「なーんてね」

そう言って、悟は私の隣に寝転がった。悟が寝ている方に顔を向けると、「なんて顔してんの」と笑われた。どんな顔してるのか分からない私は両手で顔を覆った。


「なにもしない。言ったよね?」
「うん」
「だから、考えて。僕の事、なまえの事、これからの事、全部」


顔を覆った私の手を取って、そこに唇を寄せる悟。まるで心の殻を優しく破るように丁寧に扱われる。ずっとそうだったような気がする。悟だけじゃない、硝子も傑も。私にいつも優しくて、だから優しさをはき違えないように必死だった。私は一人弱くて、役に立たないどころか迷惑ばっかりかけて、それなのにみんないつも一緒に居てくれた。

私はもう失いたくなかった。
これ以上仲間が欠けるのは嫌だった。

「悟は私が好きなんだよね?」
「ストレートすぎ」
「いいから答えて」
「好きだよ、ずっと」
「私が悟を好きってはっきり言えなくてもそれでもいい?」
「待て待て、何言おうとしてる?」
「それでもいいなら悟の彼女になりたい」
「ほんきで言ってんの?」
「本気。悟が本気かは知らない」
「俺だって本気だけど」
「なら付き合う?」
「……付き合う」


考えたってきっと私にはどっちつかずの答えしか浮かばない。私にとってのベストは甚爾さんに愛されて大切にされる彼女になることだから。悟がそんな私でいいと言ってくれるなら、私は悟を選ぶ。私を大切にしてくれる人を、選ぶ。ありえない現実より、今ここにある未来を。


ともだち、ひとりだち




朝が来た。
悟と顔を合わせるのは気まずいから、まだ薄暗い道を一人で家に帰った。家に帰ってシャワーを浴びて、歯を磨いて、化粧をする。いつものルーティンで日常を取り戻す。悟が起きるであろう時間に、「家帰ってから出勤する」と端的なメッセージを送った。すぐに既読がついた。返事は返ってこない。いつものことだ。

朝ごはんの代わりにコンビニでスムージーを買った。キウイと小松菜の入ってるやつ。ちびちびとそれを胃の中に流し込みながら、高専までの長い坂道を昇る。高専内に職員用の宿舎を作るか車通勤可にして欲しい、これまで何度も思ったことを今日も思った。きっと悟と顔を合わせてもいつもと変わらない態度を取れる。そう思って高専の門を潜った。


「あ、なまえ先生」
「伏黒くん、おはよう。ロードワーク?」
「はい」


悟より先に会ったのは伏黒くんだった。ジャージの上下に身を包んだ彼はストレッチをしていて、これから走り込みに行くことは容易に予想できた。朝日を浴びた伏黒くんはキラキラしていて若々しかった。今の学生は真面目だなぁと思って、「がんばって」の言葉を口にした。


「あ、あの」
「なに?」
「先生の迷惑を承知で話したいことがあるんですけど」


腕時計に目をやる。まだ少し時間はある。何より深刻そうな顔の伏黒くんが心配だった。私が頷くと伏黒くんは歩き始めて、人通りのない木の生い茂る場所へ向かった。大きな木々が立ち並ぶ場所は日陰で肌寒い。坂を昇っている間に崩れてしまったストールを巻きなおす。フリンジが規則的に並ぶオーソドックスな巻き方しか私は知らない。それでも伏黒くんは「器用ですね」と言って、私を褒めてくれた。この巻き方を教えてくれたのは、あなたのお父さんだよ。


「ごちゃごちゃ言葉を飾り立てるの苦手なんで、はっきり言っていいですか」


伏黒くんの切れ長な目が私を射る。普段なら「どこかにパンくずついてた?」とでもお茶らけるところだけれど、ふざけてはいけない雰囲気が二人を包んでいた。一歩、いや、半歩ほど後ずさりした。じり、と砂利が音を立てる。嫌な予感がした。聞いてはいけない言葉を言われそうなそんな、予感。


「あなたが好きです」
「……ダメ」
「どうしてですか?」
「私は教師であなたは生徒だから」


尤もらしい理由を告げた。断る理由なんかいくらでも思いつく。どれも真実なのにどこか嘘っぽい。だから、一番納得してくれそうな理由を口にした。

遠い遠い記憶が蘇る。私がまだ伏黒くんと同じ高専の制服を着ていた頃のことを。何度も何度も甚爾さんに伝えた「好き」と言う言葉。どんなに頑張っても甚爾さんが「なまえは可愛いな」としか返してくれなかった。私が甚爾さんから一番貰いたかった言葉を、その制服を着たあなたに言われるなんて。甚爾さんに似たあなたが言うなんて。胸が苦しくなった。


「卒業したらいいですか?」
「ダメ」
「成人すればいいんですか」
「ダメだって」
「なんでですか」
「あなたが伏黒恵だから」

真実を告げる気なんてなくて、現実を突きつけるつもりもないのに、本音を口にしてしまった。真剣な思いには、それ相応のものを返さなければいけない。なんで、と言って、伏黒くんは私の上腕を掴む。どうしても引き下がらないその姿は、学生時代の自分と重なった。