ミッシング・ユニバース 01
※Dom/Subユニバースのパロディ弟に悪気がないことはわかっているが、少々口が軽いきらいがある。かねてよりロマーノはそう思っていた。
「このバカ弟! お前はなんでそう何でもかんでも人に言っちまうんだよ! コノヤロー!」
「ヴェ〜……ごめんよ、兄ちゃん」
ロマーノの怒声が、開きっぱなしになっている窓から家の外まで響き、近くの木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び去った。しかしそんなことを気に掛ける余裕もなく、ロマーノは目の前で涙を浮かべて震えているヴェネチアーノを睨みつけている。
「だって、兄ちゃんが心配で……」
「大丈夫だって言ってんだろうが! カッツォ!」
そう怒鳴りながら、ロマーノは先程まで頭を乗せていた愛用の枕を、ヴェネチアーノに向かって投げつけた。震えていたヴェネチアーノは咄嗟に頭を手で覆って防御したが、枕はヴェネチアーノにぶつかる前に、空中でぴたりと止められる。
「あかんで、ロマーノ。大事な弟に物投げたりしたら」
「邪魔してんじゃねえよ! スペインコノヤロー!」
投げたはずの枕を片手で止めたのは、つい先ほどヴェネチアーノに連れられて、ロマーノの部屋に入ってきたスペインだった。彼は難なくキャッチした枕を、優しくロマーノに投げ返している。舌打ちをしつつロマーノはそれを受け取り、ヴェネチアーノとスペイン、両方を睨みつけた。
「何しに来たんだよ、お前」
部屋にスペインが入ってきた時と全く同じ言葉を、ロマーノは繰り返した。スペインがロマーノとヴェネチアーノが住んでいる家に来ることは珍しく、連絡もなく突然やってくる。しかし今回はヴェネチアーノと連れ立って家に向かってくる姿を窓から見ていたので、おそらく弟はスペインが来ることを知っていたはずだ。
ここ最近、ロマーノは仕事を休みがちになっている。もしかするとロマーノが知らないところで、イタリアとスペイン間での仕事があったのかもしれない。しかしそんなロマーノの予想を裏切り、へらへらした笑顔を浮かべて、スペインはロマーノの疑問に答えた。
「ロマーノのお見舞いやって、さっきも言うたやん。なんや今の姿見とったら、普通に元気そうやけど」
ロマーノは手に持っていた枕をぎゅっと強く握りしめた。殴りたい衝動を何とか抑えている。
「でもここしばらく、兄ちゃんほんとにしんどそうだったんだよ……。仕事出来ないぐらい……」
「ロマーノが仕事せえへんのなんていつものことやん」
好き勝手なことを言うスペインを、ロマーノは黙って睨みつけている。すると何かを察したのか、ヴェネチアーノは少し慌てた様子で部屋のドアへと向かった。
「俺、何か飲み物でも用意してくるから、兄ちゃんのことよろしくね。スペイン兄ちゃん」
「おう! 親分に任せとき!」
ガッツポーズするスペインに、ヴェネチアーノはにこりと笑って部屋を出て行った。足音が遠ざかっていくのを聞いてから、スペインは勝手知ったる様子で、ベッドのそばにあるデスクの椅子を引っ張り出し、ベッドのそばに椅子を置いてそこに腰を下ろした。椅子に座ったことで、ベッドに座るロマーノとスペインの目の高さが同じぐらいになる。
「具合悪いんやって?」
「……ちょっとな」
先程までのへらへらした笑顔がなくなり、スペインは眉をハの字にして、心配そうにロマーノを見つめている。普段あまりスペインが見せないその表情に、ロマーノは居心地の悪さを感じ、スペインから目を逸らした。
しばらくそんなロマーノの顔を観察した後、スペインはロマーノへ手を伸ばし、そっと頬に触れた。手はすぐ移動して額、首元といくつか触れた後、名残惜しそうに指先で顎先をなぞりながら手を離した。
「熱がある訳ではないねんな? 具合悪いって、どういう風に?」
「……眩暈がしたり、頭が痛ぇ。あとちょっと……食欲がない」
素直に症状を口にするロマーノの言葉を聞いて、スペインは目を細めた。何百年と二人は同じ屋根の下で共に過ごしてきただけあって、スペインはロマーノがとても美食家で、食べるのが滅法好きなのを知っている。そんなロマーノに食欲がないというのだから、これは結構な重症で、いつも陽気なヴェネチアーノが心配になるのも仕方のないことだった。
