裸フラメンコ動画を手に入れる子分 02
「三十六計逃げるに如かず」かつてそんな言葉を日本から聞いたことがある。分が悪くなったり策が尽きた時は、逃げて形成を整えることもありだということらしい。昔の偉い人がそんな戦法を考えたことがあるくらいなので、俺が現状から逃げることだって、悪いことではないはずだ。
スペインとの間にちょっとしたアクシデントが起きて、ついでにもうひとつ悪いことが重なり、結果最悪な状態に陥った状態から逃げるのだって、致し方ない。だって解決の糸口が見えないのだ。そんな中、闇雲に動き回れば確実に碌なことにならない。俺なので、確実に更に良くない方に転がってしまう。
そもそもスペインと顔を合わせるのだって、正直しばらくしたくない。顔を合わせれば確実にぼろが出てしまう。そうなると芋ずる式に会議の夜に起こったことが、スペインにバレてしまう気がした。当事者なのだからバレてしまったっていいのだが、正直なところ、バレてしまった後が怖かった。
事実を知った時、スペインはどうするのだろうか。今度こそ顔面蒼白になって謝ってくるか、冗談だと思って本気にしないか、覚えていないことを悔しがったりするのか……。いずれにしても、バレてしまった後、俺たちの関係がどうなるのか。もし俺たちがおかしな関係になってしまうぐらいなら、スペインは忘れたままの方がいいのかもしれない。日が経つほどに、そう思うようになった。
なので、一番の最善策を選ぶことにする。
「スペインに避けられてると悟られないよう、徹底的にスペインを避ける」
顔を合わせるのは間違いなくよくないので、何かに誘われてもそれとなく理由をつけて断る。スペイン間との仕事も、基本的には上司と部下の人間同士だけで済ませ、どうしても国体が必要な会議などはヴェネチアーノに押し付け、顔を合わせることを避けた。
しかし連絡だけはきちんと応える。電話がかかってきたらちゃんと取るし、メッセージだってちゃんと返信する。そうしていれば、おそらく鈍感なスペインは、避けられているなんてしばらく気付かない。
『今度の会議の後、おいしいもん食いに行こうや!』
「その会議はヴェネチアーノが出るから」
『そうなん?それやったらしゃあないなあ!』
『今度仕事でローマ行くねんけど、その時会おうや!』
「そこは出張でイタリアにいねえ」
『そうなんや。気を付けて行っといでや』
『今度うちでお祭りあるからロマーノも行こや!』
「アメリカん家の祭りの視察に行くから無理だな」
『そ、そうなん……?うちのお祭りも楽しいで……?』
『おいしいワイン貰ったんやけど、今度の休みうちにおいで!』
「次の休みは弟と日本にいるから無理」
『そ……そうなん……次は俺も誘ってなぁ……』
そうやって、何かと理由をつけて約半年間、スペインを避けまくった。季節を二つ通り過ぎ、最近では心なしかスペインの返答に元気がなくなってきた気がする。かわいそうにと思いつつ、いつも心を鬼にして何度も誘ってくるスペインの誘いを断っていた。
何分付き合いが長いので、スペインが誘ってきそうなことは想像がつく。そしてこう断ったら、スペインが諦めるというのも、当然わかってしまうのだ。なので物理的に会いに行けない距離の場所にいるから無理だとか、仕事が重なっていて無理だとか、優先しなければならないとわかることを口にすると、スペインは大人しく引き下がった。
もちろん、断るのだからその裏付けだってしている。会議はヴェネチアーノに一日構い倒すという約束で押し付けたし、普段なら部下に押し付ける出張だって共に行ったし、騒がしくてダイナミックな祭りもアメリカに振り回されながらも行ったし、休みに日本まで飛んで原稿の手伝いっていうのもした。
そういう努力の甲斐あって、おそらくスペインはまだ俺に避けられていると気付いていない。普段はあの鈍感さに振り回され腹立たしく思っているが、こういう時に限っては鈍くいてくれてありがたいと強く感じる。逆に俺が成長した証でもある。単に悪知恵が働くようになっただけと言われればそうだが。
