恋よ、前進せよ 09

「ロマーノがかわいい……」
グラスの淵を指でなぞりながら、ぽつりとスペインが零した。その様子を眺めていたフランスは、うんざりした様子で目を細める。
「お兄さん、いい加減それ聞き飽きたよ」
「そう言わんと聞いたってや。お前こういう話好きやろ?」
「会うたび同じこと聞かされたら誰でもこんな反応になるだろ!」
フランスは今日に至るまで、散々ロマーノがかわいかった話を聞かされてきた。手を繋いだ反応がかわいかっただとか、キスをした時の反応が、とかならまだ聞いていられるが、恋を拗らせたスペインはいよいよ食事しているロマーノがかわいいとまで言いだした。そんな姿をかわいいと思うのは自由だが、それを延々と聞かされる身になったらたまったものではない。
「そんなに言うてた?」
「自覚ないとかなおさらやばいよ」
「照れるわあ」
「褒めてない」
疲れたようにため息をつき、フランスは空になったグラスにワインを注ぐ。素面の状態では聞いていられないと、もはやフランスはアルコールに頼るしかなかった。
「でもフランスには報告しときたいねん」
「なんでだよ」
「だってお前のお陰でロマーノと付き合えたようなもんやもん」
最初に相談を持ちかけた時、ロマーノの気持ちを探ってきてくれたのはフランスとヴェネチアーノだ。それに避けられていることに対してアドバイスをしたのも、フランスである。どうしてかロマーノの下僕のようなことをしていた期間もあったが、フランスのアドバイスがきっかけで、スペインはロマーノと親密になれたのだ。
スペインはそんなフランスに深く感謝しており、今日のようにロマーノが参加していない会議の時、飲み代を奢ってやったりしている。ついでにロマーノとの進捗情報を共有しているのだが、そのたびフランスは会議の後より疲れた様子で帰っていくのだ。
「恩を仇で返すタイプ?」
「感謝しかないで〜!」
「というか、お前らってまだ恋人じゃないんだろ?」
胡乱な目でフランスから見られ、スペインは考え込むように腕を組んだ。その表情は先ほどの浮かれたものとは違い、険しい顔つきである。
「それなあ。俺としてはもう完全に恋人やねんけど、ロマーノはまだ否定してんねん」
もう何度もキスをして、休日もほとんど一緒に過ごしているというのに、ロマーノはそれでも恋人ではないというのだ。まだ恋人になれないということは、ロマーノが今もスペインの好意を信用出来ないからなのだろう。触れることは許されていても、心の全てを明け渡してくれている訳ではない。
「世間ではそういうのを、恋人じゃないって言うんだぜ。スペイン」
「いやいや! 確実に両想いやで、俺ら!」
「でも恋人ではない、だろ?」
「そっ……で、でも俺はそうやと思ってんねん!」
「ストーカーの供述みたいになってきたな」
ロマーノが認めていないから恋人ではない。それだけで、スペインはストーカー扱いを受けている。普段のロマーノの態度を見ていれば、断じてそうではないとわかるはずなのに。
「いや、ちゃうって! だって前にロマーノにな、浮気したら怒るからって言うたら、ほんまにナンパしとってん。俺を怒らせるためにやで? それって俺に怒ってほしかったってことやろ!? めっちゃ俺のこと好きやろこれ? めっちゃかわいない!?」
「どさくさに紛れて、また惚気話に戻って……お?」
突然言葉を途切れさせたフランスは、スペインの後ろ側を見て片眉を跳ねさせた。不思議に思ってスペインも振り返ると、カウンターに座る二人の女性がこちらに手を振っている。スペインがまたフランスに顔を戻すと、スペインの惚気話を聞いていた時と違って、生き生きとした表情で、気障っぽくウインクしながら手を振り返していた。
「ところでスペイン」
「嫌や」
「まだ何も言ってないだろ」
