恋よ、前進せよ 02

そんな話をしてから二月が過ぎたが、その間スペインから連絡がなく、フランスは相談を受けたことを忘れつつあった。というより、すっかりうまくいったのだろうと勝手に思い込んでいた。
そんな相談を受けたことをやっと思い出したのは、欧州の会議が開かれるその日の朝である。
(うまくいったのかなあ。スペインのやつ)
それならそれで報告をしてくれればいいのだが、便りの無いのは良い便りだ。おそらくうまくいったのだろうと楽観視して、フランスは鼻歌交じりに議場のドアを開いた。そこに、フランスの希望を裏切る光景が広がっているとも知らずに。
「スペイン。もうちょっと強く」
ロマーノの声がした方に振り返ったフランスは、視界に入ったものにぴたりと足を止めた。会議のチェアーにゆったりと座っているロマーノのそばに、スペインがいる。それはとりとめのない光景であった。しかし問題はスペインの行動である。
スペインが何故か、労う様にロマーノの肩を揉んでいる。ただそれだけと言われればそうだが、フランスは珍しい光景に整った眉を寄せ、それをじっくりと観察した。
肩を揉まれているロマーノは元気そうな様子で、スペインに肩を揉ませている。しかし当のスペインも、嬉しそうにロマーノに奉仕しているのだ。肩を揉み終えたら、次は床に膝をついてロマーノの腕を揉み始めた。
一体何をしているのかわからず、フランスは誰にも挨拶することなく、例の二人を観察しながら自席まで向かった。そうしている間に揉む作業を終えたスペインは、次の指示を待つようにじっとロマーノのそばに控えている。
「スペイン。喉渇いた」
「今日はちょっと暑いもんなあ。いつも通り、コーヒーでええ?」
「ああ」
短く答えたロマーノを確認して、善は急げというようにスペインは足早に議場を後にした。フランスはスペインが飛び出していったドアを見つめ、今見た光景の意味がわからず固まっていると、背中にどんっと重みがかかって我に返る。
「フランス兄ちゃ〜ん!」
「イタリアか」
背後を見ると、腰に抱き着いているヴェネチアーノが見え、フランスはひとまず振り返った。その間もフランスから離れようとしないヴェネチアーノは、フランスの胸元に顔を埋めている。
「ねえ、今の見た?」
相変わらず抱き着いたまま、ヴェネチアーノはやっと顔を上げた。その表情は情けなさそうに眉を下げて、今にも泣きだしそうである。
「ああ……さっきの? あいつらどうしちゃった訳?」
「わかんないんだよぉ。いつのまにか、スペイン兄ちゃんが、うちの兄ちゃんの下僕みたいになっちゃってたんだ……」
「下僕……ってほどでもない気もするけど……」
無理矢理従えられている感じでもなく、命令されているスペインも勇んでロマーノに奉仕している様子であった。しかし何はともあれ、召使いのような行いをかつての子分にしているというのが、異様に映るのだ。
ひとり自席で悠々と携帯を操作しているロマーノを見て、フランスはため息をついた。この二月の間に何があったのかわからないが、ひとまず問い質すのは喜んで下僕になっているスペインである。
「ちょっとスペインに聞いてくるわ」
「俺も行く!」
二人は頷きあうと、すぐスペインを追った。議場を出て真っ直ぐ進むと、エレベーターの前に小さな休憩スペースがある。そこまで向かった二人は、施設の利用者のみ使用できるコーヒーマシンの前にいるスペインを認めて、足を止めた。
「スペイン」
名前を呼びながら近づくと、気が付いたスペインが振り返った。その手には、恐らくロマーノの為のコーヒーのカップが握られている。
「あ、フランスにイタちゃんやん。二人もコーヒー飲みに来たん?」
満点の笑顔で二人を出迎えたスペインは、二月前の落ち込みが嘘のような機嫌の良さだった。花でも飛ばしそうなほど幸せそうに笑っているので、つい先ほど見た内容を口にするのを躊躇ってしまいそうになった。
「お前さあ……随分幸せそうだね……」
「え? え〜そう見える? えへ、えへへ」
でれでれとしながら笑うスペインに、フランスは呆れた顔つきになった。隣にいるヴェネチアーノにいたっては、不憫なものをみる目でスペインを見ている。
「念のために聞くけど、それってロマーノのコーヒー?」
「せやで! 喉渇いてるみたいやから、俺は先に行くわ!」
