クーヘンを焼く芋


堅物なドイツは、しかし意外とロマンチストだ。生真面目なので本の内容を鵜吞みにし、それをそのまま行動に起こしてしまうような突拍子のない面もあるが、ヴェネチアーノからするとそういうところもドイツの「おもしろい部分」のひとつである。
そんなドイツのに、ヴェネチアーノが詩をプレゼントした。ドイツを思いながらな書いた詩を、表情はむっつりとしたままだったが、彼なりに喜んでいたようで、すぐお勧めの詩集はないかと相談されたのだ。ヴェネチアーノは詩を読むことも、自身で書くことも好きだったので、喜んで棚に並んでいる詩集を貸し出すことにした。
「脳みそまで筋肉のムキムキ野郎に、詩なんか読めるのかよ」
鼻で笑い、ここぞとばかりにドイツをバカにするのはロマーノである。相変わらずドイツ のことが嫌いなロマーノは、いつだってドイツに容赦がない。
「ドイツはああ見えて、ロマンチストだからねえ」
「ハッ。想像するだけで笑えてくるぜ」
姿見の前で服を正しつつ、ロマーノは失笑する。ヴェネチアーノはそれに肩を竦めて、ロマーノの隣に立って鏡を覗きこんだ。
「兄ちゃんも、スペイン兄ちゃんに詩とか贈ったことあるの?」
「……はあ?なんで俺の話になんだよ」
「だって兄ちゃん、すっごいスペイン兄ちゃんのこと好……」
「なんだって?」
ヴェネチアーノの言葉を遮る様に、ロマーノは鏡越しに強くヴェネチアーノを睨みつけた。殺意すら込められていそうなその視線に、ヴェネチアーノは慌てて口を閉ざす。怒りを露にすると、なおさら事実だと認めているように見えるのだが、ヴェネチアーノは火に油を注ぐ様な愚行はしない。
「空港までスペイン兄ちゃんのこと迎えに行くの?」
姿見の前でしつこいぐらい恰好を気にしているロマーノは、今から恋人のスペインとデートである。コートの襟を正しながら、ロマーノは何でもないといった様子で頷いた。
「ああ。時間もったいねえし、仕方なく行ってやるんだよ」
口ではそう言いつつ、今朝は随分と早起きで、忙しない様子で朝食の準備をしたり、服の組み合わせに迷っていたりしたロマーノだ。本当は一秒でも早くスペインに会いに行きたいのだろう。入念に服装のチェックをしているロマーノを見て、ヴェネチアーノは笑みを深めた。
「そっかあ。楽しんできてね」
「余計なお世話なんだよ。カッツォ」
今日はヴェネチアーノが家にいないので、珍しくスペインがイタリアへ遊びに来る。二人は大体、ロマーノがスペインの家に行くことが多いので、余計にロマーノは張り切っているのかもしれない。
「お昼は外で食べて来るよね?」
「たぶんな」
「じゃあスペイン兄ちゃんとすれ違いになっちゃうなあ。残念」
ヴェネチアーノはシエスタの後ぐらいに出発の飛行機を予約していた。昼を食べたら空港へ向かう予定をしていたので、恐らくスペインと会うことは難しいだろう。会えないのは残念であったが、恋人の逢瀬を邪魔するつもりもない。
「スペイン兄ちゃんによろしく伝えておいてね」
「わかった」
面倒くさそうに返事をしつつ、ロマーノはサイドの髪をかき上げ、満足そうに頷いた。ロングコートの裾を翻しながら玄関へと歩き出す。ヴェネチアーノもその後に続いて、玄関まで見送ることにした。
「昨日作ったティラミス、ちゃんとスペイン兄ちゃんにも出してあげてね」
「わかったわかった」
「あと俺が買ったビアンコは勝手に飲まないでよ」
「わかったって」
「あとあと携帯と財布持ってる?」
「持ってるっつーの。うるせえな」
「あっ、家の鍵はちゃんと持って行ってね。締め出されちゃうよ」
「あーーーっ!うるっせえな!マンマか、お前は!」
鬱陶しそうに舌打ちしつつ、ロマーノは壁にかけていた鍵かけから家の鍵と、車の鍵をひったくった。それをきちんと見届けて、ヴェネチアーノは手を上げた。
