恋よ、前進せよ 05
ロマーノは打ちひしがれていた。少し前にスペインに告白し、少しも伝わらず「好きな子はいるのか」と躱され、全く相手にしてもらない事実に。そうして腑抜けた状態でしばらく過ごしていたロマーノを心配し、ヴェネチアーノが気晴らしに日本へ行ってみてはどうかと提案したのだ。遠いアジアの地でリフレッシュすれば、少しは気持ちが晴れるのではないかという、ヴェネチアーノなりの気遣いだった。
ロマーノと日本はそれなりに仲良くしており、ロマーノが突っかかることなく付き合えている、数少ない国のひとりである。無気力になっていたロマーノは、そのヴェネチアーノの提案に「それもいいか」と思い、頷いた。
日本の家に一週間ほど滞在することになったのだが、ロマーノがあまりにも元気がなかったため、心配した日本はロマーノをいたく気遣った。おいしいごはんを用意したり、観光地を案内したりと、日本の全力のおもてなしを受けたロマーノだったが、それでも気持ちは晴れない。
「ロマーノくん。無理にとはいいませんが、話して楽になることもあるかと思います。大した力にはなれないかもしれませんが、話していただけませんか」
そう日本が提案したのは、ロマーノの帰国が迫っていた頃だった。生真面目な性格からか、リフレッシュの為に日本へやってきたロマーノを、気落ちしたまま帰す訳にはいかないという使命感が日本に働いた。
ロマーノはその頃、もう半ば自棄になっており、自身の恋愛事などどうでもいいことのように感じていた。誰彼に相談したところで現状が変わるはずもない。今まで誰にも相談などしたことがなかったのだが、投げやりな気持ちになっていたロマーノは、日本に促されるまま口を開いた。
「……ずっと好きなヤツがいるんだ」
ロマーノは静かにそう零し、少しずつ話していくうちに、まるで栓が壊れた蛇口のように想いを溢れさせた。
百年以上好きで、忘れられると思ったのに全然忘れられなくて、むしろもっと好きになってきて、好きでいることを止めることも出来なくて、それでも全く相手にされないのに、向こうはずっと優しくて、俺よりずっと愛してくれていて、自分の邪な気持ちがどんどん醜く感じて、家族みたいな相手にそういう気持ちを持った俺が間違ってるように思えて、でもやっぱりまだずっと好きで。
「ロマーノくん」
息をするのも忘れて思いを吐き出していたロマーノを止めたのは、当然日本だった。両肩を揺さぶった日本は、真剣な面持ちでロマーノと対峙する。
ロマーノが話すのを止めたのを見て、日本は机にあるティッシュを箱ごとロマーノに差し出した。
「それはとてもお辛かったでしょう」
呆然としているロマーノがティッシュを取らないので、代わりに日本が数枚ティッシュを引き抜き、それをロマーノに握らせた。
「俺……辛かったのか?」
手渡されたティッシュを不思議そうに見つめながら、ロマーノが疑問を口にした。日本はちらっとロマーノの顔を見た後、目を伏せてロマーノの背を優しく撫でる。
「ロマーノくんはきっと、たくさん勇気を振り絞ったんです。それでも想いが届かなかったから……涙が出るんでしょう」
そう言われてやっと、ロマーノは自身が泣いていることに気が付いた。溢れる涙を追うように視線を落とすと、ロマーノの手や腕が涙で濡れている。握らされていたティッシュも、いくらか色を変えていた。
悔しかったのだと、ロマーノは初めて気が付いた。二度も告白に気付かれなかったことも、気付かれない程度にはまだ子供だと思われていることも、子供だと思わせるほど自身がスペインに甘えているのだということも。全てが悔しくて、辛かった。
ロマーノは日本に背を撫でられながら、子供のように声を上げて泣いた。胸にあった感情を全て押し出すように、ただ泣くことしか出来なかった。
「落ち着きましたか?」
