カーネーションを買う子分

長く胸の内に秘められていたロマーノの恋心が報われたのは、つい最近のことだった。何百年とその気持ちを抱えていたロマーノは、いつか自然と恋心が消える時を待っていたぐらいで、完全に諦観の気持ちを貫いていた。
「愛しとる……俺の恋人になったって、ロマーノ」
そんなロマーノからすると、スペインからの告白はまさに青天霹靂だった。なにせ相手はロマーノの親分を自称する、あのスペインだ。ロマーノを慈しみかわいがっているのは確かだが、いくらロマーノがアプローチをかけても、スペインは持ち前の鈍感さで何度もそれを袖にしていた。
一生報われないのだと何度も枕を濡らしたロマーノは、ついに諦めの境地に至ったのだが、そんな決意はあっさり本人であるスペインにひっくり返される。結局ロマーノは、そのスペインの告白になんと答えたのか記憶もないまま、いつの間にかスペインの恋人になっていた。



そんな経緯を経て、一か月後。
「いらっしゃい、ロマーノ」
ロマーノは、恋人になったばかりのスペインの家を訪れていた。
「……来てやったぞ、コノヤロー」
満面の笑みで出迎えるスペインに、ロマーノは眉間に皺を刻んだまま、むすっと不機嫌な顔つきをしている。そんなロマーノのポーズも気にかけず、スペインは腕を広げてロマーノを抱きしめた。
挨拶のハグだとはわかっていても、たったそれだけでロマーノの背が震えた。あたたかい体に抱きしめられながら、ロマーノは震える腕を伸ばして、なんとかそのハグに応える。
「ち、ちかい……」
「え?そりゃハグしてんねんから近いやろ」
何を言ってるんだ、という様子でスペインは遠慮なく、ロマーノの頬にキスをする。またしても体を震わせたロマーノは、挨拶を返すことも儘ならない。
「もうっ、いいだろ……!」
引きはがそうと、背中に回した手でロマーノはスペインの服を引っ張った。案外あっさり体を離したスペインは、改めてロマーノの顔を見て、驚いたように目を丸めている。
「……真っ赤やで、ロマーノ」
わかりきっていることをわざわざ指摘され、ロマーノは顔どころか体中が熱くなる。スペインが驚く理由もわかるので、ロマーノはぐっと唇を嚙みしめて、スペインから顔を逸らした。
たかだか挨拶のハグとキスだけで、こんなにも真っ赤になっているなんて。それこそ恋人になる前だってロマーノはスペインが好きだったが、その頃は普通にどちらも出来ていた。ただ恋人になったというだけで、些細な触れ合いのひとつひとつに、ロマーノは過剰に反応してしまうようになった。そんな自分自身が、ロマーノは恥ずかしかしくてたまらない。
真っ赤になっているロマーノを呆然と見つめていたスペインだったが、しばらくしてその熱が移ったように、顔を赤く染めた。ロマーノの初心な反応を見ていると、なんとも照れくさくなってしまったのだ。
「え、えと……もっかいハグしてもええ?」
「……ヴァッファンクーロ!」
からかっていた訳でもなく、スペインは真っ赤になっているロマーノがかわいくて抱きしめたくなっただけなのだが、その望みは頭突きでかき消されてしまうのだった。



スペインという男は、元来から触れ合いを好んでいた。そんなことはロマーノとてわかっていたが、恋人という関係が追加されたことにより、元から近かった距離は更に近づいた。
スペインは大人二人が座ってもまだ余裕のあるソファに座っても、ぴったりと肩を触れ合わせ、しばらくするとロマーノの肩を抱き寄せてくる。それでもロマーノは頑なに、真正面にあるテレビだけをじっと見つめていたが、スペインはたまに頬や首筋などに唇を落とした。番組の内容に笑って、どこがおもしろかったか耳元で囁かれれると、それだけでロマーノは背を震わせてしまう。
恋人の距離感というものに慣れていない。ましてやずっと好きだったスペインに、愛おしそうにいろんな場所に触れられまくっているのだ。ロマーノの心臓が持つはずがなかった。恋人のような触れ合いをされるたび、ロマーノは顔が真っ赤になって、頭が真っ白になる。当然テレビの内容など覚えていないし、息だって出来ていたのか謎だった。