「いってらっしゃい、兄ちゃん」
玄関のドアを開き、肩越しにロマーノは振り返った。にこにこと手を振るヴェネチアーノに片眉を跳ねさせ、べっと舌を出す。
「芋臭くなって帰ってきたら、家に入れねえからな」
そう一言残し、ロマーノは家から出て行った。ヴェネチアーノが鍵をかけてリビングへ戻る頃、外から聞きなれたエンジン音が鳴りだして、ヴェネチアーノはひとり笑う。スペインに会えるおかげか、心なしか車のエンジン音がいつもより軽快に聞こえた。
「よっし!準備しよ!」
準備といっても、たかだか一泊するだけなので大して時間はかからない。一日分の着替えを用意すれば、あとは大体ドイツが物を貸してくれるので、荷物はさほど多くなかった。
余裕をもって空港へ向かえるように、少し早く昼食を済ませたヴェネチアーノは、テレビをBGMに携帯を操作していた。国の結構な割合が利用しているヘタスタグラムに昼食のパスタを投稿し、見ていなかった他の国の投稿を確認する。すると朝の早い時間に、ドイツがクーヘンの写真をアップしていた。
「わー!クーヘン焼いてくれたんだ。楽しみだなあ」
誰の為と書かれてはいなかったが、恐らくヴェネチアーノの為に焼かれたクーヘンにいいねをつけて、ヴェネチアーノは「えへへ」とにやけた。筋肉ムキムキのドイツは、体は大きいけれど細かい作業が得意で、彼の焼いたクーヘンはとびきりおいしいのだ。
そこでふと、ヴェネチアーノは肝心の詩集を本棚から取り出していないことを思い出した。携帯をテーブルに置き、そばに置いていたバッグを持って自室へ急ぐ。ロマーノと違い、ある程度片付けられたヴェネチアーノの部屋であれば本棚を探すことも、その本棚からお気に入りの詩集を見つけることは難しくない。目的の詩集を二冊ほど手に取り、ぱらぱらとページをめくる。
「うーん……せっかくだから、俺が好きなやつに目印つけとこうかな」
もう何度も読んだものなので、ヴェネチアーノは大体の内容を覚えている。デスクから付箋をとり、ベッドに寝転がって本を広げた。そしてヴェネチアーノが好きな作品のページを開き、迷いなく付箋を付けていく。
ベッドに転がりながら、しばらくそうして付箋をつけていると、だんだんヴェネチアーノがうとうととし始めた。腹も膨れ、もう少ししたらシエスタの時間帯だ。習慣とは恐ろしく、きっちと睡魔が襲いくる。
ページを捲る音の間隔がゆっくりになり、ヴェネチアーノは開いた本を枕にするようにして、そのまま眠ってしまった。



はっと唐突に目を覚ましたヴェネチアーノは、起きてしばらく固まっていた。恐る恐る顔を上げて時計を確認すると、搭乗手続きのタイムリミットが刻々と迫ってきている。ヴェっと小さく悲鳴を上げたヴェネチアーノは、開いたままだった詩集二冊と、付箋を手に立ち上がった。
(ちょっと寝るだけのつもりだったのに……!やっちゃったなあ、ドイツに怒られちゃう……)
怒られるだけなら別にいいのだが、ヴェネチアーノはドイツが残念そうに肩を落とす姿を見るのが嫌だった。きっと心を込めてクーヘンを焼き、気合を入れてヴェネチアーノを迎えてくれるはずである。生真面目なドイツのことだから。
遅れて夕飯に間に合わないなんてへまはしたくなかった。ヴェネチアーノはバッグに詩集を詰めながら部屋を出て、階段を一段飛ばしでおり、リビングまで廊下を駆け抜けた。そんな慌てているヴェネチアーノの目に、開きっぱなしになっているリビングのドアが見える。
リビングにあるソファに、人影があった。ヴェネチアーノがのんびり眠っていたせいで、入れ違いになるはずだったロマーノとスペインが帰ってきてしまったのだ。それに気づき、ヴェネチアーノは声を上げようとした。
「に……」
「……あっ!」
兄ちゃん、寝坊しちゃった!
