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ユーリさんたちの必死な応戦の結果、なんとか暴走するベリウスを止めることはできたが――その代償はとても大きかった。
淡く青い光を帯びるベリウスの身体。その意味を知ったエステルちゃんはぽろぽろと涙を流す。
「ごめんなさい……。わたし……わたし……」
「気に……病むでない……。そなたは……わらわを救おうとしてくれたのであろう……」
エステルちゃんがベリウスの怪我を治そうと治癒術を発動させたことが今回の出来事を引き起こした。本来なら治癒術は傷を癒す為のものなのに、なんて皮肉な話なのだろう。彼女の良心が最悪の結末を招いたというのか。
それでも謝罪の言葉を口にするエステルちゃんにベリウスは穏やかな声で語り掛ける。相手を思う気持ちを大切にしてほしい、と。
「フェローに会うが良い……。己の運命を確かめたいのであれば……アズサ、そなたも」
「わたしも……?」
「フェローもまた、そなたの求める答えを持っている」
ベリウスの瞳がうっすら細められる。まだ少し迷っているような、躊躇いの残った表情をしていた。本当はベリウスの言葉の真意を聞きたかったが、それは多分叶わない。おそらく、もう残されている時間が少ないのだ。わたしはベリウスの目を見てゆっくりと頷いた。手掛かりがつかめただけでもベリウスに会えた意味は大きい。
「ナッツ、世話になったのう。この者たちを恨むでないぞ……」
「ベリウス様!」
「ま、待ってください! だめ、お願いです! 行かないで!」
エステルちゃんが必死に手を伸ばしたが、ベリウスに触れることは叶わなかった。次の瞬間、ベリウスの身体は強い光に包まれる。閉じていた瞼をゆっくり持ち上げるとそこにベリウスの姿はなかった。月夜に輝く銀色の尾も思慮深い瞳も何処にもいない。ただ、虚空に手を伸ばすエステルちゃんがそこにいるだけだった。
「……あ」
けれど、彼女の指先をほんのりと照らす淡い光。まだ、何かが光っている。視線を横に移すとベリウスのいた場所に青く輝く石が宙に浮かんでいた。同じものを前に一度見たことがある。それはヨームゲンの街で見た、人の世に混乱をもたらすとデュークさんが言っていた――聖核(アパティア)。でも、どうして今ここにその聖核があるのだろう。混乱するわたしたちを他所に宙を漂っていた聖核はエステルちゃんの手のひらに収まった。
「わらわの魂。蒼穹の水玉(キュアノシエル)を我が友、ドン・ホワイトホースに」
まるで聖核がベリウスの声で喋っているかのよう……いや、そんな、まさか、
「始祖の隷長(エンテレケイア)の命が聖核……?」
「ハリーが言ってたのはこういうわけか」
あくまでも憶測でしか判断できないが、それなら魔狩りの剣(マガりのツルギ)がベリウスの命を狙っていたのにも少しは合点がいく。だけど、もしそれが本当ならばあの二人はまだ聖核を狙っているのではないだろうか。こうして予想外の形で目的のものが目の前に現れたのだから。一気に思考回路が巡っていく。背後から気配を感じたのはほぼ同時だった。
「人間……その石を渡せ」
ぞわっと背筋を走る鋭い殺気。胸の魔導器(ブラスティア)の力も借りてその場を飛びのく。棍を握りしめながら声の聞こえた方に体を向けると、そこにはさっきまでいなかったはずの魔狩りの剣の二人が立っていた。やはりベリウスと戦っている間、闘技場のどこかで身を潜めていたようだ。きゅっと下唇をかむわたしの前にユーリさんが立つ。その手には剣が握られていた。
「こいつがてめえらの狙いか。素直に渡すと思うか?」
「では素直に……させるまでのこと」
それぞれが武器を構え戦闘態勢に入る。しかし、ベリウスとの一戦でユーリさんたちも体力の消耗が激しいはず。少しでも自分が動けると良いのだが。胸元で揺れる赤い魔導器を片手で握り込む。わたしだけなら役に立てないけどあの子の協力があれば、きっと。
(お願い、力を貸して)
「そこまでだ! 全員、武器を置け!」
いつ戦いが始まってもおかしくないような状況の中、聞き覚えのある凛とした女性の声が闘技場に響く。それと同時に大勢の騎士団が乱入してきた。先頭に立っていたのは案の定、ソディアさんの姿。しかし、何故ここに騎士団がいるのだろう。疑問符を浮かべるわたしとは反対にユーリさんはこの展開を予想していたようで小さく舌打ちをする。
「来ちまいやがった」
ユーリさんの声に反応したソディアさんは彼の姿を捉えた途端に表情を険しいものに変えた。薄々感じてはいたけど、彼女は相当ユーリさんのことを嫌っているらしい。
「貴様……闘技場にいる者を、すべて捕らえろ!」
ソディアさんの指示で騎士団があっという間にわたしたちを取り囲む。逃げ道は完全に塞がれ、まさに袋のネズミ状態になってしまった。
「さっさと逃げないと、俺らも捕まっちゃうよ?」
「あたしら、捕まるようなこと何もしてないわよ!」
「きっと何か捕まえる理由こじつけられちゃうに決まってるよ!」
「そうね。逃げた方がよさそう」
「でも、逃げるといってもどうやって……」
ざっと見ただけでも数十人はいそうな騎士団。これだけの人数を相手できるほどわたしたちも余裕はない。頭を抱えたくなるような状況下の中、ラピードが任せろとばかりに一吠えした。何をするかと思えばいきなり騎士団の一帯に飛び込んでいったのだ。驚く間もなくボンっという音と共に煙が闘技場を包み込む。状況が分からず混乱するわたしの手をひとまわり小さな手がしっかり掴んだ。白く濁る視界の中に金髪の三つ編みが映る。やはり、このような状況は経験がものをいうのだろうか。軽く引っ張ってくるパティちゃんの手をわたしは強く握り返した。
「逃げ道を確保したのじゃ! 急ぐのじゃ!」