限界社畜のレクイエム


「なまえ!」
 
 終電間際のオフィス街。疲れ切ってうつむいて歩いていたら、いきなり声をかけられた。
 驚いて見上げると少し離れた場所にケンちゃんがバイクと共に立っていた。まるで宝物を見つけた子供みたいに顔が綻んで、ケンちゃんの元まで駆け寄った。
 
 
「え、なんで? なんでいるの?」
「オマエなぁ、既読くらいつけろよ」
「あ……」
「絶対仕事してると思って迎えに来たんだけど? 感想は?」
「ケンちゃんだいすき!」
 
 飛び掛かるように抱き着けば、きっちりと私を受け止めてくれるケンちゃん。「急に飛び掛かってくんなよ」って言いながらもちゃんとしっかり抱きしめてくれるところも、まるで待ってませんでしたって顔しながらも身体が冷えてるところとかも、私が仕事してるからってきっと邪魔しないために電話連絡してこなかったところも、全部全部ケンちゃんらしくて愛おしいと思う。だから私はケンちゃんと一緒にいると、なんだかいつもより心穏やかになれる。
 
 
「帰るか」
「ん――もうちょっと」
「なまえのもうちょっと長ぇんだよな」
「ケンちゃんがあっさりしすぎてるんだよ」
「人前でやるのハズいんだよ」
「え〜今更じゃない」
 
 こんな時間に誰も私たちのことなんて気にしていない。そもそも終電間近のこの時間に歩いている人なんかいないわけで、ケンちゃんの心配はただの稀有でしかないのだけど。ぎゅっと抱きしめたまま離れずにいれば、諦めたのか私の腰を抱く手に力が入るのを感じる。そのまま顔を寄せるけどそれは触れることなく唇の前で止まって、代わりにちゅっと軽く音を立てて頬にキスをされた。
 
 
「……ほっぺだけ?」
 
 思わず口を尖らせればケンちゃんは笑う。仕方がない奴だなって目元を和らげながら、私の手を握る。その手を引いて歩き出すケンちゃんの後ろ姿をみていたら何とも言えない気持ちになって、やっぱり今日は甘えたいなぁって思ったから思い切り背中にしがみついてやった。そんなことをしたってケンちゃんには通用しないって分かっているのに、ついそういう事をしてしまうのは大人びているケンちゃんを困らせたいって気持ちが根底にあるからだ。
 
 
「なまえ〜〜」
「ケンちゃんやっぱりここでちゅーしてよ?」
「アホ言うな。オレが死ぬほど恥ずかしい思いすんだろうが」
「ケンちゃーん」
 
 わざと駄々っ子のように引っ付いて見せてもケンちゃんは知らんふりを決め込んでバイクから私用のヘルメットを取り出す。どうせ家に帰るまでの我慢なんだけど、ね。その時間すらもどかしい時もあるんだよ。
 
「あ――やっぱ車で迎えに来りゃよかったな」
「なんで?」
「キスしてやれんだろ? なまえに」
「ダメだよ車は。ヤりたくなるでしょ?」
「誰が?」
「ケンちゃんが」
「オマエもだろ」
「私? 私は我慢できる子ですから!」
 
 ケラケラと笑っていると、「ふーん」と言いながらケンちゃんがヘルメットを被せて、私をバイクの上に乗せてくれた。そして、「我慢できないの、オレだったわ」と言って唇が重なる。くっついてすぐに離れるだけのキス。なのに離れ際にペロッと唇を舐められて、それが妙に艶めかしくて背筋に何かが走ったような感じがする。
 
「で、なまえは我慢できんだよな?」
「……ケンちゃんのバカ!」
「あ?」
「早く家に帰ってもっとして欲しい」
「りょーかい」
 
 そう言ってケンちゃんはバイクにまたがるとエンジンをかけた。さっきまで寒かったのに今は熱いくらいだ。バイクで家まで十五分。必死にケンちゃんにしがみ付いているせいで、私の体温は上がっていくばかりだ。