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 ノードポリカは騎士団に完全に制圧されていた。街のあちこちに騎士が立っていてなんだか居心地が悪い。おそらくわたしたちが今現在、騎士団から逃げている最中からだとは思うのだけど。このまま陸続きに逃げてもカドスの喉笛の時と同様に騎士団が制圧している可能性が高い。それなら一か八か、海に逃げて包囲網を突破しようということになった。幸いにもパティちゃんが船の操縦ができるという。わたしたちは港へ急いだ。

(何も悪いことしていないのに"逃げる"なんて奇妙な話だけど――)

 ベリウスが示してくれた道しるべを無駄にするわけにはいかない。フェローに会うためにも今ここで足止めをくらうわけにはいかないのだ。
 港へ向かう途中、ソディアさんとウィチルさんに追いつかれてしまったがリタちゃんの応戦により二人を撒いた。このまま順調に港に着けば船に乗れる。海に出れば騎士団の追っ手も振り払うことができる。そう、思っていたのだが。

「こっちの考えはお見通しってわけ」

 リタちゃんが己の武器である魔導書に手を添え、苦虫を食い潰したような表情をする。目と鼻の先に船があるのに。港の出入り口に立つ人物がわたしたちの進行を妨げる。横目で追っていた視線を前に戻す。透き通るような碧い瞳は前髪に隠れてよく見えない。

(フレンさん……)
「エステリーゼ様と、手に入れた石を渡してくれ」

 普段のフレンさんからは考えられないほどの冷たい声に身体が強張る。騎士団の仕事をしている時の彼はこんなに怖い雰囲気を纏っているのだろうか。
 渡してくれ。もう一度、フレンさんは要求する。その手が剣に伸びているのを見て流石にわたしも驚いた。ベリウスとの戦いでも十分に胸が締め付けられたというのに、今度はフレンさんと戦わなければいけないのだろうか。二人は、ユーリさんとフレンさんは幼馴染のはずなのに。

(そんなの、駄目)

 思わず飛び出しそうになる足を何かが引き止める。ふと足下を覗き込むと犯人はラピードでわたしの服の裾を引っ張っていた。まるで彼らの邪魔をしてはいけないとばかりに。

「ラピード……?」
「おまえ、なにやってんだよ。街を武力制圧って、冗談が過ぎるぜ。任務だかなんだか知らねえけど、力で全部抑え付けやがって」

 珍しく声を荒げるユーリさん。緊迫した雰囲気に誰も口を出すことができずにいると、背後から足音が聞こえて後ろを振り向く。こちらに向かって走ってくるソディアさんとウィチルさんの姿が見えた。自分の上司と口論するユーリさんを見つけてソディアさんの表情はますます鋭いものに変わっていく。まずい、とは思ったけどユーリさんは背中を向けておりこちらの様子に気づく気配はない。

「それを変えるために、おまえは騎士団にいんだろうが。こんなことオレに言わせるな。おまえならわかってんだろ」

 ユーリさんがフレンさんの胸倉をぐっと掴む。フレンさんは唇を堅く閉ざしたままユーリさんを見つめ返していた。

「なんとか言えよ。これじゃ、オレらの嫌いな帝国そのものじゃねえか。ラゴウやキュモールのようにでもなるつもりか!」
「なら、僕も消すか? ラゴウやキュモールのように君は僕を消すというのか?」
(え……?)
「おまえが悪党になるならな」

 自分の耳が信じられなかった。だって、もしフレンさんの話が本当だとしたらラゴウやキュモールはユーリさんが……殺したということになる。けれど、周りの反応を見た限りわたしの聞き間違いではなかったのだろう。なによりもフレンさんの哀しそうな表情が全てを物語っていた。
 茫然とするわたしの意識をラピードが思いっきり服を引っ張ることで引き戻してくれる。そうだ、今は騎士団から逃げることを先に考えないと。対峙したまま動かない二人の元に駆け寄ってユーリさんの服を引く。紫黒の瞳が驚いたようにわたしを見下ろしていた。