ゴミ箱がティッシュの山で溢れる頃、やっとロマーノは落ち着きを取り戻した。あたたかい緑茶と冷たいタオルを手渡され、目と鼻を真っ赤にしているロマーノは、バツが悪そうに頷いた。
「それならよかったです。目元、冷やしてくださいね」
大人しくタオルを目元に置き、ロマーノはため息をつく。日本の前で大泣きするなんて恥ずかしくてたまらないのだが、ロマーノはやけにスッキリしていた。
「日本。その……悪かったな。泣いたりとか……その、愚痴聞かせて……」
「いえいえ。話してくださいと言ったのは私ですよ。むしろ辛いことを蒸し返させてしまって、こちらこそすみません」
「謝るなよ。なんか……ちょっと楽になったし……」
少し照れた様子でロマーノがそう口にすると、日本は微笑みながら「それはよかったです」と頷いた。
ロマーノは少し不思議な心持ちだった。日本とは特別仲が良いという訳ではなく、ほどほどな距離感の付き合いが続いている。ただ日本の性格もあるのか、ロマーノは欧州の面々より付き合いやすいと感じていて、日本のことは嫌いじゃないなと思っている程度だった。
そんな相手に対し、こんなに本音を打ち明けることになるとは思っていなかった。とても恥ずかしくてたまらないのだが、逆を返せばこの距離間の相手だったからこそ、本音を吐露できたのかもしれない。
兄弟であるヴェネチアーノには当然言いたくないし、ベルギーたちは距離が近すぎて言い辛かった。ロマーノからすると、相談には適切な相手だったのかもしれない。
「なあ……俺、これからどうすればいいと思う……ますかこんちくしょーが」
やっと悪態を口に出来る程度の余裕を取り戻してきたロマーノは、冷やしていたタオルを外して日本にそう相談した。
「どう、ですか……私が決めてよいのでしょうか」
少し困ったように目を細めた日本は、しっかり話を聞くように、手に持っていた湯のみを茶托に置いた。
「決めるっていうか……そ、相談だ」
「そうですねえ……ちなみに、ロマーノくんはお相手の方を諦めることは出来るのですか?」
「そ、それは……」
言い淀んだロマーノは、視線を落とした。タオルを握り締める手を見ながら、改めてどうなのだろうと自身の気持ちを振り返る。
今回のことで流石にロマーノの気持ちはひどく傷ついたが、今更スペインへの想いを諦めることなど出来るのだろうか。ずっと好きだったので、スペインに対する好意を持っていない自分というものが、ロマーノはうまく想像出来なかった。
「わかんねえ……でも、自信は、ない……」
「そうですか。ではまたいつか、想いを告げるおつもりで?」
「それもわかんねえけど……でも、もう無理、かも……」
消極的な言葉ばかりが飛び出して、ロマーノはぎゅうっとタオルを握り締めた。好きな相手を振り向かせるために、これからもっとがんばらなければならないはずなのに、ロマーノからそんな思いも言葉も出てこない。
「なんつーか、また次も気付かれなかったら……俺、もう……」
一生立ち直れない気がする。けれどロマーノはそれを言葉に出来なかった。本当にダメになりそうな気がして。
「……なるほど。では少し時間を置きませんか?」
「え?」
きょとんと目を見開くロマーノに、日本は優しく笑って頷いた。いつも感情が表に出ることは少なく、表情の変化が乏しい日本であったが、時折今のような笑顔を見せることがある。それはどこか、心が落ち着くような笑みであった。
「もしかしたらロマーノくんは、ずっと同じお相手を見続けたことで、疲れているのかもしれません。ですから少し、その方から距離を置いてみてはどうでしょうか」
「距離を置くって言っても……」
相手はあのスペインである。会おうと思わなければ会えない距離ではあるが、今更露骨に避けるほど浅い付き合いではなかった。渋い顔をするロマーノに、日本は「いえ」と首を横に振った。
「避けろと言っている訳ではありません。ただ何か、他に夢中になれるものを見つけてはどうかと」