というヴェネチアーノの言葉は、やけに甲高い声に遮られた。それがあまりに艶やかなもので、ついヴェネチアーノは足を止めてしまう。
「ロマーノ……」
ため息を零すようにスペインが名前を呼ぶと、続けてちゅっとリップ音が鳴る。ドアがある位置から、リビングにあるソファは斜めの角度になっており、全てはよく見えない。しかしロマーノとスペインがソファにおり、ついでにスペインがロマーノに覆いかぶさっていることはヴェネチアーノからも確認できた。そして不自然に、宙に浮いたロマーノの足も。
(イチャつい……?というか、これは……もしかして……)
ロマーノに覆いかぶさるスペインは、あまり服を着崩していない。しかしソファの足元にはジーンズとトマト柄のパンツが落ちていた。ヴェネチアーノにはそのどちらも見覚えがある。今朝、ロマーノが服を着替える姿を見ていたからだ。
覆いかぶさるスペインの服も少しはだけ、黒いトップスが少しまくれて、腰が見えた。ズボンは脱いでいないようだったが、ベルトがゆるんでいるのかズボンが腰から少しずれ、兄と同じトマト柄のパンツが顔を覗かせている。
(セックスしてる……!?)
そんな予測を立て、ヴェネチアーノは音を立てずに、その場にしゃがみこんだ。驚愕に目を見開いて固まっているヴェネチアーノをよそに、ロマーノはヴェネチアーノに聞かせたことのないような甘えた声で、スペインの名前を呼んだ。
「はやく動けよ、ちくしょー……」
「あはは。ごめんごめん」
会話自体はヴェネチアーノがよく聞いているものと変わらないように感じるが、声色が違った。甘え縋るロマーノの声も、いつもなら慈しみしか感じさせないような優しい声が、どこか楽し気に聞こえる。
わざとらしくリップ音を立てながらキスをして、そこに濡れた音が混じり始める。ゆるやかに攪拌するような音に合わせて、わずかに見えるスペインの腰が揺れている。見ていられなくなって、ヴェネチアーノはバッグを顔に押し当てる。廊下の壁にもたれかかりながら、どうしようとひたすら頭を抱えた。
(二人のセックスなんて見たくないし聞きたくないよぉ!でも玄関まで行くには、リビングを通らないと……)
そこまで考え、ヴェネチアーノはハッとして顔を上げた。バッグをずらし、廊下へと振り返る。
どこかの部屋の窓から外へ出ればいいのだと、ヴェネチアーノは唐突に閃いた。実の兄と兄のように慕っている昔馴染みの情交をうっかり見てしまい、動転してそんな簡単なことすら思い浮かばなかった。
「うっ、ぁ……や、も……スペイン……」
「どないしたん?」
小さく息をつき、優しく答えるスペインの声を背後に聞きつつ、ヴェネチアーノはどの部屋がいいだろうかと視線を彷徨わせている。一番遠い部屋であれば、窓を開けた時の物音が聞こえない気はしたが、遠ければ遠いほど足音のリスクを考えてしまう。
「ゆっ、くり……んっ、やめ、ろ……」
「気持ちよぉない?」
「いい、からっ……!」
極力会話に気を取られないよう、ヴェネチアーノは地面を這いながら慎重に進み始めようとした。しかし背後ではそんなヴェネチアーノの気遣いなど知らず、恋人たちは愛し合う行為をエスカレートさせていく。
「もう大丈夫?」
「んっ……はやく……」
強請るようなロマーノの声がした後、さっきまでゆるやかだった音が少しずつ激しさを増していく。肌がぶつかるような乾いた音とロマーノの嬌声が響き、ヴェネチアーノは泣き出しそうであった。
(うわ〜〜〜本格的になってきちゃった……ドイツー!助けてドイツー!)