言わずとも言いたいことはわかる。スペインは半眼でじいっとフランスを見つめたが、機嫌が良いフランスはそんな視線ものともしない。スペインに顔を近付けて、内緒話をするような小さな声で話し出した。
「お前とロマーノがうまくいくように、お兄さんすーーーっごく手伝ってやったよな?」
「いやまあ……それはそうやけど……」
「ならあそこにいる美女二人と一緒に酒を飲むことぐらい、付き合ってくれるよね?」
「それは嫌や」
きっぱりと首を横に振って拒否するスペインに、今度こそフランスは顔を顰める。
「これぐらい付き合ってくれたっていいだろ」
「そりゃあお前には感謝してるし、酒飲むならいつでも付き合うけど、あの子らと一緒にってのは困るわ」
「なんで? 楽しくみんなで飲もうってだけじゃん」
「それだけの目的ちゃうやろ、特にお前は」
フランスだけではなく、もちろんカウンターにいる美女二人も、気が合えば酒以外の何かを期待しているはずだ。ただ酒を飲むだけであれば、知らない誰かと一晩を楽しむことはスペインにもよくあることだ。しかしそれ以外の何かが発生することは、今のスペインからすると非常に望ましくない展開である。
「鈍感なくせにそんなことわかるの?」
「なんて言われようと嫌やで。ただでさえまだロマーノに信用されてないのに、疑われる様なことしたないねん」
「今日はロマーノ来てないんだし、バレなきゃ大丈夫でしょ」
「それ! そういうのが一番あかんねん!」
大丈夫だろうと思ってしたことが、予想外のルートから本人に伝わってしまうことがある。スペインとしては周りに散々口止めして、絶対バレないだろうと細心の注意を払ったというのに、意外なところからぽろっと、一番良くない形で伝わってしまうことがよくあるのだ。
結局、良くない行いはするべきではないというだけの話である。特にロマーノとのことは失敗したくないスペインは、こんなことで無駄な諍いを生みたくはなかった。
「やましいことがなければいいんだろ? ほどほどになったら、お前だけ帰ればいいよ。最初は向こうと同じ人数の方が、警戒されないんだよな」
「いやいや、二対二やったらどう考えても、一人は俺と話すやろ!? その中で一人女の子残して帰るとか、かわいそすぎるやろ!」
「安心しなさい。二人ともお兄さんの彼女になるから」
「お前なあ……」
「ねえ、お邪魔してもいい?」
随分と近い場所で声がして、スペインとフランスは顔を上げた。すると二人のテーブルのそばに、先ほどカウンターから手を振っていた二人組が、グラスを片手に立っていた。
ブルネットのロングヘアーの女性が、髪を耳にかけながら「一緒に飲もうよ」と、返答しない二人に念押しする。途端にフランスは嬉しそうにしながら、空いているイスを手繰り寄せて彼女に隣を勧めた。
「何飲んでるの?」
スペインの隣には、ベリーショートのブロンドヘアーの女性が座る。残り少なくなったグラスに残っているのは、ただの赤ワインだ。スペインは彼女とグラスを交互に見て、ため息が出そうになったのをぐっと堪えた。
(あああ……ロマーノ……)
浮気すれば怒ると自身から口にしておきながら、こんな展開になるなんて。スペインは心の中でロマーノに謝りつつ、隣に座っている彼女にお得意の笑顔を見せた。
彼女に何の罪はない。ひとまず楽しんでもらおうと、スペインは彼女にも同じ酒を勧めた。



タクシーのドアを勢いよく閉め、エンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、ロマーノは腕を上げて伸びをする。ぽきっとどこかの関節が音を立てた。
朝から仕事をこなし、飛行機に乗ってその後タクシーに揺られてきた体は、凝り固まっている。わずかに疲れを滲ませながらも、ロマーノは携帯を開いた。
本来であれば、ロマーノは南イタリア関連の仕事と重なり、今日の会議は不参加であった。しかし明日は休日で何の予定もなく、会議も今日で終わりである。これはスペインと過ごせるのではと思うと、居ても立っても居られなくなったロマーノは、今までにない集中力で仕事を終わらせ、その足でオランダ行きの飛行機に乗ってきたのだ。
