策士な親分 03
バカンスが最初は憂鬱で仕方がなかったはずのスペインは、結果的にとても幸せな二週間を過ごした。どこに行っても観光客が多いので、スペインとロマーノは基本的に家から出ず、朝早い時間にトマト畑の世話をしにいく程度だった。気が向けば二人でバルに向かって、酒を楽しんでスペインの家へと帰る。それは以前と変わらない光景だった。ただひとつを覗いて。
ロマーノから許可が下りたことにより、スペインはここぞとばかりにロマーノに触れた。外ではもちろん許可されなかったが、家の中であればロマーノは抵抗しなかったし、日が過ぎるほどロマーノはスペインとの触れ合いに慣れ、赤くなって固まることも減っていった。恋人でないのが不思議なほど、二人の距離は縮んでいた。
スペインは有頂天だった。恋人でないことなど、今となってはどうでもいいと思えるほど。所詮は恋人など当て嵌められた形でしかなく、スペインとロマーノまで周りと同じ形に収まる必要もない。互いが互いを必要としていることは確実であるし、スペインとロマーノの付き合いの長さからくる情や繋がりの深さなど、本人たち以外に理解出来るものではない。自分たちさえ納得していれば、世間と少し違う形でも、それで構わないのだ。なにせ、人と違って時間だけはたくさんあるのだから。
「ほんまに帰ってしまうん?」
「そりゃそうだろ」
ついにバカンスの最終日がやってきた。ロマーノは当然、イタリアに帰国するのだが、直前になってスペインがロマーノのバッグの紐を掴んで、引き留めている。ロマーノはただただ、困ったような、それでいて呆れたような目をスペインに向けてため息をついた。
「さみしなるなあ……」
バッグの紐を掴む手に力を込めながら、スペインは肩を落とした。情けないという自覚はあった。ロマーノが独立する時ですら、ここまで駄々はこねなかったのだが、どうにも今は耐えられなかった。
「……また、来てもいいんだろ」
ぶっきらぼうなロマーノの物言いに、スペインは顔を上げた。ロマーノは口調とは裏腹に、照れているように顔は赤く、スペインから目を逸らしている。
「また来てくれるん?」
「し、仕方なくだからな。お前がうるせーから……」
真っ赤になってかわいいことを言っているロマーノを、スペインは力いっぱい抱きしめた。その力強さに「ちぎっ」とロマーノが悲鳴を上げたが、構わずスペインはロマーノに頬ずりをする。
「ありがとうな!親分待っとるから、いつでも来てや!」
本当ならスペインがイタリアに遊びに行ったっていいのだが、イタリアは兄弟二人で住んでいるので、思う存分イチャつくことは出来ない。なのでこれからは自然と、ロマーノがスペインの家に来ることが増えてくる。
「……フン。気が向いた来てやるぞ、この野郎」
生意気な口を利くロマーノにキスをして、やっとスペインは体を離した。いい加減空港に行かないと、フライトに間に合わない。スペインは上機嫌で、車の鍵を手にした。
幸せな時間が終わっても、先でまた幸せな時間が約束されている。その幸福感に、スペインはまた感極まってロマーノにキスをした。外だったことで尻を蹴り上げられたが、スペインは気にせず車に乗り込む。次の休日が重なる時を楽しみにしつつ、スペインはアクセルを踏み込んで車を発進させた。
それからスペインとロマーノの関係は順調だった。距離を置こうとしていたことが嘘だったかのように、頻繁に電話をかけたり、メッセージを送り合った。ロマーノもひねくれたことを言いつつ、なんだかんだとよくスペインの家へ遊びに行く。まるで付き合いたてのカップルのような、密月を過ごしていた。
しかし、それは長く続かなかった。
二人の休日が重なり、当然のように遊びに来ていたロマーノと共に寝ていたある晩のことだった。妙な寝苦しさに、珍しくスペインは夜明け前に目を覚ました。寝汚いスペインは、朝になるまで基本的に起きることはない。平和になった昨今では尚更であるし、ロマーノが泊まりに来ている時は熟睡出来ることがほとんどだった。たまに寝相の悪いロマーノがスペインの上に乗り上げていて苦しさで目覚めることはあるが、今回に限ってはそうではない。ロマーノはスペインの隣ですやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
