恋よ、前進せよ 03
部屋のチャイムが鳴り、襟を正していたロマーノは顔を上げてドアを見た。ドアのすぐそばにある姿見で自身の格好をチェックしていたロマーノは、ドアスコープを確認する事なくオートロックのドアノブに手をかける。「お前、どうやって……あ?」
ドアの向こうにいる相手に声をかけようとして、視界に飛び込んできた光景にロマーノは思わず顔を歪めた。
「おはよう、ロマーノ」
チャイムを鳴らした相手は、予想通りスペインであった。そもそも今から部屋に向かうと少し前にメッセージが届いていたので、ロマーノは疑いすらしていなかった訳だが、ロマーノは口を噤んでじいっと目の前のスペインを見つめた。
「……お前、どうした?」
「なにが?」
「……いや」
言葉を濁したロマーノは、少し戸惑った様子を見せながらもドアを完全に開き、スペインを部屋に招く。嬉しそうにしながら遠慮なく中へ足を踏み入れたスペインは、すぐさまロマーノにハグをして頬にキスをした。
「イタちゃんは?」
「じゃがいも野郎のところだ。ケ・バッレ」
忌々しそうにそう口にしながら、ロマーノは舌打ちする。スペインは納得したように頷いて、ポケットからカードキーを取り出した。
「これ、昨日イタちゃんから預かってん」
差し出されたカードキーは、ホテルの部屋の鍵である。ロマーノとヴェネチアーノはツインの部屋を借りていたので、チェックインの時にカードキーを二枚手渡されていたのだが、ヴェネチアーノはそれをスペインに預けていたのだ。
「なるほどな。それでお前、この部屋までこれたのか」
納得したロマーノは、ひったくる様にカードキーを奪った。もうすぐチェックアウトの時間になるので、いつまでもスペインに預けている訳にもいかない。
このホテルのエレベーターは、部屋のカードキーがなければ階層のボタンが反応しない仕組みになっている。部屋まで迎えにくるとスペインからメッセージを受け取った時、どうやって部屋にくるのだろうとロマーノは不思議に思っていたのだが、これで全てが繋がった。会議の翌日はロマーノがスペインと共に過ごすと知って、ヴェネチアーノが鍵を預けたのだろう。
「そんじゃ、そろそろ行こか。お腹すいたやろ?」
「……おう」
当然と言う風にロマーノの荷物を持つスペインを、ロマーノは何か言いたげな様子で見つめていた。しかしスペインはいつもと変わらぬ笑顔で、その視線を気にする様子もなく、先ほど入ってきたばかりのドアへと向かっている。
ロマーノは歯に物が詰まっているような違和感を滲ませつつ、薄手のコートを羽織ってスペインを追いかけた。部屋を出てエレベーターに乗っている間、スペインはいつものようにとりとめのないことを話し続けており、ロマーノはそれを話半分に聞きながら相槌を打つ。
スムーズにチェックアウトを済ませてホテルを後にし、駅前のロッカーに荷物を預けて身軽になったところで、ロマーノは改めてスペインを見た。
「ロマーノ、お昼何食べたい?」
首を傾げるスペインを真っ直ぐ見つめ、頭のてっぺんから足のつま先まで眺めた。そんなロマーノの行動を不思議そうに眺めているスペインに、言うか言うまいか散々迷ったロマーノは、しかし我慢が出来なくなって口を開いた。
「……お前さあ」
「なに?」
「なんかあったのか? ……いや、これからなんかあるのか?」
怪訝な表情で尋ねるロマーノに、スペインは意味がわからないといった様子で、目をぱちくりとさせている。
「どういう意味?」
「だってお前、どう見ても……」
そう言って、ロマーノはまたスペインを頭のてっぺんから足のつま先まで、じっくりと不躾な視線を巡らせる。そうしてようやくスペインは、ロマーノが自身の容姿について話していると気付き、腰に手を当てて胸を張った。
「どや! ええ感じやない?」
