メルト(“始末しろ”という命令を遂行しなければ……あの程度じゃ契約違反でしょう)
イザベラ達が逃げていったのを見て、目をカッと見開いて追撃を加えようとした所、ミーナに駆け寄られたため、直前で動こうとする身体を制する。
後からでも融通が効くので、今手を下す必要は無いとの判断らしい。
元はと言えば、メルトがそう言えと半ば強制した言葉だったのだが、実際そこまでの程度でなければミーナを助けられなかったというよりは、私怨も混じっていたと言わざるを得ない。
メルト「大丈夫……大丈夫……」
跪いてミーナと同じ高さになると、ひたすらギュッと抱きしめて、頭を擦り付ける。
メルト「ごめん、キツい言葉を使ってしまって」
多少くだけた口調でそう述べる。
ミーナ「ふえぇ、怖かったよぅ……!!」
今までとは違った雰囲気のメルトに多少なりとも恐怖したこと、自分もメルトも無事だったこと、そしてメルトと離れずに済んだこと、いろいろな感情が混じり合い、大声で泣き出した。
メルト「私も怖くて、余裕が無くなっちゃったのよ」
翼をたたみ、尻尾を隠し、抱き寄せる両手を強め、その片方をミーナの後頭部へ移す。
しばらく「ごめんなさい」と繰り返すが、声色を変えて、切り出す。
メルト「成長したわね、ミーナ。よく言えたじゃない、偉いわ」
そうやって、勇気を振り絞ることが大事なのよ、と背中をトントン軽く叩く。
ミーナ「怖かったけど、メルちゃんと会えなくなることの方がもっと怖かったから……」
ようやく泣き止んだミーナはメルトを見つめてそう言った。
メルト「……」
複雑な顔つきをする。本来、二人の関係としては対等であれども主従には近く、使役する側と使役される側に分かれているのだが、メルトはそこに当てはめられないムズムズとした痒みのようなものを覚える。
メルト「……私ね、よくわからないの。会えなくなると怖くなるの?どうして、会えないと怖いの?寂しい、ではなくて?」
体験したことのない全身のポカポカする感覚が何によるものなのか、ハッキリとせず、その未知のみがメルトへ“恐怖”を与えるのである。
ミーナ「……怖いよ。だから、私は大切な人を失いたくないの……」
震える声で言葉を紡ぐ。
メルト「やっぱりその感覚はよくわからないけれど……でも私、そんなこと言われたことなかったわ。あなたは、新しいものをたくさん教えてくれるのね」
ミーナを見つめて破顔する。その表情は、淫魔のよくするそれではなく、むしろ一人の少女として純粋な綻ばせ方である。
ミーナ「へへ、私もメルちゃんから初めてのこといろいろ教えてもらったよ」
ミーナもそう言って笑い返す。
メルト「そう……良かった」
膝を着いた状態で、ミーナが倒れない程度に弱くもたれ掛かる。その様子には多少の疲労が伺えるが、「大丈夫」と自分に言い聞かせるように繰り返して、呼吸を荒くしている。先程からその傾向は出始めていたが、どうにか気づかれないよう取り繕っていたらしい。
メルト「……また彼女があなたを襲いに来ないか心配だわ。今のうちに、再起不能にしておくのが得策よ」
ミーナにとって心苦しいことだとは思いながら、それに同意を求める。
ミーナ「メルちゃん……?大丈夫……?」
もたれかかってきたメルトに対し、不安そうに尋ねる。
ミーナ「うん、わかった……」
もしまたイザベラたちが襲ってきたとして、同じようにメルトに助けを求めてもいいのかと悩む。けれど、毎度メルトに頼むのも迷惑だろうし、もっと強くなりたいという思いから、少し胸は痛むがメルトの言葉に同意する。
メルト「少し休んだら、私一人で仕留めに行くわ。正当防衛だもの、仕方ない」
一度捉えた人間がどこにいるのかは把握できるようで、イザベラ達が逃げた方向に振り向いては溜息をつく。
メルト「……私は“悪魔”よ。正真正銘のね。人間とお約束をして、願いを叶える代わりに何かをいただくの。ミーナちゃんも、聞いたことはあるかしら」
ミーナから手を離し、ほんの少し距離を置くと、各部位が正常に駆動するかどうか、確認しながら。
メルト「……その悪魔にはいくらか種類があって、私はその中でも、戦いには向いていない種族なの。正直、苦手ってことよ」
サキュバスは心底悔しそうに俯き、必死に息を整えようとする。
ミーナ「……そっか。気をつけて行ってきてね」
メルトがやってくれるなら、とそれを任せることにした。
ミーナ「悪魔?うん、聞いたことあるよ」
メルトの問いに頷き、話を静かに聞いている。
メルト「……私の種族は、サキュバスって言うんだけどね」
時々躊躇しながら、それでも口を開く。
メルト「人を気持ち良くすることが得意なの。だけどそれ以外は、まるで上手ではない。所詮は、下級悪魔なのよ。言い換えるなら、全然偉くない悪魔。卑しい存在」
自虐的にミーナに語りかけては、誤魔化すように笑う。
メルト「……だからね、人間がちゃんとお願いしてくれないと、身体を動かせないの」
要は抽象ではなく具体で命令してくれないと、下級悪魔は行動が大きく制約されるという旨を、女児にもわかりやすく伝える。
ミーナ「……わかった。がんばるね」
頭の中で言葉を繰り返し、理解すると大きく頷いた。
メルト「また説教くさくなっちゃった……ごめんなさい、気をつけるわ」
可愛い子には口出ししたくなっちゃうの、と些かおばさんぽく「やあね」と笑いかけ、然し時間を空けず真剣な眼差しになる。
メルト「……そろそろ行かなきゃ。完全に気配を消されたり、戦力を補強されたりしたら厄介だから」
メルトはイザベラに対して私怨だけではなく、何か“生かしておくべきではない存在”として危険視している節を垣間見せる。
ミーナ「うん、気を付けてね」
そう言ったものの、幼いミーナにとってイザベラがどれほど危険な人物なのかよくわかっていなかった。
ただ、先程の恐怖を思い出し“もうあんな目には遭いたくないな”と思ったのは事実である。
メルト「……帰ったら、私に魔力を補給してほしいの。ミーナちゃんにうんと気持ちいいことしてあげるから、覚悟しておいて」
お助け料、じゃないけれど、ちょっと疲れちゃったから……と微笑み、すぐ飛び立てるように準備運動として翼を大きく上下させる。
ミーナ「うん、もちろんだよ!」
初めてメルトにされた日のことを思い出して、胸が高鳴る。
ミーナ「行ってらっしゃい」
ミーナも微笑み小さく手を振った。
メルト「……行ってきます」
手を振り返すと、少し足を曲げ、両翼を真上へ突き上げる。蓄えたエネルギーが限界まで達した時、勢いよく解放して、空高くへ上昇し、瞬く間に青空に浮かぶ雲へ姿を隠した。
人目に付かぬよう、白の塊の中を通って目的地へ辿り着くつもりらしい。
ミーナ「……行っちゃった」
メルトの姿が見えなくなると、ミーナは手を下ろす。
しばらくそわそわと待っていたが、飽きてしまったのか地面に寝転がり寝てしまった。