「そらあかんなあ……なんか心当たりはないん?」
「ねえよ。国内でも特に深刻な問題は起きてねえし、何が原因か全然わかんねえんだよなあ」
ロマーノが体調を崩し始めたのはちょうどひと月ほど前で、最初はどうせマフィアが何か悪さをしているのだろうと楽観視していた。しかしロマーノの体調は日に日に悪くなっていき、ついにベッドで横になる日々が続き、体調が改善する兆しが一切見えない。
「人間の病院に行ってみた方がええんとちゃう?」
「最終的にはそのつもりだけどよ……国の体をどこまで診てくれんだろうな」
「俺ら自身も未知やもんなあ」
ロマーノとスペイン、それにヴェネチアーノも見た目は人と同じ形をしているが、彼らは国体で普通の人間とは違う。その存在は世間に周知されており、国により立場は様々だが、国体はみな国のために奔走する毎日である。
国体は人と同じように話して意思疎通が出来、食事を楽しむし排泄も人と同じだ。また人と同じ色の血が流れており、怪我をすれば傷が出来て痛みに苦しむこともある。大体は見た目通り人と同じ部分が多いのが、違う部分があるとすれば、それは死なないということだった。
厳密にいえば死なないという訳ではなく、国という存在がなくなれば、国体も同じように消滅する。人のように遺体が残る訳ではなく、実にあっけない終わりなのだが、最期という意味では人の死という概念が、国体にとっては消滅であった。
体調を崩して寝込むようになってから、ロマーノはひょっとすると己は消滅するのかもしれない、などと考えるようになった。なにせ起き上がることは出来ずとも、頭は正常だったので、暇を持て余すとどんどんマイナスなことばかり考えるようになっていく。
消滅に至る明確な理由や確信があったわけではなかったのだが、ロマーノには己の体調不良の原因が、それ以外特に思い浮かばなかった。もとよりイタリアは北と南で一人ずつ国体が存在しており、どちらかが消滅しても国は問題なく続いていくはずだ。イタリアが統一してしばらく経っており、どちらかが片方に吸収される形になるのなら、優秀な北イタリアが残ることも、不満ではあったが仕方ないことなのだろうと、ロマーノは思っている。
なのでつい先日、ヴェネチアーノに対して「もしかしたら俺、消えるのかもなあ」なんて軽い気持ちでロマーノが口にしたところ、ヴェネチアーノはそれはもうとてつもなく大泣きした。声を上げて泣きじゃくる弟のヴェネチアーノを鬱陶しいと思いつつ、ロマーノは若干の罪悪感を持って、慰めた。抱き着いてきて服が涙と鼻水でぐしょぐしょになったが、文句をぐっと堪え、仕方なく頭を撫でてやった。
おそらくそんな経緯があったから、ヴェネチアーノはスペインを呼んだのだろう。ロマーノにはスペインを与えておけばいいと思っているのか、もしくは消滅を受け入れようとしているロマーノを、代わりに叱らせようと連れてきたのか。現時点で、ロマーノはそれぐらいの予想を立てることしか出来ない。
「病院が怖いんやったら親分が着いてったるからな!」
「いらねーよコンチクショー!」
まだ国として頼りない姿だった頃から世話をしていたせいか、スペインはロマーノをまるで子供のように扱ってくる。そのたびいくらロマーノが怒ったところで、そんな姿もかわいいなどと宣って、聞く耳を持たない。
ロマーノは不服そうに顔を歪めた後、ふて寝するようにベッドへ体を倒した。まだ腕に持っていた枕で頭を支え、ベッドのそばにいるスペインを睨む。さっさと出ていけと視線で訴えたが、違う解釈をしたのか、スペインはにこりと笑ってロマーノの頭を撫でた。
「親分な、しばらくこっちおれんねん」
さらさらと前髪を分けながら、額を撫でるスペインの指先に目を細めつつ、ロマーノは口を開いた。
「そりゃいいけど。お前、仕事は?」
「休みもろてきた。もしロマーノに何かあったら一生仕事せえへんからな! って言うたら休みくれてん」
「駄々こねるガキかよ」
予想外の理由に、ロマーノはぷっと噴き出して笑う。そんなロマーノの表情を見て、スペインは更に笑みを深めた。
昔からスペインは、ロマーノの笑った顔が大好きだった。ロマーノが少し笑ったり、ほんの少しだけ素直な部分を見せると、大層デレデレしてロマーノを抱きしめる。当人であるロマーノも、そうすればスペインが喜ぶということは、とっくに気付いていた。