「ロマーノ」
ぼうっとしていたロマーノがハッと我に返ると、目の前にスペインの顔があった。ロマーノはそれにも何も言えないまま、目を見開いて笑顔を浮かべているスペインをじっと見つめる。
「寝よか」
「……えっ?」
大袈裟に肩を揺らしたロマーノに、不思議そうにまばたきをしたスペインは、壁にかかっている時計に顔を向けた。
「シエスタの時間やで」
つられるようにロマーノも時計へ目を向けると、針は三時を少し過ぎていた。
「あ、ああ……シエスタ……シエスタな……」
「洗いもんは起きてからにしよ」
シエスタを繰り返すロマーノに首を傾げつつ、スペインは空になっている二つのマグカップを手に、キッチンへ小走りで向かった。シンクにマグカップを置いてすぐ、またロマーノのところまで戻ってくる。
「ほら、ロマーノ」
手を引かれ、ロマーノは誘われるがまま立ち上がってスペインに続いた。ロマーノを引っぱって迷いなく自身の寝室へ進んでいくスペインの背中を見ながら、ロマーノは胸に手を当てる。バクバクと早鐘を打つ音が手に伝わり、ロマーノはひとり、ごくりと生唾を呑み込んだ。
(ただシエスタするだけただシエスタするだけただシエスタするだけ……)
念仏のようにロマーノが胸の内でそう呟いていると、あっという間にスペインの寝室に辿り着く。恋人になる前から一緒に寝ることがたまにあったので、それなりに見慣れた寝室ではあるものの、ロマーノは中に足を踏み入れると極度に緊張した。そんなロマーノを放って、スペインは光を遮るようにカーテンを閉じる。
「はよ寝よ」
暗くなった部屋の中、スペインがロマーノに振り返って笑った。ロマーノは言葉なく頷いて、ベッドへ近づく。その間にスペインはベルトを外し、ジーンズだけ脱いで楽に寝れるようにしている。露になったスペインの下肢を見て、ロマーノは途端に視線を外して、慌てて自身のベルトも抜き取った。
「あれ?裸になれへんの?」
ベルトだけ取ってベッドに乗ったロマーノを見て、スペインは首を傾げた。
「……寒ぃし」
「はあ。まあ、せやな」
笑って頷いて、スペインはそんなロマーノの言い訳に納得した。実際真冬だと、いくら暖房が入っていても服を脱げば鳥肌が立つ程度には寒さがある。
スペインは素足をシーツに滑らせると、寒いと言いながら震えた。暖を求めるように、ロマーノに向かって手を広げてじいっと見つめてくる。ロマーノはズボンを履けと言いたいのをぐっとこらえ、ゆっくりスペインに近付き、なんとかその腕の中に納まった。
「はあ〜……ロマーノあったかいなあ」
ロマーノの体を抱きしめて、頬ずりをしながらスペインは長く息をついた。それに合わせて動く背中に腕を回し、ロマーノも小さく息をつく。シエスタを共にすることはあっても、ベッドの上で抱き合うようになったのは、恋人になってからだ。緊張もしていたが、不思議とスペインの腕の中は安心してしまい、ロマーノはスペインのぬくもりを感じながら目を細めた。
そうやって少しずつ、緊張より安心感が勝り始めていたロマーノの頬に、柔らかいものが触れた。それがスペインの唇だと気づいて、とっさに体を離そうとしたロマーノ腰を、スペインの腕がぐっと引き寄せ、逃げることを許さない。
「あっ……」
小さな声が漏れたのは、ロマーノがじいっとスペインに見つめられたからだった。暗い部屋の中でも明るく見える緑の瞳に見つめられ、ロマーノはついに逃げることも泣くことも出来なくなって、固まった。少しの間、沈黙したまま見つめあっていたが、スペインが目を細めてロマーノに顔を近づけ、触れるだけのキスをした。
すぐに唇を離したスペインは、すぐにまた唇を触れ合わせ、何度も軽いキスを繰り返す。そのたびロマーノはびくっと体を揺らすが、スペインは止まらなかった。
しばらく触れるだけのキスをした後、今度はロマーノのうなじに手を這わせ、舌を差し入れた。途端に、ロマーノは体を震わせ、スペインの服をぎゅうっと握り締める。
(シエスタするだけじゃなかったのかよ……!)
