ミッシング・ユニバース 11
目が覚めると、ロマーノは覚えのある部屋を視界に捉えた。ちょうど視界に入る窓の外は暗く、夜であることがわかる。ロマーノはいまいち意識がはっきりしないまま、ゆっくりと体を起こした。そこで腰と尻が痛み、顔を顰める。「痛っ……なん、で……」
まるでセックスをした後のような体の倦怠感に、ロマーノは顔を顰めた後、徐々に記憶を取り戻してきた。そっと首に手を当てると、傷口はガーゼで塞がれており、直接触れることは出来ない。けれどガーゼ越しに触れても、わずかに痛みがあった。
この手当をしたらしい人物が見当たらず、ロマーノはきょろきょろと部屋を見渡した。基本的に部屋を掃除しないロマーノだが、寝室だけは比較的マシで、まだ足の踏み場がある寝室には、誰の姿もない。真っ暗な部屋は静まり返り、窓の外から音も聞こえず、ロマーノは突然孤独に襲われた。
「……スペイン?」
呼びかけたところで、当然返事はない。ロマーノはスペインが帰ってしまったのかと、腹が立つのより先に、寂しさが勝った。好きだと告白されたのは、自身の都合の良い夢だったのかもしれない。そう思ったところで、廊下の方から足音が聞こえた。足音は迷いなくロマーノの部屋を目指していたようで、ノックもなくドアが開かれる。
「あっ、起きたん」
顔を覗かせたのは探していたスペインだった。スペインはドアの横にあるスイッチを押して部屋の電気をつけると、ロマーノまで足早に近付き、ベッドに腰かけた。
「おはよう。体どうや? しんどないか?」
遠慮なく手を伸ばし、スペインはロマーノの頬に触れた。びくっとロマーノの肩が跳ねたのも気付かずに、スペインは「ん?」と言って、顔を顰める。
「あれ? なんか体熱ない? もしかして熱ある?」
べたべたとロマーノの体にスペインが触れるたび、ロマーノはびくびくと体を震わせた。スペインの言葉通り、ロマーノは触れられただけで体に熱を灯らせ、頬は赤くなる。はあっと熱い息を吐くと、スペインは心配したように眉を下げた。
「ごめんなあ。やっぱり無理さしたなあ……」
申し訳なさそうにしながら、スペインはロマーノの頭を撫でる。そこにいやらしさなど微塵もないのに、ロマーノはぶるっと背中を震わせて、その手の動きに目を細めた。ただ頭を撫でられるだけなのに気持ちが良かった。
「ご飯出来てるんやけど、ちょっとは食べれそうか?」
ロマーノは頷くことも出来ない。覗き込んでくるエメラルドの瞳から目を逸らして、時計を見た。時計の針は九時を過ぎたあたりで、夜に何も食べていないのだから、普段のロマーノなら確実に腹を空かせているはずだった。スペインに連れられて帰ってきたのが夕方だったが、それからロマーノは何も口にしていないのだ。
「そや、お尻どうや? お前が寝てる間にちょっと冷やしとったんやけど、痛みマシになっとる?」
ひとりで永遠に話し続けていたスペインは、やっとロマーノから返事がないことに気が付いた。あれ、と顔を顰めたスペインの肩に、ロマーノは体を寄せた。スペインの首元に頭をすり寄せると、スペインは驚いたような声を上げる。
「えっ!? どないしたん? そんなに辛いんか?」
顔を少し青くしながら、スペインはロマーノの肩を軽く揺さぶった。ロマーノは首を横に振って否定することも出来ない。恐らくスペインの心配とは違う方面ではあったが、今のロマーノの体は間違いなく普通ではなかった。
「……なんか、おかしい……」
「おかしい? 体が?」
やっと絞り出したロマーノの声は掠れ、声を出すたびロマーノの喉が痛んだ。喘ぎすぎたせいだろう、すっかり喉が枯れている。
「どんな風に?」
スペインは顔を覗き込もうとするが、ロマーノは顔を上げることもせず、目を閉じてスペインの肩に体を預けている。スペインの体はいつも暑苦しいぐらいで、冬だとくっついていて良い暖房代わりになるが、今は冷たくて気持ちいいと感じるほど、ロマーノの体は熱かった。
「……あつい」