「夢中になれるもの?」
「はい。例えばスポーツや演劇、読書や旅行など……」
色々と例を挙げられるが、いまいちロマーノはピンとこない。そもそもロマーノは趣味らしい趣味はなかった。
トマトの世話はずっとしているが、趣味でしているというよりは、日課に近い。料理も好きだがそれだって趣味という訳ではなかった。サッカーは好きだが、今はシーズンオフである。他のことも誘われれば大体ついていくが、これといって強く興味をそそられるものもない。
「俺、趣味とかねえし……」
考えれば考えるほど何も思いつかず、ロマーノは少し落ち込んだ。趣味がないというだけで、これほど自身がつまらない存在に見えてしまうとは。
「なるほど。これといった趣味はないのですね……」
「どうせつまんねー男だよちくしょう……悪かったなこのやろー」
「時にロマーノくん」
顔を伏せて落ち込んでいたロマーノは、名前を呼ばれて顔を上げた。不思議なぐらい無表情の日本は、しかし真っ直ぐとロマーノを見つめている。
一拍あいたその沈黙にロマーノが首を傾げると、日本は身を乗り出してロマーノに顔を近付けた。
「冒険は好きですか?」
「……は?」
言われた意味がわからず、ロマーノはぱちくりと目を丸めながら、素っ頓狂な声を上げる。すると日本は更に身を乗り出して、タオルを掴んでいたロマーノの手を、強く握りしめた。
「実は、とっても面白いゲームがあるのですが……!」
こうして、ロマーノはオープンワールドに身を投じることになるのであった。
ロマーノはあまりゲームをしたことがない。最近では携帯で出来るゲームを少し触ったりはするが、本格的に没頭することはなかった。
弟であるヴェネチアーノもあまりゲームをしないので、そもそも家にゲーム機がない。嗜みの一つとしてボードゲームはいくつか触れたが、機械の操作もあまりよくわからないロマーノは、積極的にゲームをしてこなかった。
そんなロマーノだったので、最初は日本の提案に渋っていたが、携帯で出来るゲームで基本的には無料だからと勧められ、渋々ゲームをダウンロードすることにした。日本に勧められたのは、ロールプレイングゲーム、いわゆるRPGという長編の冒険ゲームである。
日本の家でゲームの操作を教わり、ある程度ストーリーを進めて基本的な操作を覚えた。そのゲームはマルチプレイが出来るので、時間を合わせて一緒にゲームをしましょうと日本に誘われ、ロマーノはとりあえず頷いていた。ゲーム自身が面白いと思っていた訳ではなかったが、誰かと一緒にゲームをするということが少し楽しみだったのだ。
最初は真剣にゲームをしておらず、毎日切り替わるクエストすらおざなりだったが、週末の予定がない時や日本とマルチプレイをする時だけ、長時間そのゲームをする。そもそもロマーノはヘタレなので、一人で広大なワールドを広げていくことなど出来ず、初期ユーザーで最高ランクに達している強い日本に頼りきりで進めていた。それでも日本は文句ひとつ言わず「任せてください」と、いつもロマーノをサポートしていた。
そんな日本の助けもあって、少しずつ強くなってきたロマーノは、気が付くと毎日そのゲームに触れるようになった。最初は日本がいなければ出来なかったことも、少しずつ一人で進められるようになってきて、ロマーノは日に日にゲームに夢中になっていく。携帯では性能に限界があり、初めてゲーム機を買ってナポリで借りている家に持ち込んで、ハードを乗り換えて本格的にゲームをするようになった。
しかし仕事をサボってゲームばかりしていては、上司に怒られてしまう。ロマーノは週の半分はローマで過ごしてほどほどに仕事をし、週末はナポリに行って、日本とマルチプレイをしてゲーム三昧の日々を過ごしていた。時差の影響で時間を調整したり、限定イベントは寝る間を惜しんで駆け抜けたこともあった。
