ミッシング・ユニバース 08
豪華な夕食は、当然二人で全て食べきることなど出来なくて、数日かけてスペインが消化していくこととなった。明日の朝食も今夜の残りだと既に決まっている。正直、明日の朝にお腹がすくのかはわからなかったが、ロマーノはしばらくスペイン料理を見たくないと思っていた。最後の夜だと言うので、てっきりスペインはべろべろになるまで飲むかと思っていたが、意外にも抑え気味に飲んでいた。つられるようにロマーノもあまり飲んでおらず、足元も口調もしっかりしている。スペインが片付けている間にロマーノは先にシャワーを浴び、寝室へと向かった。スペインがシャワーを浴びている音を遠くに聞きながら、ベッドの中で目を閉じると、あっという間に眠気がやってくる。
せめてスペインが帰ってくるまでは起きていないと、と頭は思っていたが、ゆるやかに襲い来る睡魔に自身の力だけでは勝てそうになかった。
「ロマーノ」
眠気に身を任せていたころ、ギシッとベッドが音を立て、スペインがロマーノを呼んだ。夢うつつのまま、ロマーノは小さく返事をする。そんな頼りない声に苦笑しつつ、ベッドに膝をついたスペインは、ロマーノの頬を撫でた。
「もう寝てしまうん?」
寂しそうなその声に、ロマーノは重い目蓋を震わせて、なんとか押し開く。ぼやけた視界の先には、眉を下げて笑っているスペインが、ロマーノを見下ろしていた。
「……寝ないのか?」
朝から人混みの中で買い物をして、ロマーノはもうくたくただった。スペインに至ってはシエスタすらしていないのに、見下ろすその目はギラついている。欲望の火を灯す目を見ていられなくて、ロマーノは目を閉じた。
返事の代わりに、スペインはロマーノに口付けた。角度を変えて何度も唇を合わせると、観念したようにロマーノが薄く口を開く。待っていたかのように、スペインは深く口付け、舌を絡めた。眠気もあっていつも以上にされるがままになっていたロマーノは、しばらくして自身の腰が疼いてくるのを感じた。たかだかキスだけで、と頭の中で冷静に思う。
「……あかん?」
しばらくキスを堪能した後、口を離してスペインは首を傾げた。甘えるようなその仕草に、ロマーノは小さく舌打ちした。頭の中に、昼間出会った彼女のことがよぎる。
あんなことがあった後なのに、セックスしようと思うスペインの気が知れない。ロマーノは本気でそう思っていたし、そう怒鳴ってやろうかと何度も思った。けれどスペインにとって、ロマーノはパートナーであり、いわば二人のセックスは医療行為に近い。恐らく義務感が働いているのだろう。ロマーノのせいであると思うと、怒鳴り散らすことは出来なかった。
「……別に、無理にする必要なんてないんだぞ」
「え?」
ロマーノは、不思議そうにしているスペインを見上げた。少し目が覚めてきて、ロマーノはスペインの体を押して、自身の体を起こした。
「この休暇の間、ずっとお前といて体調いいし、最終日だからって……」
「ちゃうよ!」
ロマーノの言葉を遮るように、スペインは少し大きな声を上げた。驚いてロマーノがスペインを見ると、ハッとした様子で、スペインは目を見開いた。大きい声を出してしまったことに、スペイン自身が驚いているようだった。
「え、と……ロマーノの為とか、ちゃうねん。ただ、今日はなんか……」
気まずそうにしながら話しているスペインは、珍しく覚束ない口調だった。不思議に思って訝し気に眉を寄せたロマーノを、スペインは真っ直ぐ見つめた。頬がわずかに赤い。
「今日は……お前を感じてたいねん」
熱っぽい声は、とても嘘をついているようには聞こえなかった。どうやら本気らしいその言葉に、どう答えたらいいのかわからなくて、ロマーノは目を伏せた。
どうしてこんなことを言うんだろう。ロマーノは泣きたくなった。せっかく決意した気持ちが、熱っぽいスペインの目を見ていると、揺らいでしまいそうだった。ロマーノは目を伏せたまま、小さく頷く。
「……好きにしろよ」
その言葉を合図に、スペインはロマーノにキスをして、ベッドに押し倒した。密着したスペインの体は、シャワーを浴びてきたばかりということもあってか、とても熱い。その熱を移すように体を押し付け、触れて、キスをし続けた。しかしその熱さのわりに、スペインの行為はゆるやかで、熱を移すために触れあっているように思えた。