これが体調不良からくる熱出ないことに、ロマーノは気付いていた。その熱なら、こんなにもロマーノの体は疼かない。スペインに触れられるたび、ロマーノの体は敏感に反応して、腰に熱が集まった。あれだけ達したというのに、自身の性器が熱を持ち始めていることにも、気付いている。
「やっぱり無理させ……ロマーノっ!?」
耳元で、スペインが大声を上げた。ロマーノがスペインのベルトに手をかけたからだ。カチャカチャと金属音がぶつかる音がしてそれに気づいたスペインが、ぎょっとした顔つきで慌ててロマーノの体を離した。困惑した様子のスペインに、ロマーノはまた熱い息を吐く。そろそろ限界だった。
「どどどどどないしたん? ロマーノ?」
あからさまに動揺した様子のスペインに、ロマーノの目には涙が浮かんだ。そこまで驚かれたら、自分だけが淫乱になってしまったようで、堪らない。ロマーノは自分でも、止められない欲求に戸惑っているのに。
ロマーノは震える手で、肩を離したスペインの手を掴んだ。同時に、泣きすぎて腫れた目からぽろっと涙が零れる。こんなことで泣いてしまったのは、全てスペインのせいだ。
「し、た……い……」
「し、したいて……まさか、エッチを?」
突然泣き出したことにも、そしてさっき散々した行為をまだしたいということにも、スペインは驚いていた。けれどスペインがそうやって固まっている間に、ロマーノの目から涙はどんどん零れ落ちていく。
「お前のせいで……お前が、変なこと……すっから」
全ては、スペインのせいだった。体がおかしくなったのも、こんなことで泣いてしまうのも。スペインがロマーノの体を作り変えてしまったから、こんなことになってしまった。
「ずっと、体熱くて……も、我慢、できね……」
行為の途中から、ロマーノは意識が曖昧だった。特にスペインと向き合えた後は、もう自身が達しているのかもわからない状態で、頭が真っ白になって、ただ泣き喚ていていただけだ。気持ちよくてたまらなかったが、やはり怖くて、それでも止めてほしくないと思う自身のめちゃくちゃな思考にも混乱した。確実に頭がおかしくなっていて、ロマーノはまだその余韻が抜けていなかった。
「……だめ、なのか?」
何も言わないスペインに、ロマーノは首を傾げた。拒否されてしまえば、溢れてくる欲をどうやって一人で処理したらいいかわからない。また涙を流すロマーノの肩を掴んでいたスペインの指に、力が込められた。痛みで顔を顰めるロマーノを、スペインは真っ直ぐ見つめる。
「俺のせいでもなんでもええけど……そないかわええこと言われたら、止められへんで?」
ロマーノの体のことを思うなら、絶対に今、手を出してはいけない。けれど熱が鎮まらないと興奮した様子で恋人に迫られて、抑えられるものがいるなら、スペインは素直にその相手を称賛する。スペインには出来ないことだった。神を信仰しているが、聖人君主にはなりきれない。ロマーノという存在が、スペインにそれを許さなかった。だからスペインにはもう、どうしようも出来ない。
「いいよ、はやく……」
スペインへと伸ばしたロマーノの手を、スペインは強く掴んで、ロマーノの体をベッドへ押し倒した。ベッドが軋む音を聞きながら、スペインはロマーノに口付ける。意識のないロマーノの体を清め、丁寧に着せた服を今度は強引に脱がせて、スペインはロマーノの体に触れた。
「やっ! あ、あん、あっ、ああ!」
体の奥を開かれながら、ロマーノはまたずっと達しているような状態になりつつ、スペインの体に縋り付いた。訳が分からなくなるのなら、覚えのある熱にずっと包まれていたい。次に目が覚めた時に、その熱をすぐ思い出せるようにと。
目を覚ました時、見慣れた部屋の中は明るく、ロマーノは眩しさに目を細めた。薄く開いたカーテンから、日差しが部屋に入り込んでおり、すっかり日が昇っているのだと気が付いた。ロマーノは怠い体を起こしてベッドを見回したが、そこには誰もいない。シーツに手を滑らせても、温もりは残っておらず、一緒に寝ていたはずのスペインはとっくに起きているのだろうと察した。