「親分は医者やないから治したる事は出来ひんけど、ずっとそばにおるからな」
優しく笑って、スペインはロマーノの頭を撫でた。スペインは基本的にイタリア兄弟には大層甘く、本人たちもよく理解していたが、普段より殊更優しい気がする。ロマーノは撫でられながら、そう感じていた。
普段より強い優しさを見せられるたび、本当に滅んでしまうのでは、という危機感が高まる。しかし共に住んでいた時に比べると、ずっと距離が遠くなってしまった今、わざわざ休みをもぎとってそばにいてくれるということも、優しく甘やかしてくれるということも、全てロマーノにとっては幸福なことに思えた。
(本当に滅んじまっても……今なら後悔ねえかも……)
全くの後悔がないと言えば嘘になる。ロマーノはずっと、スペインに対してひた隠しにしていた想いがあった。それは恋心だ。
実の育て親のような相手に対して抱くには、あまりに不相応なそれを自覚してしまった時、ロマーノはとても狼狽した。しかしその相手、スペインはそんなロマーノを越えて、とんでもなく鈍感であった。スペインはロマーノを子供、ないし子分としか見ていないので、鈍感になってしまうのも無理はないのかもしれない。
ロマーノがスペインとの接触で真っ赤になっても「トマトみたいでかわええなあ」と、スペインはへらへら笑うだけ。いくらロマーノがうっかり気持ちの一部を見せてしまっても、勝手に違う意味に解釈して終わらせてしまう。それはロマーノにとって救いであり、同時にとてつもない絶望でもあった。
子が親に恋をするなどと、きっと想像もしていないのだ。ロマーノが至った結論は、それだった。同時にスペインが子分に対して色恋の目を向けることが、一生ないのだということにも気付いてしまった。
ロマーノはただただ、その事実を諦観した。ロマーノ自身、この恋を成就したいのかわからなかった。スペインはロマーノに対し、恋心はなくとも真心は間違いなく存在している。それも己よりロマーノを優先させてしまうほどのものだ。ロマーノは己が愛されていることを知っているし、満足していて不満もない。恋人同士となってこの距離が崩れるより、今のままでも充分満足だと思う気持ちもあったのだ。
幸か不幸か、スペインは恋人という存在を作らない。一夜限りの……というのはあるかもしれないが、スペインはそういった部分をロマーノに見せようとはしなかった。だからロマーノと共に過ごしていた時も、もしかすると恋人がいたのかもしれないが、ロマーノはその存在を知らない。知らなければ、いないのと同じだ。仮にスペインが恋人を出来て紹介などされたら、笑って祝福を述べられる自信はないのだが、当分はロマーノを一番に優先してくれるはずだ。そう思い、ロマーノは現状を変えようとはしなかった。
「……体調が良くなるまで、絶対そばにいろよな」
頭を撫でていた手をロマーノはぎゅうっと握りしめた。スペインはぱちぱちと大きくまばたきをしてから、ふにゃりと嬉しそうに表情を崩す。
「当たり前やんか。嫌って言われても離れへんで」
いつだってスペインはロマーノの望む言葉をくれる。ロマーノという存在を認め、求めてくれる。スペインはきっと知らないだろうが、ロマーノにとってそれは、とてつもなく救いだった。
不思議と、ロマーノは頭痛が少し和らいだ気がしていた。
「元気が出るおまじない、しとこか?」
返事もしていないのに、スペインは「ふそそそ〜」と間抜けな声を出した。ロマーノは鼻先まで布団をかぶり、にやりと緩む口元をなんとか隠して笑った。
次の日、ロマーノは随分と久しぶりに、頭痛を感じず目を覚ますことが出来た。体を起こしてみても、多少の怠さは残っているが、かなり体調が良くなっているのがわかる。ここ最近はずっと、頭痛により目を覚まし、しばらくすると吐き気が襲ってくる毎日だった。
理由はわからないが、体調が回復した。ロマーノはスキップでもし始めそうなほど機嫌をよくして、部屋を出てリビングへと向かった。時計を見るとまだ早い時間で、仕事が休みのヴェネチアーノも、普段から朝が弱いスペインも、まだ起きていない。ロマーノはまず、ゲストルームへ向かった。
