俺は毎日病院に行っていた。
仕事は続けていた。
自分のことをよく話していた上司には事情を話していたのでよく気を使ってもらってたのを覚えてる。
自分では冷静に振る舞ってるつもりだったが、その後聞いた話だと、痛々しくて見てられなかったそうだ。
その日は仕事が休みで、朝から病院に行っていた。
病室で涼子の隣で静かに本を読んでいた。
いつも、何をしたらいいか分からなくて、ただ漫然と涼子の隣で時間を過ごすことが多かった。
「おはようございます。今日は早いんですね」
そう声をかけてきたのは担当の看護師さんだった。
「あ、はい。いつもお世話になってます」
担当医からも詳しい話を聞いていた。
三崎先生という、60過ぎくらいの落ち着いた、とても穏やかな顔をされている先生だった。
『奥様、でよろしいですか?』
『あ、ええと、はい』
『井川様からお二人の話はお聞きしております』
井川さんとは、タンポポの家の先生のことだ。
『はじめに、現状と今後予想されることを全てお伝えしたいと思っております、よろしいでしょうか?』
その話を聞いたのは事故後二週間くらい経過した後。
涼子が総合病院から脳外科の専門病院に転院した後だった。
『私の説明の仕方、話し方は、時には残酷に聞こえるかもしれません。しかし、全てお聞き頂かなければ皆さんが前に進むことができません』
そろそろ詳しい話を聞いて、今後のことも考えなきゃな、と思っていたところだった。
『はい、お願いします』
『では、私の部屋にお越しください。こちらです、どうぞ』
先生の部屋は診察室を少しだけ広くしたような、質素な造りの部屋だった。
デスクにソファーとテーブル。本棚と形だけだと思える小さなテレビ。
仮眠用の小さなベッド。
調度品は全てシンプルで綺麗に整頓清掃されていた。
角部屋で、大きめの窓が2箇所あり、開け損ねたカーテンが緩やかな風に揺らされていた。
夏の匂いがした。
ああ、もう夏になってたんだな。
近くに小学校があり、子供達の無邪気な声が時折聞こえてきた。
美春と千佳はどうしてるかな。
ふとそう思うと、会いたくなった。
『いい部屋でしょ。何もありませんけど』
三崎先生は少し笑ってそう言った。
『ええ、すごく。なんだか落ち着ける部屋ですね』
『ええ、皆さんそう言われます』
ああ、そうか。
ここで家族は話を聞くんだな。
それはどんな話なのか。
ある人は希望をもち、ある人は絶望を抱き、そして自分は。
そう思うと少し身構えた。
『なにか飲みましょう』
『あ、いえ、結構です』
『だめですよ、私の流儀です。これも診察の一環なんですよ、岸田さん』
『すみません、ではコーヒーいただけますか』
『はい、では少しお待ちください』
ペーパーフィルターから立ち昇る緩やかな湯気と共にコーヒーの良い香りが漂ってきた。
『少しお待ちくださいね、私はちょっと出てきます。何かあれば隣の部屋にどうぞ』
そう言うと三崎先生は部屋を出た。
俺は、俺は、どうすればいいのだろうか。
いや、正直言って気力というものを失っていた。
涼子と出会ってから一緒に暮らし、子供ができたことを知り。
期間にすると2年くらいのものだったか。
しかしその間に得たものは大きく、抱いていた希望はそれ以上に、大きかった。
俺は立ち上がり、大きく空いた窓に歩み寄った。
夏特有の、青とも緑とも言えないような匂い、そして一瞬の暑さ。夏の音。
俺は、進まなければならないのか。
涼子は何を望んでた?
何を望んでる?
涼子がどういう状態で今から何を伝えられるか想像できる。
俺は涼子の為に生きると誓っていた。
涼子の中に宿った子供のために生きると誓っていた。
不思議なことに、遠くに見えていた積雲が涼子の後ろ姿に一瞬見えた。
『拓ちゃん、私、タンポポの家の子供達にも幸せ分けてあげられるくらい幸せになるんだ!』
『拓ちゃんならできるよ。拓ちゃんは私に幸せを与えてくれたんだよ。幸せを与えてあげられる人ってすごいと思う』
かいかぶりすぎだよな。
涼子。俺、一人でも頑張れるかな?
涼子。おまえは、なんでそんなにいつも楽しそうだったんだ?なんでいつもそんな笑顔ができたんだ?
涼子にとって生きるってどういうことだったんだろう?
自己犠牲?違うな。
『私バカだからさー、一生懸命にやるしかできなくて』
そうか、おまえは一生懸命生きてたんだな。
俺は本当に幸せを与えてあげられたかな?
俺と出会ってからおまえは本当に幸せだったか?
こんなことになってしまったけど、おまえは幸せだったか?
幸せを感じることができているか?
涼子…。
その日、はじめて泣いた。
あの日あの時間で止まっていた自分の中の時計の秒針が、ゆっくりと動き出したのを感じた。
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