人通りの少ない、高専の通路。ポツンと置かれた一脚のベンチに座った昼下がり。LINEの伏黒くんとのトーク画面を開いて、メッセージを入力して、消して、を繰り返す。もう一緒に居られないということをどう伝えたらいいのか、分からなかった。伏黒くんを傷つけたくない。その思いが一番なはずなのに、きっとどこかに自己保身があるからだ。

はぁ、と息を吐いて、スマホの電源を落とした。時間が経てば経つほどよくないのを分かっているのに。


「旅に出たい……」
「旅?温泉とかですか?」

ぎしりと古い木製のベンチが音を立てた。声から相手はすぐに分かって、顔が上げられなくなった。会わなきゃ、伝えなきゃ。気持ちは先行していても覚悟はまだできていない。あぁ、また言い訳をしてしまいそうだ。


「…姿見えたから話がしたくて来たんですけど、迷惑でしたか?」
「そんなことない、よ」
「よかった。会いたかったんで」


私も、と言いそうになってそれは違うと気づいた。チラリと伏黒くんを見れば、長い睫毛が下を向いて、愛しそうに私を見ていた。この穏やかな笑顔を私は、壊すんだ。チクリと胸が痛む。



「…昨日連絡くれてたよね。連絡しなくてごめんなさい」
「それはもういいです。会えたんで」
「ううん、そうじゃなくて」
「なんですか?」
「あの、あのね、伏黒くん、あのね」
「はい。ゆっくりでいいですよ、いつまでも待ちますから」


ポツリ、雨が頬に当たった気がした。空はいつの間にか薄暗くなっていて、それは私と伏黒くんの未来を示すかのようだった。手を握りしめて、覚悟を決めて、伏黒くんを見据えた。「待ちますから」の言葉通り、伏黒くんは私を待っていてくれていた。これから私の口が発する残酷な言葉なんか知らずに。


オブラートには包み切れない




「私ね、やっぱり伏黒くんとは一緒に居られない」
「…どういうことですか」
「私はやっぱりあなたのお父さんのことを忘れられない」
「それは俺が忘れさせてみせます」
「どうやって?」


自分でも意地悪な言い方をしているって思った。さっきまでの笑顔から一変、表情を曇らせた伏黒くんは、私の手首を掴んだ。痛いと思った。そして同時にもっとひどく私を傷つけて欲しいと思った。そして、私のことを嫌いになって、私のことなんか黒歴史にして、同年代の子と若者らしい恋をして欲しいと願った。


「五条先生」
「え?」
「五条先生なら出来るっていうんですか?」
「どうかな。悟となら、忘れる必要がないから」

空が零した涙が伏黒くんの頬に落ちた。伏黒くんは泣いてないのに、まるで泣いているように見えた。その頬に手を伸ばして、拭ってあげたかった。大好きだよって伝えたかった。けど、私にはそれができない。そうしないことを、悟と一緒に居ることを選んだのだから。

伏黒くんから目線を逸らさない私の覚悟を感じ取った伏黒くんは、はぁ、と息を吐いて、私の手首を離した。これでよかった。私も伏黒くんもいつかそう思える日が来る。


「一つだけお願いがあります」
「なに?」
「俺にもなまえさんに傷をつけさせてください」
「え?」
「俺のこと忘れられないように、なまえさんに傷を残させてください」


今度は私が伏黒くんの覚悟を受け入れる番だった。
凛とした顔で私を見る伏黒くんの覚悟を拒めるわけない。私が伏黒くんにつけた傷に比べたらそんなのどうってことない。


「どうすればいいの?」
「今夜、22時。俺の部屋に来てもらえますか?」
「分かった」


空はいつの間にか光を伴ってゴロゴロと雷雨の始まりを告げていた。