二人に場所を譲る様に、スペインは体をずらした。そして今すぐにでも議場へ戻ろうとしているスペインは、本当に何の疑問も浮かんでいないようだ。ついに抑えられなくなったため息を漏らし、フランスはスペインの腕を掴んだ。
「待て待て待て」
「ん? どないしたん?」
足を止めたスペインは、きょとんとしながら振り返った。鈍感であれた方が幸せなんだろうなあ、なんてことをフランスは頭の隅で考える。
「お前さ、なんでロマーノのコーヒーを淹れてやってんの」
「ロマーノが喉乾いたって言うてたからやで」
「じゃなくて、なんで自分でやらせないの、って言ってんの」
「そりゃあ、淹れてきて ってお願いされたからやんか」
気恥ずかしそうにしているスペインに、フランスは美しい顔を歪めた。ヴェネチアーノに至っては「スペイン兄ちゃん……!」と嘆きながら名前を呼んでいる。
フランスの記憶が正しければ、ロマーノは「喉が渇いた」としか言っておらず、どちらかというと渇いたからお前が淹れて来いと、命令していたように感じた。少なくともかわいくスペインにお願いをしている光景に覚えはない。あれをかわいくおねだりされたと感じられるなら、間違いなく人生は幸せだろう。
「……お前がどう感じてるのかは知らないけど、お願いはされてない」
「そうやった?」
「そうだよ。むしろお前、ロマーノにパシリにされてるだろ」
「……パシリ?」
何を言われているかわからない、といった様子でまばたきをするスペインに、フランスとヴェネチアーノはうんうんと頷いてみせる。
「俺、ずっと思ってたんだよ。兄ちゃんの下僕にされてるなあって……」
「下僕!? 俺が!?」
「お前、ロマーノのこと振り向かせるんじゃなかったの? なんで従順にパシリなんかしちゃってんのさ」
「ちょ、ちょい、ちょっと、待って」
慌てて制止を掛けたスペインは、手に持っていたカップをコーヒーマシンの横に置いた。フランスとヴェネチアーノは、黙ってスペインを見守っている。
「俺、なんか変なことしとった……?」
「少なくとも前のお前だったら、ロマーノと一緒にコーヒーを取りに来てたと思うなあ」
そう言われ、スペインはカップに入ったコーヒーを見た。それはロマーノの為に、スペインがさっき用意したものだ。決して自分の為のものではない。それに対して文句がある訳ではないのだが、以前のスペインであれば、喉が渇いたと言うロマーノに「ならコーヒー飲みに行こや」と、誘っていたのではないか。そんな考えが浮かび、スペインはやっと我に返った。
そしてここしばらくの自身の行いを振り返り、先ほど聞いた「パシリ」や「下僕」という言葉が、実に違和感なく当てはまる。そんな事実に、だんだんとスペインの顔色が悪くなっていく。
「……俺、パシられてるように見えてた?」
「そりゃあもう」
頷く二人を見て、スペインは頭を抱えてため息をついた。そんなスペインを哀れそうに見つめながら、フランスは優しく背中を撫でる。
「ちゃうねん……俺はあれ、ロマーノにアピールしてるつもりやってん……」
「ええ? 方向性間違いすぎだろう」
「なんでそうなっちゃったの?」
呆れたような二人の視線から逃れるよう、スペインは視線を落として頬を掻いた。
ロマーノに対する奉仕が始まったのがいつからなのか、自覚がなかったスペインからすると難しい質問だった。しかしきっかけのような出来事は思い出せる。
「その……前に相談乗ってもらってからすぐ、ロマーノの家に行ってん。あ、ナポリの方な。そんでやっとロマーノに会えてんけど……なんかその時のロマーノ、えらいやつれとってなあ……」
「やつれてた?」
「あー……隈作ってフラフラになってた時あったね」
しばらく顔を合わせていなかったフランスからすると、今日見たやけに元気なロマーノしか知らないが、ヴェネチアーノには当然心当たりがあった。それに頷いたスペインは、続きを話すべく口を開く。
「そうやねん。俺びっくりしてもうて、振り向かせるとか言うてる場合やないわって、とりあえずロマーノ寝かして色々世話しててん。そんで……」
「それで?」
急に黙り込んだスペインに、フランスが首を傾げた。ヴェネチアーノも不思議そうな顔で続きを待っている。
スペインは顔を赤くしながら、言い辛そうに続きを口にした。
「そ、それで……ご飯作ってやったりとか、まあ色々してやったら……弱ってたんか、珍しくロマーノが、その……えらい嬉しそうにしてくれて……」