心の中で助けを呼んでいたヴェネチアーノはふと、廊下を進むのを止めた。しばらくぼうっと固まっていたヴェネチアーノは、急に服のポケットやバッグを漁り始める。手を入れてみたり、バッグの中の物をひっくり返してみたりしたが、目当てのものが見つからずヴェネチアーノの顔色が悪くなっていく。
(……携帯がない)
そうやってヴェネチアーノが絶望している間でも、日中とは思えない喘ぎ声が響いている。ヴェネチアーノは眠ってしまう前の記憶を辿りつつ、くるりと振り返ってリビングを見た。見えるのはがたがたと揺れるソファと、その揺れに合わせて動くスペインの腰とロマーノの足のみ。スペインの背後にあるローテーブルに何が乗っているかまでは、見えない。
(テーブルに置いた気がする……)
詩集を部屋に取りに行くとき、携帯はテーブルに置いて、ヴェネチアーノはバッグだけを手に持っていた。詩集をバッグに入れたらまたリビングに戻って、出かける時間までのんびりするつもりだったのだ。
携帯は今や必須アイテムである。飛行機のチケットももちろんネットで予約し、その予約画面も携帯がなければわからないし、キャンセルするにも携帯が必要だった。ましてやドイツに着いたとして、ドイツに連絡を取るにも携帯が必要で、遅れる旨を伝えるにも携帯は必須である。昔であれば助けを呼ぶためにドイツの家の番号は覚えていたが、今ではもうほとんど思い出せない。
二人にバレずに家から出ようと思っていたヴェネチアーノは、ここにきて最大の難関が立ち塞がった。あの二人に気付かれないよう携帯をゲットし、家を出なけれならなくなったのだ。携帯を諦めるという選択は出来ない。だからといって、セックス真っ最中のところに「失礼します〜」と言いながら、携帯を取りに行く勇気も度胸もない。確実に兄であるロマーノに殺される予感がした。
「あっ!ん、ぁ……あ、あ……!」
肌を打つ音が激しくなるにつれ、ロマーノの嬌声もどんどん大きく、そして切羽詰まったものになっていく。ヴェネチアーノはまたリビングの手前まで戻り、こそっと覗き込んだ。がたがたと揺れるソファの足が、激しさに耐えられずマットの上を滑っていく。ソファがズレたせいか、さっきまでほとんどソファに隠れて見えなかったロマーノが、ヴェネチアーノの位置からでも少し見えた。
正常位でソファに沈んでいるロマーノは、足を高く持ち上げられて腰を浮かせている。スペインはそんなロマーノに覆いかぶさり、ソファに手をついて容赦なく腰を振っていた。少しでも顔を横に向ければヴェネチアーノがいることはすぐわかるはずなのに、ロマーノは気持ちよさに目を細めており、スペインもそんなロマーノをじっと見つめているばかりで、互いに視線を逸らそうとはしなかった。
見ていられなくなって、ヴェネチアーノは顔を伏せて腕の中にあるバッグをぎゅうっと抱きしめた。ヴェネチアーノは二人の仲を応援していたし、恋人としてうまくやっているようで嬉しかった。しかし身内の性行為を目の当たりにするということは、思ったよりダメージを負うものである。
「も、すぺいっ……!」
「いきそ……?」
まさしくクライマックスを迎えようとしている二人の声を聞き、ヴェネチアーノは途端に焦り始めた。二人がセックスに夢中になっている間は、そもそもいないものと思っているヴェネチアーノの存在に気付かれる可能性は低い。しかし事が終わって冷静になれば、シャワーでも浴びようとなるだろう。そのシャワールームは、ヴェネチアーノがいる廊下の先にある。
(どうしよう……携帯を諦める……いやでもそうすると、何もできないし……どっかの部屋に隠れて、二人がシャワーに行ってから、携帯を回収……でもそれ、ドイツに行くのすごく遅くなっちゃう……)
ぐるぐると考えていたヴェネチアーノは、ロマーノのひときわ大きな声を驚いて、はじかれるように顔を上げた。二人の方へ顔を向けると、狭いソファの上で二人は強く抱きしめ合っている。
「い、く……いっ、ぁ、ああー……」
「っ、ロマ……!」
ぐっと腰を押し込んで、スペインは息を詰めた。ロマーノも持ち上げられた足をピンと伸ばし、必死にスペインへ抱き着き、達している。互いに息を乱して、汗だくになりながら二人は体を抱きしめ合いながら震えている。
そんな二人を眺めて、顔を赤くしつつヴェネチアーノはいいなあと思っていた。ヴェネチアーノに恋人はいない。女の子をナンパして食事だけのデートをすることはあっても、久しぶりの逢瀬でベッドルームまで行く余裕もなく、まだ外が明るいうちから互いを求めあうような関係を築けたことが一度もない。そんな風に求め、求められる関係は特別だ。ヴェネチアーノから見える二人は、確かによく知っている二人であるはずなのに、知らない顔をしている。ヴェネチアーノが知らなかった、二人だけが知っている特別な表情をしている。
少しずつ息が落ち着いてくると、どちらからともなく口づけあい、離れるのを惜しんでいるようであった。とんでもないものを見てしまったが、ヴェネチアーノは続くリップ音に顔をゆるめる。
「気持ちよかった?」
「……見てわかんねーのか」
「んふふ。かわいかったで」
「そういうこと言ってん、じゃ……うっ」
ピロートークを始めた二人であったが、突然ロマーノが小さく喘いだ。息を詰めながら小さく震えるロマーノに、スペインが嬉しそうに目を細めている。
「な……もっかいしよ」
ゆるく腰を動かしながら、スペインは赤い顔をしたロマーノに鼻先を摺り寄せる。小さく揺すられるたび、ロマーノは鼻にかかった声をもらした。
「んっ……いい、けど……」
「けど?」
「……お前も脱げよ」
拗ねたような口ぶりで、ロマーノはスペインのシャツに手をかけた。スペインは心得た様子でロマーノに脱がされるのを待っている。その間もスペインは好きなようにロマーノに触れ、キスをしていた。
(えーーー!?もう一回するの!?ここで!?)