まるでロマーノの体の形を覚えるように、スペインはロマーノの体全てに触れた。撫でて、触れて、時には舐めて。余すことなく、全てを支配するように。
珍しくスペインは口数が少なく、ロマーノに許可を取る時以外、話さなかった。それだけセックスに集中しているのだろうということはロマーノにも理解できたが、何故突然そんな風になったのか、それがわからなかった。スペインが話さないのだから、当然いつものように、スペインから命令されることもない。
(こんなんじゃ……ただのセックスじゃねえか)
そう思うと、じわっとロマーノの目に涙が滲んだ。けれどセックスの最中にロマーノの目に涙が浮かぶことなんて珍しいことではなく、気持ちいいから泣いているのだと、勘違いさせられる。ロマーノは目元を隠すこともなく、声を上げた。
「あ、やっ……あ、ああ……」
「……もう挿れてええ?」
後ろを指でほぐしながら、スペインが尋ねた。ロマーノは涙を零しながら、頷くことしか出来ない。スペインはゆっくり指を引き抜き、ひくひくと動いて誘う後孔に、性器の先を押し付けた。そこで慌てて、ロマーノはスペインの手を掴んだ。
「ま、まて……今日は、後ろからがいい」
動きを止めたスペインは、驚いたように目を丸めて、ロマーノを見下ろしている。
「めずらしなあ……ロマーノがそういうこと言うの」
「ダメなのかよ」
「ロマーノがしたいならええよ」
スペインが頷いたのを見て、ロマーノはうつぶせになった。スペインはロマーノの腰を持ち上げて、今度こそ先程濡らした後孔に性器をゆっくり挿入していく。
「はっ、あ、あぁぁ……」
痛みや圧迫感から、押し出されるようにロマーノの口から声が漏れる。指で散々触れた硬いしこりがある部分まで性器を収めると、スペインはロマーノの中も全て味わうように、ゆっくり抜き差しする。ロマーノは前立腺をゆっくり押しつぶされる感覚に、声が止まらなくなって、枕によだれを垂らした。
「やぁ、ああー……ゆっ、くり、すんの、やっ、やめろ……!」
「……ごめんな」
「う、ううぅ〜……」
背後で息を荒げるスペインは、ロマーノの願いを聞き入れなかった。枕にしがみつきながら、ロマーノはぼろぼろと涙を零す。気持ちいいのと、悦びと、虚しさと、悲しさが綯交ぜになって、ロマーノの頭の中はもう許容量を超えていた。
「うっ、や、や、あん、やぁ」
「……え? うそ、ロマーノっ」
中でゆるやかに動いていた性器が、勢いよく抜けた。それに「ひあっ」と甲高い声を上げたロマーノの体を、スペインは腕の力だけでひっくり返した。突然反転した視界に驚きながら目を見開くと、ロマーノの涙で歪んだ視界の先には、悲しそうに眉を下げたスペインがいた。
「なんで泣いてるん? 痛かったんか?」
驚き慌てた様子で、スペインはロマーノの濡れた頬を撫でた。思っていたより涙が出ていたことにロマーノ自身驚きつつ、首を横に振る。
「なら、どうしたん? 嫌やった?」
「違う……なんでもないから、続けろよ」
「なんでもない訳ないやろ。こんなに泣いて……」
まだ零れるロマーノの涙を、スペインは指で拭った。明らかに気持ちよさで零す涙の量ではないそれに、スペインはひどく動揺しているようだった。そんなスペインの手に頬をすり寄せて、あたたかい手のひらにロマーノはキスをひとつ送る。
「ほんとに、いいから……続き。したいんだよ……」
誘うようなロマーノの言葉に、スペインはしばらく迷って、ロマーノにキスをした。涙を掬うように眦に、そのまま頬にも吸い付いて、最後は唇を合わせた。まるで子供をあやすように、触れるだけの優しいキスをして、すぐに離れる。
「……嫌やったら、すぐ言うてな?」
「わかったから……」
ロマーノの足の間に移動して、スペインは濡れた後孔に性器を触れさせた。そこで慌てて、ロマーノがスペインに手を伸ばす。
「まて、後ろから……」
「前からしたいんやけど」
覆いかぶさったスペインは、そこから退く気がなさそうに、にこりと笑った。
「ええ?」
「……やだ」
「お願い」