自信満々な顔つきをしているスペインに、ロマーノの目元がひくりと痙攣した。右側へ流すように撫でつけられセットされた髪。オフホワイトのニットにグレーのジャケットとスラックスを合わせ、足元はロングノーズの革靴で少し明るいコニャックカラーがアクセントになっている。
「……だから、なんで今日はそんな気合い入ってんだって聞いてんだ」
ダメ出しをしようにも、様になっているので何も言いようがない。それが気に食わなくて、ロマーノはスペインを直接褒めることはしなかった。しかしスペインはそんなこと気にも留めず、ロマーノの手を掴んだ。
「そりゃあ、かっこええって思われたいからやで」
予想外の返答に、ロマーノは目を丸めた。あまりスペインの口から飛び出さない言葉だったため、しばしば困惑している。
スペインは親分として頼られたい、子分に格好つけたいという欲求を口にすることはあったが、外見に関してかっこつけたいと言っているのは、あまり覚えがなかった。かつての黄金時代などはそれなりに着飾っていた印象ではあるが、いつの間にか身なりに金をかけることが減っていたはずである。
「……誰に?」
困惑したままロマーノが訪ねると、スペインは何を言っているのだといった様子で笑った。
「ロマーノに決まってるやん!」
「はあ?」
またしても予想外の返答に、ロマーノは更に困惑を極めた。てっきり今日はナンパでもするつもりなのかと思っていたのだが、かっこつけたい相手はロマーノ自身であった。
「俺? 意味わかんねーぞこの野郎」
「えー? そうか? 簡単やと思うけどなあ」
「はあ?」
困ったように笑うスペインは、掴んだままだったロマーノの手に力を込めた。軽くそれを引き、ロマーノを引っぱって歩き出す。戸惑った声を上げながらロマーノがスペインについていくと、スペインは肩越しに振り返って、ロマーノに眩しい笑顔を向けた。
「デートやで!」
「はあ!?」
人の多い駅の中、ロマーノの大きな声は高く響いて、たくさんの視線が二人に集中した。しかしスペインはそんなことすら面白いといった様子で笑い、迷いなく人の間をすり抜け、駅の出口を目指していく。
先に昼食をと、二人はロンドン市街のとある一角に構える店の中にいた。窓際に座っているロマーノは、建物の隙間から見える空をぼんやりと眺めている。雲は多いがまだ晴れ間の見える空は、次第に天気が崩れていくと話していた今朝の天気予報を思い出す。二人とも今夜中には帰国する予定なので、雨に降られる前にこの街を去ることになるだろう。
「どこ行きたい?」
窓の外に向いているロマーノの意識を戻すよう、スペインはコツコツとテーブルをノックした。それに反応し、ロマーノは仏頂面をぶら下げてスペインを見る。
「どこって……」
「ロンドンって言うたら、なんやろなあ。博物館とか、宮殿とか? 時計塔もえらい有名やんなあ……あ、今工事中やっけ?」
指折り数えて思案するスペインに、ロマーノはどうしたものかと顔を歪ませる。本当にただの観光客のような提案をされて、ただただ戸惑っていた。
会議で他国に出かけた際、自由になる日が生まれた時は大体スペインと行動していることが多いロマーノであったが、今のようにきちんと出かける場所を考えて動いたことがあっただろうか。初めから目的がある時も当然あるのだが、大体はホテルの近くをぶらぶら歩き、腹が空いたら適当に店に入って、酒を飲みながら語らっていることがほとんどだ。
どうして今日のスペインはこんなに気合が入っているのか。ロマーノはそれがよくわからなかった。
「特に行きたいとことかはねえけど……」
買い物もなく、特別ロンドンで見たい場所がある訳でもない。そう答えると、スペインは肩を竦めて「俺も」と笑った。
「ほんなら、バスでも乗って気になった場所で適当に降りてみよ」
そうひとりで納得したスペインは、店員を呼んで会計を済ませた。二人は店を出て近くにあるバス停まで行き、すでに待っている数人の人だかりに紛れ込む。