ただ問題は、スペインに何も伝えていないことだ。連絡する余裕もなく仕事に打ち込んでいたのだが、オランダに着いてからも連絡していない。
突然やってきたロマーノを見て、スペインが盛大に驚いて、ついでに喜んだらいいなという、ささやかなサプライズがしたかったのだ。そのことを伝えると、ヴェネチアーノはすぐスペインとフランスが二人で入っていた店を口にした。成功したか教えてね、と楽しそうに口にしたヴェネチアーノの声を思い出し、ロマーノの頬が寒さ以外の理由で赤くなる。
仕事必死に終わらせて疲れているというのに、少しでもスペインに会いたいと、わざわざ国境を越えて会いに来てしまう。そんな自身の行動が、今更ながらにロマーノは恥ずかしくなっていた。スペインを振り回すはずだったのに、結局ロマーノは好意を伝えてくるスペインに流され、以前よりもっと好きになってしまっている。
深くため息をつくと、息は白くなってロマーノの視界を曇らせる。眩く光る画面を操作しながら、ロマーノは地図アプリを頼りに教えられた店へと足を進めた。
店は会議場の近くにある。賑わう夜の街を地図通りに歩き進めると、さほど時間もかからず到着した。店の前でロマーノは足を止め、一度深呼吸をする。
「仕事が思ったより早く終わったから来ただけ……髭はどっかいけ……明日休みだから気が向いただけ……髭は早く帰れ……」
頭の中でイメージしつつ、ロマーノはぶつぶつとそう呟く。スペインに馬鹿正直に「お前に会いたかったから会いに来た」とは言わない。ただ気が向いたから来ただけ、という体をどうにかして保っていたかった。
「……よしっ」
ひとり意気込んで、ロマーノは店のドアに手をかけた。ロマーノとしてはこの店に長居するつもりはなく、出来ればスペインを連れて違う店に移動するか、スペインが泊る予定のホテルにでも行きたかった。
店員に気付かれないよう、足を忍ばせ中を覗く。満席に近い店内を見回していると、すぐ目的の人影は見つかった。
「えっ」
驚愕の声を上げるロマーノの視線の先には、女性と飲んでいるスペインがいた。二人きりで飲んでいるのではなく、スペインの前にはフランスもいたが、そんな二人の隣には女性が座っている。楽し気に話している四人の姿を見たロマーノは、さあっと血の気が引いていく音を聞いた。
『話が違うってなって冷めちゃうかもしれないよ』
先日のヴェネチアーノの言葉が、ロマーノの脳裏に浮かんだ。日本はスペインに限って飽きることはないとロマーノを励ましたが、目の前の光景がどんどんロマーノを追い詰める。スペインを振り回すどころか、ロマーノが捨てられるのかもしれない。ロマーノがいない会議の日に女性と飲んでいるというところも、怪しかった。
呆然としながら、ロマーノはしばらくその四人を眺めていた。するとスペインの隣に座っている女性が、スペインの背に手を置いた。そして二人で肩を震わせながら笑う姿を見て、ついに我慢が出来なくなったロマーノは、今まで固まっていたのが嘘のように大きく一歩を踏み出す。
テーブルや酔っぱらいの間をずんずんと抜け、四人のテーブルに近付いた時点で、一番最初にロマーノに気が付いたのはフランスだった。ぱっとロマーノを見た瞬間、驚いたように目を丸めたフランスを睨みつけたまま、ロマーノはそのテーブルに辿り着く。
「ほんでその時にな? こいつが……」
テーブルの真横に立っているロマーノに、未だに気付かないスペインは、まだ女性と楽しそうに話をしていた。フランスだけが「どうしよう」という顔で、ロマーノとスペインを交互に見ている。ロマーノはそちらに一瞥もせず、スペインが手に持っているグラスをひったくった。
「えっ、なん………………ロマーノ」