心の中でそう思いつつ、ロマーノはスペインの舌の動きに、なんとか合わせていた。合わせるぐらいしか、出来なかった。
長くスペインに片想いをしていたロマーノは、当然のように性の経験がなく、スペインが初めてとなる。しかし二人はまだ恋人になったばかりで、キスまではしていたが、体を重ねたことがなかった。なのでロマーノは、そういう雰囲気になると必要以上に身構えてしまっている。
「ん、んっ……」
溢れる唾液をどうすればいいかもわからず、ロマーノの顎に唾液が伝ったところで、スペインはやっと唇を離した。顎に伝った唾液を舐めとり、目尻に浮かんだ涙を指でふき取って、改めてスペインはロマーノの顔をじっと見つめる。真っ赤になっているロマーノをしばらく見つめて、スペインは困ったような笑みを浮かべた。
「大丈夫か?」
「だ、だい……大丈夫、だ」
なんとか頷いてロマーノが答えると、スペインは笑みを深めて、ロマーノの額にキスを落とす。
「なら、シエスタしよか」
ベッドの上に座って向き合っていた二人だったが、スペインが先に横になり、ベッドをとんとんと優しく叩く。寝転がるようにスペインが目で訴えると、ロマーノは促されるまま、スペインの隣に寝転がった。どこを見ていればいいかわからず、ロマーノはじいっとシーツの波を睨みつけている。
「おやすみ、ロマーノ」
優しい声でそう言い、スペインはロマーノの頭にキスを落として、ロマーノを抱きしめる。
(寝れるわけねえだろこの野郎……!)
相変わらず熱を持つ体と早鐘を打つ心臓のお陰で、ロマーノの目はギンギンに冴えている。しかしロマーノを抱きしめているスペインは、すぐさま小さな寝息を立て始めた。やっとロマーノはシーツから視線を動かし、穏やかなスペインの寝顔を見る。
「ちくしょう……」
幸せそうに寝やがって、ふっざけんなこの野郎、こんちくしょう、ヴァッファンクーロ。
スペインの寝顔を睨みつけながら、ロマーノはひたすら胸の中で罵声を浴びせた。声に出さないのは、起きてスペインに構われでもすれば、また緊張して固まってしまうからだ。結局のところ、ロマーノは昔と変わらず、ヘタレでしかなかった。



「……はあ」
あたたかいコーヒーを一口飲んだ後、ロマーノはひとり深いため息をついた。先ほどスペインと共にコーヒーを飲んだロマーノだったが、その時は緊張していていまいちコーヒーを楽しむことが出来なかった。舌に乗ったあたたかい苦みを飲み下して、やっとロマーノはひと心地ついた気分だった。
穏やかに眠っているスペインを尻目に、眠りなんてとんと訪れなかったロマーノは、静かにスペインの家から逃げ出した。スペインの家の近くにあるバルに入り、気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを頼んでみたが、そうすることでロマーノは自身がひどく疲れていることに気が付く。スペインと共にいて、緊張してばかりでいたのが原因だ。
いくらロマーノが緊張して疲れていても、スペインという男は今までと何も変わらない。結局ロマーノとスペインでは、経験値も愛情の深さも違うのだ。積極的に触れ合いたがるし、キスだって仕掛けてくるのはスペインなので、好かれていないなんてことは思わないが、スペインはロマーノに触れたって、ロマーノのようにおかしくなったりはしない。ロマーノは長い片想い期間で拗らせてしまったせいか、触れられるだけで息の仕方もわからなくなるというのに。
待ち望んでいた関係になれたというのに、ロマーノは浮かれているというより、最近では今の状態に疲れてきていた。スペインに会いたいと思うし、触れたいとも思うのに、どうにもできない自分自身に。
「早く慣れねえとな……」
そうしなければ、ロマーノの精神が持ちそうにない。いつか爆発して癇癪を起こし、スペインに八つ当たりしてしまう未来が見えるようだ。流石にそんな格好悪いことはしたくない。せっかく恋人になれたのだから。