家を訪問したスペインを出迎えたのは、顔色の悪いロマーノだった。目の下に隈を作り、足取りも覚束ない様子のロマーノを見て、スペインは血の気が引く思いを味わいながらロマーノをベッドに押し込んだ。先日ヴェネチアーノに最近は暇そうにしていると聞いていただけに、疲労しきっているロマーノにスペインは驚きを隠せなかった。
原因を聞いても、ロマーノは「大したことじゃない」と首を横に振るばかりで、理由は口にしない。仕方なく問い詰めることをやめたスペインは、ただ介抱することに専念した。そうしているうちにだんだんと顔色が良くなってきたロマーノは、顔を赤くしつつ小さな声でスペインに礼を言ったのだ。
『……ありがとな』
遠い昔の記憶と重なるその言葉に、スペインは強く胸を打たれた。ついでに珍しくロマーノが笑顔だったのだ。皮肉な笑みを浮かべることは多いが、少し照れた様子で笑う姿は今でも鮮明に思い出すことが出来る。それほど、スペインにとって強い衝撃を与えた。
「なんかな? ロマーノが独立してから、親分なりに一歩引いて二人のこと応援しようと思っててん……でも久しぶりに、ぐわっ! ……て、きてもうて……」
「ぐわ?」
首を傾げるヴェネチアーノに深く頷いたスペインは、握りこぶしを作って力説する。目を爛々とさせながら。
「せや! ロマーノにめっちゃ色々してやりたなってん! しかもロマーノも嬉しそうにしてたから、これもアピールのうちかなあって……!」
「お前って本当、昔から呆れるぐらいの世話好きだよなあ」
「せやろか? まあ、頼ってもらえるのは嬉しいなあ」
照れた様子で頬を掻くスペインに、フランスがため息をついた。
「そりゃいいけどさ、お前今のままだとただのパシリじゃない? それでいいの?」
「そ、それはあかん!」
顔を青くして悲観するスペインの声に重なって、足音が聞こえた。フランスはそれに気付き、顔を上げて振り返る。廊下の方から聞こえるそれは少しずつこちらに近付いてきて、しばらくして音が止んだ。
「スペイ……げっ」
覗くように顔を見せたのは、話の渦中にいるロマーノだった。帰ってこないスペインを心配したのか、スペインの名前を呼んだロマーノは、その場にいる面々を視界に捉えて露骨に顔を歪ませる。
「ロマーノ!」
一番に反応したスペインを見て、ロマーノは渋々といった様子で三人に近付いた。当然という風にスペインのそばへ行くロマーノは、いつも通り元気そうである。
「お前、くっちゃべってたから遅かったのかコノヤロー」
「あ、せやった。コーヒーやったな」
コーヒーマシンの隣に置いていたカップを手に取り、スペインはそれをロマーノに手渡そうとした。しかしフランスの呆れた視線と、ヴェネチアーノの心配したような視線を感じ、すぐハッと我に返る。
慌ててスペインはカップを持ち上げ、受け取ろうとしていたロマーノの手は空ぶった。目を見開いて固まったロマーノは、顔を歪めてスペインを睨みつけた。
「あ? 寄こせよ、コノヤロー」
「そ、その前に聞きたいことがあんねん」
「聞きたいこと?」
訝し気な様子で首を傾げるロマーノに、スペインは頷いた。そんなスペインに、フランスとヴェネチアーノは応援するような、期待の眼差しを送る。
ロマーノは「なんだよ」と不遜な物言いで続きを促し、スペインは生唾を呑み込んでから口を開いた。
「あんなあ……もしかしてロマーノ、親分のことパシリやと思っとる……?」
そうでなければいいな、という期待を込めてスペインはそう尋ねた。しかし聞かれたロマーノは一瞬驚いた顔をした後、フランスとヴェネチアーノを睨みつけ、鋭く舌打ちする。
「チッ……お前ら、余計なこと言いやがったな……」
まるで事実を肯定するような物言いに、スペインの顔色は悪くなる。アピールをするつもりの行為が、パシリになりたいとアピールしていたというのだから、スペインは気が遠くなりそうな思いであった。
「言っとくけど、お前が悪いんだからな。俺が腹減ったとか言ったら、すぐ『親分が作ったるわ!』とか『なんか買ってこよか?』とか、自分から率先してそんなこと言ってきやがるから、てっきり俺のパシリになりたいんだと……」
「お前……」
呆れたような視線をフランスがスペインに向けた。自覚があるので、スペインは自分自身の行いを思い出し、頭を抱えた。久しぶりに頼られるのが嬉しく、アピールになるのではと思い込んで奉仕していたなんて、笑えない話である。
