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 蒼の迷宮(アクアラビリンス)は今、全員行方が分かっていない。
 ハリーさんの言葉を何回も頭の中で繰り返す。どうしてこれだけ様々な街を巡ってもギルドの情報が得られなかったのかようやく理解できた気がした。けれど、まさか行方不明になっていたなんて。それじゃあ、何度もわたしに語りかけてきた彼女は今――。

(どういうことなの……?)
「――あ、アズサ!」

 俯き加減だった顔を上げると街の出口でこちらに手を振るエステルちゃんの姿が見えた。彼女のすぐそばにはユーリさんとリタちゃん、パティちゃんも一緒にいる。良かった、パティちゃんとは合流できたんだ。わたしは薄い笑みを浮かべながら胸の前で小さく手を振り返した。駆け寄ると反対の手に持った二本の剣がぶつかって音を立てる。

「用事は済んだのか?」
「はい。ハリーさんからドンの伝言を受け取ってきました」
「で、結局ドンからの伝言ってなんだったのよ? というか、その持ってる剣は何?」
「わあ、素敵な装飾ですね」
「……えっと、これは」
「待てよリタ。その辺の細かい詮索は後だ」

 食い気味に質問してくるリタちゃんをユーリさんが止めた。リタちゃんは少し不機嫌そうにしながらも口を閉ざす。

「アズサ、オレたちはジュディスを探しに行く。ギルドとしてケジメをつけにいく為だ。お前はどうする?」

 ベリウスが死んでしまった夜、突然船の魔導器(ブラスティア)を破壊して海の向こうに消えてしまったジュディスさん。あの時はただ茫然とすることしかできなかったけれど……きっとジュディスさんにも事情があったのだと思う。ベリウスの聖核(アパティア)を狙ってきたフレンさんのように、わたしたちの知らない彼女自身の理由が。
 ユーリさんの瞳をまっすぐに見つめ返す。わたしは凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)の一員ではないけれども、"ジュディスさんの道"が何なのか知りたい。そして、もし手伝えることがあるなら――力になりたい。わたしはこくりと頷いた。

「わたしも連れていってください。このままジュディスさんとさよならなんて嫌です」
「分かった」

 ジュディスさんがいるかもしれないというテムザ山はコゴール砂漠の北にあるのだという。ダングレストからだと別の大陸へ渡らないといけないが、幸いにも今はフィエルティア号がある。船の操縦なら任せるのじゃ、とパティちゃんが力強く答えた。
 船へと向かうユーリさんたちの中にカロルくんとレイヴンさんの姿はない。レイヴンさんはユニオンの一員でドンの右腕とも言われていた人だ。やらなければいけないことがたくさんあるのだろう。孫のハリーさんも忙しい時間を割いてわたしに伝言を伝えてきてくれたようだったし、レイヴンさんとは……ここでお別れになりそうだ。ユーリさんたちもさっき似たような会話をしていたから。一言挨拶が出来れば良かったけど事情が事情なだけに仕方がない。

(でもカロルくんは、)

 カロルくんは一緒に来ないのだろうか。これは凛々の明星の問題。簡単にわたしが口出しして良いものではないと頭では理解していても、足を止めつい背後を振り返ってしまう。でも、カロルくんの姿はどこにも見当たらない。

「大丈夫なのじゃ、アズサ姐」
「パティちゃん……」

 そう言ってパティちゃんは立ち止まるわたしの腕を引っ張った。彼女の長く結った三つ編みが揺れる。凛々の明星を誰よりも大切にしていたのはカロルくんだった。仲間がいなくなって放っておくはずがない。そう、信じたい。

「カロルはきっと来る。フィエルティア号で待つのじゃ」

 わたしは静かに頷いた。

***

 海風が髪をさらう。潮の香りが鼻を擽る。空は雲一つ見当たらない。船出には絶好の日和だ。

「待って〜!!」

 フィエルティア号に乗り込んでからそれほど時間は経っていなかった。波の音に混じって耳に届いた男の子の声。ぼんやりと頭上を見上げていた視線を落とし、甲板の手すりに身を乗り出すとこちらに向かって走ってくるカロルくんの姿が見えた。