薄々、ロマーノは恐らく自身のそういう考えがよくないのだろうと気付き始めていた。確かに二人は恋人という関係になったが、結局はロマーノとスペインだ。新しい関係が増えようと、根本的な部分は何も変わっていない。恋人になったからといって、突然スペインの鈍感が治る訳ではないし、突然ロマーノのヘタレが治る訳でもないのだ。だというのに、ロマーノの『恋人に格好悪いところを見られたくない』という、見栄っ張りが顔を出したせいで、スペインに対して妙な態度を取ってしまう。
今まで散々、格好悪いところを曝け出して、甘え続けてきたスペインに対して。今更だというのに。
どうせスペインは、何をしたってロマーノのことを嫌いになることはない。今まで散々、嫌われたって仕方がないことをしてきたというのに、それをも受け入れてきた男だ。今更格好つけたって、何もかも手遅れだとわかっているのに、かっこいいところを見せて、もっと好きになってほしいという欲を捨てきれないでいる。
そう考えると、ロマーノは店内の暖房の熱のせいとは、言い訳できないほど顔を赤くしてしまう。窓に映る自身の顔を見て、小さく舌打ちしてテーブルに視線を落とした。こんな顔をスペインに見られているのだと思うと、ロマーノはもういてもたってもいられない心地になる。
ロマーノがひとりそわそわしていると、テーブルの上にあった携帯が振動し始めた。画面に表示された名前を見て、ロマーノは盛大に顔を顰める。出るか出ないか迷って、鳴りやまない着信にため息をつき、ロマーノは携帯に手を伸ばした。
「なん……」
『ロマーノ!』
ロマーノの声を遮ったスペインの声は、びりびりと鼓膜を震わせるほどの大きさだった。他の席にいた客にも聞こえていただろうと、申し訳なさを感じつつ、ロマーノは気まずくなって窓から外を見る。
「うっせーぞコンチクショー!なんだよ!」
『なんだよやあれへんよ!お前今どこにおるん?起きたらおらへんから、ビックリしたやんか』
やっとシエスタから起きたらしいスペインは、珍しく電話口で慌てていた。それに驚きつつ、ロマーノは口を開いた。
「バル」
『どこの?』
「どこでもいいだろ」
『よくないわあ。俺も今から行くから』
「はあ?来なくていい」
『なんでそんな寂しいこと言うん……』
しょんぼりしたスペインの声に、ロマーノはしまったと小さく舌打ちする。それを悪い方に捉えたのか、電話の向こうからスペインの悲しそうな呻き声がした。
「もう飲み終わって、帰ろうとしてたところなんだよ……」
謝ることも出来ず、ロマーノは苦し紛れにそんな言い訳を零した。まだカップの半分以上残っているコーヒーは、とりあえず見ないふりをする。
『俺は起きてすぐお前を探してたのに、一人だけコーヒー飲んでたんやなあ……』
恨めしそうな声がして、ロマーノは露骨に顔を歪めた。めんどくさいことを言い出した、と思わずにはいられない。
「……俺が帰ってる間に飲んでればいいだろ」
『俺かて人が淹れたおいしいコーヒー飲みたいわあ……』
「…………」
『ロマーノだけズルいわ〜〜〜』
わざとらしく伸ばされた語尾に、ロマーノはわざとらしくため息で返す。スペインは基本的に大らかで鷹揚な男だが、時に今のようにぐちぐちとロマーノを責め立てることがある。決して本気で怒っている訳ではないとわかっているが、ロマーノはスペインのこういう態度にあまり慣れていなかった。まるで子供が見せるようなその態度が新鮮で、くすぐったい。
「……わかったよ!帰って俺が淹れてやればいいんだろ!」
『やった〜〜〜!はよ帰ってきてな!』
「大人しく待ってろカッツォ!」
そう言って、ロマーノはスペインとの通話を一方的に切った。最後はロマーノも大きな声を出してしまったせいか、店内の視線が突き刺さる。気まずい思いを抱えつつ、ロマーノは残りのコーヒーを飲み干して、店を出た。
「……あいつのせいで恥かいたぞ、ちくしょう」