そう言いつつ、スペインはぐっと腰を進める。先程まで入っていたこともあり、スペインの性器はすんなり中へ納まっていく。
「ひ、あっ……! やだって、言ってんのに……!」
嫌なら言えとついさっき言ったのはなんだったのか。唇を噛み締めるロマーノに、スペインは「ごめんなあ」と謝る。けれど性器が抜ける気配はない。
「ロマーノの顔見ながらしたかってん。ほんまは」
そう言われると、もうロマーノは何も言えなかった。スペインは答えを聞く気もないのか、ロマーノにキスをして、そのまま動き出す。そうなると、ロマーノは与えられる熱に翻弄されるだけになる。
ロマーノは、キスをするスペインの首に腕を回した。手のひらで、浮き出るスペインの肩甲骨に触れる。熱い肌の上を流れる汗を、指でなぞった。頭が真っ白になって、何も考えられなくなる前に全て覚えておこうと、スペインに触れる。
恐らく、これが最後の夜になる。
昨夜のスペインは、激しくはなかったが、しつこくロマーノに纏わりついた。ロマーノは元から疲れていたこともあり、意識を失うように眠り、お陰で今朝は二人とも寝坊した。
「お前のせいだこんちくしょーめ!」
「ごめんて」
飛び起きた二人は、当然昨夜の残りを口にすることも出来ず、最低限の身支度を終えてスペインの家を飛び出した。スペインの荒い運転で、なんとか空港のチェックインに間に合い、二人はそのままいつも待ち合わせをするカフェにて落ち着く。
ロマーノがスペインに着いた日と同じソファ席に座り、二人は言葉少なに食事を終え、そこでやっと一息つく。朝から目まぐるしかったが、なんだかその忙しなさが休日から日常へと、体のスイッチを切り替えてくれる気がした。食後のコーヒーを飲みつつ、明日から仕事が始まることに憂鬱な気持ちになっていたロマーノに、スペインは声をかけた。
「なあ、次の休みいつなん?」
ロマーノは持ち上げたカップに口をつける直前でぴたりと動きを止め、スペインを見た。寝起きのまま飛び出してきたスペインの頭には、誰が見てもわかるぐらいの寝ぐせがついていて、それが能天気な表情とよく合う。何も考えてなさそうなスペインに、ロマーノは出てきそうだったため息をコーヒーで流し込んだ。
「……ちょうどいい。お前に言おうと思ってたんだった」
「え? なに?」
腕時計を見て、フライトの時間まであまり余裕がないを確認し、ロマーノは空になったカップをソーサーに戻した。二人の間にカチャ、という陶器がぶつかる音が鳴る。ロマーノが真っ直ぐスペインを見据えると、彩度の高いエメラルドの瞳が、きょとんと不思議そうにロマーノを見つめ返していた。
「パートナーになった直後は、頻繁に会ってただろ。月に数回、とか」
「ん? ああ、そやなあ」
「それで十二月は全く会えなくて……ひと月ぐらい空いたよな。それで俺、思ったんだけどよ」
スペインはロマーノの話に相槌を打ちつつ、真剣に聞いてる。ロマーノは視線を落とし、空になったカップの底に、飲み切れずに残ったコーヒーを見る。
「会う回数、もっと減らしてもいいと思う」
「……へ」
随分と間抜けな声を上げたスペインの方へ、ロマーノは視線を戻した。鳩が豆鉄砲を食らったかのように、目を見開いて固まるスペインに、ロマーノは口元を緩める。
「いやな、ひと月空いてみて思ったんだけど、意外といけんだよ。寝込むこともなく仕事も出来た。だから月に何回も会う必要もないなって」
「……お前、めっちゃ顔色悪かったやん」
「そりゃ万全って訳じゃないからな……でも俺も、だんだんこの体との付き合い方がわかってきたんだ。パートナーじゃなくとも、多少は欲の解消も出来るってのもな」
ぴくりと、スペインの肩が反応した。今まで驚きで呆然としていた表情が変化する。眉間に皺を作り、途端に険しい表情を作ったスペインは、ロマーノを睨みつけた。
「欲の解消ってなんやねん。まさかお前、誰かと……」
「ちげーよ。欲っていっても、色々あんだろ」
イラついた様子でロマーノがスペインを睨み返すと、スペインは渋々と言った様子で口を閉じた。けれど納得していないのか、相変わらず険しい表情のままだ。
「俺がSubだってわかって、周りが俺に態度を変えてくれてんだ」