「お昼、おいしかった?」
バスを待っている間、スペインは伺うようにロマーノを見た。今日の昼食はスペインが食べに行こうと提案した店だった。
「まあ……普通にうまくてびっくりした」
「でもイギリス料理ちゃうでこれ」
「……なるほどなあ」
随分と失礼なことを言っている自覚はあったが、今ここにイギリスがいないのでロマーノも強気である。本人を前にしては絶対に言えないが、イギリスに仕事で赴いた際、他国の料理を食べることが多かった。
「イギリスでめっちゃ人気って聞いて、いっぺん食べてみたかってんよなあ。カツカレー」
「日本風のカレー……だっけか」
「そうそう。うちでは珍しいからなあ」
イギリスで日本風のカレーが流行っているということは、ロマーノもニュースで見かけたことがある。その時はへえと聞き流していたが、まさか自身がこんなにも早く口にすることになるとは、思ってもみなかった。せいぜい、イタリアにも同じようにカツカレーが食べられる店舗が出来てやっとぐらいになると思っていたのだ。
「お前、わざわざ店調べたのか?」
「せやで。一緒に食べられたらええなあと思って」
「へえ……」
どう反応していいかわからずロマーノが押し黙っていると、真っ赤なボディのダブルデッカーがバス停に近付いてきた。スムーズに停車したバスに乗り込み、二階まで上がってスペインはロマーノを窓際の席に押し込む。ゆるやかに動き出した車体の揺れに身を預けていると、少しだけ開かれたままになっていた窓から風が入り込んできて、ロマーノの前髪を揺らした。
「……さっき、観光地の話しただろ」
しばらく流れていく景色を見ていたロマーノは、視線をそのままにスペインへ話しかけた。ずっとそんなロマーノの横顔を眺めていたスペインは、素直にうんと頷いて答える。
「観光地とかも調べた訳?」
「せやで。ロンドンあんまり詳しくないしなあ」
「このバスに乗るってのも? 考えてたのか?」
そう尋ねながら、やっとロマーノはスペインへ振り返った。スペインは少し戸惑った様子を見せつつ、はにかんで頬を掻いた。その頬は少し赤らんでおり、恥ずかしそうにしているのがよくわかる。
「……せやねん」
そんなスペインの頬の赤みが移ったように、ロマーノの頬も少し赤くなる。
珍しく格好つけて、朝からロマーノをホテルまで迎えに来て、その後のスケジュールをきちんと計画していた。そして今、いじらしそうにしているスペインを見ていると、ロマーノまで気恥ずかしい気持ちになる。
「なんだそれ……マジでデートみてー」
ぽそっと呟いたロマーノの言葉を、スペインは聞き逃さなかった。照れた様子で目を逸らそうとするロマーノの手を、スペインは握り締める。それにハッとした様子で、ロマーノはまたスペインを見た。
「みたいやなくて、デートやで」
頬と耳を赤くしながら、けれどスペインは真剣な面持ちでそう口にした。ロマーノはそのスペインの顔と、掴まれている自身の手を交互に見て、更に顔を赤くする。
「ええ……?」
戸惑っているロマーノを見て、スペインは目を細めて笑った。そんなスペインを見て、なおさらロマーノの戸惑いは深まる。軽く手を振っても、スペインの手は離れそうにない。
「えええ……?」
ロマーノの戸惑いの声は、バスのアナウンスによってかき消されるのであった。
その後、結局スペインとロマーノはコーヒーとスイーツを手に、公園でのんびりと過ごしただけだった。広がる芝生の上に座り、何でもないことを話していただけだが、ロマーノはその状況がどうにもよろしくないように感じていた。
公園でのんびりしながら喋っているだけなんて、ある意味一番デートらしい行為である。カップルの理想の週末の過ごし方のようだった。
そんなことを考えてしまうので、ロマーノはどうにも気恥ずかしくてスペインの顔をあまり見れなかった。ついでにいつもと違い、随分と格好つけた見た目だったことも相まって、話し続けるスペインにただ相槌を打っているだけだったのだが、それでもスペインはずっと楽しそうであった。