帰路につきながら、ロマーノはそう愚痴をこぼす。ロマーノが話しているのはイタリア語なので、当然周りの人にはロマーノの愚痴も理解できない。不可解そうな視線を受けつつロマーノがスペインの家を目指していると、途中で花屋が視界に入った。
店先を彩る花に思わず足を止め、ロマーノは店内をざっと見る。技術の進化のおかげで、季節に関係のない花だって店には並んでいた。そんなロマーノの視線の先には、真っ赤に色づくバラがある。
(……いや、いやいや……)
しばらくその場に立ち止まって考える素振りを取ったロマーノは、すぐ首を横に振った。かつてスペインに花を贈った記憶はあるが、それは誕生日のプレゼントと合わせてだとか、道端に綺麗に咲いていたからだとかで、大層なものを贈ったことはない。
(赤いバラなんて、そんな、あからさまな……)
そう考え、ロマーノはひとり赤面する。ベッラをナンパするならバケツごとバラを買っても構わないが、スペインに赤いバラを贈るだなんて、心から愛してると言っているようなものだ。そんなこと、ロマーノが出来るはずがなかった。
やめようとまた足を動かそうとしたところでふと、ロマーノの目にあるものが映った。それにまたしても動きを止めたロマーノに、店員が近づいてくる。
「どうぞ。店内にもありますよ」
促されるまま、ロマーノは店内へと足を踏み入れた。



何も言わずにロマーノが家の中へ入ると、待っていましたと言わんばかりの勢いで、スペインが玄関まで走ってきた。
「遅いやん!はよ帰ってきてって言うたのに!」
勢いを殺しきれずぶつかりそうな距離で言うスペインに、ロマーノは背を逸らして顔を遠ざける。思わず体に力が入り、後ろ手に持っているものを潰してしまわないか、内心ロマーノは冷や冷やしていた。
「コーヒー飲み終わってるなんて嘘やったんや……うん?」
黙り込んでいるロマーノを不思議に思ったのか、スペインは首を傾げてまじまじとロマーノを見る。そこでふと、後ろに回ったロマーノの左手に気が付いた。
「何持ってん……ブッ!」
何かを隠しているようなその仕草に、スペインはロマーノの背中を覗き込もうとした。しかし見られてしまう前に、ロマーノは後ろに回していた手で、スペインの顔に持っていたものを思い切りぶつけた。
ひらり、と赤い花びらが散る。
「いった!な、なに……?」
ぶつけられたものを受け止め、スペインは改めて受け止めたものを見た。スペインの視界に広がったのは、赤いカーネーションだった。
「花束……?」
どうして、と言いたげな様子でスペインがロマーノを見る。ロマーノは赤いカーネーションに負けず劣らず、顔を真っ赤にして仏頂面をぶら下げていた。腕を組んで何かを考えるように黙り込んだ後、ロマーノは小さく舌打ちをしてスペインから目を逸らす。
「たまたま通りかかった花屋で……えっと…………そう!カーネーションが安売りされてたんだよ!」
「そう?」
「そ・う・だ!」
力強く答え、ついでに「捨てられるのもかわいそうだと思ったから、仕方なく俺が買ってやったんだ」と必死に言葉を紡ぐロマーノを、スペインは相変わらず不思議そうな様子で見つめていた。
「ふうん。そうなんや」
「えっ……」
あっけらかんと頷くスペインに、ロマーノは目を瞠った。ロマーノからスペインに花束を贈ったことは何度かあるが、そのたび大袈裟なぐらい喜んでいたのだ。それこそ道端に咲いていた名前もわからないような花だって、しおりにすると騒いで感涙していた。だというのに、今のスペインの態度は随分とさっぱりしている。肩透かしを食らってぼうっとしているロマーノに、スペインは目を細めて笑った。
「ありがとう」
「お、おう……感謝しろ、このやろー……」
呆然としながらでも、悪態を忘れないのがロマーノだ。そんなロマーノを尻目に、スペインは小さな花束を大事そうに抱えつつ、一歩ロマーノに近付いた。
「ところで、ロマーノ」