「みんなドSにでもなったん?」
「バカ! ちげーよ!」
ふざけたことを言うスペインを、ロマーノは机の下で蹴った。ガタっと机が揺れ、食器が音を立てる。けれどカフェの中の雑音に紛れ、注目されることはなかった。痛そうにしながら我慢しているスペインを、ロマーノは睨みつける。
「バカ弟とか、俺といる時間増やしてんだ。命令される訳じゃねえけど、俺に構い倒してくるから……あれでも一応、多少は、助けになってんだよ」
「イタちゃんが……ええ子やなあ」
さっきまでの険しかった表情を変え、途端にほころんだスペインに、ロマーノは心の中でため息をつく。すっかり話が流れてしまったことに気付き、空気を変えるよう、ロマーノが咳払いした。
「だから、会う回数を減らすぞ」
またふりだしに戻ったところで、スペインはハッとしてロマーノを見た。さっきまで和やかな表情だったのが、またしても険しいものに戻される。
「なんで? 会えるなら会ったらええやん。減らす必要ある?」
「自分の限界を知っときたい。だからそれを試す」
「限界て……」
理解出来ないといった様子で、スペインは首を横に振った。ロマーノはそれに少し、驚いている。ここまで言えば「ロマーノの体の事やし、ほんなら試してみよか」と、渋々でも納得すると思っていたのだ。しかし現実はその真逆で、スペインは未だに首を縦に振らない。険しい表情で、既にぬるくなったコーヒーを睨みつけている。
「……変や」
「は?」
「なんか、変や」
呟いたスペインは顔を上げて、ロマーノを探るような視線で見つめている。何かを考えているようなスペインの態度に、ロマーノは「なにがだよ」と声をかけた。スペインはまだ迷った様子を見せつつ、口を開く。
「ロマーノって、自分からしんどい方にいく子とちゃうやん」
「……失礼なヤツだな」
「でもそうやんか。せやのになんでわざわざ自分の限界を知ろうと思ったん?」
相変わらず探るようなスペインの目を、ロマーノはきちんと見つめ返した。ここで目を逸らせば、嘘をついていることがバレてしまう。長い付き合いだけあって、嘘をついていることは意外とわかってしまうのだ。互いに。
「知っといた方がいいだろ。自分の事なんだから」
「それはそうやな。でもヘタレで臆病なロマーノは、かわええ女の子に頼まれた訳でもないのに、自分から率先してそんなことにチャレンジする子でもないねん。せやからおかしい」
流石長くロマーノを世話していただけのことはある。間違いなく図星なのだが、あまりに失礼なことを冷静に並べられると、腹だって立つ。ロマーノは怒りに任せてテーブルを叩いた。
「わかったように言うな!」
「実際わかってんねや! 俺を誰やと思ってんねん!」
「……ロリペド大好きド変態野郎だろ!」
「ひ、ひどない? そんな風に思ってたん?」
声が大きかったのか、店内の視線がいくつか飛んできた。それに気づいた二人は、一度呼吸を落ち着けて、居住まいを正す。改めて向き合うと、相変わらずスペインは、ロマーノに疑いの視線を向けていた。
「絶対おかしい。ロマーノ、なんか隠してることあるんとちゃうの」
真意を探ろうとする緑の目に、ロマーノは片眉を上げて目を眇めた。言い争いになるつもりはなかったのだが、ロマーノは一方的に責められることに、だんだん腹を立てている。隠していることがあるのはどちらなのだと詰りたいぐらいだった。
言うか言わないか迷い、本当に時間が迫っていることに気が付いて、ロマーノはため息をついた。少しでも気持ちを静めるためだった。
「……俺はお前を独占するつもりはない」
「え?」
意味が分からないといった様子で、スペインは首を傾げた。それを見つつ、ロマーノはバッグから財布を取り出す。
「自分の時間を犠牲にしてまで、俺を優先しなくていいって言ってんだ」
伝票を見て、ロマーノは自身の金を財布から取り出し、それをテーブルに置いた。その間、スペインはずっとロマーノを呆然と見つめて、固まっている。しかしすぐハッとして、何かを思い出したようだった。
「も、もしかして、ルシアが言うてたこと気にしてるん?」