驚愕にヴェネチアーノは固まった。しかしそんなヴェネチアーノを置き去りに、ロマーノがスペインのシャツをはぎ取って床に捨て、また抱き合って濃厚なキスが始まる。本当に二回目が始まりそうな予感に、ヴェネチアーノはまた頭を抱えた。
シャワーに行ってる間に携帯をゲットしてこっそり家を出る作戦は、断念しなければならない。もう一度のフィニッシュまで待っていては、それこそドイツの家に辿り着くのが何時になるのかわからなければ、今の雰囲気だと下手すれば三回目までありえそうだった。
だからといって堂々と「今まで見てたよ!」と割り込むわけにもいかない。どうしたものかと頭を抱えていたヴェネチアーノは、とある閃きにはっと目を瞠った。
(窓から一回外に出て……忘れ物を取りに来た体でベルを鳴らせば……不自然じゃない、よね?)
頭の中でその流れを思い描き、ヴェネチアーノは自分自身に問いかけて頷いた。結局セックスを邪魔してしまうことになるが、ずっと見られていたことに気付くよりマシだろう。問題は呼び鈴を無視されないかだが、根気よく鳴らし続けて外から声をかければ、恐らくどちらかが玄関には立ってくれるはずだ。そこに携帯を持ってきてもらえれば完璧である。
「なあ、今度は違うかっこうでしよ」
「ん……どんな……?」
「うーん……」
迷っている二人の声を聞きながら、ヴェネチアーノはこれで完璧だともう一度頷いた。今度こそとゆっくり立ち上がり、中腰になる。足音を殺してそーっとヴェネチアーノが一歩踏み出したその瞬間、騒がしい着信音が鳴った。発信源は、もちろんリビングのローテーブルの上からである。
「……ヴェっ!」
音を出さないようにと緊張していたヴェネチアーノは、突然の着信音に驚いて悲鳴を上げ、腕で抱えていたバッグを手離してしまった。無情にもバッグは大きな音を立てて床に落下する。
「え……」
スペインの驚いた声が背後からして、ヴェネチアーノはゆっくりと振り返った。すると驚愕に目を見開くスペインとロマーノが、廊下で中腰のまま顔だけ振り返ったヴェネチアーノを見つめている。目を合わせた三人は、まるで時が止まったかのようにフリーズし、その間を跳ねるように愉快な着信音と振動音だけが流れていく。
日中の明るい部屋の中、立ち上がっていることもあり、ヴェネチアーノはさっきよりずっと二人の格好がよく見えた。まだ正常位で挿入されたまま、ロマーノは自身のもので腹を汚している。いくつかソファにまで染みが出来ていることまで見えたが、流石にこの空気でヴェネチアーノが怒ることは出来なかった。
しばらくして着信と振動、どちらの音も止んだ。しいんと静かになって初めて、ヴェネチアーノは不格好な笑みを浮かべて口を開く。
「ちゃ、ちゃお……?」
その挨拶に返答はなかったが、スペインははっと我に返り、まだ固まっているロマーノを見下ろした。そして汗が浮かんだ肌、汚れた腹や性器を見て、慌てた様子でその体に覆いかぶさり抱きしめる。
「わあーーー!あかんんん!」
「んっ、ぅ……!」
強く抱きしめられたことで、中の角度が変わりロマーノから震えた声が上がる。けれどスペインは離れようとはせず、それはまるでヴェネチアーノの視界からロマーノを隠すようであった。
「いくらイタちゃんでも、今のロマーノは見たあかん!」
大きな声でそう訴えるスペインの言葉で、やっとヴェネチアーノはスペインの行動の意味がわかった。ヴェネチアーノは足元に落ちているバッグを慌てて持ち上げる。
「ごめん!ほんとごめんね!」
早口で謝り、ヴェネチアーノは極力二人を見ないようにしつつ、リビングに足を踏み入れて携帯を手にした。そして走り去る様に玄関まで向かい、二人に声もかけず家を後にする。廊下から玄関までの距離など短いというのに、ヴェネチアーノは緊張と焦りから肩で息をしていた。外の冷たい空気を大きく吸って、勢いよく吐き出しながら肩を落とした。
「はあ〜……びっくりしたあ……」