近付いたスペインから離れるように、ロマーノは一歩後ろへ下がった。するとその距離を詰めるように、スペインもまた一歩前へ出る。
「な、なんだよ……つか、近ぇ……」
ロマーノが一歩下がると、スペインが一歩進む。そんなやりとりも長くは続かず、すぐロマーノの背中は玄関のドアに触れた。そんなロマーノを見てにこりと笑うスペインに、追い詰められたのだと気付いたのは、スペインの手がロマーノの肩に触れてからだった。
「赤いカーネーションの花言葉って知っとる?」
相変わらず近い距離で首を傾げるスペインに、ロマーノは口角を上げて笑った。
「母への愛……だろ?店員のベッラが教えてくれたぞ」
ベッラと聞いて、スペインの眉がぴくりと反応した。気に食わないように目を細めたスペインは、ロマーノの首元に顔をうずめ、そのまま首筋に柔く嚙みつく。
「ひっ……!」
人に触れられることがほとんどない、肌の柔らかい部分にスペインの歯が立てられる。それだけでロマーノは目を見開いて、喉を鳴らして震えた。くすぐったさと、その先の恐ろしさで逃げそうになったロマーノの背が、強くドアにぶつかりガタっと音を立てる。
「……お前の母親になったことなんて、一度だってないねんで。俺は」
耳元でそう囁いた後、スペインはまた首筋に顔をうずめて、先ほど噛んだ場所に舌を這わせる。あたたかい濡れた感触に、背筋を震わせてロマーノは唇を噛んだ。そうしていなければ、変な声が漏れているところだった。
「んっ……ちょ、まっ……!」
何度か舐められた後、強く肌を吸われていることに気が付いて、ロマーノは慌ててスペインの腕を掴んだ。けれどそんなことで離れるはずもなく、ロマーノの抵抗空しく、スペインはロマーノの肌にキスマークを残すと、満足そうに顔を離した。つけられた首筋は、ロマーノからでは確認できない。けれど嬉しそうにじいっとスペインが見つめている場所に、確かに赤い花が咲いていた。
「カーネーションの花言葉ってな、まだあるねんで」
ロマーノは突然のスペインの行動に頭が追い付かず、涙目になりながらスペインを見た。喜色が滲んだスペインの顔は、鼻先が触れそうなほど近くにある。
「熱烈な愛」
途端に真っ赤になったロマーノの頬に、スペインがキスをする。わなわなと体を震わせるロマーノの肩を撫でながら、スペインは少し顔を離して、真っ赤になって震えているロマーノを見た。
「そもそも俺んちやったら、カーネーションなんて情熱そのものや」
長くスペインの家に住んでいたロマーノが、そのことを知らないはずがない。スペインという国家を象徴する赤いカーネーションを見ると、あまりにらしくて、ロマーノの頭はいつもスペインの孫座が掠めていた。だから花屋の店先でうっかり足を止めてしまったのも、つい引き寄せられるようにカーネーションの前まで行ってしまったのも、ロマーノからすると不可抗力だったのだ。
「お前の気持ち、一本残らず大事にするな。俺も愛しとるで、ロマーノ」
嬉しそうにそう言葉にしたスペインは、ロマーノにキスしようと顔を近づけた。唇が触れそうになったその時、ついに恥ずかしさが爆発したロマーノは、思い切りスペインに頭突きをする。
「いっ……!」
ゴッと鈍い音がしたのと同時に、スペインが声にならない悲鳴を上げた。予想外だったのか、スペインは痛みを訴える額に手を置いて、体を壁に預け痛みに悶絶している。頭突きをしかけたロマーノも、勢いをつけすぎたのか、額を抑えて痛みに唸っていた。
「な、なに……すんのぉ……!」
「う、うっせー!お前が悪いんだからな、ちくしょー!痛ぇぞこの野郎……!」
「痛いのはお前のせいや……!」
しばらく痛みに苦しんでいた二人だったが、やっと痛みが引いてきた二人は、改めて顔を合わせた。赤くなっている額を擦りながら、スペインは花を潰してしまっていないか、じっくり確認している。
「もー……ほんまロマーノやなあ。このタイミングで頭突きって……」