起きた時にいつもいない。理不尽な怒りを抱えつつ、ロマーノは震える足で、洗面所へと向かった。短い距離だと言うのに、壁を伝わないとうまく立てなくて、辿り着くだけで一苦労だった。
「ヒデー顔……」
顔を洗った後、タオルで水を拭いてから鏡で改めて自身の顔を眺めて、ロマーノはそのひどさに一人嘆いた。顔だけは自信があったのだが、泣きすぎたせいで目元が赤く腫れた情けない顔では、ナンパなんてとてもではないが出来ない。ため息をついてタオルを洗濯カゴに放り投げ、リビングを目指した。
歩くたび、腰と尻が痛む。スペインが冷やしたと言っていただけあって、叩かれた尻の表面の痛みはあまり感じなかったが、腰と尻の痛みは今まで以上だった。今日は一日何も出来ないだろうなと、ロマーノは今から既にげんなりしている。
リビングに近付けば、少しずつ物音が聞こえてくる。テレビの音だったり、歩き回る足音が聞こえるので、そこにスペインがいることは確実だった。ゆっくりとしか進めないことをじれったく思いながら、ロマーノはリビングのドアに手をかける。
「ロマーノ!」
ドアが開いた音で気が付いたのか、食器棚から皿を出そうとしていたスペインは振り返って、驚いたように目を見開いていた。皿をテーブルに置いたスペインは慌てた様子で、壁に手をついているロマーノに駆け寄って来る。
「大丈夫か? よお起きてこれたなあ」
「……めちゃくちゃ体痛えぞこんちくしょー」
「せやんなあ。ほら、こっちおいで」
すぐロマーノの体を支えたスペインは、そのままソファの方へとロマーノを連れて行った。
「なんか飲みたいもんあるか? というかお腹すいとるやんな。すぐ用意……」
ソファにロマーノを座らせると、すぐキッチンへ走って行きそうなスペインの手を、ロマーノは慌てて掴んだ。引き止められたことに、きょとんと目を見開いたスペインは、すぐロマーノへと振り返る。ロマーノは何も言わず、腫れた目を細めながら、訴える様にスペインをじっと見つめた。
「……スペイン」
強請るような甘さを含んだ声で名前を呼ばれ、スペインはすぐにぴんとくる。鈍い鈍いと周りからよく言われるスペインだが、ロマーノのサインを見逃すことは減った。パートナーになってから、意識してロマーノを見つめる様になり、少しずつ気付けるようになった。気付けないことの方が多いのも事実だが。
スペインは掴まれた手を解くことなく、ロマーノの隣に腰かけた。足を広げてぽんぽんと太ももを叩き、スペインはロマーノに笑いかける。
「おいで、ロマーノ」
その言葉を待っていたように、ロマーノは嬉しそうに眉尻を下げ、ソファから下りてスペインの足の間に跪いた。スペインの太ももに頭を寄せて体を預けると、途端にロマーノは心が満たされた気がして、ほっと息をつく。そんなロマーノの頭をスペインが撫でた。
「ごめんなあ。お前に飯食わせたらなって、そればっかり考えとったわ」
「……ん」
「教えてくれてありがとう。えらいな、ロマーノ」
触れられていることも、優しい声で褒められることも、全てがロマーノの欲を満たしていく。Domでないスペインでこれなら、本物のDomとパートナーになった時、どうなるのだろう。わずかな好奇心と、恐怖心がロマーノの中に生まれた。
昨夜、ロマーノは確実におかしくなっていた。スペインでこれなら、本物のDomとセックスすれば、本当にロマーノは壊れてしまうのかもしれない。だからスペインがいいという訳ではないが、ロマーノにとって、スペインがちょうどいいのだろうと思う。スペインがいれば、ロマーノは全てが満たされている。
「なあ、ロマーノ。お願いがあるんやけど……」
頭を撫でながら、スペインは言い辛そうな表情で、ロマーノを見下ろしていた。太ももに頭を預けたまま、ロマーノは怪訝な表情になって、スペインを見上げる。
「なんだよ」
「うん……今度なあ、一緒にルシアが働いてるバル行ったってくれへん?」
予想外のことだったので、ロマーノは目を見開いて固まった。ロマーノがスペインとの関係を見つめ直すきっかけを生んでくれたのは、彼女だった。
「……行っていいのか?」
「来てって言うてたやろ。たぶん、行かん方が傷つけると思うねん」