一言もらし、ヴェネチアーノはゆっくりと歩き出す。予約していた飛行機にはもうどうがんばっても乗れないので、潔く諦めてのんびり空港を目指すことにした。
ヴェネチアーノは手にある携帯を確認すると、先ほど着信音を鳴らしたのはドイツだったようだ。それに苦笑しつつヴェネチアーノが折り返すと、ドイツはすぐ電話に応えた。
「ドイツ〜!チャオチャオ」
ヴェネチアーノがいつものように挨拶をすると、ドイツも普段よりいくらか優しい声色で挨拶を返した。
『もう少しで搭乗時間だと思ってな。飛行機は順調に飛びそうか?』
「それなんだけど……実は乗り遅れそうで……」
『なんだと』
優しかった声が、一瞬で硬くなった。それにヴェネチアーノ苦笑しつつ、ごめんねと謝る。予想外の事態が起こって遅くなってしまったが、寝過ごしてしまった時点で飛行機には間に合わなかった。
「ちょっとシエスタしちゃって、それで兄ちゃんが……」
ソファでセックスしていた二人を思い出し、ヴェネチアーノは言葉を止めた。ヴェネチアーノに聞かせたことがないような声で甘え、二人だけが知っている顔で愛し合っていた。
先にスペインを好きになったロマーノは、いつもヴェネチアーノに「あいつは鈍感だ」とどこか寂しそうな表情で、スペインの愚痴を吐いた。片想いの期間が長かっただけあって、ロマーノはスペインの好意を信じきれてないようで、でも手離せないまま。自分ばっかりが好きなんだという顔で、拗ねていた。
けれど特別な顔をしているロマーノを、兄弟であるヴェネチアーノに隠そうとしたスペインが、ロマーノを好きでないはずがなかった。スペインの中にあるその独占欲を、確かにロマーノも気付いただろう。
『……ロマーノが?』
急に黙り込んだヴェネチアーノに、ドイツが続きを促すように問いかけた。それにはっとして、ヴェネチアーノは肩を竦めて笑う。
「兄ちゃんがね、幸せそうでよかったなあ……ってことがあったんだよ」
『ほう……それが理由で遅れると?』
「うん!そう!」
『はあ……よくわからん』
深いため息をつくドイツにヴェネチアーノは笑いながら、バス停に辿り着いた。バスに乗って一本、駅まで行って電車に乗って……電話先のドイツの元まで行ける道のりを考え、その距離がヴェネチアーノはもどかしく感じた。
「ねえ、ドイツ。俺のクーヘン、残しておいてね」
『……お前の?』
「そう。お前が俺の為に焼いてくれたクーヘンだよ。ヘタスタで見た時から、ずっと楽しみにしてたんだ」
誰もいないバス停の駅で、ヴェネチアーノは大きく息を吐いた。白く濁る視界の中、頬を撫でる冷たい風にヴェネチアーノは背を丸める。
「ああ〜……ドイツのムキムキが恋しいや」
『どうしたんだ。今日はいつにも増してよくわからん……』
困惑したドイツの声を聞きながら、早くバスがこないかと道路の先ばかりを見る。こんな風に人肌が恋しくなってしまうのは寒いせいでもあったが、ロマーノのあんな姿を見てしまったからだろう。ヴェネチアーノはただ単純に羨ましかった。
早く飛行機に乗って、ダサいセーターを着たドイツの胸に飛び込み、ムキムキを堪能しつつ抱きしめられたかった。大きな体のわりに、クーヘンを焼いたせいできっと甘い匂いを漂わせているドイツに包まれながら、彼の焼いたクーヘンを食べたい。そしてロマーノとスペインの話をし、真っ赤になっているドイツを見て、ヴェネチアーノは笑うのだ。
「ね、俺の為に詩を書いてよ。ドイツ」
それがとびきり恋の詩であればいいなと、ヴェネチアーノはこっそり思うのだ。

ヴェネチアーノがドイツに着いた頃、スペインから謝罪の連絡があった。申し訳なさそうに謝る彼に、ヴェネチアーノは次の誕生日に新しいソファを買ってほしいと強請ると、スペインは照れながらも頷くのであった。





お誕生日おめでとうございます…!
階段駆け下りてきた音に気付かないとかなかろーて…って今でも思ってます