寝苦しさの原因がわからず、寝ぼけ眼のままふっと、スペインは己の下半身を見た。特に理由はなかったが、原因を探るために周りを見回していてふと、違和感を覚えたのだ。
「……あかん」
スペインは股間がテントを張っていることに気付き、一気に目が覚めた。慌てて飛び起きそうになったが、隣にいるロマーノのことを思い出し、ぎくりと固まる。ちらっと横目で確認すると、ロマーノはまだ気持ちよさそうに眠ったままで、起きた様子はない。それに一安心して、小さく息を吐く。
しかし問題はまだあった。眠っているロマーノはいつも全裸で、布団から除くロマーノの体に、スペインは興奮がさらに高まっていくのを感じた。このままでは眠っているロマーノにいけないことをしてしまう。
スペインは慌てて、しかしベッドを極力揺らさず、騒がず、部屋を出てトイレへ向かった。先程の眠っているロマーノの姿も借り、さっさと処理を済ませてしまえば、少しだけ冷静になれる。
「あかんなあ、これ……」
便器に座り、ぼんやり天井を眺めつつ、スペインはそうぼやいた。誰にも聞かれていなかったそれは、重々しい声色をしている。
ロマーノがキスを許してくれてから、スペインは思う存分ロマーノに触れた。幸せだったし、嬉しかったし、それで確かに満たされていたのだ。しかしそれは、最初だけだった。回数を重ねるごとにロマーノは慣れていき、どんどん余裕が出来てかわいい顔をするようになった。そういうのを見るたび、スペインはキスだけでは、物足りないと感じるようになっていた。前以上にロマーノの夢を見るようになり、夢精して起きることもあった。しかしロマーノが泊まる時はこっそり処理していたのだが、ついに堪えられなくなってきたようだ。
このままではいつか、夢と現実の境が曖昧になって、寝ているロマーノを襲ってしまうかもしれない。その事実にスペインは震えた。そんなことをすれば、間違いなくやっと手に入れた今の幸せな日々が失われてしまう。それだけはどうしても避けたい。
夜明け前のトイレで、スペインは一人決意した。ロマーノを傷つけず、一緒に寝ないようにしようと。キスは変わらずしたいのでスキンシップはやめないが、寝ている時は危険だ。寝る時だけは別にしなければならない。
「親分、がんばるからな……!」
そう決意してから、初めてロマーノと過ごす夜がやってきた。ロマーノがスペインの家に着いたのは夕方ごろで、一緒に夕飯を食べた後に酒を飲みながらイチャイチャして、いつもと変わらないように過ごす。しかしスペインはそんな時でも、あることを胸に秘めていた。
「ほんなら、寝よか」
共にスペインのベッドに入り、キスを送り合って眠りについた。しばらくしてロマーノから静かな寝息が立ったのを聞き、スペインはそっと目を開いてロマーノを確認する。ちゃんと眠っているようで、スペインがゆっくり体を起こしても、その目蓋が開かれることはない。相変わらず裸で寝ている姿に興奮を覚えつつ、スペインはそっとベッドを抜け出した。
以前のように理由も告げずあからさまに避けると、確実にロマーノを傷つけてしまう。それが嫌だったスペインは仕事中も、ご飯中も、シャワー中も使ってじっくり考えた。その結果、一緒にベッドに入り、トイレに行った帰りに間違ってゲストルームで眠ってしまったと嘘をつくことにした。ロマーノに嘘はつきたくなかったが、仮病を使うよりずっと信じてくれる気がした。
スペインはとりあえずトイレをすまし、足音を殺してゲストルームへ向かった。冷たいシーツの感触に震えつつ、一人のベッドでそっと目を閉じる。この嘘がいつまで通用するのかわからないが、次のものが思いつくまでは当分これを繰り返そう。頭の隅でそんなことを考えながら、スペインはすぐ眠りについた。
「……オイ、スペイン」
体を揺さぶられる感覚に、スペインは目を覚ました。ぼやけた視界の先には、釈然としない様子のロマーノがいる。
「ロマーノ……おはようさん」