「そうじゃなくて……俺が」
実際、ロマーノはスペインとルシアの間に何があったのか、詳しくは知らない。深く聞くのはルシアに申し訳ない気がして、勝手に憶測しているだけだが、恐らく深い仲になりたかったルシアを、スペインが拒んだのだろう。
そんな彼女の前に、恋人となったロマーノが一緒に行っていいのか。ルシアを更に傷つけるだけなら、正直なところ、ロマーノはあまり行く気にはなれない。そうやって眉を下げるロマーノの頬を、スペインはあたたかい手で撫でた。
「嘘つくなって言うたのは、ロマーノやで」
嬉しそうに笑うスペインを見て、しばらくして空港のカフェで話したことを、ロマーノはやっと思い出した。パートナーを解消しようと告げた時、確かにロマーノはそんなことをスペインへ投げつけた。
「お前とも、ルシアとも……そんで自分の気持ちとも向き合った答えが、今や。せやからもう嘘もつかへんし、隠しもせえへん」
頬を撫でるスペインの手が愛しくなって、ロマーノは自分の手を重ね合わせた。ルシアにとってそれが喜ばしいことなのかはわからないが、スペインが決めた答えに、逆らう気持ちはない。
「俺には素敵な恋人がおるって、ちゃんと伝えるわ」
まだ慣れないその恋人という呼び名に、頬が赤くなった。恥ずかしさもあったが、嬉しい気持ちの方が強い。何百年と親分子分という関係でいて、見飽きたと言うほど互いの顔を見ているけれど、それでもまだ変わっていく関係があるのだと思うと、ロマーノは泣きたくなった。
「せやからその時、そばにおって」
求められることが嬉しいのだと、思い知った。想いが通じ合っていなければ、知りえない感情だ。Subになったと気付いたばかりの、絶望していた頃の自分に、いつか恋人になれる日がくると伝えたって、きっと信じやしないだろう。信じられなくていいと、ロマーノは思う。信じらせてくれるのは、いつだってスペインという男だけなのだから。
「いいぜ。一緒に水でも被ってやる。それかビンタでもされるか」
太ももに預けていた顔を上げて、ロマーノはにやりと笑った。スペインはそんなロマーノに、困ったような笑みで答える。
「ルシアはそんな子ちゃうよ〜」
「お前はそれぐらいされろ」
文句を言ったところで、ロマーノの腹の虫が鳴った。あまりに大きく長いその音に、二人は顔を見合わせ、同時に声を出して笑った。ロマーノは昨日の昼から、何も食べていない。お腹が空くのなど当然だった。
スペインはソファから立ち上がり、未だに床に座り込んでいるロマーノの両脇に手を差し込み、ロマーノの体を持ち上げた。
「う、わっ」
驚きに声を上げるロマーノを気にした様子もなく、スペインは持ち上げたロマーノの体を難なくソファに座らせる。
「ロマーノは座って待っといてな」
驚いて固まっているロマーノの頬にキスをひとつして、スペインは上機嫌でキッチンの方へと駆けていく。ロマーノも健康な成人男性の体つきで、簡単に持ち上がる体でもないはずなのに、あそこまで軽々と持ち上げられるとプライドに傷がつく。逆にスペインを持ち上げろと言われても、絶対出来ないだろう。
時計を見ると、時刻は十時を過ぎたところだった。昨夜何時に寝たのかロマーノは記憶になかったが、体が辛いわりに頭はスッキリしているので、よく寝たようだった。ソファにあるクッションを抱えながら、ロマーノは改めて昨日のことを思い返す。そっと首にあるガーゼに触れると、やはりピリッと痛みが走った。
(……あいつ、ヤキモチとか妬くんだな)
知らないDomに触れられることを嫌がり、まるで消毒をするように、触れられたとこに噛みついたスペインを思い出し、ロマーノの顔が赤くなる。パートナーを解消したくないという焦りもあったのかもしれないが、嫉妬をするスペインというのは、ロマーノからすれば新鮮な姿だった。今まではロマーノが女性をナンパしていても、いつだってヘラヘラと眺めていただけだったのだ。その変化に当然、ロマーノは戸惑っていた。
