙声にならないように必死になって喋る私を一虎は優しく見守ってくれた。それから店員さんが運んできた焼酎ボトルとグラスを受け取って、「ほら、飲むんだろ」と言ってグラスに焼酎を注いだ。カラン、と氷とグラスがぶつかり合う音が響いて、なんだかそれさえも愛おしいと思った。
 これからも私たちはこうして一緒にお酒を飲んで、時を重ねて、たまに喧嘩をして仲直りしながら、毎日を過ごしていくんだろう。それはきっと何よりも幸せなことで、私は今日も隣に座ってくれる一虎の横顔を盗み見て、こっそりと頬を緩めるのだ。