昨夜スペインは、ずっとロマーノのそばにいた。夕飯をヴェネチアーノがロマーノの部屋に運んできて三人で食べ、その後もベッドのそばを離れなかった。スペインはロマーノが眠るまで頭を撫でたり、手を握ったりと常にロマーノを構い倒していた。そばにいろと言ったからかもしれないが、きっとスペインはロマーノがそう言わなくとも、そばにいたことだろう。
家の一番奥にあるゲストルームのドアを、ロマーノはノックなしに、静かに開いた。そうっと中を覗くと、いびきは聞こえないものの、寝息を立ててベッドに沈んでいるスペインの姿が見える。
足音を殺し、ロマーノはベッドのそばまで近づいた。スペインは起きる気配がなく、幸せそうな寝顔を晒して眠ったままだ。その顔にロマーノは表情をゆるめ、昨日スペインがロマーノにしたように、そうっと丸い額を撫でる。
「ん……ロマ……」
舌足らずな声が、ロマーノを呼んだ。しかし顔を見ても、起きている様子はない。どうやら夢の中でも、スペインはロマーノの看病をしているらしい。そんなスペインを見ていると、ロマーノの胸の中は不思議とあたたかくなった。ここ最近、ずっと寒々しく苛立っていた日々が嘘のように。
馬鹿みたいな話だが、体調が良くなったのはスペインが来たからではないかと、ロマーノは思っている。昔からそうだった。スペインが船に乗って海へ出ていく度、大きなスペインの屋敷で暮らす日々が色を失くしたようにつまらないものに変化する。けれど土産を持ってスペインが帰ってきて、大きな声でロマーノの名を呼んだ瞬間から、また毎日が色付いてあたたかい日々に戻っていくのだ。
幸せそうに眠るスペインの寝顔を見つめながら、ロマーノは懐かしい日々を思い返していた。もう戻れないあの日々を羨むのは、ロマーノの悪い癖だ。
「……朝飯作るか」
いつまでも寝顔を見ている訳にはいかない。ロマーノはゲストルームを後にして、キッチンへと向かった。スペインはロマーノの作った料理が好きだった。それがスペイン料理であろうと、イタリア料理であろうと、いつも「うまいなあ」と言って、全て軽く平らげてしまう。
ロマーノは、そうやって幸せそうにスペインが、ロマーノの料理を完食する姿を見るのが好きだった。だからこれは見舞いに来てくれた感謝とかじゃなく、自分の為なんだからな。そう自分に言い聞かせつつ、ロマーノはキッチンに立った。
朝飯にチュロスを作って、起きてきたスペインとヴェネチアーノをロマーノが迎えると、二人は揃えて驚きの声を上げた。つい先日まで起き上がれないほど体調を悪くしていたはずのロマーノが、起き上がって料理を作っていたのだから、その驚きも不思議ではない。
二人は体調が良くなったロマーノに大層喜んだ。ヴェネチアーノに至っては、涙を浮かべるほど安心した様子だった。消滅の話をしたせいであると気付いたロマーノは、またしても罪悪感を覚え、少しだけヴェネチアーノの分のチュロスを多くしてやった。
「兄ちゃん、ほんとに大丈夫? 無理してない?」
朝飯、というよりはブランチといっていい時間になったが、三人はチュロスとチョコラータを楽しんだ。ロマーノも久しぶりにリビングで普通に食事が出来て、一層機嫌が良くなる。体調が悪化した際、何かを口にしたいとすら思わなくなってしまい、食事が楽しく満たされることだったというのを思い出した。
「大丈夫だっつってんだろ。いいからお前はさっさとじゃがいも野郎のとこにでも行けよ」
食事を終えてしばらくしてから、体調が良くなったロマーノに、ヴェネチアーノは遊びに行っていいかと聞いてきた。言われずとも行先はドイツだと当たりを付けたロマーノは、渋い顔をしつつさっさと行けと弟の背を押す。
ヴェネチアーノはじゃがいもばかり食べるドイツのことが好きだった。それがただの友愛か、恋愛が混じっているのかまではロマーノの知るところではなかったが、前までは休みになるたびドイツの家に遊びに行っていた弟である。しばらくロマーノの看病に付きっきりだったせいで、ずっとドイツに会えていないのだ。本当は我慢していたのを知っている。だからさっさと会いに行けとロマーノが言っているというのに、家を出る寸前になって、ヴェネチアーノはやはり兄が心配だと足を止めた。
「だってもし明日また体調悪くなったらと思ったら、俺……」