体を起こしてぐっと伸びをする。いつもと変わらない朝、大好きな子分に起こされて、それだけでスペインは幸せだった。しかしいつもならすぐ「朝飯」と騒ぐロマーノが、何故か静かだ。
「ロマーノ?どうしたん?」
「それはこっちのセリフだ、この野郎」
「え?」
「お前、なんでゲストルームで寝てんだよ」
腕を組み、訝し気な様子でスペインを見るロマーノの言葉に、やっとスペインは昨夜自分がとった行動を思い出した。
「ほんまや……なんでやろ?」
「はあ?」
「もしかしたら昨日、トイレ行った後間違って、こっちに来てもうたんかもしれんわ」
「はあ……?どんだけ抜けてんだよお前」
呆れたようにため息をつくロマーノは、パンツだけ履いた裸同然の姿だった。いつもの寝る時のスタイルのまま、どうやらスペインを探していたらしい。
「自分の部屋とゲストルーム間違えんなよ……」
「ロマーノ、親分のこと探してくれとったん?」
ぶつぶつと文句を言っているロマーノにそうスペインが尋ねると、ロマーノは途端に固まった。一度だけスペインを見て、慌てて目を逸らす。少しずつ頬が赤くなっていく様子が、窓から差し込む日差しのお陰でスペインからは良く見えた。
「あ、朝飯が、食いたかった、からで……だから、あ、朝飯……」
「ロマ」
しどろもどろになっているロマーノに、スペインが手を伸ばした。するとロマーノはその手を見てしばらく固まった後、スペインの隣に座り込む。スペインは笑ってそんなロマーノの頬にキスを送った。
「見つけてくれてありがとうな」
「……べつに。朝飯の為だ」
顔を真っ赤にして、そんなかわいらしい言い訳を並べるロマーノがたまらなくなって、スペインはロマーノの手を引いてベッドに寝転がった。ギシッとベッドが音を立て、ロマーノが驚いたような声を上げる。けれど構わず、スペインはそんなロマーノを抱きしめる。
「きゅ、急に何しやがんだバカ!」
「めっちゃ幸せやわ〜」
「人の話聞いてんのかハゲ!」
抱きしめながら、顔のいたるところにキスを送る。ロマーノはスペインの腕の中で文句を言っているが、逃げる素振りはない。ただ腕に抱かれながら、スペインのパジャマを掴んでいる。
「ロマーノ、大好きやで」
唇にキスをして、ロマーノの目をじっと見つめる。ロマーノは息を詰まらせ、顔どころか体中真っ赤にしながら、スペインに胸に頭を預けて顔を隠してしまう。
「……知ってるっつの」
小さなその声は、ちゃんとスペインの耳に届いた。けれどからかうこともなく、大袈裟に喜ぶこともしない。胸の中にいるロマーノを抱きしめて、真っ赤になっている耳にだけ聞こえるよう、スペインはそこにそっと愛を囁いた。
そんなことを繰り返していると、いい加減恥ずかしさとお腹の限界がきたロマーノに殴られ、スペインは起き上がってロマーノを開放する。真っ赤になりつつ、照れた様子でゲストルームを飛び出していったロマーノを見送り、スペインは自分の作戦が成功したことを理解した。
自分の寝室とゲストルームを間違えるなんてありえないのだが、ロマーノはたやすく騙されてくれた。恐らく普段のスペインの行いから、やるかもしれないと思われたのだろうが、その事実をスペインは見ないふりする。
「とりあえず、しばらくこれやな」
最近たまにゲストルームで寝ているのだと、いつか話に盛り込まなければ。そんなことを思いつつ、スペインもゲストルームを後にした。
それからしばらく、スペインの作戦はうまくいった。ロマーノは朝起きると違う場所で寝ているスペインをおかしく思っているようではあったが、普段のスキンシップは変わらず続いている為、完全に疑っている訳ではないようだった。しかし何度も同じことがあると、いくら間抜けなスペインでもおかしいと思ってくる。
疑われていることなんて全く気付いていないスペインは、ロマーノと共にベッドに入ってしばらくした後、いつものようにベッドを抜け出そうとした。しかしその足を何かに掴まれ、スペインは派手な音を立ててベッドで転んでしまった。
顔面をベッドのマットに強かに打ち、鼻を抑えつつ足を掴んだものを確かめるため、振り返る。するとそこには、眠ったと思っていたロマーノが、険しい顔つきでスペインの足を掴んでいたのだ。
