弟にコーディネートを頼む子分
※話の中で、バチカン市国について触れてます。話したり登場したりはしません。かつて作者様がブログで書かれていたことを参考に勝手に妄想を広げています。※話の中でファッションについて触れている部分が多々ありますが、書いてある者はセンスがカケラもないので、思うところがあっても「センスねえやつがなんか言ってんな」ぐらいに受け流してくださると大変ありがたいです。
十二月が近付くにつれ、ローマはどんどん寒さを増していく。それに伴い、街を行きかう人々の装いも変わってきた。ぼんやりとテレビでニュースを見ながら、そろそろコートを出さないといけないと考えていたロマーノの思考を遮る様に、家のチャイムが鳴り響く。一度まばたきをして、ロマーノはテレビから顔を上げて玄関へと続く廊下へ視線を移した。
「誰だろ」
キッチンでコーヒーを用意していたヴェネチアーノは、首を傾げながら玄関へと小走りで向かっていく。その背中を見送り、何か通販で頼んだ物があったか思い出しつつ、ロマーノはまたテレビへと視線を戻した。
「に〜ちゃ〜ん」
玄関の方から呼ぶ声がする。ゆっくりテレビが見れないことにため息をつき、ロマーノは仕方なくソファから立ち上がった。宅配の類なら、わざわざロマーノを呼ぶ必要はない。どうせ近所の誰かがロマーノを訪ねてきたのだろうと、楽しそうな会話が聞こえる玄関へ足を向けた。
「スペイン?」
玄関先でヴェネチアーノと楽しそうに話していた覚えのある声に、ロマーノは目を丸めた。思わず名前を口にすると、会話を止めてロマーノへ顔を向けたスペインは、満面の笑顔を浮かべて手を振る。
「オラ!ロマーノ!」
記憶と違わない能天気なスペインの笑顔に、ロマーノは眉を寄せながら二人へ近付いた。
「お前、連絡ぐらいしてこいよ」
ロマーノとスペインは、よくお互いの家を行き来している。定期的に二人で会い、近況報告をしたり特に何でもない休日を共に過ごしたりするのは、付き合いの長さ故のことだ。共にいた時間が兄弟のヴェネチアーノより長かったこともあり、ロマーノはスペインと過ごす方が楽だと感じることが多々あった。
スペインの家の合い鍵すら持っているロマーノは、それこそ約束もなく突然家に向かったりもするのだが、その前に必ず連絡はしていた。しかしスペインはいつだって突然家にやってきて、毎度「連絡忘れてたわ」と悪びれる様子もない。
「いやなあ、空港で連絡しやなって思ってんけど、携帯の充電切れててん」
「お前の携帯って年間で何日動いてんの?」
こういうスペインの言い訳は多く、今回のように充電を忘れていた、携帯自体を忘れたなどということはしょっちゅうだ。そんなスペインにロマーノが冷ややかな視線を送っても、スペインは特に気にした様子はない。
「スペイン兄ちゃんの携帯っていつかけても大体繋がらないよね」
「自分からかける時以外充電しねえんだろ」
「その時だけってことはないけど……」
そう言いつつ、スペインはあからさまにロマーノから目を逸らした。気まずそうなその態度は図星だと答えているようなものだが、面倒くさくてロマーノはそれを追求することを止めた。
「まあ、入れよ。昼飯を作らせてやってもいいぞ、コノヤロー」
「やったー!スペイン兄ちゃんのトルティージャ食べたいなあ」
さっそくおねだりを始めたヴェネチアーノに呆れた視線を送りつつ、ロマーノは踵を返そうとした。しかし歩き出そうとしたロマーノの腕をスペインが掴み、玄関から離れさせないように引き止める。そんなスペインに、リビングへ戻ろうとしていたロマーノとヴェネチアーノは揃って足を止め、スペインへ振り返った。
「なんだよ」
顔を顰めつつロマーノが声をかけると、スペインははっと我に返って二人の顔を交互に見た。しかし相変わらず掴んだロマーノの腕を離す様子はない。
「あ、え、えっと……イタちゃん!」
「ん?なに?」
首を傾げるヴェネチアーノに対し、スペインはどこか真面目くさった顔つきだった。珍しいと思ってその様子を眺めていたロマーノの腕を掴む手に、ぎゅうっと更に力がこもる。
「ロマーノ借りてええ?」
「え?」
「はあ?」
まるで物を貸し借りするようなスペインの口ぶりに、ロマーノは盛大に顔を歪めた。しかしスペインは一心にヴェネチアーノを見ているばかりで、当然ロマーノの表情の変化には気づいていない。
「おい、俺に確認しろ」
そんな二人に挟まれたヴェネチアーノが、少し戸惑った様子でロマーノとスペインの顔を交互に見た。
「俺は別に……兄ちゃんがいいなら……」
ヴェネチアーノが頷いたのを見て、スペインは笑ってロマーノの腕を引いた。
「ありがとう!ほな!」
「は?ちょっ……!」
ロマーノが何を言っても聞く耳を持たず、スペインはヴェネチアーノに手を振って、そのまま二人の家を出た。当然、戸惑ったロマーノを引き連れてだ。
玄関のドアが閉じる隙間から、呆然としているヴェネチアーノをわずかに視界に捉えたロマーノは、ドアの取っ手を掴もうと手を伸ばしたが、手は宙を空ぶってドアは無情にも目の前で閉ざされる。今の一瞬で起こった出来事をまだ呑み込めていないロマーノは、とりあえず腕を引っ張って外に連れ出したスペインを睨んだ。
「お前……急になんなんだよ」
怒りというより、呆れた声色でそう尋ねたロマーノに、スペインはどこか緊張した面持ちだった。わずかに頬を赤らめ、気まずそうに視線を逸らすスペインは、それでも掴んだロマーノの手を離そうとはしない。
「あの……頼みたいことがあんねんけど……」
「頼みたいこと?」
珍しく言い淀んでいる様子のスペインが、またしても珍しくロマーノに頼みごとをしにきたのだという。スペインは昔から親分気質で、どちらかというと頼るより頼られることを好む性格であり、子分としてかわいがっているロマーノに頼みごとをしてくることは珍しかった。
支配されていた頃からの延長で、今でもスペインはロマーノを大層甘やかしているし、ロマーノもそれに甘えている部分もあるのだが、常々ロマーノはスペインから受ける子ども扱いをやめさせたいと考えていた。頼られるということは、スペインも少しは俺のことを対等に扱おうとしているのかもしれない。ロマーノはそう思い、途端に照れくさくなる。
「なに」
ぶっきらぼうな物言いだったが、ロマーノは当然スペインの頼み事を手伝ってやるつもりだった。頼られたことを喜んでることを隠す、言わば照れ隠しだ。
「うん。あのなあ……」
相変わらず目を逸らしていたスペインは、やっとロマーノの方に視線を戻した。
「俺をかっこよくしてくれへん?」
掴んだままのロマーノの腕をぎゅっと握り、真剣な顔つきで言ったスペインに、ロマーノは盛大に脱力した。腕を掴まれていることなど気にもせず、ロマーノは踵を返して連れ出された家へと足を向ける。
「遠路はるばるイタリアまでご苦労だったな……あばよ」
「あー!待ってやーーー!」
本気で帰ろうとするロマーノの腕を、今にも泣きだしそうになりながらスペインは引っ張った。その力強さに、ロマーノは大きく舌打ちし、仕方なく足を止めてまたスペインと向き合う。当然顔つきは険しい。
「人が真剣に話を聞いてやろうと思ってんのにテメェは……」
「ちゃうねん!今のは言い方が悪かったけど、俺はほんまに真剣やねん!」
スペインの真剣度などロマーノが図れるものではないが、スペインの慌て方を見ると、噓をついているようにも見えない。そもそもこんな嘘をつく必要があるとも思えなかった。
ロマーノはため息をつき、仕方なくスペインの話に耳を傾ける。
「で?結局なんなんだよ」
「いやな、ロマーノに俺をコーディネートしてほしいなあ、って……」
「コーディネートぉ?」
おおよそスペインの口から出なさそうな言葉に、ロマーノは大げさに声を上げた。スペインはこれといってファッションに興味がない。いつもロマーノがスペインの服装にあれやこれやと口出しし、ファッション誌を見せて説明しても、わかっているのかわかっていないのか、曖昧な返事をしてやり過ごしているのがスペインだった。
スペインという国家が全盛期だった頃は、周りにとやかく言われていたこともあったし、懐に余裕もあったのでそれなりの格好をしていたが、今ではその面影を探すことも出来ない。会議の席でもスペインは着古したヨレヨレのスーツで登場することもあるぐらいで、そのたびロマーノは次のスペインの誕生日プレゼントはスーツを贈ろうと決心する。そうしないと買い替えようとしないのだ。
そんなスペインの口から、コーディネートという言葉が飛び出してきた。これはまた上司にでもどやされたのだろうかと、ロマーノは不憫に思いつつ首を傾げる。
「なんでだ?なんかあったのか?」
「あった……というか……ええと……」
またしても言いづらそうにしつつ、言葉を探すようにスペインは目を泳がせた。
「その……実は、デートに誘いたい子がおんねんけど……」
衝撃的なスペインの言葉に、ロマーノは聞き間違いだろうかとしばしその場に固まった。二人の間に少し沈黙が落ちた後、ロマーノは目を見開いて「はあ!?」と大きな声を上げた。
「デート!?お前が!?」
問い詰めるロマーノに、スペインは顔を赤くしつつも、確かに頷いてみせた。ここでようやく、スペインが恥ずかしがっていた理由と、慌ててロマーノを外に連れ出した理由がわかった。スペインはこんな話を、ヴェネチアーノに聞かれたくなかったのだろう。