グラスがなくなったことに、驚いた様子で振り返ったスペインは、ロマーノを見てしばしば動きを止めた。呆然とする表情が、まるで恋人に浮気現場がバレた時のそれのようで、ロマーノはきゅうっと胸が苦しくなる。
ぎゅっと唇を噛みしめて、溢れそうになる涙をロマーノはなんとか堪えた。顔を青くしているスペインだけを睨みつけつつ、ロマーノは奪い取った酒を一気に煽る。まるで水を飲むように、ごくごくと喉を鳴らして全て飲み切ったロマーノは、グラスをテーブルに叩きつけた。
「……この浮気野郎が!」
「う、浮気ちゃうよ! というか、なんでロマーノがここにおるん!?」
「いちゃ悪ぃのかよ! そりゃそうだよな! 浮気してんだからな、このストロンツォ!」
「せやから浮気ちゃうって! 聞いて、ロマーノ!」
慌ててスペインが立ちあがると、イスが床を引きずって鈍い音を立てる。その音と、騒ぐ二人の声につられ、店内の視線がロマーノたちのいるテーブルに集中した。
「ただ一緒に酒飲んでただけやで! なっ、フラン……シス!」
「あ、ああ! そうだよ。お前が心配するようなことは、何もなかったよ!」
助けを求めるようにスペインがフランスを見ると、フランスはうんうんと大袈裟なぐらい首を縦に振って頷いた。どうにかロマーノを宥めようと、スペインが笑って手を伸ばすが、ロマーノはそれを一歩後ろに下がって避ける。
「カッツォ! どうせお前の好きなんてそんなもんなんだろ! そうだ! 最初からわかってたんだよそんなこと!」
突然のアルコールと怒りのせいで、ロマーノの顔は真っ赤である。そしてまるで親の仇でも見るような鋭さで、真っ直ぐにスペインを睨みつけていた。それは先ほどのフランスのフォローなど、ひとつも聞こえていなさそうである。
「い、いや! ちゃうよ! 俺はお前だけやで!」
「嘘つけ! お前の好きなんて信じなくてよかったぜクソ野郎! 一生俺に近付くな! ヴァッファンクーロ!」
国同士であれば、互いの国語で話していてもどうしてか理解できるのだが、当然普通の人間には理解できない。今ロマーノとスペインは、イタリア語とスペイン語で話しているので、ほとんど何を言いあっているのか周りはわかっていないが、とにかく修羅場が起こっていることだけは伝わっているようだった。
しかし周りも酔っぱらいばかりなので、意味もなく囃し立てる者もいれば、動画を撮り始めるものもいる。こんな修羅場が起こった責任の一端を背負っているフランスは、悪いことをしたと思いつつも、黙って行き先を見守ることしか出来ない。
「お前なんか大っ嫌いだ!」
一番大きな声でそう叫んで、ロマーノは店を飛び出していった。スペインは一度フランスを睨みつけると、上着だけ引っ掴んで慌ててロマーノの背を追いかける。店を飛び出していった二つの影を店員が呆然と見送った。
突然の修羅場に困惑する店を置いて、外では二人の追いかけっこが始まっていた。
「待って! ロマーノ!」
たまに人にぶつかって文句が飛んでくるが、二人は構わなかった。しばらく走って、繁華街を抜けて小さな橋に差し掛かったところで、やっとスペインはロマーノを捕まえた。振り払おうとロマーノは手を振るが、走ってきたせいか拒絶の力は弱い。
逃げ足は一等速いロマーノだが、持久力がなかった。長く走るとスペインに分がある。
しばらく慣れない土地を走ったせいで、二人とも息切れしていた。橋の欄干にもたれかかりながら、二人は息を整えた。その間も、スペインは掴んだロマーノの手を離さない。
「ほんま、逃げ足は速いんやから……いてっ」
少しずつ息が整ってきたところでスペインがそう漏らすと、隣にいるロマーノがスペインの脛を蹴った。まだ少し息が上がっているロマーノは、文句は言わずに強くスペインを睨みつける。それにスペインは苦笑した。
「ほんまのことやんかぁ。あともう一回言うとくけど、ほんまに浮気なんかしてへんからな」