「最近の兄ちゃんはちょっと変だよねえ」
以前にあった会議を押し付けたことによる、絶賛ヴェネチアーノ構い倒し中の休日の昼過ぎだった。ソファの上でぴったりとくっついて、俺に抱きついているヴェネチアーノの頭を撫でていた手をぴたりと止めた。眉を寄せ、少し体を離してヴェネチアーノを見ると、離れたことを残念そうにしているヴェネチアーノと目が合う。
「はあ?変?」
「いやまあ、兄ちゃんはずっと変だけど……」
「おいコラバカ弟」
聞き捨てならないことを言うヴェネチアーノの頬を引っ張った。すると途端に痛いと泣き言を漏らしながら、更にぎゅうぎゅうと強く抱きついてくる。
「誰が変だって?」
「にいひゃんらよ〜」
目に涙を浮かべつつも、内容を否定しないヴェネチアーノを睨みつけ、仕方なく指を離す。本当はもっと強く引っ張り上げてもよかったのだが、こうしていると上手く会話が成り立たない。そうなるとただでさえ苛立たせてくるヴェネチアーノに拍車がかかるので、仕方なく解放してやった。
そうすると抱きついていた腕を離し、ヴェネチアーノは摘ままれていた部分を労わる様に撫でている。
「もうっ、兄ちゃんってばひどいんだから」
「で?誰が変だって?バカ弟め」
「だから兄ちゃんが。自覚ない訳じゃないんでしょ?」
「自覚……?」
自分自身が変であるという自覚というのはなんだろうか。確かに周りより多少素直ではなく、かわいくないことを口にしてしまうし、周りより不器用だという自覚ならあるが、自分自身が変だと思ったことは流石にない。国である時点で、普通の人間よりずっと変な存在であるのはわかっているが、それは目の前のヴェネチアーノも同じである。
「嘘でしょ?兄ちゃん、最近ずっと……」
首を傾げている俺に対して、ヴェネチアーノ驚いたように目を見開いた。何か説明しようと口を開いたようだったが、それを遮る様に家のチャイムが鳴る。二人して玄関の方へ顔を向けたが、すぐにヴェネチアーノが何かを思い出したのか、慌てて玄関の方へ走って行った。どうやら心当たりがあるらしい。
ヴェネチアーノの背を見送って、改めて先程言われたことを考える。弟は何を持って、最近の俺は変だと断言したのだろう。ましてや俺に自覚がないことに驚いているようだった。気付かないうちに、一体俺は何をしていたんだろう。
そうやって一人で頭を悩ませていると、玄関の方が騒がしくなった。なんだろうと、考えるのを止めて玄関の方に顔を向けると、こちらに向かってくる足音がさっきより増えていることに気が付いた。聞こえてくるヴェネチアーノ以外の声は、悲しいかな確実に男のそれだ。一体誰が尋ねてきたのだと顔を顰めて待っていると、部屋のドアが開いた。
「やっほ〜ロマーノ。元気だったか〜?」
家主を差し置いて部屋に入ってきたのは、フランスだった。手を上げて楽しそうな笑顔で近付いてこようとするフランスに気付き、ぎゃあと悲鳴を上げてソファから飛び降りて、慌ててソファの後ろに逃げる。
「ひ、髭野郎……!?」
「ひどい言い草だなあ。全く、育ての親の顔が見てみたいよ」
「親じゃねえ!」
呆れたように首を横に振るフランスに、噛みつくように怒鳴ると、フランスは少し呆れた様子で目を眇めて笑った。
「そうだったの?じゃあお前にとってあいつって何?」
突然空気が変わったような気がして、また怒鳴り返そうとしていた口が止まった。フランスが言う「あいつ」は、間違いなくスペインの事である。俺とスペインの関係を、何故髭野郎なんかにとやかく言われないといけないのか。そこに苛立ったが、こちらを見据える青紫の瞳が、まるで俺の心を見透かすような目つきをしていて、口籠ってしまう。知っているはずがないのに、まるで俺だけが覚えている一夜を、知られているのではという気になった。