「お前……好きな子とかいたのか?」
デートに誘いたい子がいると言っている相手に、そんなことを尋ねるのは愚問だとロマーノもわかっていたが、聞かずにはいれなかった。ロマーノは今までスペインと近い距離で過ごしてきたが、スペインにそんな相手がいるなんて全く気付かなかったのだ。
スペインはまたしても言葉なく頷いた。そうしてどこか神妙な面持ちで、ロマーノを見た。
「もう何百年も前から好きやねんけど……」
「何百年も前?」
「いや……ちょい言い過ぎたかも……でも百年以上は……」
ぶつぶつと過去を思い返しているスペインを見ながら、ロマーノはその途方もない時間について考える。どうやらスペインは、百年以上も一人の相手を想い続けているようだった。つまりその相手は、ただの人間ではないということだ。
(好きな相手は……国か……)
スペインが恋をしていること自体にもロマーノは驚いていたが、何よりその相手が国だということに、更に驚いていた。国の情勢によれば、どこかの国と結婚してもすぐまた違う相手と手を取り合うことだってあるような時代を、スペインとロマーノは生きてきた。なのでスペインが国を好きになることはないと、勝手に思い込んでしまっていた。
今の時代、国同士で結婚という概念はもう存在しない。同盟や協定を結んで親密になることはあれど、昔の結婚という形とは随分違うものだ。時代が変わったことによって、スペイン自身の気持ちの在り方も変わったのかもしれない。それがいいことなのか、はたまた悪いことなのかはロマーノにはわかりかねるが、政治に振り回されていたスペインを見ていたロマーノは、自分の意志で相手を選べるようになったスペインを見ると、少し嬉しい気持ちになった。同時に、羨ましいとも。
ロマーノは女性が大好きで、街中で見かけると何人にも声をかけるが、誰か一人だけを愛したことはなかった。女性は見目に関わらず、笑っていてほしいと思うし、そうであれば何より美しく、そんな姿をずっと見ていたいと思う。しかしスペインのように、誰か一人のために自分を変えて努力しようと思ったことはなかった。
そんなスペインの恋が叶えばいいと、ロマーノは素直にそう思った。そしてその手助けを頼まれたなら、出来るだけのことはしてやらなければならない。何よりスペインが自分のセンスで服を選んだら、デートに誘われたベッラがその隣を歩くのかと思うと、かわいそうでたまらなかった。
ダウンジャケットに、その下にはくだらない言葉がプリントされたTシャツに、下はジーンズというラフな格好だ。絶妙にシャツがダサいのだが、スペイン本人はそう言う鼻で笑えそうなロゴの入ったシャツを好んでいる。ロマーノ毎度それを見るたび、服を全て捨ててやりたいと思っていた。
「スペイン。腕、離せ」
短くロマーノが言うと、スペインは途端に悲しそうな表情になる。
「ええっ、待って。俺……!」
「コーディネートっつーことは、服買いに行くんだろ」
何か言おうとしていたスペインの言葉を遮り、ロマーノはじっとスペインの顔を見つめた。きょとんと目を見開いて固まったスペインは、まばたきをした後、言われている意図に気付いたのか、すぐ嬉しそうに頷いた。
「う、うん!金はちゃんと用意しとるで!」
「なら荷物になるし、街まで車で行くか」
「え……ええの!?」
「仕方ねーからな。その代わり、昼飯奢れよこのやろー」
空いている手を使って、ロマーノは軽くスペインの額を指ではじいた。しかし痛がる様子もなく、スペインは嬉しそうに目を細めてロマーノを抱きしめる。外気で冷やされたロマーノの体が、途端にあたたかいスペインの熱に包まれた。
「ええよ!いっぱい食べや!」
耳元で大きな声を上げるスペインに、ロマーノは呆れたため息をつきつつ、目じりを下げた。いきなり外に連れ出されたので、上着を手に取る余裕もなかったロマーノだったが、スペインの熱が伝わってくると体温がどんどん戻ってくる。スペインがいるとなんとなく、いつもり体があたたかく感じることを不思議に思いつつ、ロマーノはスペインの背をとんとんと叩いた。
「いい加減離れろよ。俺も出かける準備してくるから」
「わかった!待っとるわ!」
「バカ。こんな寒い中、外で待つやつがあるかよ。中で待ってればいいだろ」
まだ腕を離そうとしないスペインの手を引いて、ロマーノは玄関のドアノブに触れた。
「入ってええの!?」
「そこまで鬼じゃねえよ……そんなに外で待ちたいなら止めねえけど」
「やったー!ついでにあったかい飲み物もらってええ?」
「急に厚かましいな……」
空港からロマーノたちの家まで向かっていた時間もあり、その後も外でロマーノと話していたせいか、スペインの鼻の頭は寒さで赤くなっている。そもそもスペインは、冬をあまり好んではいない。準備をしている間に暖まっていればいいと、ロマーノはスペインを家の中に迎え入れた。
二人で家の中に入り、リビングの方まで行くと、キッチンの方からコーヒーの香ばしい匂いが漂ってくる。
「おかえり〜。俺特製のおいしいカプチーノが飲みたい人は誰かな?」
コーヒーカップを両手に持って二人を出迎えたヴェネチアーノの後ろには、コンロの上にマキネッタが乗っていた。それを見て、スペインは嬉しそうに手を挙げる。ロマーノの腕を掴んだままの方の手だ。
「はい!親分です!」
「かしこまりました〜。親分様は特等席のソファへどうぞ〜」
腕を無理矢理持ち上げられたロマーノは、目の前の二人のゆるいやり取りに、ただ脱力して深くため息をつくだけだった。
「それで相手は誰なんだよ」
車で街まで移動し、ひとまず昼食を摂るために二人は店に入った。イートインスペースにてパニーニを頬張ろうとしていたスペインは、なんてことはないという口ぶりで言ったロマーノの顔をぎょっとした様子で見て、そのまま固まってしまう。
「えっ、それ聞くん?」
戸惑った様子でそう聞き返したスペインに、ロマーノは口の中にあったパニーニを呑み込んで、盛大に顔を歪めた。
「はあ?服選ばせようとしてるくせに、相手教えねえ気かよ」
「ええ、と……出来れば内緒がええな、とか……」
言い辛そうにしながら、スペインは手に持っているパニーニへ視線を落とした。そういうスペインのいじらしい態度に、ロマーノはなんだか毒気を抜かれてしまい、文句を言おうとした口を閉じてしまう。
てっきりロマーノは、好きな相手の話を聞けるものだと思っていた。好きな相手とのデートに着ていく服を選びに行くのだから、相手の情報だって多少は必要だ。しかしスペインがわざわざ断るぐらいなのだから、本当に口にしたくないことなのだろうということは、長い付き合いのロマーノは察する。
「……まあ、無理に聞き出すつもりもねえけど」
気にならないと言えば噓になるが、話したくないというスペインの想いを、無理矢理暴くつもりはロマーノにはなかった。むしろ同じ国同士であるロマーノだからこそ、言い辛いこともあるのかもしれない。それでもロマーノに頼りたいと思って、スペインがわざわざローマまで飛んできたのだから、ロマーノはただそのスペインの気持ちに応えるだけだった。
「で?どういうのが欲しいんだ」
「え?」
「え?」
きょとんと目を丸めて首を傾げるスペインに、ロマーノも同じように首を傾げた。二人して首を傾げ合いながら、しばらく見つめあう。
「……俺が考えるん?」
「お前が着るんだろうが!」
どうやら何も考えていなかったらしいスペインに、思わずロマーノは大きな声を上げてテーブルを叩いた。すると隣のテーブルに座っていたカップルから視線が向けられ、ロマーノは気まずさを感じながらも居住まいを正してスペインを睨みつける。
「もしかしてお前……何にも考えてねえのか」
「せ、せやけど、俺ファッションとかほんまにわからんねんもん。だからお前にお願いしてるんやんか」
しどろもどろになりながらそう口にするスペインに、ロマーノは隠すことなく舌打ちをする。
「偉そうに言うな」
「言うてへん!」
首を横に振って慌てて否定するスペインに、ロマーノは心の中で「だろうな」と返事をしつつ、残りのパニーニを口にする。スペインは言葉通り、ファッションに興味のない自分より、オシャレが好きなロマーノに頼ればどうにかしてくれるだろうと、全幅の信頼を寄せてロマーノに声をかけたのだろう。実際ロマーノも、スペイン自身が選ぶより、多少はマシな服を見繕うことが出来るだろうと考えている。
二人ともパニーニを食べ終え、まだあたたかいエスプレッソを一口飲んで落ち着いたところで、ロマーノはまた口を開いた。
「なら相手はどういうのが好きなんだ。それぐらいは……」
「そんなん知らへんよ」
ロマーノの言葉を遮るように、スペインは「何を言っているんだ」という表情でそう口にした。それに顔を顰めるのはロマーノの方だった。
「お前本当に相手の事好きなのか!?」
