何度も「そろそろ帰るね」という言葉を口にしようとして、その度に視界に入る伏黒くんにまだもうちょっとという思いが募る。こんなに離れがたいと思うなんて、私はいつから思春期に戻ったんだろう。もういい大人なのにね。

いつの間にか眠ってしまった伏黒くんの頭を撫でる。起きている時には、きっと「子ども扱いしないでください」って言われそうで出来ないことだった。子供扱いも甚爾さんの息子って扱いも、きっともう語弊がある。私の中で、伏黒くんは伏黒くん。きっちり私の中に居座っている。ただ、伏黒くんのことを甚爾さんなしで考えることは出来ない。それも仕方のないこと。

もう言い訳をして生きるのはやめよう。


伏黒くんの長い睫毛に指を伸ばす。この瞳から涙が零れることはしたくない。それは絶対で、一番の優先事項。私が守ると思う反面、伏黒くんを傷つけるのもまた私なんだろうなと思うと上手に笑えなくなる。

「愛に見返りを求めるな」と、甚爾さんと付き合っていた時に硝子に言われたことがある。当時はそうなれたらいいな、と思っていたし、本気でそう願っていた。けれど、今は見返りを求めて欲しいし、見返りを求めてしまっている。愛されたいし、愛したい。

このままだと一晩中ずっと伏黒くんの寝顔を眺めちゃいそうだ。そろそろ電気を消して、伏黒くんを安眠させてあげなきゃと重い腰を上げた。そのタイミングで、ポケットの中のスマホが音を立てる。表示されているだろう人物は見なくても分かっている。十中八九、悟。

おやすみなさい、と小声で呟いて、部屋の電気を消して、伏黒くんの部屋を後にした。



毒にも薬にもならないなにか




「もしもし」
「あーなまえ?お疲れサマンサ〜」
「悟、元気だね」
「全然元気じゃないよ、なまえに会えなくて寂しい」
「ちょっと笑わせないでよ」
「冗談じゃないって。本気で言ってるよ」


耳元に届く聞きなれた心地よい声。「別れる」と伏黒くんに宣言したけれど、電話で終わらせることなんてできない。それは不誠実。そんな言い訳が頭を過ぎった。けれど、私が今日は傷つきたくないのだ。伏黒くんのことだけ考えて、幸せな気持ちのままで居たい。どこまでも自分勝手で、傲慢なんだろう、私は。


「どうした?元気ないね」
「ううん、疲れてるだけ」
「近くに居たら今すぐ飛んでいくのになぁ」
「悟なら本当に飛んできそう」
「飛んでいくよ、なまえのためなら」
「うん、ありがと」
「なまえ?本当に平気?」
「平気だよ、悟は?任務は順調?」
「ねぇ、どんくらい一緒に居ると思ってんの?なに誤魔化してんの?」
「え?何年だっけ?」
「もう人生の半分は一緒に居るよ」
「いやいや、それは盛ってる」
「正直ちょっと盛ったね」
「悟が計算すらできなくなったかと思って心配したよ」
「なまえより数学出来るけど〜僕」
「そうでしたね」
「なまえ?」
「はいはい、なーに?」
「大好きだよ」
「…ん、ありがとう」


なるべく平静を装おうとがんばってはみたものの、六眼の持ち主は私の心を見抜いているかのように鋭かった。言葉は呪いになる。そんなこと、呪術師ならだれでも知っている。それを承知の上で、悟が「大好きだよ」と呪いを紡いだ。それに対して、「私も」なんて嘘はつけなかった。例え、それが悟の不信を買うことになろうとも。

「おやすみ」と言葉を結んで悟は通話を終了した。きっと悟は私に不信感を抱いただろう。そして、任務を迅速に終わらせて帰ってくるのだろう。覚悟を決めなきゃいけない、私も。悟を傷つける覚悟を。自分が傷つく覚悟を。