恋人になったという実感をロマーノはあまり持っていなかったが、嫉妬されたり、行為の最中に「好き」だと言われたことを思い出すと、都合のいい夢ではなかったのだとは思えた。ロマーノは口元がにやけてしまわないように、唇をきゅっと噛んで、流れているテレビを意味もなく眺める。
「おまたせ〜」
マグカップと皿を持ったスペインがロマーノの元まで戻ってきて、手にあったものをテーブルに置いた。ミルクがたっぷり入ったカフェ・オレとブリオッシュを見て、ロマーノはふと、首を傾げる。
「ブリオッシュなんか家にあったか?」
「朝買ってきてん。好きやろ?」
「まあ……」
隣に座ったスペインは、いつも以上ににこにこしてロマーノを見ていた。礼を言われたいのかと思ったが、ロマーノがそんな素直に礼を言えるはずもない。無視してブリオッシュをあっという間にロマーノが平らげても、スペインは変わらずにこにこして、ずっとロマーノを見ていた。
「……なんだよ、気持ち悪ぃな」
いくら恋人だからといって、ずっと見られていて気持ちいいものではない。視線を誤魔化すように、ロマーノはマグカップに口をつけた。
「いや〜……えへへ。好きやな〜って思って……」
「うぐっ……!」
顔を赤くしながら、照れつつも本心を口にするスペインに、ロマーノは飲もうとしていたカフェ・オレを吹き出しそうになった。慌てて飲み込み、少し汚れた口元を手の甲で拭った後、真っ赤な顔でスペインを睨みつける。
「はっ、恥ずかしいこと普通に言ってんじゃねえぞコンチクショーが!」
そうロマーノが怒鳴っても、スペインは相変わらずへらへらしながら、ロマーノ体を抱きしめた。ロマーノは恥ずかしさで今すぐにでも暴れ出したかったが、ちょうど手にはまだあたたかいカフェ・オレが入ったマグカップを持っている。スペインにぶっかけてもよかったが、ソファが汚れることもあって、ロマーノはぐっと歯を噛み締めて我慢した。スペインはそんなロマーノに、遠慮なく頬ずりしている。
「やって、昨日のロマーノすごかったやん? 恋人になった特権やなあって」
「あれはっ! あ、の……あれで、その……」
スペインの口からすごかったなどと言われ、ロマーノは更に顔を赤くして、しどろもどろになる。否定したかったが、それらしい理由も見当たらず、ロマーノは結局何も言えなかった。
「俺、すごい幸せやってん。なんか心も体も…………そう! 満たされた、みたいな!」
耳のすぐそばで大きな声を上げられて、ロマーノは苛立ちつつ、スペインを見た。きらきらと目を輝かせるスペインに、ロマーノは若干口元を引きつらせる。
「お前、あそこまでしなきゃ満たされないのか? 性欲どうなってんだよ……」
「ちゃうやん! そういうことちゃうねん!」
「何がちゃうねん……」
「あっ! かわええ! もっかい言うてや!」
「ケ・バッレ」
「そ、それとちゃうやろ……?」
もう一度スペイン語を話してほしいと騒ぐスペインを無視して、ロマーノはのんびりカフェ・オレを飲んだ。スペインの言うことなすことにいちいち照れていたら、ロマーノの身が持たない。いくつかはスルー出来る様にならなければならなかった。
まだ騒いでるスペインを尻目に、確かに昨日のロマーノはおかしかったと、自身で思う。自分自身をコントロール出来なくなって、文字通りスペインに体全てを差し出していた。頭が真っ白になり、自分の体のコントロールを全てスペインに奪われたような、そんな感覚だった。けれどそれが不快ではなく、ロマーノは確かにあの行為で満たされていた。
スペインも満たされていたからよかったが、これからもあんな激しいセックスをするのなら、ロマーノは少し恐怖を抱いてしまう。体を全て支配されているような気分を、恐ろしいと思わないなんて、それはまるで……。
そこまで考えて、ロマーノはハッと目を見開いた。数か月前、医師に掛かっていた頃、ロマーノは医師からSubの体について説明された。その時に聞いたあることを急に思い出し、スペインへ視線を向ける。まだ騒いでいたスペインは、少し困惑したようなロマーノの視線を受け、不思議そうに首を傾げた。
「ロマーノ? どうしたん」
「……携帯」