「ユーリさん、今は逃げましょう」
「アズサ……」
「そいつとの喧嘩なら別のところでやってくんない? 急いでるんでしょ!?」
「……ち」

 嫌々ながらもユーリさんが手を離したのを確認してわたしも手を放す。そっとフレンさんの様子も伺ったけど、俯いていて顔は良く見えなかった。

(きっと、フレンさんにも事情はあるはず)

 今はお互いに説明する時間がないだけ。きっと、そう。
 アズサ! と先に船に乗ったリタちゃんに呼ばれて顔を上げる。ちらりと背後を振り向けばたくさんの騎士たちが港に集まり始めていた。これ以上、街に留まっているのがいよいよ難しくなってきた。前を向きなおし駆け足で船に乗り込む。すでにユーリさん以外の人たちは船に乗っていて出発の準備を進めていて、その中にはさっきまでいなかったはずのレイヴンさんも錨を上げる手伝いをしていた。

「アズサ! あんたは船を動かすまで騎士団の足止めをしていなさい!」
「わ、わたしが? でも、どうやって……」
「この船の周りにあるものは何? あんたの得意技でしょ!」

 そう言うやいなやリタちゃんは船のエンジンである駆動魔導器(セロスブラスティア)の起動作業に取りかかってしまう。彼女が集中し始めてしまうとわたしの声はもう届かない。諦めて甲板の後ろに向かい港を見つめる。どうやらユーリさんも無事に船に乗れたようだ。港で立ち尽くすフレンさんの傍に彼の姿はない。

(足止めって言ったって、あそこにはフレンさんもいるのに……)

 やがて港に停泊していた何艘かの船が動き出す。どうやら騎士団の所有する船だったようだ。まだわたしたちの船が動き出す雰囲気はない。リタちゃんの技量ならすぐに魔導器(ブラスティア)を動かせるのではないかと思っていたが、やっぱり多少の足止めは必要のようだ。わたしは息を整えて静かに棍を構える。

(船を動かすまでの時間を稼げればいい。別に誰かを傷つける必要はない)

 リタちゃんから魔術を習っている間に何度も教えられた。魔術は集中力が大切なのだと、想像する力が発動へと導くと。イメージするのは港とわたしたちの船を遮断する長い長い水の壁。滝のような荒々しさは別にいらない。こちらの姿を一時的に隠してくれればいい。くるんと棍を回す。潮風がそっとわたしの髪をさらった。

「穢れなき汝の清浄を彼の者に与えん――スプラッシュ!」

 闘技場の時と同じくいくつも空中に現れる水瓶。しかしそれは船と港の間の海に降り注ぐ。水の壁は完全にわたしたちを覆い隠し姿を隠してしまった。船が前進を始めたのはほぼ魔術と同時のことだったように思う。魔術を解いた頃にはすでに騎士団の船はだいぶ小さくなっていた。パティちゃんの舵取りも順調らしい。思ったよりスピードが出ているのが少し気になるが、小型の船ならこんなものなのだろうか。ぼんやりと考えながら棍をしまっていると、突然爆発音が聞こえてぐらりと船が揺れる。慌てて手すりに捕まって振動に耐えた。

「なに……?」

 急いで音がした船の前方に向かうと驚くような光景が目に広がる。煙を上げ動かなくなった駆動魔導器、それを唖然と見つめるリタちゃんたち、そして槍を持ったまま感情のない瞳で魔導器を見下ろすジュディスさん。

(どういうこと……?)
「どうして?」
「……私の道だから」

 その時、獣のような咆哮が聞こえ頭上に黒い影が過る。空から降り立ち船の傍に身体を寄せた魔物はいつかの竜使いが乗っていた生き物。一瞥したジュディスさんは躊躇いなくその魔物に飛び乗った。前にラゴウの屋敷やダングレストで遭遇した時も鎧を着ていて顔は分からなかったが竜使いは槍を持っていたのは覚えている。つまり、竜使いの正体は……。

「……さようなら」
「ジュディス……!?」
「なんで、どうしてよ!?」

 空を飛ぶ魔物に乗ったジュディスさんの姿はあっという間に見えなくなってしまう。リタちゃんの悲痛な声が真夜中の海に溶けて消えた。


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