胸の前で指をいじりながら、ヴェネチアーノは不安そうな声を漏らす。そんなヴェネチアーノの肩に、ぽんっと軽い音を立ててスペインが手を置いた。
「大丈夫やで、イタちゃん。当分俺こっちにおるつもりやし、もしまたぶり返してロマーノの体調悪なっても、すぐ連絡するから。安心してドイツんとこ行っといで」
「スペイン兄ちゃん……」
「そうだ。一応こいつがいるからな。好きなだけ遊んで来いよ」
「頼りになる親分やからな!」
「よく言うぜ」
鼻で笑い、ロマーノは肘でスペインを小突いた。そんな二人のやり取りを見て、ヴェネチアーノは目を細めて笑う。寝込んで元気がなかった頃と違い、以前のロマーノに戻ったその姿を見て、今度こそ安心したのだ。
「なら遠慮なくドイツのとこ行くけど……ほんとに何かあったら連絡してね?」
「わかったからさっさと行け。しつけーぞ」
「楽しんどいでな〜」
ひらひらとスペインが手を振ると、ヴェネチアーノは笑顔のまま家を出て行った。二人で見送ったロマーノとスペインは、その後リビングにあるソファに二人並んで座り、落ち着く。
「ロマーノ」
今日はこれからどうしようか、そんなことを考えていたロマーノは、呼ばれた方へと顔を向けた。今家にいるのは二人だけなので、当然名前を呼んだのはスペインだ。
「なんだよ」
ロマーノが顔を向けると、珍しくスペインは少し真剣な表情をしていた。昨日もベッドで見た顔だなと思いつつ、ロマーノはぼんやりとスペインを眺めている。
「ほんまにもうしんどくないん?」
「ああ……ちょっと怠いぐらいだな。昨日までに比べたら全然マシだ」
昨日までの体調不良が嘘のように、ロマーノは今朝から体調が良い。しかし寝込んだ姿を見たせいか、スペインは疑り深い目をじろじろとロマーノへ向けている。
「そんな急に体調良うなるもんか……? いや、元気なんはええことやねんけどなあ……」
ぶつぶつと疑問を口にしつつ、スペインはロマーノに手を伸ばした。突然のことに、ロマーノが逃げるより早く、スペインはがしりと両手でロマーノの頭を掴んだ。遠慮のないその触れ方は、まさしくスペインといったところだ。繊細さや遠慮というものが皆無であるスペインは、昔からロマーノに触れる手つきは力強く、暑苦しいものだった。
ロマーノの頭を掴んだスペインはそのままぐりぐりと、髪をぐしゃぐしゃにしつつ撫でまわした。どこか異変がないか確かめているのか、頭を撫でた後は顔や首、次に体の方へ移動して、肩や腰などを触ってきた。
「ちょ、お、おま……スペ、イ……」
「ん〜……体も熱くないし、どこもおかしくはなさそうやけど……」
「まっ、ス……スペインっ……!」
「あれ? やっぱちょい熱いか?」
「い……いい加減にしろコノヤロー!」
触れられていることに耐えられなくなり、ついにロマーノは大声を上げながらお得意の頭突きをスペインに食らわせた。ゴッと鈍い音が部屋に響くほどの強さに、スペインは痛みを訴えつつ、頭突きされた場所を手で押さえた。目元に少し涙が滲んでいたが、ロマーノも同じように涙目になりつつ顔を真っ赤に染め上げている。
「いったー! なんで頭突きするん!」
「お前が人の体触りまくってくるからだろチクショーが!」
「そんなん別に……」
まだ文句を続けようとしていたスペインが、ふいに言葉を区切った。その目はまじまじとロマーノの真っ赤な顔を眺め、しばらくしてふっと息をついて笑った。またスペインの手がロマーノに伸びて、ぐしゃぐしゃになった髪を整えるようにしつつ、頭を撫でる。
「何照れとんの」
「……うるせー。テメェのせいだ、ちくしょー……」
はにかみつつ頭を撫でるスペインから、ロマーノは顔を逸らした。こんな態度を見せていたとしても、スペインはロマーノの好意に気付かない。好きな相手に体のあちこちを触られたら、誰だって今のロマーノのように赤面してしまうはずだ。けれどスペインは、構われすぎてロマーノが照れている、ぐらいにしか思っていないのだろう。
スペインに触れられるたび、ロマーノの心音は速くなる。そんなこと、きっとスペインは想像すらしたことがないはずだ。こんな風に触れられて照れるのなんてお前にだけなんだからな。そう言えたらどれだけ楽になるだろう。そう思って、想いを伝えようと試みたことは何度かあったが、スペインの親しみを込めた笑顔を見るたび、簡単に出鼻は挫かれた。その笑顔が、躊躇いや拒否に代わることを、ただただ恐れている。