(思い出すだけで背中が痒くなる……)
空港のベンチに腰掛けながら、深いため息をついた。疲労が貯まるようなことは何もしていないのだが、今までにない疲労感がロマーノを襲っている。
ロマーノには、スペインの行動の意味がわからなかった。それが直接的な疲労の原因である。
今朝から様子がおかしかったスペインは、何を聞いても「デート」としか言わなければ、ことあるごとにロマーノとスキンシップを図ろうとする。ロマーノはそのたび、これは以前にもしていたことだったかどうかと考え、困惑してしまうのだ。
スペインの行動に深い意味などない。何年と時間をかけてそう自身に言い聞かせてきたというのに、ささやかなことで決意は揺らいでしまう。小さくため息をついたロマーノの肩に、スペインはこつんと肩をぶつけた。何事かとロマーノが顔を上げると、スペインはそれを待っていたように笑顔で出迎える。
「ロマーノ」
ロマーノが返事をする前に、スペインは脇に置いてあった紙袋をロマーノへ差し出した。特に何の装飾もない、無地のシンプルな紙袋を受け取って、ロマーノは首を傾げる。
「なんだ?」
「開けてみて」
怪訝に思いつつ、ロマーノは紙袋の中から長方形の箱を取り出した。あまり重くないそれは大体三十センチ程度の大きさである。何か見当もつかず、期待するような眼差しを向けるスペインに促されるまま、ロマーノは包み紙を雑に破いていく。
「……花?」
包み紙の隙間から見えたのは、一本のバラだった。全て包み紙をはがすと、ガラスドームの中に、一本の真っ赤なバラが飾られている。長方形のクリアケースに、厳重に保護されているガラスドームとバラは美しかった。
「プリザーブドフラワーっていうんやって」
「ああ……枯れないヤツか」
「結構もつらしいなあ」
ケースの中のバラは生花のような美しさではあるものの、プリザーブドフラワーは特殊な加工がされた花で、長く咲き続けることが出来る。ギフトにおすすめされるひとつであるが、問題はそこではなく、何故スペインがロマーノにその花を贈っているのか、だ。
「これなんだよ」
「バラやで! 綺麗やろ?」
「それは見たらわかんだよちくしょーめ。そうじゃなくて、なんでこれを俺に?」
相変わらずの鈍感を発揮するスペインに舌打ちすると、スペインはああっと納得したように頷いた。
「初めてデートした記念にしようと思って」
「……デート?」
「ほんまは生花にしよかなあって思ってんけど、飛行機乗るし邪魔になるかと思って、せっかくやからこれにしてん。長くもつみたいやら、記念にもなるしええかなあって……」
「ちょ……ちょっと待て」
どんどん話を続けようとするスペインに、ロマーノは待ったをかけた。興奮気味に話していたスペインは、きょとんとした様子でロマーノを見る。その心底不思議そうな眼差しに、ロマーノは自身がおかしいのかと首を捻りそうになった。
「その……なんかお前、ずっとデートって言ってるけど……それなんなわけ?」
「何って、そのままの意味やで」
「いや、うん……それはまあ、そうなんだろうけど……」
デートの意味ぐらい、当然ロマーノとて知っている。だからこそ、どうしてスペインが「デート」と言っているのかわからなかった。
デートとは本来、恋人同士またはこれからそういう関係になりたい者同士が行うことである。しかし最近では同性の友人間で遊ぶ事柄をそう呼ぶこともあるようで、ロマーノからするとスペインがどちらの意味合いで使っているのかわからなかった。
当然のように二人は恋人同士ではない。だから友人間や親しい者同士で会う時にも、そういった言葉を使うことを知ったスペインが、ただ使いたくてその表現になっているだけかもしれない。しかし何故か、スペインは随分と洒落た格好をしていた。それはロマーノにかっこいいと思われたいからだと、本人が今朝口にしていたのだ。