「ロマーノ?起きてたん?」
転んだことで起こしてしまった訳ではない。転んだ原因は足を掴んだロマーノのせいなので、スペインは意図的に転がされてしまったのだ。
疑うようなロマーノの視線に、スペインの背中に冷や汗が流れた。ただ機嫌が悪く睨みつけられているだけかもしれないが、後ろめたいことがあると、どうしても冷や冷やしてしまう。
スペインが固まっている間に、ロマーノが手を伸ばして部屋の電気のリモコンを操作し、部屋が明るさに包まれた。
「……どこ行こうとしてた」
「ト、トイレやけど……」
スペインが恐る恐る答えた言葉に、ロマーノは更に眼光を鋭くした。普段から不機嫌な表情はよくしているが、ここまで怒りが篭った目つきをすることは珍しい。本気で怒っているその様子に、スペインは心の中で怯えている。
「で?そのあとはいつもみたいにゲストルームに行くのか?クソ野郎」
言い当てられた事実に、スペインは言葉を詰まらせた。言い訳しなければならないとは思っているが、スペインの嘘は完全にバレており、今更取り繕ったところで遅いことは流石に気が付いた。
「毎回毎回ゲストルームで寝るのが、わざとだって気付かれないとでも思ってたのか?」
本気で?と続けそうなロマーノの言葉が図星過ぎて、スペインには返す言葉がない。実際騙せていると思っていたし、もうしばらくはこの方法で誤魔化せると思っていた。本気で。
「……なんなんだよ!」
突然叫んだロマーノは、スペインに枕を投げつけた。至近距離だったので避けることは叶わず、さっきマットにぶつけた顔面に枕が当たったが、さほど痛みは感じない。枕を抱きしめてロマーノを見ると、ロマーノは顔を真っ赤にし、スペインを睨みつけていた。
「昼間はイチャイチャしてくるかと思えば、夜は一緒に寝たくないだ?何考えてんだよお前!意味わかんねー!」
「ちゃ、ちゃうねん。ロマーノ……」
「ケ・バッレ!どうせ俺のこと好きじゃなくなったんだろ!この野郎!もてあそびやがって!」
喚きながらロマーノが泣き始めた。予想外のことにスペインは慌てて、ベッドをにじり寄って泣き喚いているロマーノに手を伸ばしたが、叩き落とされる。
スペインから恋愛の好意を向けられなくなったことで、どうしてロマーノが怒るのか。喜ぶところじゃないのか。普段のスペインならそんな疑問が思い浮かんだだろう。しかしスペインが嘘をついたことがきっかけでロマーノが怒り、泣き始めてしまった。ましてやもてあそんでいるなんて不名誉な勘違いまでされていて、スペインまで気が動転してロマーノの言葉の意味まで、理解することが出来なかった。
「ちゃうよ!そんな訳ないやん!」
暴れるロマーノを落ち着かせるため、スペインはロマーノを強く抱きしめた。腕の中で逃げようともがいているようだが、単純な腕力ならスペインの方が上だ。そう簡単には逃げることは出来ない。
「じゃあ、何だって言うんだよ、こんちくしょー……!」
涙をぼろぼろとこぼしながら、ロマーノはスペインの背中を叩く。けれど泣いているせいか、その力は弱く、頼りない。そんなロマーノの姿に、スペインの胸が痛んだ。今度こそ傷つけず、悲しい思いはさせないと思っていたのに、結局うまくいかなかった。
「むしろ……好きすぎてあかんねん」
嘘ではないことを伝えるため、スペインはロマーノを抱く腕に力を込める。すると背中を叩いていたロマーノの手が止まった。落ち着いたのを見計らって体を離すと、涙は浮かんでいるものの、ロマーノは不思議そうにスペインを見上げていて、涙は止まっていた。それにスペインは内心、ホッと安堵の息をつく。
「好きすぎて……?」
「そやねん。ほんまあかん親分やで……」
照れを誤魔化すように、スペインは頬を掻いた。しかしロマーノはよくわかっていないようで、怪訝な様子で首を傾げている。
「何があかんねん」
「ひょー!ロマのスペイン語や!」
「うるせー!何がダメなんだよ!」
長くスペインの家で暮らしていたこともあり、ロマーノは苦も無くスペイン語を話すことが出来る。しかしロマーノがスペイン語を口にすることは稀で、滅多なことがなければ聞くことは出来ない。あとスペイン語を話すと、スペインが異様に喜ぶのを嫌がって、更に話さなくなってしまった。