とにかくゲームに没頭したロマーノは、次第にスペインに失恋したという事実を、少しずつ忘れていくようになっていた。果たしてこれがいいことなのか、ふとした時にそんなことがロマーノの頭を掠めたが、しかしゲームをしていれば日々は楽しかった。ただ現実逃避をしているだけだとわかっていても、今更どうやって動き出せばいいのか、ロマーノにはもうわからない。
しかし、そうしてゲームに熱中していたロマーノに転機が訪れる。
「……どうすればいいと思う。日本」
『数か月前にも同じ話をしましたね、ロマーノくん』
デジャヴである。ロマーノが深くため息をつくと、携帯の向こうからくすくすと小さな笑い声がした。普段マルチプレイをする時に使用する通話アプリで、ロマーノと日本はよく連絡を取っている。
昨夜、急遽スペインがロマーノの家を訪ねてきて、ロマーノは慌てて日本に連絡を取った。イタリアの時間として昼頃、日本では夜の時間帯になり、やっと通話にて相談を持ち掛けることが出来た。
『しかしどう、とは? 両想いになれたのでは?』
「そう……なんだ、けど……」
煮え切れない返事をして、ロマーノは黙り込む。日本の言う通り、念願叶って両想いになれたというのに、ロマーノは足踏みしていた。
どう切り出すか迷い、ロマーノは口ごもってしまう。しかし日本はその間、急かすことなくゆっくりとロマーノの言葉を待っていた。
「あいつの好きって言葉が、信じられねえ……」
やっと口から出た言葉は、随分と弱弱しい本音だった。しかしロマーノは通話だと見えないということも忘れ、いやっと首を横に振る。
「スペインの愛情を信じてない訳じゃないんだ」
『それは……そうですよね』
昔の二人をよく知らない日本から見ても、スペインがロマーノをかわいがって、深く愛しているのはよくわかる。そんなスペインの愛情を疑うものはいないだろう。
「でも、もし……恋人になったりして、やっぱり恋愛じゃなかったって言われたら……俺はもう立ち直れる気がしねえよ」
『なるほど……』
切羽詰まったロマーノの声は悲壮に満ちていて、日本は相槌を打つことしか出来なかった。日本の家で弱音を零しながら大泣きしたロマーノを見ていただけに、軽々しく「大丈夫」と、口先だけで慰めることは出来ない。それを日本はよくわかっていた。
日本から見ても、スペインがロマーノを愛しているのはよくわかるが、それに恋愛感情が含まれているのかと問われると、よくわからなかった。ただの親愛だけと言われればそう見えるが、実際スペインが恋人に向ける顔というものを、日本は見たことがない。だから比べようもないが、確かに今までロマーノに向けていたスペインの眼差しは、ただ優しくあたたかいだけのものだったとも思えた。
しかしここしばらく日本はスペインに会っていないので、その間に気持ちの変化があったのなら、何かが変わったのかもしれない。しかし一度辛い思いをしたロマーノに、もう一度踏み出してみろと言うのは酷なことに思え、日本は何も言えないままでいた。
「……最近さ、スゲー気持ちが楽だったんだ。それはたぶん、日本が言ってたみたいに夢中になれるものが見つかって、あいつのことを考える時間が減ったからだ。それにだんだん、別に恋人じゃなくてもいいかもなって……そう思うようになってたんだよ」
最近、ロマーノがとみにゲームを楽しんでいることは、日本も気付いていた。しかしそこまで心境の変化があったことに、日本は内心驚いていた。
『そうだったんですか……』
「だから……また前みたいになるのは、嫌だ……」
消え入りそうな声でロマーノは呟いた。スペインに気持ちを伝えた出来事がすっかりトラウマになっている。疑心暗鬼になった心を言葉だけで諭すのは難しい。
日本はしばらく考え込むように黙り込み、ロマーノも言葉を待つように黙っていた。
『あくまで私の考えですが……』