「え?」
「俺の携帯、どこだ」
昨日帰ってきた後、そのままスペインにベッドへ連れられたロマーノは、携帯の存在を今の今まで忘れていた。スペインも思い出すように、顎に手を当てて考える素振りを取る。
「確か……上着の内ポケットちゃうかったかな?」
「取ってこい、今すぐ」
「え? ええけど……」
上着なら、確か部屋のハンガーに掛かっていたはずだ。恐らくスペインが掛けたのだろう。ロマーノは立つのが辛いので、スペインに頼んだ。不思議そうにしながらもスペインは携帯を取りにリビングを後にし、ぱたぱたと足音を立ててすぐに戻って来る。
「ほい」
礼も言わず渡された携帯をひったくったロマーノは、充電残量が少なくなったそれを、震える指で操作した。どくどくと心臓の音が少しずつ大きくなるのを聞きながら、ロマーノは無心になってネットを探る。情報を見つけるたび、タップする指の震えが大きくなった。
「ロマーノ? ほんまにどうしたん?」
様子がおかしいロマーノの顔を覗き込んだスペインに、ロマーノは一度視線を向けた。けれどなんと言ったらいいかわからず、最後の確信を得るために、ロマーノは長く使用していなかった連絡先に電話をかける。携帯を耳に押し当てると、相手はすぐ電話に出た。
『プロント?』
懐かしい声がする。随分と聞いていなかったその声に、ロマーノは少し緊張した。
「レオナルド……俺だ、ロヴィーノだ」
『ロヴィーノさん? お久しぶりですね』
仕事用の携帯にかけているはずだが、契約を交わした際、契約終了後は速やかに連絡先を消去するとあったので、例外なくロマーノの連絡先も消されていたのだろう。電話の向こうで驚きの声を上げたレオナルドに反応したスペインは、眉間に皺が寄せた。
「レオナルド? 誰?」
スペインも会ったことがある相手だが、すっかり忘れているらしい。ロマーノはひとまずスペインを無視して、レオナルドに話しかけた。
「突然、悪い。ちょっと聞きたいことがあって……」
『ええ、構いませんよ。どうしました』
穏やかな話し方にほっと息をつきつつ、ロマーノはちらっとスペインを見てから、視線を外した。あまりスペインに聞いていてほしい話ではなかったが、歩いて違う場所に移動するのも疲れるので、ロマーノはスペインに背を向ける。
「その……答え辛いとは思うんだけど……」
『なんでしょう?』
「……サブスペースって、相手がDomじゃないとならないか?」
電話の向こうに沈黙が落ちる。ロマーノはそれがやけに長く感じたが、実際は一瞬のことだった。
『……ええ、そうですね。そのはずです』
その返答は更に核心に迫るものだった。ロマーノが抱いた疑念が、間違っていないのかもしれない。背中を向けていたスペインが気になって、ロマーノは顔だけ振り返った。なにやら面白くなさそうな表情で、考え事をしていたらしいスペインは、急に「あっ!」と大きな声を上げる。
「レオナルドって、あれやん! プロのDom!」
場にそぐわない能天気な声に、ロマーノは少し緊張がほぐれた。ロマーノはまたスペインから顔を反らして、電話へ意識を戻した。
「悪い。それを確認したかっただけなんだ」
『ええ。大丈夫ですよ』
くすくすと笑いながら、レオナルドは優しくそう答えた。相手を安心させるような話し方をするやつだったことを思い出し、ロマーノはまた懐かしさが芽生えた。その後、簡単な挨拶だけしてロマーノは電話を切った。切り際に「お幸せに」と言葉を添えられ、そだけでロマーノは顔が赤くなる。
もう何にも繋がっていない携帯を手に持ちながら、ロマーノはスペインになんと伝えるか考えていた。
「なあ、なんでレオナルドに電話したん? なんか用事やったん?」
いつまでも背中を向けているロマーノに焦れて、スペインは肩を掴んでロマーノを振り返らせた。抵抗はなく、あっさり振り返ったロマーノは、スペインと視線が合うと、途端に慌てた様子で目を逸らした。
「え? なに?」
「……確認したいことが、あって」
「レオナルドに?」
「今は、お前に……」