そんなロマーノの気も知らず、スペインは簡単にロマーノに触れる。ロマーノは、天国と地獄が同時に存在していることを知った。
「当分二人きりやろうし、好きなだけ親分に甘えてええんやで!」
太陽のように眩しい笑顔で、スペインはそう言った。ロマーノは横目でそれを見る。
甘えていいのなら「抱きしめてほしい」とロマーノが言えば、スペインはどうするのだろうか。そう想像してみても、きっと彼は大喜びでロマーノをぎゅうぎゅうと強く抱きしめることだろう。
「……当分コキ使ってやるからな。せいぜい俺に尽くせよ」
「ロマーノは相変わらずやなあ」
怒った様子もなく、スペインはただ笑ってロマーノの頭を撫で続ける。親愛しか感じさせないその手のぬくもりが、全てを満たしてくれるようでいて、ひどく寂しさを助長させることもある。それでもロマーノは、そのあたたかくて大きな手を振り払うことが、何年経っても出来ない。
ヴェネチアーノが家に帰ってきたのはそれから三日後で、土産に持たされたというじゃがいもが入った袋を見て、ロマーノは眉間に深く皺を刻んだ。じゃがいもに罪はないし、実際ロマーノだってじゃがいもを食すのだが、同時にドイツの兄弟が頭を掠めるので、自然と険しい顔つきになってしまう。
「兄ちゃん、体調大丈夫?」
じゃがいもの袋をテーブルに置き、ヴェネチアーノはロマーノに駆け寄った。心配そうに眉を下げる弟の額に、遠慮なくロマーノはデコピンを繰り出す。
「いたぁ!」
「見てわかんねーのか。元気だっつーの」
「も〜ロマはなんですぐそうやってイタちゃんいじめるんや」
額を抑えて涙を浮かべるヴェネチアーノに駆け寄り、スペインはまるで子供を叱るような口調でロマーノを見た。そのスペインの態度が大層気に食わないロマーノは、スペインを睨みつけて「うるっせ」と舌打ちする。しかし当のヴェネチアーノはそんなロマーノを見て、額を赤くしたまま笑った。
「よかった〜……俺、ドイツん家にいてもずっと心配だったんだ〜」
その言葉通り、ヴェネチアーノはドイツの家にいるというのに、毎晩毎晩ロマーノに電話をかけてきた。ここまで弟は心配性だっただろうかとロマーノは首を傾げたが、心配されて悪い気はしない。
笑っているヴェネチアーノから目を逸らし、キッチンに視線を送る。そこには切られている途中の野菜や、コンロの上に置かれた鍋などがあり、料理の途中であることがわかった。その視線に気付いたのか、スペインはヴェネチアーノの肩を叩いて笑った。
「せや、夜には帰ろうと思ってんねんけど、今日は親分が二人にスペイン料理ご馳走したるからな! 楽しみにしといてや、イタちゃん」
「ヴェ〜! ほんとに?」
「ロマーノが親分ちの料理食べたいみたいでなあ」
「余計な事言うんじゃねえよ!」
ロマーノは顔を赤くしながらスペインの肩を叩く。しかし全く効き目がないのか、涼しい顔をしながらスペインは「だってほんまのことやん」と言った。
確かに今日の晩飯はお前が作れ、とスペインに言ったのはロマーノだが、一度だって自分が食べたいからとは言っていない。どちらかというと、ヴェネチアーノがスペインの料理が好きなので、帰ってしまう前に食わせてやろうと思っただけなのだ。ロマーノとてスペイン料理が嫌いな訳ではないが、自ら強請ったかのような言い方は、癪に障る。
「やったー! スペイン兄ちゃんちのご飯、おいしくて俺好きだよ」
「ありがとうなぁ。そんなん言われたら、親分張り切ってしまうわ」
デレデレと情けない顔を晒しているスペインを、ロマーノは呆れ半分、苛立ち半分で睨む。たまにスペインはロマーノよりヴェネチアーノの方を贔屓しているのではないか、と感じる時がある。弟はロマーノと違い、素直に好きだと言葉にするのだから、スペインが可愛がる気持ちもわかる。むしろ天邪鬼で素直に感情を伝えたことなんてあまりないロマーノを、ここまで可愛がるスペインの方が、おかしい様に感じた。
「ロマーノも楽しみに待っとってな」
言われずとも手伝う気もなかったが、毒気のないスペインの笑顔を向けられて、ロマーノは喉を詰まらせた。