フランスは手に負えない変態野郎だが、スペインと違って人の感情の機微に聡い。そういうフランスだからスペインとなんだかんだ長く付き合いがあるのだろうと思う。普段はふざけた態度ばかり取っているが、時にこちらの心を読んでいるのでは、と思わせる言動をすることがある。そういう時ばかりは、ひやりとさせられる男だった。
「もー!フランス兄ちゃん!来ていきなり兄ちゃんいじめるのダメだよ!」
膠着していた俺たちの空気を壊したのは、ヴェネチアーノだった。フランスの後ろで俺たちの様子を伺っていたヴェネチアーノが、突然フランスの前に立ち塞がった。かつてイギリスに捕虜として捕まった時も、今のように俺のことを庇ってくれたことが頭を掠める。
「バカ弟……」
「もうっ、ただでさえ兄ちゃん頑固なのに、怒らせたら話聞けないじゃんか」
「……ん?」
「ごめんごめん。ロマーノがかわいくてつい」
「あれ、今なんか……」
「ロマーノ」
なんだか今、引っかかるようなことをヴェネチアーノが言っていた気がしたが、そんな俺の思考を遮る様に、フランスが俺の名前を呼んだ。そちらに顔を向けると、フランスが手に持っていた紙袋を掲げている。
「お兄さんの特製ケーキ、食べたくない?」
ウインクをしてきたフランスに顔を歪めつつ、紙袋に目がいった。フランスが作るお菓子は、基本的に何でもうまい。作っているのが髭の変態だという事実さえ目をつむれば、当然食べたいに決まっている。フランスのお菓子はたまにしか口に出来ないのだ。
「……ど、どうしても食べてほしいって言うなら、食べてやらなくもねえぞコノヤロー」
「んふふ。お前はほんとにかわいいねえ」
楽しそうに笑ったフランスは、俺の頭を軽く撫でた後、ヴェネチアーノと一緒にキッチンの方へ消えていった。少し乱れた髪を戻しつつ、先程の自分の発言を振り返る。どう考えてもかわいくない返答だったと思うが、フランスはかわいいと言った。スペインもたまにこういうことがある。絶対に今の言い方はよくなかったと思う時でも、スペインが嬉しそうに笑って「かわええなあ」と頭を撫でてくることがあった。子供扱いされているようで腹が立ち、バカにすんなと怒っているが、それでもスペインは嬉しそうだったりするのだ。
わからないなあと、こういうことがある度思う。一体俺の言動のどこにかわいい要素があるというのか。なんとなく気に入らないと、一人顔を顰めていると、その間に切り分けられたケーキと用意されたコーヒーが運ばれてきた。
「ほらほら、難しい顔してないで」
フランスに座るように促され、どっちが家主かわからないと思いつつ、フランスをひとり掛けのソファに座るよう指さした。そしてヴェネチアーノを俺の隣、二人掛けのソファまで引っ張ってきて、俺はフランスから一番遠い場所に腰を下ろした。
「え〜。いつも一緒にいるんだから、今日ぐらいどっちかが俺の隣でよくない?」
「い・や・だ!」
「俺も兄ちゃんの隣がいいなあ」
そう言いながら、ヴェネチアーノは俺に抱きついてくる。普段なら遠慮なく押し返しているところだが、今日はそもそもヴェネチアーノを構い倒す日だったし、何よりじゃあフランスと代わると言われても困る。ヴェネチアーノの頭を撫でつつ、フランスに舌を出した。
「まあ、俺としてはお前らを眺めてるのもそれはそれで……」
「こっち見んじゃね……写真撮ってんじゃねえよコンチクショー!」
携帯をこちらに向かって構えたフランスは、すぐさま俺たちを写真に収めたようだ。パシャっとシャッターが切られる電子音を聞いて、思い切りに睨みつけた。しかしフランスは写真を見返して、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「ほら、コーヒー冷めるぞ。早く食べよう」
何もなかったかのように笑ったフランスは、さっと携帯をしまって、テーブルに並べたコーヒーとケーキを指さした。カットされたケーキは、タルト・タタンだった。赤茶色に煮られたりんごが光に反射して艶やかに見え、一層食欲がそそられる。フランスの言いなりになるのは嫌だったが、素早くフォークを手に取った。