念を押すようにもう一度言うと、ロマーノの視線が橋の下を流れる小川に落とされる。川沿いに建ち並ぶ建物の明かりが黒い水面に反射して、光が連なっていた。スペインもそちらに顔を向けると、冷たい風が熱い頬を撫でる。走ってきてわずかに汗ばんだ肌には、その冷たさが気持ちよかった。
「というかな、そもそも俺らって付き合ってるん?」
スペインがもう一度ロマーノに顔を向けてそう尋ねると、ぴくりとロマーノの米神が動いたのが見えた。さらさらと川の音が二人の間に流れて、ロマーノは険しい顔つきでスペインに振り返る。
「……付き合ってねーよハゲ!」
「じゃあ浮気とちゃうやん」
「ああ、ああ。そうだ。付き合ってねえから、好きにすればいいだろ。店に戻って、好きだなけあそこにいたベッラたちと仲良くしてればいいんだ、ちくしょうが!」
ロマーノは早口で、吐き捨てるようにそう言った。
四人のテーブルに押し掛けた際、浮気だと騒いだロマーノにすぐさまスペインは違うと声を上げた。ロマーノはそれが嬉しかったのだ。しかし今になって、ロマーノを追い詰めるようなことを言う。何を言われても傷つくような気がして、ロマーノは本当にスペインが店に戻ればいいのに、とさえ思い始めていた。
そんな思いつめた様子のロマーノを見て、スペインは苦笑する。そしてスペインは掴んだままの手を引いた。
「ほんならお前も一緒に戻ろや」
「はあ!? 誰が行くか!」
「じゃあ俺も戻らん。このままどっか飲みに行こ」
先ほどまでの言い合いなどなかったかのように、いつもの笑顔で誘うスペインに、ロマーノは目を見開いてしばしば固まった。言われた言葉を反芻して、ロマーノは怪訝そうに顔を顰める。
「お前……今の俺を前にして言うのがそれか?」
「なにが?」
不思議そうに首を傾げるスペインに、ロマーノはいよいよ我慢の限界だった。なんとか堪えていた涙が溢れ、次々に頬を流れ落ちていく。嗚咽を漏らしながら泣き始めたロマーノに、スペインは面食らって慌てた。
「えっ!? どないしたん!?」
「お、お前のせいだちくしょー……!」
片手は掴まれたままなので、ロマーノは空いている方の腕で、ブランド物のコートが汚れようと、構わず溢れる涙を拭う。それでも涙は止まらない。
何もかもが儘ならない。浮気を疑っている相手に対して、先ほどの女性たちも含めて飲みに戻ろうと誘うスペインの無神経さが、ロマーノはただ腹立たしかった。もっとロマーノの機嫌を伺って、たくさん慰めてくれるだけでいいのだ。口先だけでも好きだ、愛してると言って、ロマーノの機嫌が直るまでそばにいてくれればそれでいい。それ以外のことなんて望んでいない。
ロマーノだって本気でスペインが浮気しようと思っていただなんて、疑ってなかった。逃げ出したロマーノを追いかけてきて、ロマーノだけを見てほしかっただけなのだ。しかしそんなことすら浮かばず、ロマーノが泣いている理由すらわからない鈍感な男に怒りが湧く。
「どうせ、俺ばっかり、好きなんだ……! お前が俺のこと好きなんて、嘘なんだろっ」
「嘘ちゃうよ。急にどうないしたん?」
涙でつっかえつつ、ロマーノはなんとか言葉を紡いだ。怒り心頭で、ついうっかりスペインのことが好きだと言ってしまっていることにも気づかず、俯いて泣き続けている。そんなロマーノに、困ったように眉を下げて、スペインは片腕でゆるくロマーノを抱きしめた。
震える背中を抱きしめても拒絶されないのをいいことに、スペインはロマーノの俯いたつむじにキスを落とす。ロマーノが涙と鼻水で汚れた顔を上着に擦りつけていることには気づいていたが、スペインはぽんぽんと優しくロマーノの背を叩いた。
「俺がお前を好きやないなんて、ある訳ないやん。せやのに不安になってもうたん? かわええなあ」
「……そうやってガキ扱いすんな!」
「あいたっ!」
強く足を踏まれ、スペインは小さく悲鳴を上げた。革靴の底は固く、踏まれると痛い。しかしスペインはなんとかそれに耐える。