「カロル!」
「カロルなのじゃ!」

 勢いよく船に転がり込んできたカロルくんは息を切らしながら一緒に行きたいと言ってユーリさんを見上げる。まだあどけなさの残った琥珀色の瞳に感じる確かな意思。邪魔をしてはいけないと思ってわたしはカロルくんとユーリさんのやりとりを後ろから黙って見守る。

「ここで逃げたら……仲間を放っておいたら、もう戻れない気がする……。だから! ボクも行く! 一緒に連れてって!」
「カロル先生が首領なんだ。一緒に行くのは当たり前だろ」
「ユーリ。ありがとう! でも……もう首領って言わないで」
「ん?」

 カロルくんの言葉にユーリさんは首を傾げた。わたしも隣にいたエステルちゃんと顔を見合わせて疑問符を浮かべる。カロルくんはきゅっと眉間に眉を寄せた。

「ボクは……まだ首領って言われるような事何もしてない……。ユーリにちゃんと首領って認めてもらうまで、首領って呼ばれて恥ずかしくなくなるまで、ボクは首領じゃなくて同じ凛々の明星の一員としてがんばる!」
「……わかった。カロル。がんばれよ」
「うん!」

 ドンを失い、目標を失ったカロルくんの気持ちは計り知れない。それでもカロルくんはドンの言葉を受け止めてきちんと前を向こうとしている。彼なりに凛々の明星と向かい合おうとしている。ようやく彼の屈託のない笑顔を見れたような気がしてわたしはほっと息をついた。同じように安堵の表情を浮かべるエステルちゃんと小さく笑う。

「んむんむ。青春よのう」
「うわっ! お、おっさん……!?」

 リタちゃんの驚いた声にびくりと肩が跳ねた。慌てて顔を向けると彼女の視線の先に立つ人物が視界に映り目を見張る。さっきまでそこには誰もいなかったはずなのに。船室の上に忍者のごとく現れたレイヴンさんは軽々とした身のこなしでユーリさんの隣に飛び降りた。紫色の羽織が鮮やかに翻る。

「おっさん、何してんだよ」
「えー、おっさんがここにいちゃだめなの?」
「だって、ドンが亡くなった後で大変って……」
「んー。色々と面倒だから逃げてきちゃった」

 けろりとした顔でレイヴンさんは答える。まさかの理由にわたしもあんぐりと口を開けることしかできない。

「め、面倒ですか……」
「ドンに世話になったんでしょ。悲しくないの?」
「ああ、悲しくて悲しくて、喉も渇くくらいに泣いてもう一滴も涙は出ない」
「全然、そんなふうに見えないけど」
「さすがのおっさんも、ドンの最期の言葉は無視できないって事だろ」

 ユーリちゃんの鋭い指摘にもどこ吹く風という表情でレイヴンさんはひらりと手を振った。

「ん、んなわけないってーの。言っただろ、俺には重荷だって。あっちはあっちで、後に残ったやつらがきっちりやってくれるって」
「ま、そういうことにしておいてやるよ」
「ったく。最近の若人は怖いわ」

 レイヴンさんは大げさに肩を竦める。ベリウスの一件以来、ぴりぴりとした緊張状態が続いていたからか久しぶりに感じる和やかな空気にわたしも自然と笑みが零れていた。
 ――本当はここにジュディスさんがいてくれたらもっと良かったけれど。

「……わたしは、レイヴンさんが来てくれて嬉しいですよ」
「アズサちゃんの優しさが身に染みるわ……! おっさん泣いちゃいそう」
「ついさっきもう涙は出ないって言ったのは誰だよ……」

 目指すのはデズエール大陸にあるテムザ山。そこにジュディスさんがいる。


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