ファッションは性格などを抜きにして、相手の好みに寄せられる一番簡単な方法だ。相手の好きなブランドを聞き、そのブランドのアイテムをひとつでも身に着けていればそれだけで相手からの印象は変わるし、ひとつの会話のきっかけともなる。ロマーノはいいなと思う相手がいれば、相手の服や小物は必ずチェックしていた。しかしスペインは、あまりそういう意識が向かないようだ。実際、スペインがロマーノの腕時計を見て「そのブランドの新作、俺も欲しいと思っててん」などと言い出せば、何か深刻な病にでも罹ってしまったのだろうかと疑ってしまう程度には、スペインはファッションに関心がなかった。
「め、めっちゃ好きやで!」
じいっとロマーノの顔を見つめ、頬を赤くしながら愛の告白のような言葉を口にするスペインに、ロマーノはさらに顔を険しくさせた。
「ならそれぐらいリサーチしてこいよ!なんでノープランなんだハゲ!フラれたいのかコノヤロー!」
またしても大きな声を上げてロマーノがテーブルを叩くと、隣のテーブルのカップルは迷惑そうな顔をして席を立った。そんな二人に申し訳なく思いつつも、ロマーノはどこかうろたえた様子のスペインを睨みつけ続けている。
「ええっ、いややフラんとって!」
「俺に言ってどうすんだ!」
相変わらずうまく嚙み合わないやりとりに、ロマーノは肩を落として深くため息をついた。スペインとロマーノは長い付き合いだが、だからといって心が通じ合っているだとか、何も言わなくても分かり合えるなんてことは、一度だってなかった。ズレていることなんてしょっちゅうだが、それでも関係が途切れることがないのだから、ある意味互いにとって特別な相手には変わりないが。
既に疲労を感じているロマーノは、どこか挙動不審な様子で「せ、せやね」と頷いているスペインを、ぼんやりと見つめた。そわそわとスペインの肩が揺れるのに合わせて、犬のしっぽのように跳ねている寝癖が陽気に揺れた。スペインの寝癖などロマーノは慣れっこだが、スペインの想い人はどうなのだろうかと、ロマーノは途方もない気持ちになる。鏡すらきちんと確認せず飛行機に乗って国境を越えてくる男を、果たして好きになってくれるのだろうか。
考えていると更に疲労度が増した気がして、ロマーノはまたしてもため息をつく。整髪剤も買わなければなあと、揺れるしっぽを見つめながらロマーノは思った。
「……とりあえず、服見に行くか」
方向性は全く決まっていないが、店をひやかしているうちに何か気に入るものが目に付くだろう。考えるのが面倒になって、ロマーノはそう楽観視しながら残り少なかったエスプレッソを飲み干した。
「せやな!行こか!」
途端に満面の笑みを浮かべたスペインを見つめて、お前の勝負服を選びに行くのに随分と楽しそうだな、という嫌味をぐっと堪えた。にこにこしているスペインに毒気を抜かれて、ロマーノはまたしてもため息をつく。大丈夫かなあ、という気持ちを乗せて。
二人でしばらく店を回った後、最終的にロマーノがよく利用するセレクトショップへと入った。
「なんか気になるのあったか」
ハンガーに吊るされて並んでいる色とりどりの服を見ていたスペインに、ロマーノがそう声をかけた。スペインは一度ロマーノを見た後、商品に目を戻してひとつのハンガーを手に取り、服を体に当ててみる。
「この緑のニットに赤いマフラーして……あそこの茶色いズボンとかどうやろか!?」
「…………クリスマスツリーになりたかったのかお前は」
頬を赤らめて興奮気味に話すスペインに、ロマーノは力なく項垂れた。さっきから色んな店でどんなものがいいかロマーノが訪ねる度、スペインはロマーノの予想を上回るものを出してくる。最初はロマーノも声を上げてツッコミを入れていたが、次第に疲れてきてそれすら面倒になってきてしまった。
「あかんかあ」
素直に商品を戻しているスペインを見ながら、どうしたものかとロマーノは頭を悩ませる。スペインにファッションセンスがないことはわかっていたが、ここまでひどいとは思っていなかった。
「センスねえくせに派手な色と派手な色を合わせようとすんなって言ってんだろうが」
「ええ?でも明るい色の方がええやん」
「取り入れまくるなって言ってんだ。色がケンカすんだろ」
ロマーノが舌打ちすると、スペインはきょとんと目を見開いた後、肩を揺らしてくすくすと笑い始める。
「い、色が、ケンカて……」
声を抑えて笑うスペインに、ロマーノは瞬時に怒りが爆発し、スペインの足を蹴っ飛ばす。
「痛い!ひどいわあ」
何か文句を言ってるらしきスペインを無視し、ロマーノは改めてざっと店内に視線を巡らせた。先ほどスペインが指さしていたブラウンのワイドパンツも、物は悪くない。合わせるものが悪いだけで。
恋人でない相手をデートに誘うのなら、もう少しスタイリッシュなパンツの方がいいのではとロマーノは思うが、スペインがあれを着たいというのなら、それに合うものを探さなければならない。
「あれに合わせるなら……」
「別にあれやなくてもええよ?」
「はあ?」
予想外の言葉が耳に入り、ロマーノは盛大に顔を顰めてスペインを見た。逆にスペインは何故ロマーノがそんな顔をするのかわからないといった様子で、首を傾げている。
「ロマーノが俺のことをかっこええ!って思う格好にしてくれたらええねん」
「……お前のことかっこいいとか思ったことねえぞコノヤロー」
「せやから、これからかっこよくなるんやんか!」
ぐっとこぶしを握って力説するスペインに呆れつつ、ロマーノは自身の認識が間違っていたことに気が付いた。ロマーノは、スペインが選んだもので組み合わせを考えていくのかと思っていたが、どうやらスペインの意志は尊重する必要はないようだ。
「つまり、俺の好きにしていいってことか」
そう呟き、ロマーノはにやりと口角を上げた。頭のてっぺんから足のつま先まで、ロマーノはスペインをじっくり観察する。何往復かそれを繰り返していると、スペインは照れた様子で頬を赤く染めていた。
「そういうことは早く言えよ」
「最初からそう言うてたやん」
「お前素材はいいくせにダサイ服ばっか着てやがったから、ずっとムカついてたんだよな」
「そらスンマセ……ん?今かっこええって……」
「これ持ってろ」
スペインから視線を移して陳列棚を眺めていたロマーノは、黒のパンツを手に取ってそれをスペインに押し付けた。商品を落とすわけにもいかず、スペインは話すのを止めて商品を受け止める。ロマーノはそんなスペインを一瞥することもなく、足を進めて店内を少し歩き、次に手に取ったのは白のニットと黒のニット。
「う〜ん……」
悩んでいる様子でロマーノはその二着のニットをスペインにあて、似合っているか確かめ始めた。スペインはされるがままになりながら、珍しく真剣な目つきになっているロマーノを、緊張した様子で見つめている。
「黒のズボンなんやったら、上は白い方がええんとちゃうん?」
「まあ……白でもいいんだけど、全身黒にしてみても結構……いやでもお前肌の色濃いから、やっぱ白の方がいいかもなあ……」
「はあ……肌の色……」
「いっつも適当な服ばっか着てるお前が、急にそんなクールな恰好してきてきたら、絶対ギャップになるからいいんだけどな……でもやっぱ白にするか……」
「ギャップ……」
ロマーノの話している内容を半分も理解出来ていないスペインは、ただ言葉を繰り返すことしか出来ない。しかしロマーノはそんなスペインの言葉すら耳を貸さず、名残惜しそうにしながら棚に黒のニットを戻して、白い方をスペインに押し付けた。
「ベルトと時計は今のままでいいな。あとは……」
「あ、この時計ありがとうな。いっぱい使わせてもろてるわあ」
腕時計に触れながらスペインが笑うと、ロマーノは途端に顔を顰めて、唇を突き出した。わずかに頬が赤くなって、照れている顔を見られないようにロマーノはそっと顔を逸らす。
スペインが今つけている腕時計は、前のスペインの誕生日にロマーノがプレゼントしたものだった。スペインはファッションのことに詳しくはなかったが、ロマーノからプレゼントされた時計は、公私ともによく使用している。服装に合っていようが合っていなかろうが、気にせず同じものを使い続けていたので、逆に疎くてよかったのかもしれない。ロマーノもスペインがそういう使い方をするだろうと見越して、偏りすぎていないデザインのものを選んでいた。
「よ、余計なこと言ってねーで、さっさと試着してこいコノヤロー!」
「はいはい。相変わらず照れ屋さんやなあ」
「さっさと行け!」
にやにやしているスペインをロマーノが怒鳴りつけると、あっさり試着室のドアが閉まった。それを見届けて、ロマーノは店内を素早く練り歩き、アウターと展示されていたブーツを手に取った。それを持って試着室まで戻ると、タイミングよく着替えたスペインがドアを開いた。
「な〜このズボンめっちゃキツない?サイズいけてるん?」
ロマーノが選んだ白のニットと、黒のスキニーパンツを身に着けたスペインは、顔を顰めながらロマーノを見た。
「そういうパンツなんだよ。お前、スタイルだって悪くないんだから、それも慣れていけよな」
「ああ……たまにフランスが履いとるやつやな……」
遠い目をしてるスペインに、ロマーノは手に持っていたアウターとブーツを押し付ける。
「ちょっとしたら体に馴染むから、それまで耐えろ。それよりこれ、追加な」
「え〜まだ着るん……」
めんどくさそうにしているスペインをロマーノが鋭く睨みつけると、スペインは受け取ったブーツを下に置き、渋々アウターに袖を通した。試着室にある等身大の鏡の方へスペインが体を向け、隙間からロマーノが顔を覗かせて鏡越しにスペインをじっくり観察する。