「別に子ども扱いしとる訳とちゃうねんけどなあ……」
スペインとロマーノは長年の付き合いだが、未だにロマーノの思考回路を理解することは難しい。それと同じで、ロマーノだってスペインの全てをわかっている訳ではなかった。
スペインがロマーノに対する恋心を自覚してから、ロマーノを抱きしめる腕に下心がなかったことなんてない。それが全てではないけれど、たくさん含まれる気持ちの中にそれは確かに存在していた。今だって、スペインを想って泣いているロマーノが愛おしくて、このまま連れ去ってしまいたかった。
自身の欲を自覚して、スペインは喉を鳴らして笑う。
「……俺が泣いてるのがそんなに嬉しいのかよ」
「せやなあ」
拗ねたような口ぶりに、スペインは頷いた。すると腕の中にいたロマーノは、はじかれた様に濡れた顔を上げる。驚愕に見開かれた目が、伺うようにスペインを見た。
「俺があの女の子らと浮気したんやないかって、妬いてくれたんやろ?」
そのスペインの問いに、ロマーノは何も答えなかった。二人の横を通り過ぎる人の声や足音、川の流れる音がしばらく続いても、否定の声が上がらないことにスペインは笑みを深める。それが何よりも、答えだった。
「なあなあ、俺の部屋おいでや」
腕を掴んでいた手を動かして、スペインはロマーノと手を繋いだ。握り返されることはなくても、指を絡めてゆるく握りしめる。寒さの厳しい冬の真ん中で、二人の手はひどく熱を持っていた。
「ちなみに俺の部屋にくるなら、それなりの覚悟はしといてな。未だに子ども扱いやなんて思われてるのは、流石に困るわ」
ただ固まっているロマーノの目を真っ直ぐに見つめ、周りに聞こえないように声を潜めた。ロマーノはひゅっと喉を鳴らして、唇を噛みしめる。スペインの真意が伝わったことを悟り、にっこりと笑った。
「まあ、離してやるつもりもないねんけどな」
さっきまでの真剣みを帯びた声と打って変わって、スペインはからっと明るく言った。繋がった手をゆるく揺らすと、ロマーノは眉を吊り上げてスペインを睨みつける。暗いせいでスペインには見えなかったが、ロマーノは耳まで赤くなっている。きっとそうだと、スペインは思った。
「……勝手なことばっかり言いやがって」
「ロマーノがなんも返事してくれへんのやんか」
ロマーノの怒声が返ってくると構えていたが、スペインがしばらく黙ってもロマーノは何も言わなかった。ロマーノは睨みつけるようにじっとスペインを見つめ、スペインが一方的に繋いでいた手を、握り返した。それにおや、とスペインが目を見開く。
「俺の恋人になりたいなら……俺のナンパは許容しろ」
「えー」
不満そうにスペインが声を上げても、ロマーノはあっさりそれを無視した。
「浮気するな。お前から俺をデートに誘え。俺を優先しろ。絶対に痛いことはするな。ひどいことも言うな……」
しばらく黙ってロマーノの話に耳を傾けていたスペインは、驚きで言葉が出なかった。今のように、自分からロマーノが甘えてくることは珍しい。今までの長い二人の歴史の中で、一度だってロマーノが「俺を優先しろ」などと、スペインに強請ったことがあっただろうか。
かわいいロマーノのその甘えに、反射的に抱きしめそうになった腕を、スペインはぐっと堪えた。ロマーノがまだ、何か言いたそうにしていることに気が付いたからだ。
「こ、今夜……優しく、したら……なってやっても、いい」
どんどん尻すぼみになっていったロマーノの声は、最後の方はかすれてほとんど声になっていなかったが、スペインはちゃんと聞き取った。勇気を振り絞って零したロマーノの願いを。
「……思ってたより楽勝やなあ」
決意を固めたようなロマーノを片腕で抱きしめ、スペインは笑った。ロマーノを抱き寄せる手に力が籠って震えていることに少しして気付き、スペインは自身が緊張しているのだと気付く。抱きしめあったまま、二人はしばらくその場から動けなかった。