リンゴにフォークを通し、底のタルトを割るとサクッと小さく音が立つ。わずかにこぼれた欠片に目もくれずケーキを頬張れば、途端に甘さが口の中に広がった。大量に砂糖を使っているはずなのに、何故かしつこく下品な味付けにならないのは、流石フランスが作った菓子だと言える。普段のフランスの言動の下品さとはかけ離れ、この男の菓子の味付けは上品さがあった。
菓子を作らせたら右に出る者はいないとは思いつつ、素直にフランスの菓子を褒める気にならなくて、何も言わずまたケーキを口に運んだ。無言でケーキを食べ続け、あと少しでなくなるとなったところでふと、視線を感じ顔を上げた。そこにはケーキにほとんど口をつけていないフランスが、じいっと俺のことを見つめていた。
「な……んだよ」
「いや?作り甲斐があるやつらだなあと思って」
やつらという言葉に、隣にいるヴェネチアーノを見た。皿を見ると、俺と同じようにほとんどケーキの姿がなかった。なんていったって、うまいものに目がない兄弟であることは、自覚している。恥ずかしくなって舌打ちすると、フランスが笑みを深めてコーヒーカップをテーブルに置いた。
「さて、少し落ち着いたところで本題に入ろうか」
足を組み、胸の前で腕を組んだフランスは、じっとこちらを見つめてきた。
「本題?」
「了解であります!」
「え?」
意味が分からず首を傾げたのは俺だけで、ヴェネチアーノは心得たように声を上げて、フォークを皿に置いた。そしてフランスと同じように、ヴェネチアーノもこちらに振り返って俺をじっと見つめてくる。どうやら何もわかっていないのは、俺だけのようだった。
「さて、ロマーノ。お前に聞きたいことがあるんだよね」
「あるんだよね!」
「な、なんだよぉ……」
二人に見つめられ、心もとなくなってしまい、うっかり声が震えた。そもそもフランスが突然家に来た時からおかしいと思っていたのだ。フランスはあまり用もなく、俺たちの家を訪ねてきたりしない。だからこそフランスのお菓子は俺たちからすると、あまり口に出来ない珍しいものだった。それにヴェネチアーノはまるで誰かが来ることをわかっていたようで、迷わず玄関に駆け出して行ったのだ。息がぴったりな様子を見るに、この二人は確実にグルだ。わざわざ隣に置いた弟ですら、味方ではなかった。
「そんなに震えるなよ。悪いことしたくなっちゃうだろ」
「え、ダメだよ!」
「わかってるよ。周りのガードだけは高いな、ロマーノは」
ひとつため息をついたあと、フランスは顔を上げて改めて俺を見た。それが思ったより真剣な表情だったので、体の震えは止まったが、変わらず体は緊張している。
「なんでスペインのこと避けてるの?」
予想外なヤツの名前が出てきたことに目を見開いて、固まった。何度かまばたきをした後、フランスとヴェネチアーノを交互に見る。そこでふと、ヴェネチアーノが言っていた「最近の俺が変」だという話を思い出した。
なんとなく繋がりが見えてきて、今まで緊張していたのがバカらしくなり、はあっと深いため息をついて肩を下ろした。
「なんだよ、そんなことか……」
「ってことは認めるんだ」
「まあ……」
実際にそれは事実であったし、否定したところでうまい言い訳が思いつくわけでもない。フランスがわざわざケーキまで焼いて家にまで来たということは、それなりの確証を掴んだうえで来ているはずだ。
「あいつ、気付いてるのか?」
電話やメッセージのやり取りを思い返すに、気付いていないだろうと思っていた。フランスを見ると、肩にかかる髪を揺らして首を横に振った。
「あれはまだ気付いてないんじゃないかなあ」
「スペイン兄ちゃん、鈍感だもんねえ……」
当事者でないヴェネチアーノとフランスですら感付いているいるというのに、当の本人はわかっていないようだった。敢えてそうなるように自分で仕組んでいるのだから当然なのだが、流石スペインだなあと思わずにはいられない。