ロマーノが選んだアウターは膝ほどまであるチェック柄のチェスターコートだ。全体の色はグレーで、襟の部分だけ黒くなっている。
スペインが今身に着けている服を全体的にみると、普段と違って落ち着いた印象を受けた。ロマーノはこれといって挑戦したものを選んだわけではなく、あくまでスペインが普段から取り入れられるような、無難なものしか選んでいない。
コートの裾を直しながら、なんとなく居心地が悪そうな顔つきをしているスペインを見て、ロマーノはにやりと笑った。
「いいじゃねえか」
「……へっ」
素直にロマーノが褒めると、スペインは目を見開いて素っ頓狂な声を上げた。それにますます笑みを深めつつ、ロマーノはコートの生地を確かめるように、スペインの肩を撫でる。
「これ、リバーシブルなんだ。ひっくり返したら黒のコートになるから、どっちの色でもこれから使いやすいだろ」
「え、あ、う、うん?」
「お前こういうコート持ってなかったし、ちょうどいいからこれにしろよ」
「え、えっと……」
何故か妙に口籠っているスペインにやっと気付き、ロマーノは鏡越しにスペインの顔を見た。微妙に頬を赤らめているスペインは、鏡のロマーノの顔を見ればいいのか、振り返ってロマーノの顔を見ればいいのか、迷っているように視線をうろうろと彷徨わせている。
「どうした?」
「これ……に、似合っとる……?」
恐る恐る、といった様子で尋ねるスペインを珍しいと思いつつ、ロマーノはにっと歯を見せて、少年のように幼い顔立ちで笑ってみせる。
「俺が選んだんだぞコノヤロー。似合ってない訳ないだろバカ」
思っていた通りスペインを着飾れたことで、ロマーノは随分と上機嫌になっている。滅多に見せないロマーノの笑顔で褒められたスペインの顔は、更に赤くなった。
「そ、そっか……そう……あ、あは……」
あはは、と笑いながら服の裾を伸ばしたり、コートの襟に触れたり、首を掻いたりとせわしない様子のスペインに、ロマーノは首を傾げた。いつも以上にスペインの挙動がおかしい。今更合計金額に焦りでも覚えたのだろうかと、ロマーノは見当違いなことを思った。
「お前、これ全部買うのか?」
「え?そのつもりやけど……」
「結構な金額になるけどいいのかよ」
「ああ……ええねん。覚悟の上やからな」
一時期は内職までして金を稼いでいたこともあったので、なんとなく懐が寂しい印象のあるスペインだが、どうやらこの日の為にきちんと金を用意してきたようだった。合計金額は軽く二桁を越えるだろうが、本人がいいというならいいかと思い直し、ロマーノは口を閉ざした。自国で金を落としたいと言ってくれるのなら、特に止める理由もない。
「ほんならタグ切ってもらおかな。店員さんおる?」
「は?タグ?なんで?」
試着している服を脱ごうとせず、店員を探すそぶりを見せたスペインに、ロマーノは首を傾げた。それを見て、スペインも首を傾げる。
「なんでて、デートにこれ着ていくんやんか」
「いや、それはわかってるけど……当日まで置いとけよ」
わざわざ今着て帰る必要はないだろうと、ロマーノは目を眇めた。白のニットなど特に汚れが目立つので、出来るなら当日まで大事に仕舞っておいてほしいぐらいだ。
しかし相変わらず意味が分からないといった様子で、スペインは首を傾げ続けていた。
「せやから、当日」
「は…………」
意味がわからない。そうロマーノが口にしようとしてふと、思い留まった。スペインが言わんとしていることをだんだんと理解してきて、ロマーノの表情はどんどんと困惑を極めていく。
「はあ!?今日!?」
場所も構わずロマーノは大きな声を上げた。店内にいる客や店員が一斉に、試着室のドアを開いたまま騒いでいるロマーノとスペインに視線を向けたが、当の本人たちは視線など気付いてもいない。
「あ、あれ……言うてへんかったっけ……?」
「デートに誘いたい相手がいるとしか聞いてねえよ!」
「そやったっけ〜……」
頬を掻きつつ、気まずげに目を逸らすスペインにロマーノが舌打ちする。腕時計を確認すると、もう午後の四時になろうとしているところだった。
「何時に約束してんだよ!もう四時だぞ!?」
「あ……それが……まだ誘えてないねんけど……」
あまりの事実に、ロマーノは絶句する。立ち眩みを覚え、ドアに手をついてロマーノは深いため息をついた。むしろこの心境になるのはスペインであるはずなのに、当の本人はふらついたロマーノの心配をしているばかりで、自身のことなどこれっぽっちも心配していない。
その能天気さこそスペインだと、ロマーノは思うことにした。もちろん皮肉だ。
「お前……どんだけ無計画なんだよ。今からその相手のところまで行けるのか?」
声を張り上げる気力もなく、ロマーノは疲れた様子でスペインにそう尋ねた。スペインの好きな相手が国の誰か、という予想しか立っていないロマーノは、相手までの距離なんて当然わからなかった。今日中に行けるような場所の相手だったらいいが、そもそもいきなり数時間後会おうと言って応じてくれるような相手なのかもわからない。
そんなロマーノの心配をよそに、スペインは嬉しそうに笑って頷いた。
「それは大丈夫や!その子、イタリアにおる子やから心配なしなしやで!」
「……えっ」
ロマーノは思わぬスペインの返答に、目を見開いて固まった。照れくさそうに頬を赤くスペインに、ロマーノはなんと言葉をかけていいかわからず、ぼうっとスペインを見つめ続けている。
スペインの好きな相手が、仮に今も生き続けているのなら、国の誰かであるはずだった。死んだ相手を想い続けている可能性もあるが、スペインは相手をデートに誘うつもりにしているので、流石にそれは違うだろうとロマーノは予想をつけている。
しかしここにきて、好きな相手はイタリアにいるという。好きな相手が国だったなら、イタリアにいるのはコーディネートを頼まれたロマーノか、その弟のヴェネチアーノ、はたまたバチカン市国しかいない。
ロマーノはまず、コーディネートを頼まれた自身のことを対象外とした。流石のスペインでも、デートに誘いたい相手にコーディネートは頼まないだろうし、そもそもスペインはロマーノのことをかわいい子分としか思っていない。恋愛対象にはしないだろうと、自分を除外する。
次にバチカン市国だ。彼は国の中でも老齢な見た目をしており、普段からあまり接点のないスペインが彼を選ぶとは考え難い。何より男性なのだが、候補に挙がった三人全てが男性なので、ロマーノはそれについては深く考えないことにした。
そうなってくると、自然と答えは導き出される。残された選択肢、というより、イタリアにいると聞いた時点でロマーノの中では、ほとんど答えはひとつでしかなかった。
(スペインの好きなやつって……ヴェネチアーノだったのか……)
それならスペインがロマーノにコーディネートを頼んだのも納得がいった。兄弟で今は共に暮らしており、お互いにファッションが好きなので、ロマーノならヴェネチアーノの好みがわかると思ったのだろう。ロマーノは相手を知らずにスペインに似合うと思った服を選んだが、きっとヴェネチアーノも気に入るだろうという自信はあった。
自身がコーディネートしたスペインの姿を、ロマーノはじっくりと眺めた。着飾っているその姿が、なんだかロマーノのよく知るスペインでない気がして、途端にロマーノは妙な焦りを覚える。そんな彼を着飾ったのはロマーノ自身だというのに。
「ロマーノ?」
ぼんやりとしていたロマーノをおかしく思い、スペインはロマーノの肩を揺さぶった。それにハッと我に返ったロマーノは、しばらく呆けた様子でスペインの顔をじっと見つめている。
「どうしたん?疲れた?」
心配した様子で、スペインはロマーノの顔を覗き込んだ。そんなスペインの動作ひとつひとつで、スペインの頭にある尻尾が揺れる。それにちらっと視線を一度向け、ロマーノはひとつため息をついて、スペインを睨みつけた。
「今すぐ着替えろ。いったん家に帰るぞ」
「ええっ。なんで?」
大袈裟に驚くスペインに対し、ロマーノは眉間の皺をさらに深くしながら、スペインの頭に手を伸ばした。
「寝癖付けたまま口説くつもりなのかハゲ!」
揺れていたスペインの尻尾、もとい寝癖のついた毛をロマーノが掴んだ。するとスペインははっとして、鏡の方に振り返ってロマーノが掴んでいる場所を凝視している。ロマーノが手を離すと、ゆらゆらと揺れるその髪に、スペインは困ったような笑みを浮かべた。
「あちゃ〜……」
「時間ないんだからさっさと着替えろよ」
そう言い残し、ロマーノは試着室のドアを閉めた。しばらくすると、ドアの向こうから衣擦れの音が聞こえ、ようやくロマーノはほっと息をついた。この着替えている少しの間に、ロマーノは自身の気持ちを落ち着かせなければならない。
(よりによって、ヴェネチアーノかよ……)
弟であるヴェネチアーノは、ロマーノからすると憎たらしい身内だった。ヴェネチアーノ自身の性格が悪いという訳ではない。彼はイタリア人らしく陽気で、打たれ弱いところもあるが、泣きついて相手が絆されてしまうような、世渡り上手な男だった。何よりヴェネチアーノは、ロマーノにない才能をたくさん内に秘めている。少なくとも、ロマーノはそう思っていた。