少し躊躇ったような口ぶりで、日本は話し出した。
『スペインさんの気持ちを完全に拒絶してしまうのは、もったいないと思うんです。こういったことでもったいない、は間違っているかもしれませんが……』
日本はいつだって丁寧な語り口調だが、今はいつもより慎重な話し方であった。それは声だけであっても、日本がロマーノの傷に触れないよう、気遣っているのだというのがよくわかる。
『もちろん、ロマーノくんが辛いのもよくわかります。けれどロマーノくんの長年の想いが、少しでも報われるかもしれません。それは簡単に手放してはいけないことだと思うんです』
「……そう、か?」
『ええ、ええ』
念を押すように、日本は二回頷く。そうして珍しく明るく振舞って、ロマーノを励ますように優しく続けた。
『ですから、スペインさんの気持ちが信じられるようになるまで、待ってほしいと伝えられてみてはどうでしょう? スペインさんの気持ちが揺るぎないものだと信じられたなら、恋人になられたらよろしいのです』
「それってなんか、上からっつーか……なんつーか……」
ロマーノは苦笑する。そんなことをしていいのだろうかと案じてしまうのは、恐らくロマーノが心の中では焦っているからだ。
スペインがロマーノを好きと言っているうちに、恋人にならなければという焦りがある。うじうじと迷っているうちにスペインが我に返って、やっぱり違ったからもういいと言われるのが怖かった。けれど一歩踏み出すのは、前のことがあるから恐ろしい。スペインの恋愛としての好意を、ロマーノが信じきれないからである。
焦りと恐怖の板挟みになって動けなくなっている。ロマーノはその状況に、ただ混乱していた。
しかしそんなロマーノの迷いを、日本は楽し気に笑った。珍しい日本の笑い声に、ロマーノはひとり瞠目する。
『ちゃんと理由を説明すれば、スペインさんならきっとわかってくださりますよ』
念を押され、ロマーノはだんだんとそうかもしれないと思うようになった。何故かスペインはロマーノがもう好きではなくなったと勘違いしており、これからロマーノを落とすつもりでいる。それはある意味、スペインの気持ちが本物であるか試す良い理由になりえた。
もし一時の勘違いであれば、デートを重ねていくうちにスペインは違和感を覚え、自然と目を覚ますだろう。しかしそれでもロマーノを好きでい続けるなら、スペインの気持ちが本物である証拠であった。
好意を告げている相手を騙すようで忍びないが、ロマーノは日本の提案に「そうだな」と頷いた。
「あいつに話してみる。それでダメだったら……その時だ、ちくしょうが」
『ええ。焦る必要はないと思いますよ、私は』
なんといっても互いに国である。寿命がある訳ではないのだし、のんびり互いの気持ちに向き合っていくのも悪くはない。そうやって気楽に構え、百年以上も一人の男に片想いを続けているロマーノからすると、気が遠くなるような話ではあるが。
『それにしましても……』
少し照れた様子で話し出した日本に、ロマーノは見えないだろうに首を傾げた。
「どうした?」
『いえ……ロマーノくんの好きな人って、スペインさんだったんですね』
「………………ハッ」
以前相談した時、好きな相手の名前は教えていなかった。早急に相談したくなって、そんなことも忘れてスペインの名前を口に出してしまっていた。その事実に気付き、ロマーノは顔を真っ赤にして体を震わせる。
『相手が誰であれ、応援していますよ。ロマーノくん』
「……ありがとうございますだ、コノヤロー!」
やぶれかぶれになりながら、ロマーノはそう返す他なかった。
やっとロマーノが部屋から出てきたのは、昼の二時を過ぎた頃だった。一階にいたスペインは、ロマーノの昼食を用意して待っていた。