「じゃあいいじゃねえか。ほっとけよ」
「よくないよ。俺は被害受けてるんだからね」
「俺も!毎回会議で俺だけなの見て、しょんぼりするスペイン兄ちゃん慰めてるんだからね!もう見てられないよ!」
確かにヴェネチアーノは会議に代わりに全て参加させていて、直接的に被害が出ているのは納得出来る。しかしフランスにまで被害が出るようなことをした覚えはない。顔を顰めつつ、フランスを睨んだ。
「なんでお前に関係あんだよ」
「ありますぅー!ロマーノがスペインを避けるとね、必然的にその空いた枠に他のやつが当てがわれるの!特に俺!」
「よかったじゃねえか」
「よくないよ!おちおちデートも出来ないのこっちは!」
それこそ俺には関係のない話だったが、わざわざフランスがケーキを焼いてまでここに来た理由がわかった。スペインがフランスを呼びつけまくっているらしい。安易に想像出来る光景だった。どうせ呼びつけて酒を飲んで管でも巻いているのだろう。たまにならそれこそ面白いものが見れるとフランスなら乗り気になるだろうが、流石に連日続けては辛いのかもしれない。
そこでヴェネチアーノとフランスが利害の一致とばかりに、手を組んで家まで押し寄せてきた訳だ。ヴェネチアーノに関しては多少悪く思う気持ちはあれど、フランスに関しては全く俺のせいではないはずだ。スペインに直接文句を言えばいいものを。
「ねえ、兄ちゃん。スペイン兄ちゃんと仲直りしなよ」
「別にケンカしてねえ」
「じゃあなんで避けてるのさ」
そんなことを簡単に口に出来たなら、そもそも避けていない。話す気はないと口を閉ざして顔を背けると、呆れたようなため息をつかれた。
「ケンカしてる訳じゃないなら、お前が一方的に怒ってるだけってことね」
中々鋭いところを言い当てられて、肩を揺らしながらフランスを見た。図星であるとは言い難いが、俺が一人でおかしくなって、勝手にスペインを避けているのは事実だ。改めて鋭い男だと肝を冷やした。
「あいつ、お前に何したの?」
何、と問われたことで、思い出さないようにしていた一夜の記憶が蘇り、途端に顔が真っ赤に染まった。顔どころか体中赤くなっていたかもしれない。
「え」
「え」
ヴェネチアーノとフランスが、同時に間の抜けた声を上げた。声と同様に、目を見開いて驚いた表情になった二人に見られていることが恥ずかしくて、慌ててソファにあったクッションで顔を隠す。
「えっ、え、なに?なんでそんな可愛い顔するのさ」
「兄ちゃん、顔真っ赤だよ。どうしたの?」
「う、うるせー!こっちみんな!」
どうにかして顔を覗き込んでこようとするヴェネチアーノの頭を、クッションで何度も叩く。やめてと泣き言を言いだした辺りで止めると、同時にどこからか携帯の着信音が鳴った。ポケットに入っている携帯が震えていないので自分のではないと思うと、フランスがさっき触れていた携帯をまた取り出した。
「ごめんごめん。気にしないで」
着信を告げる画面を一度見た後、フランスは携帯をマナーモードに切り替え、また携帯を戻した。まだ震えているように見えたが、フランスが顔の前で手を振って放っておいて良いと笑った。
「それで、ロマーノはずっとスペインのこと避け続けていく訳?」
「そういうつもりじゃ……」
一生スペインを避けて生きていくなんて、到底出来ない。それにしては、俺たちの繋がりは深すぎた。今更なかったように生きていくには、長く共にいすぎたのだ。自分から避けてるっていうのに、日常に物足りなさを感じているぐらいなのだから、結局俺はスペインがいない世界で生きていくことなんて出来ないのだろう。
「ただ……まだ、あいつに顔合わせたくない」
合わせたくない、というよりは合わせられないといった方が正しいが。
「なんで?」
「あいつなら、話せば謝ってくるだろ。避けられるより罵られるほうがよっぽどマシだって言いそうだし」