久しぶりに聞いたロマーノのスペイン語に、スペインは今の空気も忘れ、当たり前のように喜んだ。途端に顔を真っ赤にして、ロマーノはスペインを殴る。その痛みでやっと我に返り、わざとらしく咳払いをして頭を切り替える。
「やっぱなあ……好きな子が裸で密着して寝てるとな、俺も反応すんねん」
「反応?」
いまいち意味がわかっていないようで、ロマーノは眉を寄せて首を傾げた。純真なその瞳に、邪なことを考えていることが恥ずかしくなり、スペインはそっとロマーノから目を逸らす。
「せやから……愚息が……」
やっと意味を理解したロマーノは、ぎょっとしながらスペインの股間を見る。もちろん今は反応していないが、裸で密着しているとそこが反応してくるのだろう。それを想像して、顔を真っ赤にしながらロマーノもスペインから目を逸らした。
「こ、こ、この、へ、変態やろーめ」
「しゃあないやん!むしろ今まで手だしてなかっただけ、俺すごいと思うねん!」
「んなことで自画自賛してんじゃねえよ……」
疲れたようにロマーノがため息をつく。そんな姿を見て、スペインは罪悪感に胸が痛くなった。確かに性欲をなんとか我慢していた自身も偉いと思うが、性欲を向けてくる相手を軽蔑せず仲を続けていこうとするロマーノの心労も、相当のものだろう。
「せやから、別々で寝ようと思ってん」
流石にこの理由なら、ロマーノも断らないだろう。なにせ自身の貞操の危機なのだ。ロマーノがスペインを嫌っていないのは事実だが、だからとって同性に抱かれるのは嫌だろう。異性であろうが同性であろうが、無理矢理はよくない。絶対に。
「それ……」
顔をそっぽ向けたまま、ロマーノがぼそっと呟いた。
「どれ?」
意味が分からずスペインが首を傾げる。するとロマーノは恥ずかしくて耐えられないといった様子で、顔を赤くしながらスペインの股間を指さした。予想外のことに、スペインも少し顔が赤くなる。
「俺が裸じゃなかったら、反応しないのか?」
バツが悪そうな様子で、ロマーノはスペインと目を合わせない。照れているのか、多少の罪悪感があるのか。スペインにはわからなかったが、さっきから赤くなりっぱなしのロマーノが、とにかくかわいかった。興奮しないように、ロマーノから目を逸らして、聞かれた質問に意識を向ける。
「ええ……どうやろう。そうな気もするし、そうやない気もする」
「どっちだよ」
「でもなあ、結局ロマーノ抱きしめて寝てたら、あかん気ぃするわ。寝る時はいけても、朝はあかんやろな。絶対ロマーノの夢見るもん」
腕の中にいるロマーノの匂いと熱に促されるように、夢は如実にスペインの欲望を叶える。そんな夢を見るせいで朝から元気な状態で目が覚めてしまうのだが、起きてすぐそばには夢を叶えるための張本人がすやすやとかわいい寝顔を晒して眠っているのだ。我慢出来ている自身は素晴らしいと、スペインは改めて思った。
「どんな夢見てんだよ……」
怯えるように震えたロマーノに、にやりとスペインの口角が持ち上がる。
「聞きたい?」
「言うなよ!絶対に言うな!」
「それはフリやんな?」
「違ぇよハゲ!」
ふざけるなと散々騒いだ後、途端に静かになってロマーノは顔を伏せた。突然どうしたのだろうとスペインが顔を覗き込もうとしたとき、ロマーノが「なあ」と、頼りなさげにスペインを呼んだ。
「もし、朝……その、反応してたら……手伝って、やっても……いいぞ」
言い辛そうにしているロマーノの表情はわからなかったが、髪から覗く耳や首筋はさっきより赤くなっている。不思議に思いつつ、意味が分からないのでスペインは首を傾げた。
「何?どういうこと?」
「だ、だから……俺のことが好きなせいで、そうなるんなら……キス以上のことを、してやっても……」
スペインは己の耳を疑った。聞き間違いだろうかと思ったが、体中真っ赤にしているロマーノが嘘ではないことを物語っている。
「セックスしてもええってこと?」
図星なのか、ロマーノは答えない。あまりな状況に、スペインは言葉を失った。セックスの許可が下りた喜びより、戸惑いや罪悪感の方がずっと大きかったからだ。