最初は呆れたような表情をしていたのに、思い出すとおかしくなってきたのか、スペインは肩を震わせて笑い始める。バカにされている気になって、ロマーノは眉をつり上げ、またしても顔を真っ赤にした。
「わ、笑うなちくしょー!」
「ごめんな〜……無理やわあ」
「無理じゃねえ!止めろ!」
いくらロマーノが怒鳴っても、スペインは笑うのをやめようとはしない。恥ずかしさと怒りで、ロマーノはぎゅうっと強くこぶしを握ってスペインを睨みつける。
「大体なんでお前はそう、なんでもかんでも口にすんだよ!気付いたって言うなよ!」
いつも愛情を向けられてばかりで、ロマーノは恥ずかしさで固まって何も返せていないから、せめてと花束を贈った。いくらロマーノが誤魔化したって、そんなことは流石に誰でも気づけるだろう。それはわかっていたが、嘘でもスペインには気付かない振りをしていてほしかった。そうでなければ、事実であってもロマーノは恥ずかしさで、スペインに対する想いをつい否定してしまう。
「俺かって最初は我慢してんで?カーネーションやって気付いて、めっちゃ嬉しくて……でもびっくりもして、逆にちょっと冷静になったぐらいやし……」
花束を受け取って、随分とあっさりした礼を口にしたスペインを、ロマーノは思い出す。あれでもちゃんと暴走しないように、歯止めを利かせていたようだった。それは当然、長くは続かなかったが。
「でも花見るとなんか抑えられへんくなってきて、つい……」
「ついじゃねえ!」
「だって俺、情熱の親分やし。気持ち伝えたいなあって思ったら、もうそんなん抑えてられへんやんなあ!」
「情熱の親分……?」
初めて聞いた言葉に目を眇め、ロマーノはいつの間にかスペインと普通に話せていることに気が付いた。頭突きをしたことで、色々と軽くなった気持がするのは、恐らく気のせいではない。結局のところ、ロマーノの気持ちを追い詰めることも、楽にできるのもスペインだけだと思い知って、ロマーノは顔を顰める。結局スペインが好きで仕方ない自身に、嫌気が差した。
「ロマーノ」
ひとりで顔芸を披露しているロマーノを笑いつつ、スペインは花束の中から一本、カーネーションを抜き取った。何をするのだろうとロマーノがスペインを見ていると、一本のカーネーションを持つスペインの手が、ロマーノに伸びた。びくっと肩を揺らしたロマーノにもお構いなしで、スペインはロマーノの髪を耳にかけ、そこにカーネーションを差した。そのままスペインの指が、ロマーノの頬を撫でる。
「……そろそろお前のこと、ベッドに誘ってもええやろか」
熱っぽいスペインの声に、ロマーノの顔は一気に熱を持った。まるで独り言のようにも聞こえるが、答えを待つようにスペインはじいっとロマーノを見つめ、指でロマーノの頬を撫でている。
ひどい男だと、改めてロマーノは思った。なんでもかんでも口にしないでほしいと先ほど、ロマーノが伝えたばかりだというのに、スペインはまたロマーノの言葉を求めている。そんなこと聞かずに、思いのままロマーノの全てを暴かれれば、どれほど楽であっただろう。
それを許してくれない男を一度睨みつけ、ロマーノは観念するように目を閉じた。そしてスペインの足を軽く蹴る。
「コーヒー飲み終わったらな」
すっかりコーヒーのことを忘れていたらしいスペインは、一度目を丸め、すぐ破顔した。花を潰さないように慎重になりながら、スペインはロマーノを抱きしめる。もうロマーノは抵抗もせず、玄関に預けていた背を浮かせてスペインに身を寄せた。
「俺の恋人は焦らし上手やなあ」
笑いながら、スペインは花を差した方のこめかみにキスをする。くすぐったさを感じながら、ロマーノはスペインの背に腕を回して、ゆるく抱きしめ返した。
「……断られない誘い文句、ちゃんと考えとけよ」
何を言われたって、ロマーノがそれを断ることはないけれど。その秘密を、スペインの頬にキスすることで、ロマーノは隠すことにした。