「……話せない」
話せないから避けているんだ。そうやって顔を伏せれば、ヴェネチアーノとフランスが顔を合わせて戸惑っているのが感じられた。
「それはいいけど、流石のあいつもそろそろ感付き始めてるぞ」
「は!?だってさっき……」
話が違うじゃないかと顔を上げると、フランスはわざとらしく肩を竦めて首を横に振った。
「完璧には気付いてないよ。でもこの前一緒に飲んでた時に、お前が他のやつとは仕事でも普通に会ってることに気が付いて、おかしい気がするって言ってたから、時間の問題だと思うなあ」
「それいつの話だよ!?」
「昨日」
あまりに直近な日を言われ、思わず時計を見る。ティータイムの時間を過ぎた頃合いだった。昨日の夜飲んでいたとして、正常に戻ったスペインが考え始めて、答えを出すにはちょうどいいほどの時間が経っているのではないか。
「ちなみに」
ぐるぐると一人で考えていた俺の耳に、フランスの声が届いた。そちらに顔を向けると、振動しているフランスの携帯の画面が向けられていた。そこには絶賛、俺が避けているはずの男の名前と写真が映し出されている。
「さっきからずっと、スペインから着信が鳴り止まないんだよね」
悪魔のような囁きを耳にし、慌ててソファから立ち上がった。残り一口になっていたタルト・タタンを口に頬張り、自室に飛び込んだ。バッグを引っ張りだし、必要最低限の荷物だけ詰めて、またリビングに戻る。ヴェネチアーノとフランスは携帯の画面を眺めながら、何やら話し込んでいた。
「俺、しばらく帰ってこねえからな!」
「ええっ」
「そんなに慌てて逃げなくても、今スペインから電話がかかってきてるのは、俺がお前たちの写真を送って自慢したからだよ」
「どっちでもいいんだよそんなこと!スペインに居場所が知られるのがマズいんだろ!あと勝手に人の写真撮って人に送ってんじゃねえよ訴えるぞコノヤロー!」
「元からお前のいる居場所なんて知ってるでしょ」
お前たちはローマの家に住んでるんだから。
確かにその通りだ。いつも連絡など寄こしてこないスペインが、急に家を訪ねてこなかったお陰でずっと避けられていたが、家に来られていたら完全にアウトだった。
「とにかく、俺はしばらくここには帰らねえからな」
「えー……どこ行くの?」
立ち上がってこちらに歩み寄ってきたヴェネチアーノを睨みつける。
「うっせえ。わかんだろ、場所ぐらい」
そう吐き捨てると、やっと思い至ったのか、ヴェネチアーノはああっと頷いて手を打った。俺の逃げ場所など、そんなに多くはないのだ。ましてやスペインの家が選択肢にない以上、ほぼ一択と言ってもいい。
「なんだ、イタリアは場所知ってるんだ」
「そうだよ。あのね〜……」
「ヴァッファンクーロ!」
今にもフランスに場所を言いそうだったヴェネチアーノの口を塞ぎ、思い切り睨みつける。
「絶対にこの髭だけには言うなバカ!」
「ご、ごめ……」
「特別扱い?ちょっと興奮するね、そういうの」
「黙れ変態野郎!」
面倒なヤツらを相手にするのは本当に疲れる。肩で息をしながらも、未だに震えが止まらないフランスの携帯を見た。自慢されて怒っているのかもしれないが、下手すれば「今から俺もそっち行くわ!」と言い出しかねない男なので、今は逃げるのが一番良い。それに感付き始めているのなら、気付かれるのも時間の問題だ。スペインは鈍感ではあるが、決してバカではないのだから。
「いいか、ヴェネチアーノ」
ヴェネチアーノの両肩に手を置いて、向き合った。
「な、なに?」
「俺の行き先をスペインに伝えたら……二度と仕事しねーし、最悪お前の前で自殺するからな」
「そっ、そんな脅しやめてよ〜!怖すぎる……!」
「捨て身過ぎない?」
「いいか、絶対だからな!」
誰に何と言われようと、まだスペインと顔を合わせられるような段階ではない。もう半年も経っているが、俺からするとまだ半年しか経っていない。とてもじゃないが、まだまだなかったことになんか出来そうになった。
