ホトトギスは鳴かない

なまえと出会ったのは高専を出てすぐのことだった。
人気のないうっそうとした村の近くで、バスを待っていたなまえは雨が降っているのにどこも濡れていない。その姿を見て、真っ先に悟を思い出した。とうに置き去りにした感情を。そのバスの向かう先は、私が先ほどまでいた場所。つまり、猿共の巣窟だ。だから、声を掛けた。「私と一緒に来ないかい?」と。「なんで?」となまえは私に聞いた。だから答えた。

「君の居るべき場所はそこではない」と。

美々子奈々子より少し年上のなまえは、役に立ちそうだと思った。実際に、役に立った。悟と同じかと思った術式は全く違っていた。なまえの使っていたのは、複雑な結界術。それはそうだ、無下限術式なんてものを使える人間がこの世に早々居ては困る。どれだけ自分は悟に囚われているのだと笑ってしまった。


ホトトギスは鳴かない





カナカナと夕暮れに鳴くひぐらしを私はまだ見つけたことがない。

夏油さんと出会って5年が経った。今日も、地方の村で発生した呪霊の取り込みに夏油さんと一緒に赴いていた。使えそうな等級の高い呪霊だったのに、夏油さんの表情は優れない。なので、車を先に戻して二人で公共交通機関を使って帰ることにした。バス停までの道すがら、ひぐらしの鳴き声がした。


「今年の夏も暑いですね」
「そうだね、なまえは夏が好きそうだ」
「好きです!暑いのは苦手ですけど」
「私は夏は好きじゃない」


遠い目をして、夏油さんが呟いた。
その翳りある横顔を眺めて、虚しい気持ちに襲われる。夏油さんには秘密が多い。他人の詮索もしない分、自分のことも話さない。人も通らない砂利道、ひぐらしの鳴き声と二人の歩く砂利の音だけが聞こえる。

「口の中に味が残ってるんだ」
「…あじ?」
「誰も知らない呪霊の味だよ」


呪霊の味とはどんなものだろう?ミントやオレンジの味なら、きっと夏油さんはこんな顔をしていない。つまり、言葉では言い表せないような不味いものなんだろうという結論に達する。それを夏油さんは、多い日は一日に何体も飲み込んでいる。気分が優れるわけがない。


「気分転換になにか食べて帰りますか?」

そう問いかけると、夏油さんは歩く足を止めた。「その考えはなかった」と私を見て微笑む。じゃり、と私に向かって二歩、近づいた夏油さんは、「なまえで口直ししてもいいかい?」と私に聞いた。口直し?私で?16歳の私には理解できない言葉だった。


「その反応すら可愛いな」
「なんですか?口直しって?」

夏油さんのキレイな指先が私の顎に触れ、顔を持ち上げる。「目を瞑って」と言われて、素直に瞳を閉じた。何が待っているのか、分からないまま、ほんの数秒の時間が過ぎる。唇にふに、とマシュマロのような感触がして、すぐに離れた。なにが起こったのか理解出来ずに目を開ける。すると、夏油さんの顔が近づいてくるのが見えた。されるがまま、見つめた。あぁ、これがキスなんだと理解するのにそう時間は掛からなかった。
舌先で唇を割られて、ぬるりと舌が口の中に入り込む。上顎を舌でなぞられて、次に舌の裏に入り込み、最後に舌先を吸われて離れた。口の中に拡がる、苦い香りはなんだろう。とりあえず、ファーストキスはレモンの味というのが嘘と言うことは分かった。


「呪霊の味、わかった?」
「クソ不味いですね」
「だろう?」

夏油さんはさっきまでの不機嫌がどこ吹く風。目がなくなるほど目を細めて笑ってくれた。「私の口の中はなまえの甘い味でいっぱいだよ」と言って。私は私で、「これが夏油さんがいつも味わってる味なんだ」と納得できるわけもなくて、ただただ吐きそうになるような衝動を堪えるしかなかった。


「なにか食べて帰るかい?」
「夏油さん非道…」
「さっきなまえが言ったセリフじゃないか」
「根に持ってるんですか」
「そうじゃないよ、共有したかったんだ。この後味の悪さを誰かと。誰でもいいわけじゃない、なまえじゃないとダメだった」


そんな風に言われてしまえば、私は納得するしかない。
私の唇でいいなら、甘い言葉も甘いキスもあげるよ。いくらでも利用していいよ。だって、わたしは夏油さんに救われたのだから。利用されるなら、いつもそれは夏油さんがいいから。

「カップルで食べるデカ盛りパフェが食べたいです」
「それは私も一緒にたべるのかい?」
「当然です。一人で食べたら太っちゃいますから」
「あはは、それはおもしろい」


花火が刺さってるようなヤツですよ、と言えば、「なまえのキスをそんなので貰えるならいくらでも」とおちょくるような返事が返ってくる。夏油さんにならいくらだってあげますよ、甘いキスも苦いキスも。私のキスは全部。だから、夏油さん、どうか一人で苦しまないで。私に分けて欲しいの、その苦しさも苦さも全部。