「意味わかんねえ……」
あれこれ考えすぎて、ロマーノは頭が痛くなってきた。こうやってスペインのことで頭を悩ませるのも、随分と久しぶりのことであった。
「えっ、わからん!?」
「いや、わかんねえだろ……」
「そんなぁ〜……」
しょぼくれた声を出して、スペインは大袈裟に肩を落とした。ロマーノとて混乱の渦に迷い込んでいるが、スペインだってどうしてここまでして伝われないのかと嘆いていた。
フランスが言うに、スペインから好かれていると思わせて、ロマーノを意識させなければならないらしい。スペインがロマーノに「好き」と言ったって、どうしてか恋愛としては変換されなかった。
それは単純にロマーノが、スペインから恋愛的な意味で好かれているということを意識していないからだ。そんな相手にいくら好意を伝えても「親分として好き」としか受け取ってもらえない。
そう気付き、スペインはフランスやイタリアからレクチャーされ、自身でもネットを活用して、慣れないエスコートというものを勉強したのだ。遅刻しないよう朝早く起きて髪をセットし、服だってフランスお墨付きのコーディネートで、間違いなく外していないはずである。ロマーノをホテルまで迎えに行き、順調に昼食までエスコートして、別れ際にはプレゼントだって渡した。
だというのに、これでもロマーノは「デート」の意味に気付いていないし、今日のスペインの行動を不審に思っている。意味がわからないとまで言われる始末だ。
「お前、なんか企んでんのか?」
更に企てを疑われている。しかしそれだって嘘ではないのだ。スペインは出来ることなら、自身の行動でロマーノの心が動くことを期待しているし、そうなる様に計っているのだから。
スペインは顔を上げ、胡乱な視線を向けているロマーノに頷いた。
「……うん。企んでるわ」
「んだよ。俺をどうするつもりだ、この野郎」
不機嫌そうに眉を寄せ、むっと唇を突き出すロマーノに、スペインは肩を竦めて笑った。昔とあまり変わらないその表情が、どうにも愛おしくてくすぐったかった。
バラのケースを抱えているロマーノの手を、スペインが掴んだ。スペインたちが腰かけるベンチの前を、急ぎ足でいくつも人影が通り過ぎていく。
こんな場所で伝えるべきではないとわかっていたが、別れてしまう前にどうしても、スペインは自身の想いをきちんとロマーノに理解してもらいたかった。
「お前に、俺を好きになってほしいねん」
じいっとロマーノを見つめるスペインの面差しは、真剣なものだった。けれどロマーノは顔を歪め、理解出来ないという風に声を上げる。
「……はあ? またそれかよ。昨日からどうしたんだ、お前」
「せや。昨日も言うた。せやけど、お前に伝わるまで何遍でも言うわ」
「だから、なんの……」
「ロマーノ」
苛立たしそうに舌打ちしたロマーノを遮る様に、スペインは少し大きな声で名前を呼んだ。それにロマーノが話すのを止めたのを確認し、スペインは握る手に力を込めた。
「俺を好きになってほしい。俺が……お前のこと、好きやから」
はっとロマーノの目が見開かれた。何かに気が付いた様子であったが、それでもロマーノはまだ怪訝そうな表情でスペインを見つめている。何を言われたのかわかっていなさそうな気配に、スペインはまた言葉を募った。
「俺、お前のこと好きやねん。でもロマーノはもう俺のこと、そういう風には見てへんのやろ?」
「……そういう風に?」
「恋愛対象として」
「れん…………は?」
驚愕して大きく目を見開いたロマーノは、時が止まったようにぴたりと固まった。スペインはそんなロマーノに、熱が籠った口調で話を続ける。
「だからまたお前に好きになってもらおうと……!」
「ちょ、ちょっと……! え……いや、え……?」