ありがたくそれを食べている間、スペインは誰と話していたのか、何の話をしていたのか、昨日の返事はどうなったのかと、捲し立てる。それにうんざりしながら、ロマーノは用意されていたパスタを全て食べ終えてやっと口を開いた。
「そろそろ空港行くぞ」
スペインの問いは全て無視し、準備を済ませてから二人は空港へ向かった。真っ赤なボディの愛車を走らせるロマーノの運転さばきは基本的に荒い。しかし今日は珍しく、ゆったりとしたスピードで車を走らせていた。
後続車にどんどん抜かされていくが、ロマーノは文句もなく舌打ちひとつしない。そんな様子を、助手席に座っているスペインが不思議そうに見つめている。しかし搭乗手続きまで時間の猶予はたっぷりあるので、スペインは気にすることなく流れていく景色を眺めた。
しばらく静かなドライブが続いたが、町の中心に近付くほどに渋滞が続く。横入りしてきた車にクラクションが飛び、辺りは一面騒がしくなった。進まない車と喧しいクラクションに、ロマーノはうんざりしたようにため息をつく。
「スペイン」
やっとクラクションが収まり始めた頃、前を見つめたままロマーノがスペインの名を呼んだ。スペインはすぐロマーノの方へ振り返った。
「なに?」
「昨日の返事のことだけど」
相変わらずフロントガラスを見つめたまま、ロマーノはそう口にした。忘れていたわけではなかったが、すっかり気を抜いていたスペインは昨夜のことが脳裏をよぎり、ドキッと肩を跳ねさせる。
「あっ、う、うん。ど、どんな感じ……?」
恐る恐るスペインがそう尋ねると、ロマーノはやっとスペインの方へ振り返った。
「お前が俺のこと好きとか信じられねえ」
「……えっ?」
想像していたどの言葉とも違い、スペインはしばらく目を見開いて固まった。まじまじとロマーノを見つめるが、ロマーノは仏頂面で、照れ隠しを言っている様子でもない。
「それ……返事以前の問題やない?」
「そうだぞこの野郎。お前のせいだからなちくしょうが」
スペインのせいと言われ、思い当たる節がありすぎてスペインの表情は暗くなる。当時は気付いていなかったのだから仕方ないとはいえ、今スペインがロマーノから同じことをされると、相当傷つくことはわかっていた。
過去の自分を呪いながら、スペインはハンドルを握るロマーノの腕に縋りついた。それにぎょっとロマーノが目を見開く。
「今までほんまにごめんロマーノ! せやけどほんまに嘘ちゃうねん! 俺はほんまにお前のことが……!」
「わかっ、わかったから! 離せコノヤロー! 死にてーのか!」
未だ渋滞は続いているので、進行速度は随分と遅い。しかしハンドル操作を誤って他の車に追突するわけにもいかず、スペインは名残惜しい気持ちのままロマーノから手を離した。
「わかってくれたん?」
「いや、流石に今のではわかんねえだろ……」
「ほんなら、どうやったら信じてくれる?」
スペインの必死な形相に、ロマーノは顔を歪めた。どう答えるか迷っている様子でスペインから目を逸らし、前の車を睨みつけている。
「いざどうすればって言われたら、わかんねえな……」
昨日からずっと、スペインはロマーノに言葉を尽くしている。しかしそんな言葉ひとつやふたつでは、もうロマーノはスペインの気持ちを信じられないのだ。そうなると、スペインがひたすら愛の言葉を囁いたって、どこ吹く風である。
「どうやったら、お前は愛されてるなあって感じるん?」
「あ、愛され……」
震えた声を出しながら、ロマーノは顔を赤くした。何かを想像して照れているその様子に、スペインの頬もゆるむ。想像程度でそんな赤くなるなんて、かわいいなあと思いながらスペインはその赤い頬を指で軽く突いた。
「なんや、照れ屋さんやなあ。どんなこと考えたん?」
「うるせー! バカにすんじゃねえアホスペイン!」
「バカになんかしてへんよ。お前が照れた内容を教えてほしいんやんか」