「だからってスペイン兄ちゃんを下僕にするなんて、ひどいよ兄ちゃん!」
「な、なんだとバカ弟め……!」
「そばで見てて俺、すっごく羨まし……じゃなくて、ひどいなあって思ってたんだからね!」
「今、羨ましいって言おうとしてへんかった……? てか下僕って言い方が一番ひどない?」
「ひどいねえ……」
慰めるようにぽんぽんとスペインの肩を叩きながら、フランスも頷いた。その肯定に呆然としているスペインを置いて、イタリア兄弟は言い争いが続いている。しばらくそれを見守っていたスペインたちであったが、突然ロマーノがスペインへと振り返った。
「大体、それならなんでお前は俺のパシリやってたんだよ!」
決してパシリをしていた訳ではなかったのだが、そもそもの行動の理由を尋ねられ、スペインは思わず背筋を伸ばした。スペインがロマーノに奉仕していたのは、当然好かれたいからだ。その理由を思うと、スペインの頬がわずかに赤くなる。
「そ、それは……」
「それは?」
随分と久しぶりにスペインは緊張というものを味わっている。口が渇いていくのを感じながら、スペインは意を決して口を開いた。
「ロマーノに、俺のこと好きになってもらいたいからやねん……!」
「……おお!」
「……わあ!」
緊張しつつもスペインは正直な気持ちを口にした。カップを持つ手が震えていたスペインは、感嘆するフランスとヴェネチアーノの声を聞いて、別の意味で手を震わせてしまう。二人がいることを忘れて、普通に告白をしてしまったのだ。恥ずかしさで更に顔が赤くなった。
「……それでお前、パシリやってたのか?」
「いや、パシリになるつもりはなかってんけどな!?」
しばらくその場に沈黙が流れたが、少ししてロマーノがふっと息をついて笑った。
「意味わかんねーヤツだな」
呆れた口調ではあったが、ロマーノは眉を下げて困ったような笑顔を浮かべている。それに思わずスペインは固まってしまった。稀に見るロマーノの自然な笑顔だ。忘れないようにしっかり見つめていると、途端に無邪気な顔つきに変化したロマーノは、スペインが手に持ったままだったカップを奪い取った。
「今更お前のこと、嫌いになんかならねえよ。バーカ」
そう言い残して、ロマーノはひとり会議室の方へ戻っていく。呆然と立ち尽くしてその背中を見送ったスペインは、ロマーノの足音が聞こえなくなってようやく、フランスとヴェネチアーノへ振り返った。
「な、なあ……今の……」
「……うん」
「もしか、せんでも……」
「……うん」
「まーーーったく……伝わってへん、のとちゃう……?」
ぶるぶると体を震わせているスペインに、フランスとヴェネチアーノはぽんっと優しく背中を叩いた。
「……そうだね、スペイン兄ちゃん」
「ロマーノにはまーーーーーったく……伝わってなかったね、今の」
「うわああああああん……! ロマーノ……!」
スペインとしては、それなりに気持ちを込めて思いを伝えたつもりであった。しかしロマーノは悪い気もしていないようだったが、恋愛感情のそれだとは全く気付いていなかった。スペインからの愛情を、そのまま受け取っただけのようである。
虚しさに支配され、スペインは顔を覆って泣いた。そうして浮かぶのは、かつてロマーノがスペインに好意を打ち明けてくれた過去のことである。ロマーノも同じような想いを味わっていたのかと思うと、情けなさと申し訳なさで更に涙が溢れた。
「ロマーノぉ……! 今まで、こんな……ううっ!」
「まあまあ、時間制限がある訳でもないんだし、ゆっくり振り向かせたらいいんだよ」
「そうだよ! 泣かないで〜スペイン兄ちゃん!」
慰められ、更にぐすぐすと鼻を鳴らすスペインの背を撫でつつ、フランスは会議室がある方へ顔を向けた。先に帰ってしまったロマーノのことを思い出し、フランスはまたスペインを見る。
パシリだと思っていたわりに、ロマーノは帰ってこないスペインの様子をわざわざ見に来た。早くコーヒーが飲みたかっただけと言われればそれまでだが、単純にロマーノはスペインのことが気になったのではないか。そんな考えがフランスの頭に浮かんだ。
奉仕し続けていたのはスペインのミスではあったが、それでもロマーノは構われ続けたことで、またスペインに意識を戻しつつあるのかもしれない。それがただの愛情なのか、以前のような恋愛感情なのかはフランスの知るところではないが、少しは未来に希望が見えた気がして、フランスはひとり微笑むのであった。