結局、悟の押しに負けて私は特訓に付き合うことになった。本当に私に教えられていることなんか限られているのに、どうして悟は私にこの子の修行を任せるのか理解できなかった。問い詰めても「ただの嫌がらせだよ」とはぐらかされてばかり。悟の行動に必ずしも意味があるとは思っていないが、嫌がらせにしてはしつこ過ぎるだろう。

今日は組手をすることになった。組手だけなら、真希や棘、パンダで事足りるのに、生憎今日は全員任務に行ってしまった。つまり今日も私は一対一で面倒を見ることになった。


「五条先生と付き合ってるんですか」

伏黒恵が組手の最中に唐突に言った。「ないな、ないない」と即答と蹴りを返した。集中力が切れたか?今、何本目だっただろうと思考を巡らせていると、再び伏黒恵は口を開いた。


「恋人じゃない人も家に泊めるんですか?」
「ビッチみたいな言い方やめて」
「違うんですか」
「ずっと忘れられない人が居るんだ、よ」


なにが悲しくて甚爾さんの息子にこんなことを告げなければいけないのか。そう思ったら、思わず殴る手に呪力を込めてしまった。呪力無しという約束だったというのに。触れられてはいけない。知られたくない、伏黒恵には。

思いがけず呪力で殴られた伏黒くんは地面に座り込んでいた。ごめんと言って、手を差し出す。その手を無視して伏黒くんは自力で立ち上がる。行き場を失くした手をポケットに突っ込んで「今日はもう終わりにしよう」と告げた。


「まだやれます」
「集中できてないじゃん」
「それはなまえ先生も同じでしょう?」
「そうだよ、だからやめるの。あとで悟にでもみてもらって」


身体を翻し、校舎を目指した。今日がダメなのは本当。きっと次もその次もダメだ。次なんてきっとない。もう、本当に関わりたくないんだよ。


やすりで心を削らないで




あのあとすぐに任務に赴いた私は、伏黒くんに会うこともなく家へ直帰した。真っ暗な部屋の中、ソファの上で三角座りをして、自分がした先生らしからぬ行為を反省した。
本当に教職をやめるべきなのかもしれない。大丈夫と何度口にしたところで、甚爾さんの面影が見えるたびに心は揺り動かされるし、相違点を見つけては伏黒くんは甚爾さんではないと確認する。


「なまえ、居るんでしょ」

ふいにリビングの扉が開いた。そこに居たのは悟だった。「インターホン押しても反応ないから勝手に入ってきちゃったよ」と私の前に座る。普段見上げている悟に見上げられて、頬を暖かい手のひらで包まれた。


「恵が変なこと言ってすみませんって伝えてくれってさ」
「伏黒くんの怪我大丈夫だった…?」
「あれくらい硝子がひゅーひょいって治したよ」
「そう、よかった」
「だからまた特訓してやってよ」
「それは無理だよ…」


悟の目が見れなかった。もう逃げ出したかった。ラグから私を見上げているであろう悟は膝を抱えたままの私を抱きしめた。


「もう忘れろよ」
「もう忘れてるよ」
「どこが」
「悟のそういうところ好きじゃない」
「誉めてんだよな?」
「どうやったら褒めてるように聞こえるのよ」


悟の手が私の頭を優しく撫でる。優しい大きな手のひらだった。鼻の奥がツンとする。悟の優しさに包まれているのに、私は甚爾さんのことを考えている。なんて虚しいんだろう。


「どうやったら忘れられるのか教えてよ」
「俺に聞く?苦手なんだよ、そっちの話は」
「不器用だね」
「お互い様だろ」


ふふ、と笑うと悟は私から離れて部屋の電気をつけた。眩しいの次にアイマスクのままの悟が見えて、どんだけ急いできたんだろうって考えたら笑えて来た。ぐ〜〜と私と悟のお腹がほぼ同時に鳴った。また二人で笑った。


「ラーメン食べに行こ」
「なまえの奢りな」
「え〜〜〜」
「オプション全部乗せね」
「私も同じの食べよ」


戦闘服から楽な私服に着替えて二人並んでラーメン屋に向かう。学生時代から何度も何度も来たラーメン屋。傑が居なくなって、硝子がラーメンより酒になって来なくなって、もう今は私と悟しか行かない秘密基地。居場所があるって幸せなこと。