「あかんよ!」
思わず出た大きなスペインの声に、ロマーノはびくりと肩を揺らして顔を上げた。驚いたように目を見開く姿に、スペインはぐっと拳を強く握りしめる。
「それは絶対にあかんよ」
今度は大きな声にならないよう気持ちを静め、スペインが答える。けれどそれでもわからないといった様子で、ロマーノは怪訝な表情になった。
「なんでだよ」
「当たり前やんか……って、キスしてもうてる俺が言えたもんでもないけど」
もしかしたら男のスペインとキスしすぎたせいで、ロマーノの感覚がおかしくなってしまったのかもしれない。セックスを断られるなんて、想像もしていなかった様子だ。それに抑えきれなかったため息がこぼれた。
「やっぱりそういうことは、ほんまに好きな相手とやらな」
今更当たり前のことをスペインが口にしたところで、どれだけの信憑性があるだろうか。キスを差し出されて、喜んで飛びついてしまったのだ。ロマーノからすれば、キスは良くてセックスがいけない理由が理解できないのかもしれない。
「お、お前は嬉しくないのかよ」
ロマーノの言葉を聞いて、スペインはやはりと自身の唇を噛んだ。きっとロマーノは感覚が麻痺しているのだ。そしてそれを引き起こしたのは、間違いなくスペインだった。
ロマーノはスペインに避けられたことで、キスをさせれば避けられなくなるのではと思い、スペインに接近した。実際スペインはその思惑通り、ロマーノに喜んでキスをして、それからは恋人にするように愛を囁いた。ロマーノがスペインから愛されることを望んでいたかはわからないが、少なくともロマーノはスペインから向けられる好意を嫌悪しない。面倒くさがったり、暴言を吐くことはあるが、いつだってスペインの好意を受け入れていた。
もしかするとロマーノは、またスペインに避けられることを危惧して、次に差し出せるものを考えたのではないか。キスの次、それ以上のことを許せば、スペインは離れない。その為に、ロマーノがスペインへ体を許そうとしているのなら。
(こんなつもりやなかったのに……)
スペインがロマーノを避けたのは、あくまでロマーノにひどいことをしない為だった。だがそれが結果的にロマーノへの脅しになっていたのなら、スペインは相当策士になる。
「そりゃあ俺はロマーノのこと好きやから嬉しいけど……ロマーノは違うやん」
麻痺させたのはスペインだが、だからこそスペインがロマーノの目を覚まさなければならない。そう心に決め、スペインはロマーノの両肩に手を置いてじっと目を見つめた。するとロマーノは、慌ててスペインから目を逸らす。
「キ、キスはするくせに……」
「いやそれ言われるとほんま弱いねんけど……」
一度欲望の前に屈したスペインを、ロマーノはじいっと睨みつける。その視線から逃げたくなりつつ、スペインはオリーブがかった丸い瞳を見つめ返した。
「でも流石にそれはあかんよ。俺はお前と愛し合いたいんであって、性の捌け口にしたい訳じゃないねん」
「キス……」
「キスとセックスのハードルは違うやろ!?いやキスもあかんけどな!?」
スペインが諭すように言っても、ロマーノはどこか不満そうな様子だ。そんなロマーノの態度に、スペインはひたすら困惑していた。ロマーノにとってセックスしなくていいなんて良いことでしかないはずなのに、どうしてすぐそれならよかったと納得しないのか。
自身が鈍感故に、ロマーノの言いたいことを、何か重大なことを見落としているのではないかと、スペインは過去の二人を振り返る。しかしいくら考えてもよくわからない。単純に断られたことがロマーノのプライドに傷をつけてしまい、意地を張っているだけなのか。
スペインがひとりでうんうんと悩んでいると、ロマーノは突然、肩にあったスペインの腕を払いのけた。
「男同士だって酔った勢いでヤっちまうこともあんだろ!」
突然大きな声を上げたロマーノの言葉に、スペインは目を開いて驚愕した。
「え……え!?ある?あるか?」
「あ、あんだよ!」