誰もがヴェネチアーノを選ぶ中、スペインだけは何故か、不器用で何も出来ないロマーノに執着した。スペインだって最初はヴェネチアーノのことを気に入っていたみたいだが、気が付くとスペインはロマーノを優先して、大切なものに触れるような優しい手で、ロマーノを守っていた。特別ロマーノが何かをした覚えもなかったのだが、ロマーノはそんなスペインのそばが、随分居心地がいいことを知っている。
ある意味、ロマーノにとって唯一の存在だったスペインが、ヴェネチアーノを選んだ。スペインのその選択をロマーノが責められるものではないし、そんなことをするつもりもなかった。ただスペインでもやっぱりヴェネチアーノがいいんだなと思うと、ロマーノは胸を殴られた時のような息苦しさに襲われたのだ。
ショックだった。ロマーノはスペインのことを恋愛対象として見ていた訳ではないし、同性で身内だと思っているスペインから愛の告白をされても、応えられる訳でもない。だが、それでもヴェネチアーノが選ばれたという事実がただ、苦しく、さびしかった。
「……バカだろ」
自分が選ばれるなんて、夢を見すぎている。ロマーノは現実に立ち向かう勇気も、舞踏会に行くお手伝いをしてくれるような友達も、王子様に見つけてもらえるような運も、美しさもない。出来ることがあるとするならば、せいぜい身近な誰かを着飾ってあげる程度。
不器用で素直じゃない自分には、そんな役割がお似合いなのだ。ロマーノは自分自身に言い聞かせるように、心の中でそう呟いた。
二人が家に戻った時、ヴェネチアーノはいなかった。ロマーノは携帯を確認してみたが、出かけ先などの連絡は届いておらず、いつ戻ってくるかもわからない。
「……あいつ、どこ行ったんだ」
車の鍵をテーブルの上に放り出し、ロマーノは舌打ちする。その後ろに続いていたスペインは、そんな現状を悲観するようにため息をついた。
「……予定が狂ってもうた」
「あれだけ無計画だったのに予定あったのかよ……」
その事実にロマーノは驚く。デートに誘う当日に全身コーディネートを頼みにきて、相手すら誘えていない状況だったというのに、それはスペインの予定内だったというのだ。それに対して本当なら文句を連ねたい気持ちでいっぱいだったが、ロマーノはそれをぐっと堪えて、しょんぼりと肩を落としているスペインの背を押した。
「時間ねえんだから、さっさと風呂入ってこい」
何度も家に泊まったことがあるので、わざわざ説明せずともスペインはこの家のシャワールームの場所を知っている。頷いてロマーノの言葉に従うように、シャワールームの方へ足を向けたスペインの服の襟を、ロマーノが掴んで引き寄せた。
「ぐえっ」
喉が詰まって、カエルが踏みつけられたような声を上げたスペインの肩に、ロマーノが腕を回した。耳元に口を近づけ、内緒話をするようにそっと耳打ちする。
「いいか、デート前なんだからシャワーだけじゃなくて、ちゃんと体洗って風呂に入れよ。特例で入浴剤を入れるのも許してやる」
「なら、遠慮なく……」
「仕方なくだが俺が使ってるシャンプーも使わせてやる。ありがたく思え」
「あ、ありがとう……」
素直に礼を言うスペインに、いい気になったロマーノは、にやりと口角を上げてスペインの顔を覗き込んだ。
「トリートメントする時になったら呼べよな。サービスで俺がやってやる」
「はあ…………えっ!?ロマーノがやってくれんの!?」
「お前マジで遠慮なく使いまくりそうだから、本当に仕方なくだからなコノヤロー」
「そ、そうか。なんかごめんな……」
一言謝って、スペインはやっとシャワールームへ向かった。その背中を見送ったロマーノは、すぐさま携帯を取り出してヴェネチアーノにどこにいるのか、何時に帰るのかとメッセージを送った。
返信がくるまでに、スペインが買った服やブーツを袋から取り出し、タグを切っていく。全てのタグを切り終え、服をシャワールームへ持っていこうとしたところで、携帯がメッセージを受信したことを音で報せた。
服を持ったまま片手で携帯のメッセージを確認したロマーノは、ヴェネチアーノが近くに住んでいる友人の家におり、もう少しで帰ってくることを知って、改めて時間を確認する。もう少しで五時になろうとしていた。急いで準備すれば間に合うだろうと思い、ロマーノはヴェネチアーノのメッセージに返信せず、そのままシャワールームへ向かう。
ノックもなくロマーノがシャワールームへ入ると、カーテンの向こうから湯を貯めている音がした。それに気づいて、ロマーノはバスケットに服を放り込み、一度リビングに戻って折りたたみ式のイスを手に持ってシャワールームへ戻る。
「おい、もういいだろ」
「ひょあ!」
確認もせずカーテンを開くと、スペインは素っ頓狂な声を上げてロマーノを見た。顔を赤くしながら体を隠そうと動いて、バスタブにたまった湯の水面を揺らすスペインに、ロマーノは盛大に顔を歪める。
「なんだよ、その気色悪い反応は」
「いきなり開けんとってや!俺、裸やねんで!?」
「だからなんだよ……」
どこか照れた様子で声を荒げるスペインに、ロマーノは意味がわからないと首を振りながら、用意した入浴剤をバスタブへ放り込んだ。かつて日本が手土産にとイタリア兄弟へプレゼントしたその入浴剤は、湯の色が乳白となってとろみが出るもので、ほのかに柑橘系の匂いがする。
ロマーノがあえてこの入浴剤を選んだのは、スペインの裸をわざわざ見たくないというのもあったが、これがイタリア兄弟のお気に入りだったからだ。イタリアでは普段からバスタブに湯をはることは珍しく、大体はシャワーで済ませることがほとんどだ。けれど仕事が一山終えた日だとか、何かの記念日だという日だけは、特別にバスタブに湯を張って、お気に入りの入浴剤を楽しむのが、この兄弟の約束事だった。
スペインがヴェネチアーノをデートに誘うというのは、ロマーノにとっては関係のないことではあったが、出来ることならスペインをベストな状態で送り出したかった。これはロマーノが勝手に思っていることで、スペインはここまでしてほしいとは思っていないだろうし、ロマーノとて感謝されたくてしている訳ではない。いわば、自分のためだった。
「わあ……ええ匂いやなあ……」
完全に入浴剤が全て溶けた湯を手に溜めて、匂いをかいだスペインは感嘆の声を漏らした。それににやりと笑ったロマーノは、持ってきたイスをバスタブのすぐそばに広げ、腰を下ろす。
「これ、ヴェネチアーノのやつが好きなんだ」
ロマーノはトリートメントのボトルに手を伸ばしながら、そう口にした。するとスペインはロマーノに背を向けて、差し出すようにバスタブの淵に頭を乗せる。
「へえ。ええ匂いやもんなあ……ロマーノは?」
「ん?」
手のひらに粘りのあるトリートメントを出しながら、ロマーノは首を傾げた。するとスペインは閉じたいた目を開いて、ロマーノを見る。
「ロマーノもこれ、好きなん?」
その質問に、スペインの頭に触れようとしていたロマーノの手が止まった。なぜそんなことを聞くのか、そう訴えるように目を眇めてロマーノはスペインを見たが、彼はエメラルドのような緑の瞳を逸らすことはない。
「まあ、普通に……?」
「そっか」
にこりと笑顔になって、スペインは何事もなかったかのように目を閉じた。ロマーノは釈然としない気持ちになりながらも、止めていた手を動かして今度こそスペインの頭に触れた。
トリートメントを伸ばした手で、濡れたスペインの柔らかい髪を撫でつける。ロマーノにマッサージの知識などなかったが、頭皮を柔く指圧すると、途端にスペインが間の抜けた声を上げた。
「あ〜〜……気持ちええ……」
言葉通り気持ちよさそうに眉尻を下げるスペインに、ロマーノはさっきまでのわだかまりなどすっかり忘れてしまう。結局のところ、スペインはロマーノをいい気分にするのが昔からうまかった。そういう気持ちになると、ロマーノももっと色々してやってもいいかも、という気持ちになる。
軽いマッサージを続けながら、ロマーノは「そういえば」と、気になっていたことを切り出した。
「ディナーに誘うんだろ?どこの店に行くつもりなんだ」
ロマーノがそう尋ねると、スペインは今まで気持ちよさそうにしていた空気から一変して、ぎくりとした様子で薄っすら目を開いた。
「あー……実はまだ、何も……」
気まずそうに目を逸らし、珍しく口ごもるスペインの言葉の続きが想像ついたロマーノは、ついにマッサージの手を止めてしまう。
「はあ!?まだ店決めてないのか!?」
「その……まあ、せやね……」
「目星は!?つーか予約は!?」
「何も……」
「お前本気で相手落とす気あんのか!?」
「あ、あるよう!」
心の底から思った言葉をそのまま口にしたロマーノに、スペインはやぶれかぶれといった様子で答えた。思いと行動が伴っていないスペインに呆れ、ロマーノは隠すことなく大きなため息をつく。
「ちゃうねん。その……いっつもその子とは洒落た店なんか行けへんから、どうしようかなって……」
バスタブの淵に預けていた頭を起こし、ロマーノへ振り返ったスペインは、慌ててそう口にした。言い訳のような言葉を聞きつつ、ロマーノはふと、あることが引っかかる。
(いつもって……こいつとヴェネチアーノって、そんなに二人で出かけてたか?)