「むしろスペインが来ても居留守使え!じゃあな」
そう一言残し、家を飛び出した。本当は愛車でナポリまで行きたかったが、隠れ家はアパートで、専用の駐車場を借りている訳でもない。路上にむき出しで停めていたら、すぐ車で俺がいるアパートが近くにあるとバレてしまう。スペインも散々俺の車に乗っているし、運転させたことだってあった。
仕方なく街まで出て、特急に乗って隠れ家まで向かうしかない。バス停まで歩きつつ、ひとり舌打ちした。
「ほっといてくれよ……」
どいつもこいつも、放っておいてくれないやつばかり。面倒だと思うのに、結局そういう相手を手放せない自分が甘いことは、誰に言われるでもなく、自分自身が一番よくわかっていた。
夜のうちに隠れ家であるナポリのアパートに着き、買ってきた食事を口にしていた頃、スペインから電話がかかってきた。出ないという選択肢も当然あったが、中々鳴りやまない着信にため息をつき、仕方なく電話に出る。
「プロン……」
『ロマーノっ!』
こちらに挨拶もなく名前を大声で叫んだそれも予想の範疇だ。携帯を耳から遠ざけ、耳鳴りが収まるのを待った。
「うるっせえな!なんだよ!」
『なんで俺のこと避けてるん!?俺何したん!?』
もう一度携帯を耳に近付けて怒鳴ると、それと同じぐらい大きな声でスペインが捲し立てた。どうやらやっと避けられていることに気が付いたらしい。もしかしたら、ヴェネチアーノかフランス辺りに教えられたのかもしれないが。
隠すことなくため息をつくと、それが聞こえていたのか、それともこちらの言葉を待っているのか、電話口が静かになった。それに合わせて、口を開く。
「お前の顔見たくねえんだよ」
『やから何で!?』
「なんでも」
『そんなんじゃわからへ……』
これじゃあ堂々巡りだと思い、まだ何か喚ていていたスペインの声を遮って、電話を切った。するとまたすぐ電話がかかってきたが、今度は無視して携帯をテーブルに置き、中断した食事を再開する。何度か電話がかかってきて、やっと食事が終えた頃、今度はメッセージが届いた。
『理由教えてや』
簡潔なその内容に、なんと返すか迷う。正直理由なんて、さっき電話で話した以上のことなどない。仕方なく画面をタップし、電話で伝えたこととほぼ同じ内容を打ち込んだ。
『会いたくないだけだ』
こちらが少し時間をかけて返したというのに、珍しくスペインの返事は早かった。
『せやからその理由!』
会いたくない理由など聞いたら、実際はどうしようもなく戸惑うくせに。そう思うと苛立ってきて、携帯を放置してシャワーを浴び、着信を続ける携帯の電源を落として、そのまま眠った。ナポリの家はスペインに教えていないので、当然場所は知られていない。ローマとは別に家を持っているぐらいは知っているだろうが、詳しい場所までは聞いてこなかったので、教えていない。
そのまま眠って、嫌な夢を見た。もうほぼ毎日のことだ。携帯の電源を落としていたのでアラームが作動することもなく、目が覚めたのは昼前だった。寝すぎた体を伸ばしつつ、携帯を起動する。しばらくして明るくなった画面に表示されたのは、大量の着信とメッセージを知らせる表示だった。
うへえと顔を歪めつつ、届いたメッセージを遡る。何度も送られてきているメッセージは色々書かれていたが、明け方に近い時間に送られた最後のメッセージが、やけに目についた。
『何も言わんと逃げるやなんて、ズルいわ。ロマーノ』
どんな表情でこれを打ったのだろう。考えると少し笑えてくる。どうせ酒でも飲んで、涙混じりになりながらも、拗ねた子供のような顔をしていたに違いない。
「……どっちがズルいんだよ」
全て忘れていられたら、どれだけ楽だっただろう。そんなことを思いつつ、携帯の画面を落として適当に放り投げ、ついにベッドから起き上がった。
まだ、あの夜に取り残されているのはこの俺だけなのだと、改めて思い知った目覚めだった。