今の世の中で、酒の勢いで一線を越えてしまうというのは、それほど珍しいことではない。それはスペインも承知の事実だが、男同士でもそうかまでは知らない。そもそもスペインは今までの長い歴史の中で、実のところ一度も同性と関係を持ったことがなかった。
友人であるフランスなどは恋愛も自由で奔放なので、性別などさほど気にしておらず、話だけは聞いたことはあった。だがスペイン自身も試してみようと思ったことは、一度もない。セクシャリティの問題はナイーブで、面白半分で踏み込んでいい場所とは思えなかったので。
結局のところ、スペインは同性であるロマーノを好きになってしまったので、今となっては勉強しておけばよかったかもしれないとは思っているが、とにかくスペインは同性のことに関して詳しくはなかった。
「ロマーノはあるん?」
だというのに目の前の子分はなんだか詳しそうである。実は男と経験があるなら嫌だなとドキドキしつつスペインがそう尋ねると、ロマーノは途端に般若のような顔つきでスペインを睨みつけた。
「ある訳ねーだろ!ふっざけんな!ストロンツォ!」
「そ、そうなん……」
予想外のロマーノの怒りに、スペインは少しだけホッとした。恋愛などロマーノの自由なのだが、ロマーノがフランスのように性に奔放になるのは、どうにも辛い。親分としても、片想いをしている身としても。
「そりゃ男女でも同性同士でも、酒の勢いで一晩の過ちってのがあるのはわかるで?せやけど、俺はロマーノと一晩だけのお遊びがしたい訳じゃないねん」
ロマーノの怒りが少し落ち着いたところで、スペインは言い聞かせるような口調でそう言った。ロマーノは目を眇めて、納得していないように片眉を跳ねさせる。
「セックスは愛し合う行為のひとつやん。ただセックスしたいだけじゃないねん」
じいっとスペインの目を見つめるロマーノは、真意を探るような色をしている。ここで目を逸らすと、自身の言葉を嘘にされてしまう気がして、スペインも応えるように真っ直ぐロマーノの目を見つめ返した。
「俺はロマーノと愛し合いたいだけやねん。せやから無理せんでええねんで」
諭すように言いながら、スペインはロマーノの隣に移動して、肩を抱き寄せた。ロマーノは抵抗せず、されるがままスペインの肩に身を寄せる。特別なことではなく、昔は拗ねたロマーノの肩を抱き寄せて、よくスペインが慰めていた。その頃の延長でしかない。
「ロマーノは優しいもんなあ」
納得していない様子のロマーノの頭を、あやすようにスペインが撫でた。するとロマーノは、スペインから見えないように顔を伏せてしまう。それにスペインはただ苦笑を浮かべた。
「せやから、俺のこと突き放されへんのやろ……ちゃんとわかっとるよ」
お前が俺のことを好きにならへんってことは。
言葉にはしなかったが、スペインはそう心の中で呟いた。ロマーノが距離を取ったスペインに接近したのも、キスを許したのも、どれもスペインを突き放せないロマーノの優しさだ。甘さと言ってもいい。フッた相手を放っておけないなんて、実にロマーノらしかった。
「俺のことは気にせんでもええねん。いつかは……」
「お前はわかってない」
スペインの言葉に被せる様に、ロマーノは声を上げた。けれど顔は伏せたまま、どんな表情をしているのか、スペインにはわからない。
「初めから俺……抵抗なんてしなかっただろ」
「初め?」
思い浮かぶのは、スペインが告白した後にロマーノを押し倒した時のこと。確かに抵抗された覚えはないが、スペインの記憶が正しければ、ロマーノはひどく怯えていたはずだ。抵抗はなかったが、あれを受け入れていたとは言えないだろう。
「だから鈍感って言われんだ。鈍感野郎」
まるでスペインの心を見透かしたように、ロマーノの声は鋭かった。苛立ちが滲んだ声色に、ただただスペインは圧倒される。いまいち状況が掴めていない。
「そりゃ最初はスゲーびっくりしたけど、それだけで避けやがって」
「いや、でも……」
「一回フラれたぐらいで諦めてんじゃねえぞ!この玉なし野郎が!」
「た、玉なし!?言いすぎちゃう!?」
暴言を吐いてしまうところも愛しているうちのひとつではあるが、相変わらずの口の汚さにスペインは驚きを通り越して呆れてしまう。ため息をつくスペインに、ロマーノはやっと顔を上げた。けれどロマーノの視線は鋭く、スペインを強く睨みつけている。