それにロマーノは答えず、立ち上がった。バッグひとつしかないロマーノは身軽のまま、スペインの隣を通り過ぎて出入口へ向かおうとした。けれど横を通る時、スペインが慌てた様子でロマーノの腕を掴んだ。
「待ってや! 話聞いて、ロマーノ」
「もう搭乗時間なんだよ」
「わかっとる! けどこんな状態のまま、お前を帰したないねん」
腕を掴む手が強さを増し、服越しだというのにロマーノはわずかな痛みを感じた。それに顔を歪めつつ、話すまで開放する気がなさそうなスペインを睨む。これだけ騒いでいたら、いい加減店内からの視線が痛かった。ロマーノは小さく舌打ちをして、周りに聞こえないよう、極力小さな声で答える。
「俺は、お前がパートナーになってくれて、ありがたかったって思ってる……でも、ダメなんだ」
「なんで? なにがあかんの?」
泣いただろうルシアのことが頭に浮かび、ロマーノは唇を噛み締めた。彼女が原因なのではない。彼女がきっかけだっただけのこと。
「お前を想って泣く子がいる」
「え?」
「でもお前はその相手を好きでも、好きじゃなくても、恋人じゃない俺のパートナーなせいで、お前だけを想って泣いてる子に、嘘をつかなきゃいけない。忙しいとか言って、ちゃんとその子に向き合ってあげられない……そんなの、間違ってる」
驚いたように目を瞠ったスペインの手から、力が抜けた。それを見逃さず、ロマーノはスペインの手を振り払う。泣いてはいけないと、ロマーノは目頭に力を入れた。
「だから、終わりにするんだ」
呆然としているスペインを見ていられなくて、ロマーノは別れの言葉も言わず、足早に店を後にした。搭乗口に着いた頃には息が上がっていて、スタッフがロマーノを見て、驚いた様子で駆け寄ってきた。
「お客様。失礼ですが、気分が優れないのでしょうか」
「どうして」
慌てた様子のスタッフにロマーノが首を傾げると、スタッフ言い辛そうにしながらも、口を開いた。
「泣いておられるので……」
そこでようやく、ロマーノは自身が号泣していることに気が付いた。次から次へと溢れてくる大粒の涙を袖で拭いながら、ロマーノは売店でタオルを買った。ハンドタオルでは追い付かない気がして、フェイスタオルにした。
ロマーノはその後もひとりでずっと泣き続け、離陸する頃にはすっかりくたびれて、座席のシートに深く背を預けていた。遠くなっていくスペインの地を眺めつつ、ロマーノはずっと、別れ際のスペインのことを思い出していた。
(傷つけたな。悪いのは俺なのに)
ルシアを泣かせたのはスペインだったが、その状況を作り出したのはロマーノだ。スペインが忙しくなってバルに通えなくなったのは、おそらくスペインが休日のほとんどをロマーノに費やしたせいだろう。忙しくなってと嘘をつかせる状況を作り出したのは、スペインがロマーノのパートナーになったのが原因だ。
考えもしなかった。ロマーノとスペインがパートナーになることで、傷つく誰かがいるということ。パートナーになることで、ロマーノがスペインの可能性を潰す原因になるということに。
ロマーノは諦めるつもりだったスペインから、パートナーになってくれると手を差し伸べられ、喜んでその手を取った。本物の恋人でなくとも、そばにいてくれるなら、それでもいいと思っていた。でもルシアの涙を堪えた顔を見て、ロマーノは頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。
なんて卑怯なのだろう。強く自身を責めた。両想いであったなら申し訳なく思うことはあっても、ここまでの罪悪感は抱かなかっただろう。卑怯な手を使って、スペインの優しさに付け入る自身の狡さに、ロマーノは吐き気を覚えた。
こういうことがある度、こんな罪悪感にかられるのかと思うと、ロマーノには耐えられなかった。だから逃げたのだ。スペインの優しさにも、自身の気持ちにすら。
「……これでよかったんだ」
タオルに顔を埋めながら、ロマーノはひとり呟く。
何が正解かなどわからない。けれどロマーノとスペインのパートナーという関係が、間違っていたことだけはわかる。辛くとも、今の自身の選択が間違いではないことも。ロマーノはそう考えて、ひたすら自身を慰めていた。振りほどいた大きな手を、思い出しながら。