ロマーノの記憶を辿るに、二人で食事に出かけているところなど見たことがない。しかし北イタリアとスペイン間での仕事があった時などは、流石にロマーノの知るところではない。そういう時に二人で出かけていたのかもしれない。そう考えると、なんとなくロマーノは胸が苦しくなってきたので、それを払拭するように首を振って、気持ちを切り替えた。
「どうするって?」
意味を尋ねるようにロマーノが問うと、スペインは白く濁った湯に視線を落とした。
「いつもと同じような店やったら、今までとなんも変わらんままや。せやけどあんまり畏まったところに急に連れて行ったら、萎縮してまうかな、とか……」
まつ毛の隙間からのぞくエメラルドの瞳が、迷うように揺れている様を見て、ロマーノはまたため息をついた。呆れと疲れが混じったそれを聞いて、スペインは居心地が悪そうに肩を竦ませる。
「……俺とヴェネチアーノがたまに行く、トラットリアがあんだけど」
二人しかいないシャワールームなので、当然スペインはロマーノのその提案を聞き逃さなかった。ぱっと顔を上げたスペインは、きょとんとした様子でロマーノを見る。
「……へ?」
「あそこならドレスコードもいらねえし、ちょうどいいんじゃねえの」
何度か瞬きを繰り返した後、やっと言葉の意味を呑み込めたスペインの頬に、赤みがさした。見るからに喜びをあらわにするスペインとは対照的に、ロマーノは眉間の皺を深くして顔を歪めていく。
「店教えてくれるなんて、ロマーノめっちゃ優しいなあ!」
「別に。俺とヴェネチアーノのお墨付きだから、外すことはねえだろ」
ぶっきらぼうな物言いであったが、スペインは相変わらず嬉しそうに頷いている。そんな空気に、いつも通り調子を崩されながら、ロマーノは立ち上がった。
「予約しといてやるよ。20時でいいよな」
シャワールームには時計がないので、現在の時間をきちんと把握はしていないが、おおよそ18時は越えていないだろうと予測をつけて、ロマーノはそう指定した。スペインは感動したように肩を震わせて、ロマーノを見上げている。
「そんなことまでしてもうてええの!?ロマーノ今日はどうしたん?」
「どういう意味だテメェ」
感動に震えているスペインをロマーノが睨みつける。スペインの言い方だと、まるで普段のロマーノはスペインに全く優しくないように聞こえてしまう。実際、ロマーノがここまで手を尽くしてやることは滅多にないのだが。
「そもそもお前、まだ相手を誘えてすらいないんだろ?」
「せ、せやな」
途端に緊張した面持ちになったスペインを、ロマーノは鼻で笑った。
「ならお前はフラれねー誘い方だけ考えとけバカ」
「バカって、ひどいわあ……」
「デートの直前だってのに相手を誘えてないヤツが何言ってんだ」
吐き捨てるようなロマーノの言葉に、スペインはわかりやすく肩を落として落ち込んだ。言い返す言葉もないのだ。相手であるヴェネチアーノは先ほど帰ってくると連絡だけは届いていたし、スペインの誘いを断ることは彼の性格上考え難いが、その場にロマーノがいれば「兄ちゃんも一緒に行こうよ」と必ず声をかけるだろう。二人きりの時に誘えていればまた別だっただろうが。
しかしそこまでどうにかしてやるほど、ロマーノも優しくはない。スペインが誘う時は、せめて違う部屋に移動しておくなどの配慮ぐらいはするが、ロマーノを誘おうとするヴェネチアーノへの言い訳は、スペインが考えるべきだ。
「……もしフラれたら、しょーがねえから俺が代わりにトラットリアに行ってやるよ。もちろん、全額お前の奢りだからな。こんちくしょーが」
あまりに落ち込んでる様子のスペインに、ロマーノは同情の眼差しを向けた。正直なところ、ロマーノからするとどちらに転んでも痛みはない。二人がうまくいけば家でのんびり過ごせるし、スペインが断られればロマーノはタダでおいしい夕食にありつける。
そんなロマーノの思惑も知らず、ロマーノの言葉に対してはじかれたように顔を上げたスペインは、その勢いのまま突然立ち上がった。
「ほんまに!?」
ざばあっと激しく水が音を立てた。スペインの勢いを殺しきれず、バスタブの水面が荒く波を立て、わずかにシャワールームの床を白く汚していく。その様に驚いていたロマーノは、バスタブの中で嬉しそうに立ち上がっているスペインを凝視し、うっかり視線を下げてしまった。湯気で視界が悪いにしても、うっかりスペインの下部を見てしまいそうになったロマーノは、飛び出しそうだった絶叫をなんとか堪えた。
「立つなっ!」
「え……あ、あっ、ごめん!」
鋭くロマーノが怒鳴ってスペインを指さすと、彼は慌てた様子ですぐにバスタブの中へ体を沈めた。その勢いでまた湯は荒波を立てて床を汚しているが、ロマーノはもうバスタブの方へ顔を向けることも出来ない。怒りか、気恥ずかしさからか、どうにも赤くなってしまった顔を、元に戻せないのだ。
かくいうスペインも、ロマーノに裸を見られたかもしれないという事実に、照れて顔を赤くしていた。長い付き合いなので、互いの裸など当然何度も見たことがあるのだが、どうしてか今の二人の間には初々しさを感じさせる緊張感が漂っている。
妙な沈黙が流れる。そんな空気に息苦しさを感じたロマーノは、完全にスペインに背を向けてカーテンを閉めた。
「あと二、三分したらトリートメント落とせ。服はバスケットの中に入れてあるから……髪も乾かしてこい。じゃあな」
ロマーノはスペインの返事も聞かず、シャワールームのドアを閉めた。そのまま急いでリビングに戻り、ヴェネチアーノが帰ってきていないことを確認して、大きなため息をつく。脱力して、テレビの前にあるソファに寝転がった。
(裸なんて……何回も見てるじゃねーか……)
見ているし、見られてもいる。見せあっている訳ではないが、見られたって特に何ともなかったのだ。
だがなぜか、さっきロマーノはスペインの裸を見てはいけないと思ってしまった。見るのが気持ち悪いという意味ではない。相手の裸を見ると照れてしまうと思ったのだ。ロマーノとスペインは男で、体のつくりだって同じで既に知っている体だが、今日は妙に意識してしまっている。
「……謝ってんじゃねえぞ、クソ野郎」
あの時、スペインはロマーノに対して慌てて謝った。普段のスペインだったなら、何を照れているのだと絶対にからかっただろう。しかしなぜか、スペインは謝った。それもスペイン自身、照れているようだった。それはまるで、異性に裸を見られてしまった時のような反応に、よく似ている。
出会って、何百年という時間が経っている二人だ。今更関係が変わるはずなどないと、ロマーノは思っていた。けれどここにきて、二人の間によくわからない空気が流れている。もしそれが、スペインは同性も愛せるのだと知ってしまったせいで、自身の態度がおかしくなっているのだとしたら。そう考えると、ロマーノはいたたまれない気持ちになる。
ソファに寝転がりながらぐるぐると答えの出ない問答を頭の中で繰り返していたロマーノは、しばらくして深いため息をつきながら体を起こした。
「……電話しねえと」
ロマーノは体を起こしてソファに背を預け、ポケットに入れたままだった携帯に手を伸ばした。スペインに話したトラットリアは、通い詰めている訳ではないが、イタリア兄弟がよく足を延ばしている店だった。熟年の夫婦が営んでいるその店を、兄弟のどちらが先に見つけたのかは記憶になかったが、すっかり顔を覚えられるほどには通っており、電話番号も当然携帯に登録されている。
履歴に残っている店の名前をタップし、ロマーノは携帯を耳に押しあてた。しばらくコール音が続いたが、電話はきちんと繋がり、覚えのある声が応答する。電話を取ったのは、店主の旦那の方だ。
「当日で悪いんだが、一席予約したいんだけど……」
普段使用している人名を名乗ると、店主は簡単な挨拶をして、快くロマーノの願いを聞き入れる。ロマーノはそれにほっと胸を撫でおろしつつ、予約の確認事項を伝えていく。
「実は、行くのは俺じゃなくて……昔からの馴染みなんだ」
スペインとの関係をどう形容するか、ロマーノはいつも迷う。互いのことを全く知らない相手に親分子分なんていっても、到底理解出来ないだろうし、かつて支配されていたなんて口が裂けても言えない。ならば親子なのかと問われるとそういう訳ではなく、兄弟という訳でもない。しかし友人というよりは、家族の方がずっとしっくりくる。
全ての関係に名前を付けなければならない訳ではないが、ロマーノはスペインという存在を誰かに紹介するとき、いつも自分たちの繋がりをじっくり考えてしまうのだ。結局、昔からの馴染みだと曖昧にぼかしたまま、今まで明確な答えなど出たことはないのだが。