頬を突いていた指はあっさり叩き落される。鼻息を荒くしながらスペインを睨みつけるロマーノの顔は、今や照れと怒りで真っ赤である。それに肩を竦めてスペインは苦笑した。
「べ、別に照れてなんかねえぞ。こんちくしょうが……」
顔を真っ赤にして言ったって説得力はないが、これ以上は怒らせまいとスペインは大人しく頷いた。
「でも具体的に言ってくれへんと、俺わからへんで」
「ぐ、具体的って……」
のろのろと車を進めながら、相変わらず真っ赤な顔でロマーノはフロントガラスを睨みつけている。しばらく黙り込み、何か考えては首を振り、首を捻っては更に顔を赤くして、考え込んでは小さく「ちぎっ……」と鳴いたり、ひとりで忙しい。
百面相するロマーノを、スペインはにこにこしながら見つめていた。スペインはロマーノのそういう元気なところが大好きなのである。
周りからするとそれは元気とは少し違うのではと言われるが、ロマーノが泣きながら喚いていたり、怒って天井を突き破ったり、大笑いして転がっている姿は、元気だからこそだと思っている。昔から変わらない姿を見ていると、不思議とスペインまで元気になれるのだ。
「っていうか、なんで俺が考えなきゃなんねんだ! お前が自分で考えろよな、カッツォ!」
「え、俺流でええの?」
「なんだよ、その俺流ってのは」
顔を歪めるロマーノの手に、スペインは自身の手を重ねた。ぎょっとするロマーノを無視して、振り払われる前にハンドルから片手を取り上げ、指を絡めて手を繋ぐ。唖然としているロマーノに、スペインはウインクして笑った。
「こういうことや。ええんやったら全然遠慮せえへんで、俺」
「こっ、こここ、こういう、って……」
相変わらず顔を赤らめたまま、ロマーノは繋がられた右手とスペインの顔を交互に見た。わなわなと体を震わせるせいで、繋がった手からも振動が伝わってくる。
どうしたらいいかわからない様子で慌てているロマーノの手を持ち上げ、スペインはロマーノの手の甲にちゅっと音を立ててキスをした。するとびくっと大げさに体を跳ねさせながら、ロマーノが「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。
「お前が俺の気持ち、言葉で信じられへんなら、もう行動あるのみやろ?」
「そ、そう……そうか……?」
「あっ! その代わり、怖がるのと嫌いになるのはなしなしやで。嫌やったら本気で抵抗してや」
「本気って……」
かわいそうなぐらい真っ赤になっているロマーノは、もう今にも泣きだすのではないかと思うほど、いっぱいいっぱいの様子だった。それに苦笑しつつ、それでもスペインは繋いだ手を離さない。熱くて震えているロマーノの手を強く握りしめ、嬉しくて自然と笑みがこぼれる。
「ほら、前進んでるで。ロマーノ」
「な、なら手を離せよ、ちくしょー……」
「渋滞抜けるまでは繋いどこうや。ええやろ?」
「よくねえよこのやろー……」
「なら振り払ってや。嫌なら抵抗してって言うたやろ」
「力強いんだよくそはげ……」
悪態をつく声は小さい。前進する車のスピードも遅く、まるで渋滞が終わってほしくないと思われている気になって、スペインはただ嬉しかった。
繋ぐ手も確かに力は込めていたが、振り払われれば素直に離すつもりでいたのだ。けれどロマーノは握り返すことこそしないが、抵抗らしい抵抗は見せない。
「……好きやで、ロマーノ」
「いっ、う……あ、え……」
嬉しいままに想いを告げると、ロマーノはまた体を震わせて、よくわらからないあえぎ声を上げながら顔を逸らしてしまう。けれど髪の隙間からのぞく耳や首筋は真っ赤で、顔も変わらず赤いのだろうと想像がついた。
こそばゆい思いを感じつつ、スペインはロマーノから視線を逸らしてガラス越しに空を見る。雲ひとつ見えない高く澄み切った青空を見上げて、楽天的な考えではあったが、スペインはなんだか未来が明るいような予感がしていた。