「お前が俺を避けるなんて百万年早えんだよハゲ!ヴァッファンクーロ!」
完全に癇癪を起しているロマーノは、肩を抱いていたスペインの腕を払いのけた。暴れるかと思ったが、意外にもロマーノは大人しく、スペインの服をぎゅっと握りしめただけだった。驚いてスペインが目を丸めると、ロマーノはどこか悔しそうに顔を歪める。
「お前はただ、いつも通り、俺の為に飯を作って、俺が呼んだらすぐかけつけて、俺のそばにいればいいんだよ、カッツォ……」
随分力のない暴言だった。言葉の弱弱しさに比例するように、ロマーノの目に涙が滲む。そんな悲しそうにしているロマーノとは逆に、スペインは喜びが沸き上がっていた。鈍感だと罵られようと、長年の勘が今は口を挟むべきではないと言っているので、スペインはロマーノが泣いていても口を閉ざしている。
「一緒に……」
ロマーノの声が、震えている。縋るように、ロマーノはスペインの服を掴む手に、更に力を込めた。
「ひ、ひとりは嫌だっ」
ついにロマーノの目から涙が零れて、二人の間に滴が落ちていく。シーツには次々、大きさの違う丸い染みが出来上がった。そこでようやく、スペインは手を伸ばしてロマーノの涙を拭った。そうすることを許された気がした。
「バカスペイン、どうしようもない、鈍感やろー」
「せやなあ」
「アホ、ハゲ、ヴァッファンクーロ……」
涙声の暴言がただ愛おしくて、スペインはロマーノの震える体を抱きしめた。肩にロマーノの頭を抱き寄せると、首元が途端にあたたかい涙で濡れる。そんなことを気にしていられないほど、ただスペインは腕の中のロマーノが愛おしくて仕方がなかった。きっと言葉で伝えたって伝えられないほど。けれど一片でもこの想いを伝えるには、言葉を尽くすしかない。
「ロマーノ、好きやで」
「うるせーな」
「愛しとるよ」
「知ってんだよ、そんなことっ」
ロマーノがスペインからの愛情を疑っていないことなど知っていた。それでも、伝えずにはいられなかった。呆れられても、鬱陶しがられても、愛おしい存在を目にしたら、スペインはただくどく情熱を伝えるだけの男に成り下がるしかない。だって自身は、どこまでいっても情熱の国。拒絶されないのなら、突き進むしか道はない。
「お前、ずっと俺といろよ」
腕の中で鼻をすすりながら、ロマーノは言った。服を掴んでいた手はいつのまにか離れ、スペインの腰に回っている。
「これから先、一生、ずっと……俺だけのそばにいて、俺だけにエッチなことして、俺だけのことを愛せよ」
スペインの腰に回っている腕に、ぎゅうっと力が込められた。それに応えるように、スペインはロマーノの頭にキスを送る。
「他のヤツにしたら、絶対ゆるさねーからな」
一体いつから、ロマーノがスペインの好意を受け止めてくれていたのか。今になっても、スペインはわからない。けれどそれは昔からそうで、ロマーノがスペインの家で一緒に住み始めた頃は反発ばかりしていたが、いつの間にかそれが軟化して、いつからかロマーノはスペインの好意を当たり前という体で受け入れていた。
いつだって、スペインにはロマーノの心の変化がわからない。何百年と一緒にいても、わからないまま。それでもロマーノが、いつもスペインのことを諦めないでいてくれるから、スペインは変わらずロマーノだけを愛せるのだ。
「お前のずっとそばにおる。お前にだけエッチなことして、お前しか愛さへん。誓うわ」
「……何に?」
「そりゃあ、ロマーノにやろ」
「……ほんとかよ」
信じられないといった言い方のロマーノに、スペインはくすぐったい様に笑った。
「ほんなら、俺の恋人って言ってもええ?」
ロマーノの耳元に口を寄せてスペインが言うと、腕の中の体がぶるっと震えた。そばにある耳が真っ赤になっている。ちゅっとリップ音を立てて、耳の淵にキスをした。
「世界一大好きで、世界一かわええ俺の恋人やって、みんなに自慢してもええ?」
腕の中で真っ赤になっている未来の恋人から、どんな返答が来るのか。スペインはそれをただ楽しみに待っている。