「そいつがイタリアっ子をデートに誘うらしくて……出来れば話が聞こえやすいように、少しだけ周りの席からちょっと離れたテーブルとかって、難しいか?」
無茶なお願いをしていると、ロマーノ自身わかっていた。しかし出来うることはしたいと思ってしまう。今までの恩返しだなんて殊勝な心掛けなんかではなく、ただ頼られたことが嬉しかったから。ロマーノを突き動かすのは、ただそれだけだった。
「きっと……とても大事な人を連れていくと思うから……」
ヴェネチアーノとよく共に足を向け、おいしいイタリア料理を食べた店の情景を、ロマーノは思い出した。スペイン広場の近くにあるその店は、決して広くはないが客足は途切れず、いつも向かう前に空席があるかどうか確認してから向かっていた。地元民に愛されている店だった。
その店で、スペインがヴェネチアーノを必死に口説いている様子を想像する。ロマーノが考えると、楽しそうに笑っている二人しか思い浮かばない。いつも陽気で周りまで明るくする二人なら、きっと悪い結果にはならないし、幸せになるんだろう。
良いことなはずなのに、ロマーノはその二人がうまくいく想像をするたび、胸が痛くなる。疎外感なのか、劣等感なのか。痛みの理由などわからなかったが、良くない感情から生まれていることだけははっきりとしていた。
「色々悪い。金は存分にとってくれていいから……よろしくな」
それだけ伝え、ロマーノは電話を切った。携帯をテーブルの上に放り出し、またしてもソファの上で脱力する。昼頃からスペインに連れ出され、ずっと買い物をして、トリートメントまで手伝ってと、ロマーノはすっかりくたびれていた。肉体的にも精神的にもくたくたで、スペインとヴェネチアーノがデートに行ったらすぐに寝てしまいたいとすら思っている。
「ロマーノ?」
ぼんやりと天井を眺めていたロマーノの視界を遮るように、突然スペインの顔が現れた。びくっと大げさに体を揺らしたロマーノは、しかし悲鳴を上げる余裕もなく、しばらく目を見開いて不思議そうにしているスペインの顔をじいっと見ていた。
「……びっくりさせんじゃねえよ、クソッ」
「ええ……そう言われても……」
困ったように眉を下げ、スペインは渋々といった様子で謝罪を口にしている。ロマーノは驚いたことでドキドキと早鐘を打っていた心臓を少しでも落ちるかせるように、静かに息を吐いた。
「……店、20時で予約しといたぞ。俺の名前言えばわかるはずだ」
ソファの後ろにいるスペインに振り返り、ぶっきらぼうな物言いでロマーノがそう言った。続けて店の名前を伝えると、スペインは慌てて携帯で検索をかけて、店の場所を把握する。
「スペイン広場の近くなんや。ええとこそうやなあ」
「当たり前だ。俺のお墨付きが悪いとこな訳ねえだろコノヤロー」
「せやんなあ。予約ありがとう、ロマーノ」
照れくささを隠して悪態をついたのだが、素直に喜んで礼を言うスペインに、結局ロマーノは少し顔が赤くなる。
そんな気持ちを誤魔化すようにソファから立ち上がり、改めてロマーノはスペインを見た。買ってきた服を身に着けているスペインに、ロマーノは満足げに頷いてソファを指さす。
「座って待ってろ」
それだけ言い残し、ロマーノは自室へ足を向ける。基本的にロマーノの部屋は片付いていないが、お気に入りの服が入ったクローゼットと、香水やワックスが並べられている棚の上だけは整っている。香水のビンとワックス、ついでにスタンドミラーを素早く手に取ってリビングに戻り、大人しくソファに座っていたスペインの元まで戻った。
「ちょっといじるから、動くなよ」
スペインの前にスタンドミラーを置き、ロマーノは素早く後ろに回って、スペインの頭を固定した。鏡越しに不思議そうにしているスペインの視線を感じつつ、ロマーノはワックスをひと掬いして手に馴染ませる。トリートメントでさらさらになり、寝癖が消えた髪に指を通した。鏡で確認しながら、分け目に沿って前髪を横へ流していく。
「ただのデートなら、あんまりガチガチにしなくていいから。あくまで自然な感じで……毛先だけ纏めればいい」
「はあ……そうなんやな……?」
「わかってんのか?」
「いや、わかる訳ないやん」
即座にそう答えたスペインに、ロマーノは顔を顰める。コーディネートしてほしいと頼んできたのは、何もスペインがファッションに目覚めたからではなく、ただデートのためというだけだ。なので期待したことが間違いだったのだと、ロマーノはそんな淡い希望を消し去るために、首を横に振った。
「言っとくけどな、ここまでしてやるのは今日だけだからな。次からは自分でどうにかしろよ」
そう言いつつ、仮にヴェネチアーノと付き合うことになるなら、喜んでヴェネチアーノがコーディネートしそうだなと、ロマーノは思う。なにせ、スペインは素材が良い。なんだかんだとロマーノだって、途中からはスペインを着飾ることが楽しくなってしまったぐらいなのだから。
流行のファッションについて言及しているスペインなど想像もつかないが、ヴェネチアーノと付き合い始めると、いつかそんな日が来るのかもしれない。そんなことを思いつつ、スペインの髪のセットを終えたロマーノは、香水のビンを持ってスペインの前に回った。スペインから少し離しつつ、ウエスト辺りに一度だけ香水をふりかける。
「ディナーだけだし、あんまり強くは……」
「もうしてくれへんの?」
「……なんだって?」
香水の話をしていたロマーノの言葉を遮り、スペインはじっとロマーノを見つめた。聞かれている意味がわからず、ロマーノは目を眇めてスペインを見返す。
「俺、またロマーノにお願いしたいねんけど」
「……コーディネートを?」
ロマーノの問いに、スペインは言葉なく頷いた。スペインがロマーノにコーディネートを頼みたいと思うのは、ロマーノのファッションセンスを評価してだとか、そういう理由からではない。単純に頼みやすいから。それに尽きるのだろう。
そういうスペインの考えに、いちいち目くじらを立てていたらきりがない。何よりスペインらしい発想に、内心ロマーノはほっとしていた。
「バカ野郎。これからはデートの相手に頼め」
「せやから……」
「ただいまー!」
何か言おうとしていたスペインの言葉を遮り、やっとヴェネチアーノが家に帰ってきた。玄関の方から聞こえた声に続き、足音はどんどんリビングに近付いてくる。ロマーノがスペインに視線を向けると、スペインは目を丸めて音がする方を見ていた。
「帰ってきてもうた……」
どこか緊張した様子でそう口にするスペインに、ロマーノは珍しいこともあるものだと、目を丸めた。陽気なこの男でも、好きな相手をデートに誘うとなれば、緊張もするらしい。ロマーノの記憶の限りでは、スペインがこんな風になっているのは、上司に怒られるとわかっている報告をする直前ぐらいだけなものだった。
「遅くなってごめんね〜。でもお土産もらってきたよ!」
騒がしくリビングに入ってきたヴェネチアーノは、ロマーノとスペインを目に留めると、話しながら二人の方へ歩いてきた。そして手に持っていた紙袋を漁りながら膝をつき、友人からもらったものをテーブルに並べていく。
「フランス兄ちゃんのとこに旅行いったみたいでさ、ワインはくれなかったけどチーズもらったから、今日みんなで食べよ……あれ?」
一人で話し続けていたヴェネチアーノは、ロマーノとスペインを改めてじっくりと眺め、不思議そうな顔つきをして首を傾げた。
「出かけるの?」
明らかに洒落た装いをしているスペインを見れば、誰しもが思うことだ。ロマーノは、結果的にはいいタイミングになったなと思い、ワックスとスタンドミラーに手を伸ばした。
「じゃあ俺、片付けてくるから……」
二人きりの間に、デートに誘っておけ。そのつもりで、ロマーノはテーブルの上の物を片付けようとした。しかしそんなロマーノの行動を遮るように、スペインがロマーノの腕を力強く掴んだ。
「待って!」
「えっ」
はじかれたようにロマーノはスペインを見た。いまいち状況がわかっていないヴェネチアーノも、珍しく大きな声を上げたスペインに驚き、目を丸めて二人を見ている。
片付けを邪魔されたロマーノは、困惑して固まっていた。するとスペインは、落ち着かない様子でロマーノとヴェネチアーノ、両方に視線を配っている。困った顔をして、何かに迷っている様子のスペインにどう声をかけるべきか思案していたロマーノは、もしやとひとつの考えに行きつく。
(まさか代わりに俺が誘えってか!?)