スペインがおかしいから、素直でない自分を可愛がってくれるのなら、どうかずっとおかしいままであってほしい。そんなことを思いつつ、ロマーノは言葉なく頷いた。
帰りの飛行機に乗る時間を計算して、スペインは夕飯を早めに準備した。本来なら明日までイタリアに滞在していたいところだったが、スペインの上司から帰りを催促する電話がかかってきたのだ。ロマーノの体調も良くなり、いよいよここに滞在する理由がなくなったスペインは、泣く泣く上司の言葉に頷いて自国へ帰ることにした。
「スペイン兄ちゃん、ありがとね」
礼を言ったヴェネチアーノは、そのままスペインと挨拶のハグを玄関先で交わした。すぐに体を離した二人は顔を見合わせ、互いに眦を下げて笑う。そのほんわかとした光景を見ていたロマーノは、つられるように肩から力が抜けた。二人の間にはいつだってゆるい空気が流れている。
「こっちこそ。ほんまはもっとおりたいけど、帰るわな」
そう言って、スペインは玄関先の棚に置いていた、少ない自分の荷物を手に持った。着替えなどは元々ロマーノたちの家に置いてあるので、スペインはよく少ない荷物でこの家に遊びに来る。逆も然りだ。
「送ってく」
玄関のドアを開けたスペインに続きながら、ロマーノは振り返ることなくヴェネチアーノに告げた。驚いていたのはスペインで、おやと目を開いてロマーノをまじまじと見ていたが、二人の視線が交わることはなかった。
「了解であります! 離れがたいからってあんまり遠くまでは行かないでね」
「うるせーんだよこんちくしょうめ」
余計な一言を口にしたヴェネチアーノに対し、ロマーノは舌打ちをして、返事の代わりに玄関のドアを強く閉めた。
たまにヴェネチアーノは、まるで何かを察しているようなことを口にする。今も、数日べったりとそばにいたスペインと離れがたく、普段しない見送りをロマーノが買って出た。もしかすると、ヴェネチアーノはそれに気付いているのかもしれない。
勝手に気まずさを感じ、ロマーノはスペインの顔を見れずにいた。スペインは鈍感なのでロマーノが見送りをしたところで喜ぶだけで、その本心に気付くことはないだろう。仮に気付いたところで、やはりでれでれと笑ってロマーノを甘やかすだけだ。
「体、大丈夫なん?」
顔を合わせないように拭いているロマーノを、スペインが覗き込んできた。強制的に視線を合わされて、ロマーノの頬が赤くなる。ロマーノは夜でよかったと、内心ホッと息をついた。
「もう大丈夫だ。ほら、さっさと行けよ。飛行機間に合わねーぞ」
「せやねえ」
笑って、スペインは何事もなかったかのように歩き出した。ロマーノはスペインの半歩後ろを着いて行く。一度横目でスペインの横顔を盗み見た後、ロマーノはまた顔を伏せて己の靴先を見る。
(また当分会えそうにねえな)
昔に比べたら交通の便が良くなり、スペインとイタリアも数時間で行き来出来るようになった。しかしお互いに仕事があり中々忙しくしている為、仕事外で会えることは少ない。良ければ月に一度、悪ければ半年に一度、なんてこともあった。
会えない間、考えないようにしていれば意外とどうにかなるのだが、今回のように数日共に過ごした後なんかは、結構堪えることをロマーノは既に知っている。恋心を自覚してからは、更にそれが悪化していた。
「ロマーノ」
考え事をしながら歩いていたロマーノは、スペインに名前を呼ばれて弾かれるように顔を上げた。咄嗟に足を止めると、スペインも同じように足を止めてロマーノに振り返った。
「ここでええよ。タクシー呼んであるから」
ちらりとスペインが視線を向けた先にロマーノが目を向けると、暗い田舎道にタクシーが一台停められていた。ロマーノとヴェネチアーノが住んでいる町は、都心へは電車一本で行けるが少し離れた場所にあった。また住んでいる家はその町からも少し離れた丘の上にあり、都心に出ようと思うと少し時間がかかる。バスも時間通りに来ることもないので、タクシーを呼んでいたのは良い考えだった。
「ほんなら、俺……」
「スペイン」
今にもタクシーに向かおうとしていたスペインの腕を、ロマーノは慌てて掴んだ。不思議そうに目を開いたスペインは足を止め、ロマーノと向き合う。改めて顔を合わせると妙な恥ずかしさを覚え、ロマーノは掴んでいた手を離し、スペインから目を逸らした。
