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 闘技場に入ると既に魔狩りの剣と戦士の殿堂(パレストラーレ)との乱闘が起きていた。砂塵が舞い上がり、人が倒れ……状況の酷さが窺える。足元に鮮血のついた剣が転がってきてたまらず顔をしかめた。敵でも味方でも人が傷ついている姿を視界に捉えるのはやはり気分の良いものではない。いくら戦えるようになったからと言って無闇に動きまわるんじゃないわよ、とリタちゃんに肩を叩かれ、わたしは小さく頷いて棍を強く握った。わたしだって必要以上に戦いに巻き込まれることは避けたいのだ。

「闘技場は現在、魔狩りの剣が制圧した! 速やかに退去せよ!」

 その時、鈴の音のような凛とした声が辺りに響き渡る。明らかに少女の声だった。声の聞こえた方へ顔を向けるとまず目を引いたのが巨大なブーメラン型の武器。自分とほぼ等身の変わらないそれを軽々と背負った少女がさっきの声の主のようだ。どうやら彼女がカロルくんと魔狩りの剣の一人が話していたナンという人物らしい。彼女は闘技場の中にカロルくんの姿を見つけると大きな翡翠色の瞳を瞬かせた。

「ナン! もうやめてよ!」
「カロル? なんでここに……」
「ギルド同士の抗争はユニオンじゃ厳禁でしょ!」
「何言ってんの! これはユニオンから直々に依頼された仕事なんだから!」

 ユニオンのボスはドン・ホワイトホース。つまり、魔狩りの剣はドンの命令で闘技場を制圧しベリウスの命を狙っているということになる。しかし、ドンとベリウスは古い友人同士だと言っていた。それがどうしてこのような事態を導いているのか。やがて少女の背後から新たな人影が見えて体勢を整える。胸のペンダントはほのかな光を纏っていた。

(あの人、ドンの近くにいた)
「おまえ……ハリー!?」
「あいつ……ダングレストで会ったユニオンのやつ……?」
「ドンの孫のハリーだ」

 肩に届くほど長い金髪、筋の通った鼻に真横に引かれた赤い線。まだあどけなさを残した少年の顔はどこかドン・ホワイトホースの面影を感じる。だからこそますます分からない。なぜ、ドンの孫が魔狩りの剣と手を組んでベリウスの命を狙っているのか。ドンの孫なら彼とベリウスとの関係を知っていそうなものなのに。レイヴンさんも状況が飲み込めていないようで慌てた様子でハリーさんに駆け寄る。

「ちょっと、何がどうなってるのよ?」
「おまえもドンに命令されただろ? 聖核(アパティア)を探せって」
「ああ、でも聖核とこの騒ぎ、何の関係があるってんだ?」

 聖核とは確かレイヴンさんがドンに頼まれて探しているもの。もしかしてベリウスがその聖核を所持しているというのだろうか。だけどそれなら命を狙う理由にはならない。もし、聖核のある場所をベリウスが知っているのだとしたら生きたまま捕らえないと聞きだせないからだ。殺してしまったら何も得られない。

「ジュディス! どうしたの!」

 不意にカロルくんの必死な声が聞こえて沈んでいた意識を持ち上げる。急いでジュディスさんの姿を見つければ既にどこかへ駆け出していた。その先には魔狩りの剣に囲まれたナッツさんの姿。服も身体もあちこちボロボロで必死に相手の攻撃を受け止めていた。明らかにナッツさんの方が分が悪い。ジュディスさんに続いて駆け出すユーリさんたちの後を追いかける。ぴりっと身体に走った緊張感はきっとおびただしい数の殺気がこちらに一斉に向けられたからだろう。

「あと一人じゃ物足んねぇだろ? オレらが相手してやるよ」
「貴様らもベリウスの配下か!」
「ボ、ボクらは凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)だ!」

 カロルくんの声を皮切りに戦闘が始まる。力と力がぶつかりあう。わたしもリタちゃん同様にユーリさんたちの後ろに立ちサポートを行った。離れた位置から詠唱をして魔術を発動させる。夢中で放ったストーンブラストは見事に命中した。相手が油断した隙を狙ってすかさずジュディスさんが懐に入り込む。息もつかぬ間に敵は地面に伸びた。
 敵の数はユーリさんたちのおかげで確実に減っていく。残り数人といったところで、ふと背後に気配を感じて振り返った。闘技場の扉の向こう、街へと続く階段の方から聞こえたばたばたとうるさい足音。やがて剣や斧を持った人間が駆け込んでくる。それも一人や二人ではない。さっき闘技場から去っていったギルドの一人が応援を呼んできてしまったようだ。てっきり逃げ出したかと思ったのに。きゅっと唇を噛みしめる。ユーリさんたちは目の前の敵でまだこちら側には気が付いていない。

「リタちゃん、少し下がって」

 今しがた、ファイアーボールを放ったリタちゃんを背に声をかける。自分の背後に回ったわたしを訝し気に見た彼女はその瞳に映ったものに目を丸くしていた。ざっと見て数十人はいるのではないか。一体どれだけの人数で奇襲をかけるつもりだったのだろう。それだけベリウスが強敵だと認識していたか――そんな悠長なことを考えている暇はない。
 深く息を吐き、くるんと棍を両手で回す。これが魔術を使用する時のわたしのルーティンになっていた。おそらくわたしが扱える魔術では目の前の敵をすべて倒すことは出来ない。もっと全体に広がる攻撃でなくては。地面に海色の魔法陣が現れる。

「――穢れなき汝の清浄を彼の者に与えん、」
「ちょっとアズサ、あんたまさか……!」

 紡ぎだせ、リタちゃんが使っていた水の魔術の名を。イメージしろ、敵いっぱいに降り注ぐ激しい水柱を。

「スプラッシュ!」

 棍を上に掲げる。彼らの頭上に現れた巨大ないくつもの水瓶。それが一気にひっくり返って辺り一帯を飲み込んだ。それはわたしが想像していたものよりずっと広範囲に渡っていたが、攻撃が当たったのならこの際どちらでも構わない。
 水柱が消え上空に浮かんだ水瓶もすうっと霞んで見えなくなる。やがて地面に四肢を投げ出したままダウンしている魔狩りの剣たちが現れた。ほっと息を吐くわたしの隣でリタちゃんが呆れたようにため息を吐く。

「――まったく、あんたもたいがい無茶するわよね」


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