スペインの話を遮ったのは、困惑しているロマーノだ。少し顔色すら悪くなっているように見えるロマーノは、スペインから目を逸らしてきょろきょろと落ち着かない様子で、視線を彷徨わせていた。
「えっと……何? 俺が……お前を……?」
声を震わせるロマーノは、やっとスペインに視線を定めた。どこか伺うようなその表情を不思議に思いつつ、スペインは一度頷いて「せやから」と続けた。
「ロマーノ、俺のこと好きやったやろ? 恋愛的な意味で」
「へ、ぁ……?」
素っ頓狂な声を上げたロマーノは、呆然として固まってしまった。スペインはそんなロマーノを見つめながら、過去のことを振り返る。
ロマーノがスペインに好意を示してくれていたのは、思い出せる限りでもいくつかあった。しかしスペインはそれに気付かないまま、知らずロマーノの好意を袖にしていたのだ。
顔を真っ赤にしながら、体や声まで震わせて想いを告げてくれたロマーノは、どれほどの勇気を振り絞ったのだろう。ヘタレと呼ばれるほど打たれ弱いところのあるロマーノであるからこそ、余計にスペインは過去のことを思い返すと、胸に来るのだ。
好きだと告げてくれた彼の手を取って、同じ想いだと答えられていたなら、どれほど今は幸せだっただろうか。しかしそんな夢想に耽っている場合ではない。現実は今、スペインの目の前にしかないのだ。
「今はちゃうってわかっとるから! でも俺、またお前に好きになってもらいたいし、これからがんばるから、ちょっと前向きに考えてほしいなあって……ロマーノ?」
決意を口にするスペインは、あまりに静かなロマーノに疑問を抱き、首を傾げた。
ロマーノは呆然としたまま固まっていていて、まばたきすらしていないように見える。不思議に思い、掴んだままだった手を離して、スペインはロマーノの肩に触れようとした。
「どないし……」
最後までスペインが言いきる前に、パチンと乾いた音がその場に響いた。その音と同時に、スペインの左頬に強烈な痛みと衝撃が走る。
ロマーノにビンタされた。スペインがその事実を理解するのに、あまり時間はかからなかった。しかし頬をぶたれた状態で数秒固まっていたスペインは、じんじんと痛む左頬を手で押さえつつ、ゆっくりとその事態を飲み込みながらロマーノを見た。
「……え?」
本当に驚いて、スペインはそんな間抜けた声しか出てこなかった。視界に収めたロマーノは、ビンタした状態のまま固まり、運動もしていないのに肩で息をしている。その顔は熱でもあるのかと思うほど真っ赤になっていて、なおかつ目元は涙で潤んでいた。
「ロ、ロマーノ……?」
「……あ、あ、あ……あ、あ……」
喘ぐように小さく声を漏らすロマーノに、スペインこそ混乱していた。
「え? な、なに?」
小さな声が聞こえるように、スペインは体をロマーノに近付けた。真っ赤な顔をしたロマーノを、近い距離で見つめる。
「あ……あああああーーーーーー!」
するとロマーノは突然、大きな声を上げてベンチから立ち上がった。持っていたバラのケースやバッグなどを抱え、涙を流しながらロマーノはそのまま背を向けて走り去ってしまう。
「え、ちょお……!」
スペインが呼び止める暇もなく、お得意の逃げ足で駆け抜けていったロマーノは、包み紙のかけらをいくつか落としている。空港の長い廊下を駆けていったロマーノの背中が小さくなっていくのを、スペインは呆然としながら見つめていた。
一体何が起こったのか、スペインにもわからない。告白をしたら突然ビンタされ、大声を上げて泣きながら逃げられた。当然周囲の目も集まるもので、赤くなっている左頬を抑えているスペインは、衆目に晒されている。
動き出す気力もわからないまま、スペインの視界が滲んだ。じわじわとスペインの目に涙が浮かんでくる。
「い、痛い……」
ぶたれた頬も、周りの視線も、拒否するように逃げていったロマーノの背中も、何もかもが痛かった。
スペインは、間違いなく失恋したのだった。