流石に声に出して確認することは出来ないので、事実はわからない。本当に代わりに誘ってほしいと頼まれれば、迷わずロマーノはスペインを家から追い出すが。自分でデートに誘うことも出来ないような腑抜けではなかったはずだが、不安そうにしている目の前のスペインを見ると、なぜかロマーノも不安になってきてしまう。
「……おい、離せよ」
いつまでも膠着している訳にもいかず、ロマーノは小さな声で言って、スペインの手を振り払おうとする。しかしスペインは慌てた様子で、更に強くロマーノの腕を掴んだ。
「ま、待ってや。お前はここにおってくれやんと……」
「はあ?俺がいないとデートにも誘えないのか、ハゲ」
「そりゃお前がおらな話にならん……ハッ!」
慌てて口を手で押さえていたが、間違いなく言ってはいけなかった部分は、全てロマーノの耳に届いてしまっている。しかしだからといって、言っている内容の意味は、ロマーノには理解できなかった。
「俺が……?なんでだよ」
好きな相手をデートに誘おうとしている時に、部外者がそばにいないと意味がないというのは、どういうことなのか。困惑して固まっているロマーノをよそに、スペインは相変わらず慌てた様子で、ロマーノとヴェネチアーノを交互に見ていた。ヴェネチアーノはロマーノ以上に状況がわかっていないので、ロマーノとスペインのやりとりを不思議そうに眺めているだけだ。
「……あーーーーー!もうええわっ!」
しばらく迷っている様子だったスペインは、急に今日一番の大きな声を上げた。当然それに驚いたロマーノとヴェネチアーノは、びくりと肩を跳ねさせる。ロマーノは反射で逃げそうになったが、そんなロマーノの腕をスペインが力強く引き、立っていたロマーノをソファに無理矢理座らせた。
「な、なんだよ」
「あのな、ロマーノ。ちゃんと聞いといてほしいんやけど……」
一度ちらっとヴェネチアーノを見たスペインは、恥ずかしそうに目を細めて、顔を赤くした。そんな姿を見て、もしかするとヴェネチアーノのことを好きになってしまったのだと、伝えられるのかもしれない。そんな可能性が、ロマーノの頭に過った。
きゅうっと胸が苦しくなるのを感じながらも、ロマーノは掴まれた腕を振りほどけない。そうしている間に、スペインはまたロマーノに視線を戻した。今までとは違う、どこか真剣な緑の目に捕まり、ロマーノは逃げ出したく思うのに、目が逸らせなくなってしまう。
「俺、今日めっちゃオシャレしてきてん……いや、してくれたのはお前やけど……」
顔を赤くしながら、ロマーノの腕を掴んでいるスペインの手が、わずかに震えていた。
緊張していて、けれど真剣なその面差しは、簡単にロマーノの平静を奪っていく。ロマーノがかっこよくなるように手を尽くしてコーディネートした男は、違う誰かの為に飾り付けられたもの。今になって、ロマーノはその事実が悔しいと感じていた。
誰よりもそばにいたはずなのに、結局自分は選ばれなかった。泣きたくなる気持ちを堪えるため、ロマーノはぐっと下唇を噛む。
「ずっと好きやった子に、好きやって……気持ちを伝えるために、今日ここに来てん」
ロマーノの腕を掴む手に、ぐっと力が込められた。ロマーノを見つめる目も、どんどん真剣さが深まっていく。見ていたくないのに、目を逸らせない自身の未練たらしさが、ロマーノはとても憎らしかった。
「お前に、会いに来てん」
耳の淵まで赤くなったスペインに、ロマーノは目を見開いた。声も出なかった。
「せやから、俺とデートしたって。ロマーノ」
意味を履き違えているか、聞き間違いかもしれない。そんなロマーノの考えを取っ払うように、スペインは続けてそう口にした。
「………………え?」
やっとの思いでロマーノが口に出来た言葉はそれだけで、疑問は頭の中を埋め尽くしているが、ごちゃごちゃとしていて形にはならない。呆然と固まっているロマーノの耳に、ヴェネチアーノの感嘆の声が届き、ロマーノはそちらへ顔を向けた。
ヴェネチアーノは口元を手で押さえながら、目をきらきらさせてロマーノの言葉を待っているようだった。それは恋愛ドラマを見ている時の表情に近いものがある。改めて、ロマーノは自身がスペインにデートに誘われていているのだと、実感した。
「さっき!」
視線を逸らしていたことを許さないように、スペインは大きな声を出して、ロマーノの両肩に手を置いた。さっきまで掴まれていた腕がじんじんと痛みを訴えているが、それを構う暇もなく、ロマーノは促されるようにまたスペインへ顔を戻す。
「フラれても、ディナーに付き合ってくれるって、約束したやろ?せやから……嫌でも、絶対お前が来てや」
そこでふと、ロマーノはシャワールームでした口約束を思い出した。その時はまさか、自身がデートに誘われるなんて、露にも思っていなかったのだ。断っても、断らなくても、結局ロマーノはスペインとトラットリアに向かう運命らしい。
固まっているロマーノの肩を掴むスペインの手に、ぐっと力がこめられる。
「……待っとるから」
懇願にも近いその声色に、ロマーノの背が震えた。求められているのだと、思い知らされた。
「20時前に、スペイン階段の前で」
顔を赤くして、今までロマーノに見せたことがないような真剣な表情のまま、スペインは肩から手を放してロマーノの頬を包んだ。熱い手の温度に、ロマーノは目を細める。今まで頭を撫でてくれたような、慈しむような優しいあたたかさじゃない。燃えるようなその手の熱さに焼かれてしまいたいと、確かにロマーノは思ってしまった。
「お前が来るの……ずっと、待っとるから」
しっかり目を見つめて言ったスペインは、そのまま何も言わずに立ち上がり、ロマーノの頬から手を離した。けれど離す間際、スペインの指がロマーノの顎のラインをなぞった。惜しむような指の動きに、ロマーノはぎゅっと目を閉じて体を震わせる。悪態すら口に上らないほど、ロマーノはスペインに翻弄されていた。
そんなロマーノを置いて、スペインはヴェネチアーノに別れも告げず、上着だけ手にして家を飛び出していった。ヴェネチアーノは目の前で起こった出来事に驚きながらも、余計なことは言わないよう、ずっと手で口を塞いで傍観に徹していた。しかしスペインがいなくなり、ソファの上で固まっているロマーノと二人きりなってしまい、ついに塞いでいた手を離して口を開いた。
「に、兄ちゃん……大丈夫?」
結局、ヴェネチアーノが口に出来たのはありきたりな言葉だったが、それにロマーノの体がびくりと反応した。
ロマーノは途中から、ヴェネチアーノの存在を忘れていた。あんな現場を、全て弟に見られていたのだと思うと、今すぐ消え去りたいと思うほど恥ずかしい。しかしそんな気持ちを放り捨てでも、今はヴェネチアーノがそばにいてよかったと、ロマーノは思っていた。
「……ヴェネチアーノ」
「なに……?」
ずっと顔を伏せていたロマーノは、ゆっくりと顔を上げてヴェネチアーノを見た。ロマーノはさっきのスペインに負けないほど顔を赤くして、今にも泣きだしそうな表情になっている。けれど予想外なことに、ロマーノの顔に嫌悪感は浮かんでいなかった。それに気づいたヴェネチアーノは、内心おやと思いながら目を見開いた。
「今……さっき……」
「うん?」
「デート、に、誘われた……んだよ、な?」
「そうだよねえ!?スペイン兄ちゃん情熱的だったねー!」
嬉しくなってヴェネチアーノがはしゃいだ声を上げるが、ロマーノは変わらず真っ赤な顔をして、体を震わせている。
「スペインと、俺が……?」
信じられない、とでも言うようなロマーノの口ぶりに、ヴェネチアーノは喜ぶのを堪えた。デートに誘われたというのに、ロマーノは喜びより困惑が勝っているようだった。無理もない。ロマーノは典型的な異性愛者であったし、スペインに対して恋愛感情など、今まで持っていなかったのだ。
「いやなの?」
ソファの上で固まっているロマーノを見上げて、ヴェネチアーノが問いかけた。するとロマーノは、それにはっと目を見開く。
「嫌……」
ぽつりとつぶやいた後、ロマーノの顔は真っ赤に染まった。眉が吊り上がり、怒っているようなその見覚えのある兄の顔に、ヴェネチアーノは顔をゆるめる。
「……って思えねえから、戸惑ってんだろうが!」
目に涙をためて怒鳴られたって、ヴェネチアーノは怖がらない。それが照れ隠しだと、もう知っていた。
「じゃあ急いで用意しないと。もう七時になっちゃうよ」
時計を指さしながらヴェネチアーノが言うと、ロマーノははっと我に返り、つられるように時計を見た。ヴェネチアーノの言う通り、あと少しで19時になろうとしている時計の針を見て、ロマーノはあからさまに慌ててまたヴェネチアーノに顔を戻す。
「ヴェネチアーノ……!」
助けを求めるようなロマーノの声に、ヴェネチアーノは心配になって、立ち上がってソファまで近づいた。
「どうしたの?」
まだ震えているロマーノの肩に触れると、真っ赤な顔が助けを求めるようにヴェネチアーノを見上げる。こういう時、ヴェネチアーノはスペインが兄をかわいがっている気持ちが、少しわかると思ってしまうのだ。ロマーノは人に世話を焼かせるのがうまい。心配になって、放っておけなくて、いつもつい手を差し伸べたくなってしまう。
「お、俺……」
顔を覗き込んで、続きを促すようにヴェネチアーノが頷いた。するとロマーノはまたしても泣きそうな顔をして、ヴェネチアーノの服の裾を頼りなさげに掴んだ。
「何、着ていけばいいか……」
声を震わせながら、必死な様子で訴えるロマーノとは対照的に、ヴェネチアーノは嬉しそうに顔を綻ばせた。
約束の20時まで、あまり時間がない。スペインのコーディネートに時間を費やしすぎ、なおかつ突然のデートの誘いに戸惑っているロマーノは、冷静に自身の服を考える余裕もないはずだ。
ヴェネチアーノの服の裾を掴んでいたロマーノの手を取り、ヴェネチアーノは優しくその手を引いて、ロマーノを立ち上がらせた。
「任せて!俺が世界一かっこよくしてあげるよ!」
大事な兄の特別な日になるかもしれない夜なのだ。ヴェネチアーノは、自身の持ちうる全てを使って、全力でロマーノをコーディネートしようと意気込むのだった。
柔らかいオレンジの照明に彩られた店内を進み、スペインとロマーノは窓際のテーブルへ案内された。わずかに周りのテーブルから離されたその場所に二人が座ると、店の喧騒が少し和らぐ。
「どうぞ。大事な人と、大切な夜になりますように」
メニューを受け取って、店主に笑顔で礼を言うスペインの対面で、予約した時のことを思い出したロマーノは、ひとり真っ赤になっていた。顔を伏せて震えているロマーノを不審に思い、スペインが何度も声をかけたが、ロマーノはしばらく顔を上げることは出来そうにない。
大事な人だと選ばれた特別な夜は、まだ始まったばかりだというのに、ロマーノはもう白旗を振りたい気分だった。