言い辛そうにしながら、ロマーノはただ祈る様に携帯を両手で持っていた。スペインはそんなロマーノを不思議に思いつつ、肩を抱き寄せて顔を近付ける。
「ええよ。なに?」
よく聞こえる様にとスペインが顔を近付けたが、ロマーノは顔を赤くして逃げたそうにしている。もちろん、スペインはそれに気付いていない。
「お前、前に……俺としばらく会えなくて調子悪かったって言ってたよな?」
ロマーノは視線を合わせないまま、そう尋ねた。スペインは少し考える素振りをした後、首を縦に振って頷く。
「あったなあ。ひと月会われへんかった時やな。なんか頭が痛なって、体怠かってんけど、お前に会ったら一発で治ったわ。びっくりやんな」
ロマーノがおらんともうあかんわ〜と言うスペインの言葉を聞いて、ロマーノは更に核心を深めていく。
「それでさっき、心と体が満たされたって、言ってた……あれは今までと違ったってことか?」
「ん? まあ……そういう感じかな?」
「それは普段より気持ちよかったのか?」
「ええー……というか、なんか頭ふわふわしてた感じ? 俺もちょっとおかしなってたんかなあ」
普段なら恐らく止められた行為を、スペインは止められなかった。ロマーノに誘われたからというのもあったが、本当ならロマーノの体調を考慮して、止めるべきだったのだ。しかし昨日は、抑制する能力が著しく低下していたとしか思えない。
「それでお前に無理させてしも、て……えっ、なに!?」
やっと顔を上げてスペインと視線を合わせたロマーノは、今にも泣きだしそうな表情をしていた。スペインが慌ててロマーノの頬を撫でたが、ロマーノは目を細めるだけで、表情はさして変わらない。
「……病院」
「え?」
「病院、行くぞ」
震えた声で、ロマーノは頬を撫でたスペインの手を掴んだ。スペインはしばらく固まっていたが、またしても慌てた様子でロマーノを見る。
「なんで!? やっぱり昨日のせいで、どっか痛いん!?」
顔を青くしながら、スペインはロマーノの体のいたるところを撫でた。それに体を震わせながらも、ロマーノは抵抗せず、もう一度スペインの手を掴んだ。
「お、俺じゃない」
「え?」
「お前……」
「俺? ……めっちゃ元気やけど?」
不可解そうに顔を顰めるスペインに、いよいよロマーノは言葉が尽きた。本当は思っていることを全てスペインに吐き出したかったが、ロマーノは臆病なので、確信を得るまではそれを口にしたくはない。
先程ロマーノが口にしたサブスペースという言葉を、スペインは忘れてしまっているようだ。実際、Domでないスペインにはあまり関係のない話だった。サブスペースとはSubの意識が完全にDomに支配される状態のことを言い、ネットで調べたところ症状は様々だったが、昨日のロマーノの状態に酷似したものばかりだった。
思い返してみれば、スペインはたまに、まるでDomのようなことを口にしていることがあった。その時ロマーノは、スペインがDomではないと思い込んでいたから当然気付かなかったが、昨日の異常な状態に陥って、やっと思い至った。
「もしかしたら、お前が……」
声が震えて、ロマーノはその先が言えなかった。代わりに、ロマーノの目から涙が零れる。それを見て、スペインはぎょっと目を見開き、慌ててロマーノを抱きしめた。
「なに? なんなん? なんで泣くん? どないしたん?」
いっそスペインも泣きそうになりながら、腕の中にあるロマーノの肩を、慰める様にスペインは撫で続けた。大人しくその腕に抱かれつつ、ロマーノはスペインに身を預けた。現実だと実感するために。
夢のようなことが起こった。
叶うはずもないと諦めかけていた片想いの相手が、パートナーになって、恋人になった。
そしてその相手が、もしかしたらDomになっているかもしれない。そうなれば、二人は正真正銘、立派なパートナーだ。きっとロマーノを抱きしめている腕は、一生自分から離れないだろう。そう思うと、ロマーノは嬉しくてたまらなかった。
「――ずっとお前を、待ってた」
見失っていたピースが、やっと見つかった。そんな気持ちで、ロマーノはスペインを強く抱きしめ返した。