「今回は、その……悪かったな。こんなことで呼び出して」
呼び出したのはロマーノではなく、ヴェネチアーノのお節介なのだが、元を辿れば体調を崩したロマーノのせいだ。結局原因はわからないままだったが、スペインと二人で過ごしている間にすっかり体調が改善しており、ほとんど具合が悪い姿をスペインに見せていないことに、ロマーノは気が付いた。これではただ会いたくて呼んだだけのように思えて、仕事をほっぽり出してまで駆けつけてくれたスペインに、ロマーノは僅かながら罪悪感を抱いている。
「こんなことちゃうやろ。あんな顔色悪うしといて」
「でも……なんでかすぐ体調良くなっちまったし……」
「ええやんか。元気なんが一番やで」
「でも……」
「ロマーノ」
まだ言葉を続けていたロマーノの声を遮るように、スペインが名前を呼んだ。言葉を止めて顔を上げたロマーノの両肩にスペインが手を置き、向き合うようにスペインがまっすぐロマーノの顔を見つめた。暗いせいでよく見えないが、ロマーノは食い入るようにスペインの目を見つめて、頭の中でエメラルド色の瞳を思い出していた。
「ええか。またちょっとでも体調悪くなったら、今回みたいに親分のこと呼ぶんやで」
「でも、お前だって仕事が……」
「仕事は別に俺やなくても出来るし、帰ってからでもええ。でもロマーノに代わりはおれへんねんから、心配ぐらいさせてや」
そう言いながら、スペインはロマーノをぎゅうっと強く抱きしめた。それは挨拶の軽いハグではなく、離れることを惜しむような強さを持っていて、ロマーノは目を細めてスペインの背に腕を回した。
こういう瞬間、いつもロマーノはスペインに敵わないと思い知る。普段は鈍感で気付いてほしい気持ちにも気付かないくせに、いつだって誰よりも、ロマーノの欲しい言葉を選んでくれる。ロマーノはそれがたまらなく嬉しくて、涙が零れるのを堪えるのに、いつも必死だった。
「呼んだって。な?」
「……しょうがねえから、呼んでやるよ。こんにゃろう」
体を離して顔を覗き込んでくるスペインに、ロマーノはそんな天邪鬼な言葉しか返せない。けれどスペインはその言葉を待っていたかのように、嬉しそうに目を細めて、ロマーノの頬にチュッと音を立ててキスを残した。
「その代わり呼んだらすぐ来やがれよ!」
「当たり前やん。ロマーノのお願いやったら、飛んでくるわ」
スペインは今度こそ停まっているタクシーの方へと歩を進めた。そしてドアを開き、車に乗る前にロマーノへと振り返り、手を上げる。
「ほな。体、気ぃつけや」
「お前こそな、おっさん」
「もうっ。かわいくない子分やなぁ」
そう言って笑い、スペインはタクシーのドアを閉じた。車の中から陽気に手を振るスペインに軽くロマーノも手を振り返すと、タクシーはエンジン音を立てて進みだす。タクシーの白い車体が暗闇に紛れて見えなくなるまで見送った後、ロマーノは元来た道を戻って家に帰った。また当分、あの暑苦しさすら感じるスペインの抱擁を感じられないのかと思うと、ロマーノはそれだけで足取りがやけに重く感じた。
今回イレギュラーで仕事をサボった事により、スペインはなおさら、忙しくなるだろう。本当に当分会えない。その事実を考えて、ロマーノは重い溜息をつく。ロマーノ自身、体調を崩している間に溜まっていた仕事があるので、自分から会いに行っている暇もない。
あんまり会えないと、また体調を崩しそうだ。そんな馬鹿みたいなことが、ロマーノの頭を過った。そこでふと、あることにロマーノは気が付いた。
今までずっと原因不明で寝込んでいたというのに、スペインがロマーノたちの家に来てから、不思議と体調が回復した。偶然だったのかもしれない。けれどスペインが家にいる間、ずっとロマーノの体調は万全だったのだ。一度だって頭痛や吐き気に悩まされなかった。
もし本当にこの体調不良が、スペインに会えなかったからだったとしたら、己の不甲斐無さに数週間部屋に閉じこもってしまいたいぐらいだ。
(まあ、流石にありえねーだろうけど……)
誰かを想い過ぎて体調を崩すなど、そこまでロマーノは乙女思想ではない。その時はそんな考えを鼻で笑って、すぐに忘れてしまった。
けれどまるでその事実を裏付けるかのように、ロマーノはスペインが帰った翌日から、また少しずつ体調を崩していったのだった。